七姫物語 * 姫×貧乏王子

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「王女がすり替えられたというのですか……?」
「すり替えられたとは書かれてなかった。ただ、自分の娘は金の髪、緑の目だ、は違うと」

藤真は言葉を濁したが、王妃の日記には「誰も自分の金と緑の姫の代わりにはならない、黒茶の子など愛せない、誰が産んだのかもわからない子を可愛がって育てるなんて無理だ」とはっきり記されていた。日記は王妃の悲痛な叫びで途切れており、以後は何の記述もなかった。

「その金と緑の姫は亡くなられたか何かしたんでしょうかね」
「そう考えるのが普通だろうな」
「それで様が養女に」
……『養女』で済めばいいけどな」
「どういう意味ですか」

王妃の日記はが持って行ってしまった。藤真も一度読んだきり、正しく諳んじることは出来ない。だが、王女が早逝したので養女を取ったにしては記録はないし、王妃はを拒絶しているし、ましてや正式に養女として迎えたのなら「誰が産んだのかもわからない子」とは記さないし、そんな子供を王家の養女になどしない。

藤真はバルコニーに張り出した庇の下でテーブルに肘をついてしかめっ面をしている。今夜もまたと夕食を共にするということで城内に入る許可を得ているが、最近では朝昼晩なので手続きも疎かになり始め、用が済んで予定時間を超過しても咎められることもなくなってしまった。どうせと一緒だし、場所はバルコニーか図書館というところだ。

は夕食まで部屋で休むと言って帰り、禁書室から花形を引きずりだした藤真は夕暮れのバルコニーに直行、事の次第を話し終わったところだ。日が沈み、辺りが暗くなる頃にはが夕食を引き連れてやって来るはずだ。ふたりはそれを待っている。遠くに見える山の稜線に糸のような光を残して日は沈もうとしている。

ふたりが勝手知ったるなんとやらでバルコニーに明かりを灯していると、いつものようにがやって来た。だが、やはり今日は静かだ。侍女や厨房の担当に食事の支度をさせると、全員下がらせた。

「王子、オレは遠慮しましょうか」
「花形、そういう気遣いはいいから」
「姫……
「辛気くさい顔をしてごめんなさい。食事はちゃんと取りましょう」

頬をペチンと叩くと、はいつもの顔に戻る。が、作り顔には違いないので、藤真と花形も緊張が取れないまま食事を取った。おいしい食事のはずだがあまり味がよくわからない。

そんな藤真と花形の居たたまれなさを感じ取ったか、は明るい声で切り出す。

「また少し侍女や城の者に話を聞いてみたんだけど、誰もこの髪飾りの詳しいことは知らないって」
「姫、実は私たちも今回の件があるまで全く知らなかったんです」
「えっ、そうなの?」
「恐らく資料にも残っていないはずです。ここ100年くらいの話なら私は目を通しているはずなので」
「というかこの髪飾り、一体いつここに持ち込まれたのかも……

ほぼ食事を終えたはそっと髪飾りを外すと、上下左右にくるくると回してみる。銀の枠に花と葉の銀細工があしらわれていて、花の中心に小さな宝石が申し訳程度に埋め込まれている――そんな髪飾りだ。

「姫、それ拝見してもよろしいですか」
「どうぞ」

から髪飾りを受け取った花形は花をひとつひとつ確かめるようにじっくりと見ていく。

「健司、ひいお祖母さんていつ頃亡くなったの」
「オレが2歳くらいか……
「えっ、そんな最近まで!? それじゃこの髪飾りも――
「あっ!」
「何だよ」

髪飾りを改めていた花形が大きな声を上げ、すぐに肩をすくめた。誰かに聞かれていたらどうしようという風にキョロキョロしたあと、藤真とを手招く。そして髪飾りをテーブルの上のランプの近くに持っていく。

「ここ、見て下さいこれ。これクレマチスの花と葉と蔓なんですけど、ひとつだけバラが紛れてるんです」
「バラ? どこだよ」
「ここですここ。バラと言ってもあの赤いバラじゃありません、クリスマスローズ」
「あ、ほんとだ」
「一応クレマチスとは同じキンポウゲ科の植物ですが、ひとつだけ混ぜるのはおかしい」

花形は体を起こすと髪飾りをに向かって差し出し、頭を下げた。

「姫、調べても構いませんか」
「そんなのいいからさっさとやってよ。それが何なの」

許可が降りたので花形はクリスマスローズの花の部分をつまみ、慎重に力を入れてみた。

「花の下の軸が他より太い。クレマチスの花と蔓に隠れてるけど、姫の指くらいの太さがあります」
「だからそれが何」
「つまりそれだけの、場所が、必要、ということです!」

花形が手を離すと、コロリとクリスマスローズの花がテーブルに落ちる。花びらの下はネジになっていた。

「ど、どういうこと……
「ほんとだ。花飾りに隠れて見えないけどずいぶん太いパイプ状の――
「そんなものを仕込む理由はひとつです」

花形が髪飾りを傾けると、再びテーブルの上に何かが転がり落ちた。細い筒状のものだ。

3人はしばしその筒状のものを見つめていたが、やがて藤真が手を伸ばして手に取り、それが巻かれた紙であることを確かめた。赤いリボンで留められており、密閉空間にあったせいか特に劣化は見られない。藤真はに目で許可を取ると、その巻紙を解き始めた。巻きを開くと、細かい字で何やらびっしり書き込まれている。

「この署名は――これ、曾祖母が書いたものだ」
「それじゃあ少なくとも16年以上は前のものということになりますね」
「何て……書いてあるの」

目を通していた藤真はしかし、顔を上げると厳しい顔でを見上げた。

「謎は謎のままの方がいいこともあるぞ」
……もう無理、足を踏み入れちゃったから」
「いいんだな」
「言って」

巻紙をテーブルの上に広げた藤真はため息をひとつ置いてから口を開いた。

「金と緑の姫が生まれてすぐに亡くなり、その頃オレが生まれたんで当時まだ即位前だったの父親が祝賀会に来た。その時、曾祖母の孫も東の国から来ていて、彼女が赤子を抱いていた。それを見たの父親の目の色がおかしかった。彼が国に戻った後、城内の新生児室から曾祖母付きの侍女の娘が消え、新生児室担当の女性が殺されていた――

あまりといえばあまりな内容にと花形は言葉が出ない。

――彼は明らかに様子がおかしかった。もし自分のひ孫、王家筋の姫と勘違いして攫ったのなら、そしてそれが侍女の子だと知れたらどんな目に合わされるかわからない。私は侍女を説き伏せ、追求を諦めた。王女として育てられるなら苦しい思いをすることもないだろう。そう考えて耐えることを私たちは選んだ――

バルコニーに風が吹き抜け、藤真の声は風に掻き消えた。

「それが、私?」
「名前もないし、それを示す記述はないけど、ええと――この髪飾りを王女の誕生祝いとして私の名で贈る。いつか誰かがこの細工に気付き、哀れな女の子に真実を知らせてくれるものと願っている……

全て音読はしなかったけれど、その攫われた女児が確実にであるという証拠になる記述はないし、ここからわかることはもうなかった。紙を巻き直し、元のようにリボンで留めると藤真はそれを髪飾りの中に戻してクリスマスローズのネジで蓋をした。それを見ていたはぼんやりた顔をあげると、か細い声で呟いた。

……花形、少し席を外してもらえますか」

花形は厨房に行って時間稼ぎをしてくると言い残してバルコニーを出て行った。それを確かめたは立ち上がり、囲いの中に入り込むと繰り抜いてあるだけの窓に手をついて髪を風にそよがせる。窓の向こう、ずっと西へ行けば藤真の国だ。もしあの王妃の告発が事実なら、は藤真の国の生まれということになる。

だけでなく、は生まれてこの方自分の両親だと思っていたふたりが赤の他人かもしれないという可能性を突然突きつけられた。その上どこかの王家の末裔とか高貴な身分の人物のご落胤なんていう有り得そうな展開すらもない。城にいた女の子供というだけしか情報がない。もし高貴な身分の人物の子ならそう書くはずだ。

「同じだね。私も平民、健司ももうすぐ平民」
……まあ、何が変わるわけでもないけどな。同じ人間なんだし」
「変なの。健司は本物の王子なのに平民になっちゃって、私は平民なのに王女やってる」

藤真はの隣に並ぶと、同じように窓枠に手をついて暗い夜空を見上げた。

「生きていれば、まだ城にいるかもしれない」
「その城がもうすぐなくなるんでしょ」
……煙突掃除夫まですっかり入れ替わる」
「城で働いてた人たちはどうしたの?」
「基本的には全員故郷に帰るようにさせた。故郷のないものは近くの町や村で職を探して……
「じゃあみんなバラバラなんだね」

の母親かもしれない女性が城の中でも立場のある人ならもちろん消息を辿ることはできるだろう。少なくとも一時は王妃の侍女だった。けれど、そうでなければ記録を取っているかどうかも怪しい。しかしそれもつい最近まで城で働いていれば、の話である。理不尽に子供を奪われた女性がいつまでもその記憶の残る場所にいるだろうかという疑問は残る。

「こんな風に、突然やって来るもんなんだね」
……そうだな。まだ雨や雷の方がわかりやすい」
「健司は、どうだったの、つらくなかった?」
「そりゃ、つらかったよ。だけどめそめそしてる暇もなかったからな」

戦場には行かせてもらえなかったが、その分城の中で眠る間もなく働いていた。状況は悪く、国境沿いを破られて領内に侵入されたら後は時間の問題、というくらいに切羽詰まっていた。の国からの救援がどれだけ有り難かったか知れない。けれどそんな一瞬の安らぎは悪夢に変わった。

「前に言ってたろ、死んじゃう人もいるのにそういうのはないのって」
「そう聞いたからさ」
「併合に合意した直後にバタバタと出たよ。父上の墓の周りは死屍累々、なんか滑稽だった」

しかし逆にそれを見た藤真や花形は諦めがついた。本来であればまだ学生みたいなもので、こんなテンションにはついていけない。というか併合されてもされなくても仕事は山積み、興奮しながら自分の胸に剣を突き立てる元気もなかった。

……健司は、この後どうするの」
「まだはっきりとしたことは決めてないけど、この国は……出ようかと思ってる」

無理もない。王子の身分が剥奪されればド貧乏に拍車がかかるが、その分身軽になる。

……私の両親て、どんな人だったのかな」

「お城にいる人で、私に似てる人いなかった? きょうだいはいたのかな、おじいちゃんは、おばあちゃんは――

はぽたりと涙を零した。バルコニーに灯る薄明かりに雫が煌めく。藤真は涙の伝う頬に手を伸ばして拭うと、そっと背に手を回して引き寄せた。風が吹き抜けるバルコニーの影で、藤真はをゆったりとくるみこむ。もやがて藤真にしがみついて、ぎゅっと締め上げる。

「城にいた人たちは、元気でよく働いて、正直な人たちばかりだった。この国みたいに強大な国家じゃなかったけど、その分のんびりしててギスギスしたところもなかった。もしこんな風になる前に来ることができたら、きっと気に入ってくれたと思う。春になると城は満開の桜で埋め尽くされるし……曾祖母の国からの贈り物なんだ」

ゆっくりとの髪を撫でながら、藤真は目を閉じて春の故郷を思った。それを君と一緒に見たかった――

、お前が生まれた場所かもしれないあの城は、本当に美しい城なんだ」
――ごめんね、それを奪うようなことになって」
「お前が悪いわけじゃないだろ。この国の王様は色々問題があるようだし、今更仕方ない」

自分の国を大きくするためなら青二才の王子を騙して国を取り上げることも何とも思わない。王女を亡くしたのは悲劇だが、それを埋め合わせるためなら人を殺してまで赤子を奪う。そういう人のようだから。は腕を緩めて顔を上げると、ぎこちなく笑ってみせる。

「健司、もう少し一緒にいてくれな――

全部言い終わる前に藤真は頭を落としてキスをした。そしてまた両腕にしっかり抱き締める。

「オレ、何も持ってないけどいいのか」
「私だって何も持ってないし、何もいらないから」

そういう虚ろな心を埋めるかのように、ふたりは何度も唇を重ねた。いつしか月明かりが斜めに差し込み始めたバルコニーは音もなく、時折風が吹くだけ。他には何も、ふたりの心の中のように何もなかった。

「本来であれば、私が知らないはずがないです」

宿舎に戻った藤真は花形の潜めた声に寝支度の手を止めた。

「私はいずれ王子の右腕となるように教育をされてきました。ことによったら王子より我が国のことについては知っていることが多いと思います。もしあの髪飾りの書が正しければ、私は絶対それを教えられているはずです。それを隠していたということは、ごくごく一部の人間しか知らない情報だったはずです」

一応その頭脳を買われて側近になったわけなので、これは花形が正しいだろう。彼はいずれ国王以上にすべてを知る人物とならなければいけない立場にあった。

「あの書を残した王子のひいお祖母様、そしておそらくその孫に当たる方、さらに少なくとも陛下はご存知だったはずでは? 即位後のことですし、王子の誕生の祝賀会の時のことです。トチ狂って様を攫ったはいいけど、気が気じゃなかったでしょうね。我々が騒ぎ立てないのも不気味だったのでは」

普通の精神状態ならもちろんそうだろう。藤真は頷く。

「だけど曾祖母君はほどなく亡くなり、こともあろうに陛下まで身罷られてしまった」
……それが?」
「好機と考えたかもしれない、と」

花形の推測は一応無理はないが、自分たちが味わってきた苦痛を思うと虫酸が走る。

「これで城を奪ってしまえば永遠に秘密は保たれる、というところですかね」
「そのためにというか、それも込みで、ってことだろうな。おかしいと思ったんだよな、こんな小さな国なのに」
「結局子供は姫ひとりきり、今更バレては困りますからね。弟たちに狙われる理由になる」

しかも現国王の下には弟が7人。中でも下ふたりは年若いが、他は充分に大人である。手を組まれたら厄介だ。の出自に関わる全てを処理し、そしていつか意のままに出来る婿を調達してくれば直系の血筋は安泰と見たのかもしれない。これでもし男子が生まれなければ、また調達したかもしれない。そういう御仁のようだから。

「王子、やっぱり姫を攫って逃げますか?」

花形が戻った時、ふたりはまだしっかりと抱き合っていて、それを取り繕ったりはしなかった。

「さあ……どうだろうな。攫って逃げたところで、行く先には何もない気がする」

自分たちの手には、そして行く先にも何もない。ただ藤真の脳裏には春の花だけが踊っていた。