七姫物語 * 姫×貧乏王子

3

決闘を見物していたは藤真が立ち去ると同時に駆け出し、バルコニーに向かった。藤真がスタスタと歩いて行く方向がバルコニーの方だったし、どうせ暇なふたりのこと、城内に火急の用があるとは思えなかった。何で決闘騒ぎになったのか聞いてくるという侍女と別れたは城の外れの塔に駆け込む。階段を上ると、てっぺんがバルコニーだ。

「いたいた! 凄かったじゃない、何あれ!」
「姫、おはようございます」
「おはよう。あんたのとこの王子様、腕が立つんだね」

ははしゃぎながらバルコニーの柵に寄りかかっていた藤真に纏わりついた。挨拶とともに頭を下げる花形に挨拶を返しながら藤真の周りをウロチョロしている。

「何も得意なことないなんて言って、全然あるじゃん! 驚いちゃった」
「姫」
「その腕を活かせば王子の身分なんかなくたって余裕じゃないの? 何であんなこと言ったのよー」
姫」
「てかよくうちの軍に勧誘されなかったね。 あ、もしかして隠してたの?」

何も出来ないバカ王子だと思っていた藤真が軽々と小隊長を負かしてしまったので、は興奮してまくし立てる。藤真はそのの両手を掴むと、力を入れて押し留める。

「姫、今日はここまでにして下さい」
「はあ? てか朝ご飯食べたの? まだなら――
「姫、ちょっとよろしいですか。王子、失礼します」

首を傾げるを促して花形は藤真から引き離す。

「何よ、どうしたの」
「大変申し訳ありません、今日のところはご容赦下さい」
「ご容赦って何がよ」
……王子はあの兵士殿に大変な侮辱を受けました」

とはいえ一応小隊長はの国の人間なので、花形はためらいつつ丁寧に事の次第を話す。

「もう身分への執着はないと言いますが、それは腑抜けだったからではありません」
「そ、それはまあそうだろうけど……
「事を荒立てるつもりもないです。手合わせしろと言われたのでしたまでです」
「だから私はそれを褒めて――
「それは身に余る光栄でございます。王子に代わりまして御礼申し上げます」

しかしは手を浮かせて行き先を遮っている花形の手をバシッと叩き落とすと、また藤真の前に踊り出た。

「一介の兵士風情が失礼しました。どうせ謝罪なんかないだろうから、代わりに謝ります」
……いえ」
「姫、お気遣い感謝いたしますが王子――
「だけど、本当に見事な剣捌きで見惚れました。それが活かせる道が見つかるといいですね」

そして戸惑う藤真の頭を両手で掴むと、力任せに引き下ろして額にキスを授けた。

「花形、何か困ることがあったら私に言って下さい。宿舎じゃどうせろくな朝食も出ないでしょ」
「え、ええまあ……
「ここなら誰も来ないし、私が話したいと言えばそれで通るから遠慮せずに」
……ありがとうございます」
「ではまた」

ポカンとしているふたりに会釈をすると、はそのまま去って行った。

「王子、明日から朝飯頼みましょうかねえ」
……好きにしろ」
「んじゃ朝昼晩姫とご一緒したいと言っちゃいますよ」
「勝手にしろっつってんだろ」
「気が狂いそうなの、治まりました?」

藤真は風になびく前髪に指を差し入れてガリガリと掻きむしった。花形は真顔だが、内心では大爆笑しているに違いない。それがわかる藤真は肯定も否定も口に出したくなかった。確かにもう気が狂いそうなほどの憤りはどこかへ消えてしまった。バルコニーを吹き抜ける風のように、が全て浚っていってしまった。

どうしてだったんだろう、藤真は立ち去るを引き止めてすがりつきたかった。きつく抱き締めたかった。

見物人が多かったので、が毎食ごとに健司王子とその側近を話し相手に所望するという要望は簡単に許可が下りた。大扉の上からが見物していたことも大勢の人に見られている。凄腕の剣士を姫が気に入り、話し相手に望むのはさもありなん、と誰もが納得した。年も近いし、あの王子顔もいいからな。

そもそもは見張り塔であったバルコニーには石造りで窓を繰り抜いてあるだけの部屋がついていて、よっぽど寒い暑い時期でなければ朝昼晩の食事をするのに困る場所ではない。雨でも大丈夫。なのではふたりをそこに招き、食事を共にしたりして、一緒に過ごすようになった。

というか、藤真に剣技の実演をさせたがった。

「何よ、花形もけっこう出来るんじゃない」
「そりゃそうです。これが出来ないと仕事になりません」
「それが王立アカデミーとかバカにしてるわほんとに」

侍女が持ち込んだ椅子に腰掛けて悠々とふたりの打ち合いを見ているは終始上機嫌だ。

「そういうのっていつ頃から習うの?」
「オレは5歳」
「私は7歳でしたかね」
「へえー、そんなちっちゃかったら剣なんか持てないでしょうに」
「最初は木剣を使うんですよ」

ふたりも剣を習い始めた頃を思い出す。ふたりの師匠は同じだが、先の戦乱を機に故郷へ戻ってしまった。

……そういうのって、女でも出来るの?」
「やってみたいんですか?」
「そんな風にくるくると剣を使えたら面白いんじゃないかなとは思う」
「やってみます?」
「おい、危ないから無理だ」

藤真は取り合わないつもりでいたのに、花形が余計なことを言い出した。は目を輝かせて立ち上がる。

「持ってみるくらいいいじゃないですか」
「振り回せなくても持つくらいなら出来ると思う!」
「え、いやマジか」
「いい?」

がどんどん詰め寄ってくるので、藤真は手にしている剣が自分の家に伝わる大事なものだということも忘れて手を差し出した。剣は本当に重いので、そのまま持たせてしまうと勢いよく落下してしまうかもしれない。藤真は手をずらして柄を広げてやり、が両手で掴んでもそのまま支えていた。

「嘘、支えてもらってるのにこんなに重いの!?」
「そりゃそうだ。ほとんど金属だけで出来てるんだから」
「だけどきれいな剣! かっこいい! ねえ私かっこいい!?」
「おい待て危ないから」
「きゃー! もし肖像画を描いてもらうことになったら私剣を持ってる絵にしてもらう!」
「よそ見するな、しっかり持て!」

何しろ先祖代々に伝わる王家の剣である。実用にも耐えられる上に非常に美しい造りになっているのでは大興奮だ。藤真が支えてくれるのをいいことには手元を疎かにするので、藤真はあたふたと手元を追いかけて剣を支える。

「どう動かすのこれって。横なら振れるかな」
「ちょちょちょ、危ないから急に動かすな! ちゃんと両手でしっかり持て!」

仮にも真剣、当たれば普通に切れるので藤真は慌てる。剣を振り回してみたいがふらふらと揺れるので後ろから回りこんで手元をガッチリと固めてやる。これなら一応剣は落ちないし、藤真が動かせば戦ってる気分になれるかもしれない。は大喜びできゃーきゃー言っているが、藤真は一瞬の後に我に返ってさらに慌てた。なんだこの密着具合は!

しまった、と顔を巡らせてみると、花形は真っ赤な顔をして口元を抑え、プルプルと震えている。

「というか、顔に似合わず手が大きいのね王子」
「はあ?」
「まあでもこんな剣を振り回せるんだから当たり前か」

言われて初めて自分の両手がの両手をすっぽり包み込んでしまっていることに気付いた藤真は、また慌てた。剣をからむしり取ると急いで離れる。というかお前もこんなに手、ちっちゃかったのか。態度はでかいくせに……

は自分も木剣が欲しいと言いながら帰っていった。が、藤真が大変なのはここからだ。

「姫はいい匂いしましたか」
「知らん」
「あなたの手はこんなものを持つためにあるのではありませんよ、とか言えばいいじゃないですか……
「何でだ」
「それで片手でそっと引き寄せて頬にキスでもすれば完璧です」
「それをオレにやれというのか」
「そうですよ!」
「必要ない!」
「楽しいですよ!」
「アホかお前は!!!」

楽しいのは花形だけだ。藤真は花形の脛を蹴るとふんと鼻を鳴らした。が、いい匂いはちょっとした。

「お前は楽しいのかもしれないけど、あいつと仲良くなっても何も得るものはないだろうが」
「そんな損得勘定で生きてたらつまんないですよ」
「面白くする必要もないだろうが」
……今後は必要になってきますよ」

後始末が終わり身分を剥奪され、そこそこ長く続いてきた王家が自分の代で途絶えた後は確かにそうなのかもしれない。藤真は花形の言葉にふと考えこみ、バルコニーの柵に寄りかかって遠くを見つめた。さて一体自分はどう生きていこうか。

朝昼晩も顔を合わせていると、嫌でも馴染みが出て仲良くなってくる。何しろ藤真が待つ担当官は戻らないし、広場での手合わせの件が方々に吹聴された結果、併合されそうでも成人前でも王子は王子、若殿意外とやるじゃん、という認識を持たれ始めた。なのであれ以来ふたりは不愉快な思いをすることもなく快適に過ごしている。

ついでにと一緒の時間が多いので、大概の要求はすんなり通るようになり、ますます快適。食事もうまい。

「あれ、花形どこ行ったよ」
「持ち出し禁止書庫にへばりついてる。なんかこーんな分厚いのをハァハァ言いながら読んでた」
「あいつ大丈夫か?」

の言い方があまりにもアレだが、この城の蔵書は国で一番なので花形が貴重な書に興奮してメガネが曇るのも仕方ない。図書館の外はおろか、禁書室からの持ち出しすら禁じられている書でもがいれば許可が下りる。花形はと一緒にいればアカデミーも合格できるんじゃないかと鼻息が荒くなっていた。

「健司は何見てるの」
「ええと、『中央集権国家と地方行政』……何だよその顔」
「何でそんなつまんないもの読んでるのよ」
「いやその……何が悪かったんだろうって……
「そんなのあんたの父上を連れてっちゃった神様が悪いんでしょ!」

藤真を呼び捨てるようになったは、ふんと鼻を鳴らしている。お気楽わがままで突拍子もないことばかりのだが、藤真はこうして不意をつかれて返事に困っては、またじわりとを抱き締めたくなる衝動に抗っていた。は同情などこれっぽっちもしていないわけだが、それでも彼女の強引な理屈は藤真の傷をほんの少し温めて癒してくれる。

そして、こんな風に気安い関係でいられるのもあと少しだと思うと、ちょっとだけ胸が痛む。王子という身分そのものには未練はないが、それを失うと同時にとの関係も失うのだと思うと、あの慇懃無礼な小隊長殿の言うように、この仕事が長引けばいいのにと思ってしまう。

オレはこいつのことが好きなんだろうか――そういう自問は湧き上がってくるたびに打ち消している。そんなの花形がニヤニヤと喜ぶだけだし、好きになったところでいずれ王子ではなくなるのだし、そもそもの方がまともに取り合ってくれるはずがない。こっちはド貧乏のバカ王子、はさらに大きくなる国の王女――

「ねえねえ、ちょっと手伝ってよ」
「は? 何を」
「届かない本があるの。高いところにあるし重いし埃がすごいし」
……埃は先に払っとけよ」

ため息をつきつつも藤真はの後を着いて行き、王家の紋章が掲げられた部屋に入る。が一緒でなければ入れない場所だ。ちらちらと書棚を確認してみると、王家、そしてこの国に関する資料がびっしり収められている。藤真は脚立に上り、の誘導で埃っぽい本を取り出した。深緑の革表紙で、またもや王家の紋章入り。

「ええと……何の記録だ?」
「家系図みたいな感じかな。ただ最近は子供も生まれてないから10年以上開かれてないはず」
「家系図なんか何するんだ」
「いやほら、髪飾りの件とか、何か記述がないかなって」

言われて初めて藤真は髪飾りの件を思い出した。そういえばあれは曾祖母から贈られたものという話だったけれど――

「だけど何で健司のひいお祖母ちゃんはあれをくれたんだろ。しかも、誰に?」
「そういう書付とか付いてなかったのか」
「なーんにも。ただそのひいお祖母ちゃんから贈られたものだっていうことだけしか」

は大きくて重くて分厚い本をめくる。埃が舞い上がり、藤真は咳き込んだ。

「それで何で家系図なんだよ」
「一応外から来た人に関しては記録があると思うんだ。贈られた可能性がある人がいないかなって」
「ええとつまり、親戚とかそういう?」
「ひいお祖母ちゃんてどこの国の人だったの?」
「ずっと東の国の――

藤真は壁にかかる地図の右端の方を指さした。この国からでもずいぶん距離がある。

「割と最近だと思うから、ええと――うーん、いないかあ」
「東の国はいないな」

王家に嫁いできた女性や、王家の女性と結婚してこの国の住民になった男性などここ数十年の記録を漁ってみたが、その東の国と関係していそうな人物は見当たらなかった。だけでなく、藤真の国ともまるで関係がなかった。

――これ、下から2番目がお前か」
「そう。私の後は3番目の叔父に王女が――あれ?」
「どうした」

自身の記録を指で追っていたは、詳細を記した枠内で手を止めて本に顔を近付けた。

「うん……なんかここ間違ってる」
「間違ってる?」
「ここ見て。金と緑の姫って書かれてる」
「何のことだ?」
「ええとね、この国では生後3ヶ月くらいまで名前が決まらなくて、最初はこういうあだ名みたいな名前で呼ばれてて」

生まれた時にまず記す記録だ。蟻の行列のような小さい文字ではあるが、この国に生まれた者の記録にはその記述が必ずと言っていいほどある。ちなみにの後に生まれた王女は白き御手の姫と書かれている。

「生まれた時の特徴てのが殆どで、この子はほんとに手が真っ白だったの」
「じゃあ金と緑っていうのは?」
……だから、私に金と緑の要素ないでしょ」

は髪も目も黒茶だ。藤真もおやと首を傾げた。こうした王家の記録などは通常専任の役人が書き込むものと決まっており、慌てん坊が書き間違えましたということは考えにくい。それにしてはただの記録なので書き込まれておしまい、こうして埃だらけになっている。

……、診療記録ないか。王家の人間なら必ず残してあるだろ」

は頷いて近くの書棚を指した。藤真は再度脚立に上り、自分たちが生まれた頃の記録を引っ張りだす。こちらはこちらで医者が記録をつけた端から束ねられて棚に押し込まれておしまい、である。藤真は今度は赤茶の革表紙の分厚い本を取り出し、パラパラとめくっていく。

「あった、これだ。ええと――
……こっちも間違ってる」

の誕生と思われる記録、そこには「金の髪、緑の瞳の姫」とある。さらに、「左肩に大きな痣、左足の中指だけが少し短い」とある。藤真がちらりとの方を見ると、彼女はぶんぶんと首を振った。そしておかしなことに、そこからしばしその姫の記録はぷっつりと途絶える。産後の王妃の診察記録もなし。

「こ、これ、年数間違ってんじゃないのか。たまにあるよな、そういうの」

が俯いてしまったので、藤真はまた脚立を上って診療記録の前後を確かめようとした。だが、慌てていたのか、王家の家系図の方の棚を調べてしまっていた。それに気付いて脚立を降りようとした時のことだった。本を一冊抜いたせいで開いた穴の奥に、何やら白っぽいものを見つけて藤真は手を伸ばした。

……これ、なんだ?」
「なにそれ」
「日記……か? この名前わかるか」
「これは、母親だけど」

は顔色が悪い。自分の出生記録は間違いだらけだし、こんな資料棚の奥から母親の日記が出てくるなんて。

「王妃様の個人的なものだろうしな。見ない方が――
「そういうのいいって。確かめてよ」

見なかったことにしようとした藤真だったが、がそう言うので表紙を開いてみた。現在の王妃がこの国に嫁いできたところから始まっている。彼女は割と近所の国の出身で、緊張と新発見の毎日を溌溂と綴っている。そして半年ほどで妊娠の兆候が認められ、そこからは妊娠中の彼女の記録兼日記になっていく。

そして出産間近で一旦書き込みは途切れる。空白の1ページを挟み、再開された日記はずいぶん荒れた字で書き込まれていた。字も大きく雑で、速い速度で書きなぐったような感じだ。藤真はそれをざっと目で追うと、パタンと日記を閉じた。

……何、どうしたの」
「見ない方が、いいかも」
……それってもう悪いこと書いてあるってことじゃない。貸して」

は日記をひったくって開くと、最後の書き殴りのページを開いた。