七姫物語 * 姫×貧乏王子

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特に彼の一族は王族ありきという考え方をする人物が少ない歴史があり、それはつい先日逝去した5代目の国王も同じであった。まだまだ王子の身分でいられるはずの藤真健司は突然父親を亡くし、しかし6代目に即位するという段取りを相談している最中に隣接する大国3つに攻めこまれ、もはや虫の息。

そんな騒ぎの中、唯一彼の国を庇って助け舟を出してくれた国があったおかげで壊滅は免れたが、本来的にはまだ気楽な王子である藤真は一国の主としては何しろ甘かった。助けてくれてありがとうございました、これから何とか国を立て直していきますと礼を述べようとしたら、国を寄越せと言われてしまった。

つまり救援に立ってくれた国は元々それが目的で、侵攻の末に領土を奪う気だった3国に対し、最初から恩を売っておいて併合の流れに持っていくつもりだったわけだ。藤真はあまりの展開に怒ることも驚くことすら出来ず、拒むなら改めて戦争しますけどどうしますかという問いかけに首を振るしかなかった。

そんなわけで王子は王子のまま、最後の君主として後始末に奔走した。今どこに攻めこまれても持ちこたえられない以上、吸収は避けられなかったし、王族の主権の放棄と貴族階級の解体が完全に行われれば国民生活は保証するというので、従うしか道がなかった。そしてやはり藤真には王家だけは存続させねばという気はなかった。

後始末が終わり、王子が居城を退去すれば完了なのだが、助けてくれた国はその辺を全て王子に丸投げしており、口は出すが金も手も出さないという状況。そんな日々が数ヶ月は続いただろうか。王子はことあるごとに呼び出されて併合の件について役人と相談するということを繰り返していた。

「あれっ、バカ王子じゃん。また来たの?」
「姫、バカ王子ではありません、健司王子ですよ」
「まあ何でもいいけど、それにしてもあの馬大丈夫なの。倒れそう」

自室の窓辺から城門を見下ろしていたは呆れたような顔で頬杖を付いていた。はこの国の王女で、藤真とは同い年。この併合騒ぎが起こってから知り合った仲だが、慣れない仕事に右往左往する王子に対する姫の態度は冷たい。冷たいというか、藤真の方もまだ経験が浅いので抜けが多く、小バカにされている。

「貴族の解体時に資産を根こそぎ持って行かれたそうですからね」
「そうか。バカな上に貧乏とはかけてやる言葉もないね」
「そうですか? また楽しそうにからかって喧嘩するんじゃないんですか」
「えへへ、まあそれは否定しない」

かつて藤真がそうだったように、まだまだ気楽なお姫様であるは政治にも外交にもまったく関わりがなく、国内の公務ですらたまに、という程度の王族であった。だが、国は大きくしっかりしているし、藤真のように時代の奔流に流されててんやわんやする必要もない。一応勝ち負けで言うと勝った方なのでは気楽だし上から目線だ。

にやにやと楽しそうな姫君の横でバカ話に付き合ってやっているのは姫付きの侍女だ。こちらは藤真がやって来ることはわかっていたので、てきぱきと姫の髪を整えている。いくら相手が貧乏王子でも身支度くらいはしておかなければならない。

「陛下がまたお食事のお相手をするようにと」
「まあいいけど……そこはなんかやだね。施ししてるみたいで」
「みたい、じゃなくてそうなんですよ。もうすぐそれすらなくなるんですから」

併合のための後始末に奔走しているうちはまだいい。一応一国の君主という認識を維持してもらえる。しかしそれが終わってしまったらほぼ平民まで一気に転落である。藤真の補佐をしている古参の側近などはせめて王子だけでも貴族階級に、と哀願したのだが、もちろん聞き入れられなかった。の父である国王は、まだ若いんだからやり直せるさ! という。

「それってイチから出直して反乱でも起こしてみれば? って言ってるみたい」
「という風に大臣にも怒られてましたね、陛下」
「あいつあんまりそういうところなさそうだからいいけど……

3国に攻めこまれた段階である程度の覚悟はできていたのだろう。思わぬ救援にホッとしたのもほんの数日のこと。娘であるから見てもずいぶんな言われようではあったが、藤真本人は淡々としていた。彼を平民にしたくないのは彼に付き従う人々で、貴族がダメならせめて特権階級に置いてくれと粘ったがダメだった。

「王子が平民になったら何するの?」
「とりあえず働かないとダメなんじゃないですか」
「何の仕事するの?」
「うーん、健司王子は何が出来るんでしょうねえ」
「何も出来ないんじゃなの」

侍女は楽しそうにケタケタと笑うの髪に銀細工の花飾りを載せる。藤真と会う時は必ずこれをつけることになっている。彼の曾祖母にあたる王妃よりこの国に贈られたものらしい。最近になって侍女が発掘してきたもので、は初めて見る代物だった。

「側近の方々も一緒に平民落ちでしょうから、まあ何とかなるのでは」
「今までにもこういう風に平民落ちしちゃった王族っているの?」
「そりゃあいますよ。陛下はそういうのお得意ですし」
「我が父親ながらやだねー。そういう人たちどうなったの?」
「まあ普通は死にますね」
「へっ?」

侍女が淡々と言うので、はシャキンと背筋を伸ばして振り返った。何で?

「誇り高きなんとか王家の末裔が平民など、てのがまあ多いですかね」
「そんなことで?」
「あとは国を奪われた上に敵国の平民に下るなど、とか。みんなで死んじゃうお国もありますよ」
「病気や怪我をしたわけじゃないのに、もったいない」

お気楽な姫には理解し難い感情だろうが、この国はそうやって領土を拡大してきた。その最新の被害者が藤真だ。

「この後会うんですから、聞いてみたらいいじゃないですか」
「まあそうね。てかまた側近のおじいちゃんたちも一緒?」
「今日は来てないようですけど」
「そんならいいけど、あの人たち二言目には『無礼な!』って言ってうるさいんだよね~」

も藤真も自国での立ち位置は大して変わらないのだが、悲劇続きの古参の側近は王家に思い入れが過ぎるあまり過干渉気味だ。というか吸収消滅させられる側なので、この場合無礼なのは藤真たちということになってしまうのだが……

「では姫、一応申し上げておきますが、粗相のないようにお振る舞い下さい」
「はい。一応聞いときます」

聞いたけど粗相しないとは言ってない。

……またか」
「またかとは何よ、王女の歓待を受けておいて」
「歓待してないだろ」
「してるじゃない。この豪華な食卓」
「じゃあ歓待してくれてるのは料理長だな」

藤真がやって来る時は来客用の宿舎をあてがわれるのだが、初日だけはこうしてが城内のバルコニーで昼食に招くことになっている。豪華な食卓とは言うが、もちろん宮中晩餐会のようにはいかない。国王と違って合理的な大臣以下この国を管理している家臣たちに藤真を虐めるつもりはないので、藤真の年齢を考えて適当と思われる食事が出る。

「失礼な。こうして毎回誰だかの髪飾りをつけてお出迎えしてるというのに」
「曾祖母だ。てかいらないんなら返してくれよ」
「私のものじゃないからそんなこと言われても。髪飾り欲しいの?」
「いやそういうことじゃ……
「あ、売ってお金にしたいの?」
「お前本当に失礼な女だな」
「そんな口がきけるのもあと少しだからね。そうしたら『無礼者!』って言ってムチで叩いてやるから」

ハーッとため息をついた藤真はしかし一応まだ王子だし、はもちろん王女なので手を取ってキスをし、彼女の席までエスコートする。バルコニーからは城下町とその外に広がる平野が見渡せる。この平野を西にずっといけば藤真の国である。莫大な富を生む産業はないけれど、多少の資源と古くから営まれる国民生活は近隣諸国の中では割と高水準で、国王が急逝さえしなければこんな事態にはならなかったはずの国だ。

「今日は何をしに来たの」
「兵士の再雇用の件」
「みんなこの国の軍隊に入るの?」
「まさか。軍に入れてもらえたのはほんの一部だ。あとは事実上の解雇」
「その人たちどうするの」
「だからそれを相談しに来たんだろうが」

小さくとも一応一国の軍隊である。事実上の解雇という憂き目に遭う予定の兵士はざっと数千人。その半数以上が新たに置かれる行政地域の警護などに就く予定になっているが、職業軍人がまだまだ大量に残っている。

「てかあなたはどうするの、このあと」
「どうするって?」
「王子でなくなったら何になるの」

食卓についていても長年の習慣が抜けない王子と王女は何も手を付けずに喋っている。自分で飲み物を用意したり料理を取り分けたりするという意識がない。それほど大きくないテーブルに向かい合ったままだ。

……まだそこまでは」
「だけどそう遠くない話でしょ」
「それまで仕事が山積みだからな。終わってから考える」
「でも何かお仕事するんでしょ」
「たぶんな」

今は自分のことなど考えている余裕がない藤真は遠い目をして眼下の平野を眺めていた。そこへ足音がしたので、ふたりはひょいと顔を上げた。藤真の側近である花形だった。だいたいいつも明るい色の装いの藤真に対して、花形は真っ黒。王子の横で悪巧みと汚れ仕事担当という雰囲気だ。

「ご無沙汰しております、殿下」
「今日はあなたひとり?」
「はい。側近といえど今後の身の振り方を考えなければならないので皆暇がなくて」

花形はテーブルの上の様子が変わらないのでひょいと首を傾げた。

「おふたりとも召し上がらないんですか」
……ああいや、そういうわけじゃないんだ」
「じゃあお願い」
……はい?」

飲み物を用意したりナプキンを取ったりするのは召使の仕事。そういう育ちのは姿勢よく座り直すと花形を促したが、こちらはただの王子の側近である。給仕係ではない。とはいえそれを今ここで責めても始まらないので、藤真と花形は手分けして食事の準備をする。

「それで、今回はいつまでここにいるの」
「あー、話が片付けば」
「少し待つようになるかもしれませんよ王子。自分から呼び出しておいて担当が戻らないそうですから」
「え!?」
「急がないとあの馬死んじゃうんじゃないの」

のツッコミに藤真と花形はウッと言葉に詰まる。確かに今日乗ってきた馬はとっくに退役した軍馬で、しかしそれしか残ってなかったので時間をかけてなんとか走らせてきた。

「いくらなんでも馬くらいは買った方がいいんじゃないの」
「それが出来れば苦労はしない」
「必要経費でしょ。その剣売って――
「これは死んでも売らない」
「だけどもう戦いの道具なんて必要ないじゃない」

厳しい顔をした藤真はテーブルに立てかけてあった剣を引き寄せて掴む。にはわからないだろうが、これは唯一手元に残った一族の形見であり、亡き父の残してくれたものだ。手放す訳にはいかない。

……それにこんなボロ剣、いくらにもならない。馬なんか買えないよ」
「ふうん、だけどもし馬がダメになっちゃったら帰れないじゃない」
「今のところ城の方で急務はありません。ひと月くらいなら逗留しても大丈夫です」

藤真が面白くなさそうな顔をしたが、花形は意に介さない。何しろ貧乏、こっちの城にいた方が衣食住が安定している。例え王族扱いされなくても、腹は膨れるし、地元での面倒な貴族の相手をしているよりは楽だ。藤真の方はまだそれが少しプライドに触るようだが、花形は気にしない。担当が戻らない以上はこっちの責任にもならない。

「だけどすることないんじゃないの」
「姫のお話し相手くらいなら務まりますよ」
「おい、勝手に話を進めるな」
「私も別に話し相手に困ってるわけじゃないけど」
「だけど姫も暇でしょう」

暇だ。

「わ、私だって公務くらい」
「直近のご予定は?」
「え、えーと、そうね、確かえーと」
「ないのか」
「そういうわけじゃ! たまたま!」

基本的にはない。は誤魔化しているが、この姫が暇なことは藤真もわかっている。何しろお姫様がきれいなドレスで恵まれない子供たちを慰問、なんていう情勢ではないし、何度も通ううちにわかってきたことだが、国王以下、国の中枢に関わる人々は平民との距離を縮めるつもりはないらしい。

……健司王子」
「なんですか殿下」
「そのニヤニヤ顔やめてくれる」
「これは失礼」
「あなたの立場が剥奪されたらこんな口きけなくなるんだから」
「その頃にはもうお会いすることもないでしょう」
「ふん、そしたら私の召使で雇ってあげる」
「そりゃどうも」

がちぎったパンを投げては、それを藤真が掴み取って口に運ぶ。花形は頑張って笑うのを堪えていた。

「おかしな話ですね」
「何が」
「こんなことになってなかったらあの姫がお妃様になっていたかもしれないな、と」

花に囲まれた国賓用の館ではなく、石造りの来客用の宿舎の一角で藤真と花形は書類とにらめっこをしていた。再雇用と言っても職業軍人はとにかく潰しが利かない。家業に戻れる者にはそれを勧めてきたけれど、それも若い世代ならいいだろうが、既に軍人として所帯を持っているようなのは本当に困る。

「あんな偉そうな女オレは嫌だ」
「そうですか? 気が合うじゃないですか。お似合いですよ」
「お前、メガネ作りなおした方がいいんじゃないのか」
「姫が偉そうなのは今我々がド貧乏で併合される側だからですよ」

それはわかっているが、自分たちの国が無事だったら、なんていう不毛なもしも話をしていても虚しいだけだ。

「うちが併合されるとこの辺りではかなり大きな国になる。もうすぐ嫁ぎ先も決まるだろ」
「といっても同年代の嫡男がいるような国、この辺りにありましたっけ?」
……ちょっと遠くてもいいんじゃないか」
「王子の方がいいのに。もったいない」
「王家の女なんてそんなもんだろ」

花形がいくら突っついても藤真は顔も上げない。

「というかお前何でそんなにあいつを推すんだ」
「いや、どうせしばらく逗留するんだし、その間に仲良くなっておけば得かなと」
「姫の口利きでオレたちの状況が有利になるとでも」
「あるいは」
「ならねえだろ」
「ですよねー」

ふたりは下を向いたままヘラヘラと笑い、山のように積み上がった紙をめくっている。

「それにしてもまだこんなに残ってんのか。国民生活は保証するとか言ったくせに」
「軍人は国民ではなかったかもしれませんね。近々戦の予定でもあれば別ですけど」
「うちが併合されることでこの辺りではもう敵なしだろうからな」
「欲をかいて自滅すればいいのに。あ、そしたら姫を貰ってトンズラしましょうか」
「余計な荷物を増やす必要ないだろうが」

花形は楽しそうにしているが、の言う通りに藤真の身分が剥奪されたら平民と王族である。今のように話をすることすら出来なくなる。仲良くなっても何ひとついいことはない。藤真は書類から目を外すと、開け放した窓の向こうを見つめ、自分の国のことを思った。将来はいずこかの国の姫を妃に迎えるのだと、それを疑ったことなどなかったな――

だからといって花形のいうようにが欲しいとかいうわけではない。ただ近隣諸国の主たる王家に年若い花嫁を迎えるに相応しい若殿は確かに自分しかいない。こんな風に自分の国が併合されなかったら、あるいは彼女を妃に迎えていたのかもしれないと思うと、どうにも不思議な感じだった。

「姫も言ってましたけど、あとは私たちの身の振り方ですね」
「お前何かあてがあるのか?」
「まあちょっと蓄えがあるので学校に入ってもいいかなと」
「おお学生か! それもいいなあ」
「王子、私が考えてるのはこちらの国の最高学府である王立アカデミーです。王子、入れますかね」

が小バカにするほどにはバカじゃない藤真だが、さすがにそれは無理だ。ドヤ顔でニヤついている花形の足を蹴ると、藤真はテーブルの上にべったりと突っ伏した。自分の将来、それは父親の跡を継ぐ以外にないと思っていたのに――