七姫物語 * 姫×貧乏王子

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「あれ、まだいたの」
……担当が戻らないからな」
「あんたこそやることなくて暇なんじゃないの」
「そんなわけないだろ。担当は戻らないけど関係各位に色々お願いしたり忙しいんだよ」
「忙しい……?」

宿舎はあまり広くないし窓も小さいし、何より日中は人の出入りが激しいのでうるさい。そこで書類をめくっているとげんなりするので、藤真と花形はバルコニーに来ている。ここは城の中でも外れにあるし、花もないし、あまり人気はない。試しにそこにいてもいいかと願い出たらあっさり許可が下りた。書類は持ってきたが、見ていない。お外気持ちいい。

というか元々ここはの子供の頃からの遊び場で、だから城内の人々の意識の中にないともいう。今となってはここで日がなおままごとをして遊ぶなんていうこともないのでも足が遠のいているが、昨日久しぶりに来てみたら気持ちよかったのでまたやって来てみたというわけだ。そうしたら藤真と花形が日向ぼっこしていた。

に着いてきた侍女がトレイを手にしたまま一歩下がる。

「姫、お茶を追加してまいります」
「えっ、いやそのお気遣いなく」
「ご遠慮なく。しばしお待ちくださいませ」

お付きの侍女といっても姫君の担当であるということは、城で働く侍女の中でも上級の地位にいることになる。体裁は召使いでもこの国の職業人としては精鋭に相当する。もうしばらくすると平民になる予定の藤真はちょっとビビり気味だ。

「何遠慮してんの。お菓子は嫌い?」
「嫌いじゃないけど、いちいち取りに戻らせるの悪いだろ」
「そう……?」

侍女が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれることには何の疑問もない。はそういう顔をして首を傾げた。藤真の後ろに控えながら下を向いて肩を震わせていた花形は、深呼吸をして笑いを引っ込めると首を伸ばしてきた。

「姫もたいがい暇ですね」
「失礼な」
「姫はまだ嫁ぎ先が決まらないのですか」
「まあそうね、そんな話は聞いてないけど。というか父には世継ぎがいないから、私は出ないんじゃない?」

の言葉に藤真は目を丸くし、花形と顔を見合わせた。そう言われてみればそうだな。瞬間、花形が「だったら王子を婿にもらったらどうです」と言いそうな顔をしていたので、バチンと額を叩いておいた。

「ちょうどいい婿が見つかるまでの間に何かあったらどうするんだ」
「父自身に世継ぎはいないんだけど、兄弟はいるからね。父の下にまだ7人も」
「あー、そうだったな」

しかもその7人のうち一番若いのはより7歳年上なだけだ。現在留学中だが、長子の血統、兄弟間男子、子より親優先の王家なので、長子の子であるが男子を産めなければいずれこの7番目にも王位が回ってくる。現国王のすぐ下の弟の息子に王位が回ってくるのはその後だ。

「とすると、もしあんたが婿を取ったとしても、そいつに王位は回ってこないんだな」
「そう。私が男の子を産めばその子は一気に父の後継ぎになるけど、その父親は特に権限なし」
「その場合もし現国王が存命でなければ2番目の弟が後見人ですか」
「一応成年に達するまでは私がその立場になるんだけど、まあ名前だけだろうね。そういう教育も受けてないし」
「だったらさっさと婿取って来ないとマズいんじゃないのか」
「母みたいなこと言わないでよ。ただでさえうるさいんだから。今それどころじゃないでしょ」
「まあそうなんだけど」

そんな話をしているもまるで他人ごとだ。かつての藤真のように国の政治に関わることなど実感も湧かないし、遠い未来の話だと思っているに違いない。だけどそういうの、一瞬で目の前にやって来るんだぞ。そう言ってやろうかと思った藤真だったが、やめた。この甘ちゃんな姫にはそんな運命はやってこないに違いない。

「てか、身の振り方考えたの?」
……まだだよ」
「花形は? 何かあてがあるの?」
「王立アカデミーを受験してみようかと……
「あんたそんなに頭いいの!? なんで王子の側近なんかやってるの」
「おい」

甲高い声を上げたはいっそ化物でも見たような目で花形見ている。王立アカデミーは受験者のほとんどが一度不合格を経験した「浪人」であり、現役でその難関を突破するような人材はごくごく少数である。というか花形がそれだけの頭脳を持っているのは、王子が国王になった後に側近から大臣に昇進するはずの人材だったからだ。

「でももしアカデミーに現役で入れて、研究職でアカデミーに残らなければ普通に上流階級入りじゃない。何の職に就くかにもよるけど、ヘタしたら貴族階級にも入れちゃうんだけど……

その言葉に合わせて、と花形はじっと藤真を見る。

……何が言いたい」
「そしたら花形に雇ってもらえばいいんじゃない。貴族の家に従事するとなると、それはそれで上流階級」

たまらず花形が吹き出し、それをまた藤真がバチンと叩いたところでお茶とお菓子が来た。

「でも普通はそんなの認められん! って死んじゃうんでしょ?」
……まあ、そうだろうな」
「そういうのはいいの?」
「そういう気になるほど国を治めてたわけじゃないし」

香り高いお茶が入ると侍女は下がり、がカップに口をつけるのを待ってから藤真と花形も飲む。

「健司王子は何か得意なこととかないの?」
「得意なことって言われてもな。そこは一般的な世継ぎと変わらないだろ。色々勉強はしたけど」
「まだその最中でしたからね。我が国は成人年齢が高いですし」

もし国を奪われるようなことにはならなかったのだとしても、藤真はまだ君主としては未熟すぎる。先代国王の急逝で早すぎる即位をしたのだとしたら、本当にお飾り状態の王になっていたかもしれない。

「そうか、本当に私の婿でもよかったかもしれないね」
「は!?」
「野心もない、得意なこともない、併合される側唯一の王族、王位継承権のない婿としては完璧!」

バルコニーに風が吹き抜け、楽しそうに笑うから視線を逸らした藤真は黙ってカップに口をつけた。のことを怒りたいとは思わない。ほんの数カ月前まで自分も同じようなことしか考えられない王子だったからだ。自分が王子ではなくなる日が来るなど考えたこともなかった。それに備えなければという気持ちもなかった。

「姫は王子が婿でもいいんですか? 夫になるんですよ」
「まあそこは子供の頃からそういうものだと教えられてきたから」
「だけど女性はどうしても生理的に受け付けないとかいうの、あるでしょう」
「おい、どういう意味だよ」

ついツッコミを入れた藤真は、花形の肩を裏拳で叩きながらも考える。オレはどうだろう。もしが妃だったら。

「生理的にダメってことはないかなあ。一応知り合いだし、まあ年が近いだけマシじゃないの」
「姫は年上の殿方はお嫌ですか」
「というほどこだわりがあるわけじゃないけど、早く死なれるとまた新しいのと添わなきゃならないでしょ」

さっさと男子を産み、その後見として確固たる立場を得られればよいが、それが成されるまでに夫が死ねば新しい夫をあてがわれる。そういう宿命にある。は面倒臭い、という顔をして風に髪をなびかせている。

「まあでも、もうそんなことにはならないからねえ」

まあ、この女と結婚しろと言われたとしても、そうですか、としか思わなかっただろうな。子を成しても愛することはなく、ただ王妃として恥じない振る舞いをしてさえいれば後はどうでも良かったに違いない。国王になってから気に入った女を妾にして、そちらばかり寵愛して正妻など振り返りもしなかったかもしれない。

そういう関係にならなくてよかった――

藤真はそんなことを考えながらの横顔を眺めていた。

職業軍人の再雇用について話し合う予定だった担当が出先で足止めを食らって戻れないという連絡が来たのは、彼らが城にやって来てから5日目のことだった。戻るのは恐らく2週間以上かかるだろうとのこと。宿舎にて朝っぱらから連絡を受けた藤真と花形はぼんやりとテーブルについていた。それでもないよりはいいのだが、パンと水の朝食は何とも侘しい。

「王子~担当が戻るまで何してます~?」
「何って何もやることねえだろ~」
「そんじゃ姫のところにでも行きます~?」
「なんでだ」

しかしやることがない。一応まだ立場は王子の藤真だが、何しろ朝食はパンと水である。これまでなら退屈しないようなもてなしを受けるのが普通だったので、どう時間を潰せばいいのかわからない。それは花形も同じだ。

「図書館とか入れてもらえますかね」
「お前はいいだろうけどオレは用ないぞ」
「絵本くらいありますよ」
「ふざけんな」

だが花形に文句を言っても始まらない。許可が下りるかどうかは怪しいけれど、一応図書館に入れるかどうか聞いてみるか、とふたりは腰を上げた。宿舎の外は朝の仕事始めで慌ただしい空気だ。忙しく働く人々の間を軽装のふたりはのんびり歩いて行く。宿舎の区画を出て軍部の建物を通り過ぎ、城内に入る手続きを取らねばならない。

宿舎の区画を出ると、軍部の前はもっと慌ただしかった。藤真の国も落ちたことだし、今のところ戦の必要もないが、訓練中の兵士は大声を上げて走っているし、大量の武器があちこちへと運搬されていく。

自分たちの国はこんな風に殺気立っていたことなかったな、などとコソコソ言い交わしつつ入城の手続きを取り、通用門を通り過ぎたところでふたりは後ろから声をかけられた。

「先日から滞在されているという王子殿とお見受けいたしますが」
「ええ、そうですが」
「まだお国は片付かないのですかな?」
……担当官殿が出先から戻れないとのことで、待っております」

見たところ小隊の隊長格のようだが、挨拶もなければ名乗りもしないし脱帽もしない、抜身の剣を手にしたままで、まだ一応王子である藤真に対する態度ではない。藤真は無難な受け答えをして立ち去ろうとしたのだが、既に彼の部下らしき兵士に取り囲まれていた。城の広場が一気にざわめき、見物人が集まってくる。一体何ごとだ。

「それはそれは……まだ長引くとよろしいですな。それだけ王子の身分も続くわけですから」
「とんでもない。働きずくめで疲れました。早くこの仕事から解放されたいものです」

年若い王子が為す術もなく国を取り上げられる様はこのような人間にとっては面白い見世物だったに違いない。小隊長は実に楽しそうだ。だが、藤真はまともに相手をするつもりはない。いずれ失くす身分であったとしても、未だ彼は王子、腰には父祖から受け継いだ剣がある。それを帯びている以上はこんな安い挑発に乗ってはならない。

だが、この場を立ち去りたくても見物人が多すぎてどこを突破したものやら。しかも見物人の輪の一番内側のほとんどは小隊長殿の部下のようだし、簡単に外へ出してくれるものだろうか。

「ところで王子、腰に大層なものを帯びておられるが、それは飾りですかな?」
「これは父の形見です。剣は修行中の身でした。身分を剥奪されたらそれも不要になります」
「なんともったいない。それにしても小国とはいえ一国の王子様の腕前というのはいかほどのものでしょうかな」

小隊長は手にした剣で地面をガリガリと引っ掻いて藤真を挑発している。だが、藤真は片手を腹に、片手を腿に添えたまま剣に手をのばそうとしない。それは花形も同じだ。まあもっとも彼の場合は王子に危害が加わると判断したらその限りではないだろうが、こういった輩には関わらないことと仕込まれている。

「いやあ、ぜひお手合わせ願いたいものですなあ」
「ははは、相手になりませんよ」
「何をご謙遜を!」

埒が明かない。小隊の皆様はまだ朝で仕事始めの頃だというのにふたりを解放するつもりがないようだし、見物人は増える一方だし、花形に肩を突っつかれた藤真が彼の指差す方向に顔を上げると、城の正面入り口の真上の窓からが見ていた。藤真はガックリと肩を落とす。なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないんだよ……

……これは両刃の真剣です。お手合わせに向く代物ではありません」
「なんと見くびられてしまったものですね。王子のお国をお救いする際はこれでも活躍したものですよ」
「それではもし万が一私の不手際で足元を傷つけてしまってもよろしいのですか」
「構いません構いません、いやあ王子にお手合わせ願えるなんて光栄の極みですな」

小隊長の慇懃無礼な態度に見物人たちが笑う。きれいな顔をした王子様が勇猛果敢な小隊長にどう転がされるのか楽しみで仕方ないという顔だ。藤真は肩に引っ掛けていたローブを外して花形に預ける。

「王子、あんまりカッカしないで下さいよ」
「する気もないよ」
「適当でいいんですからね、テキトーで」

小言がしつこい花形に鞘を預けた藤真は、代々受け継がれてきた大事な剣をそっと構える。

「どこで一本になりますか」
「そうですなあ、首を斬るでは私もただでは済みませんから、手をついたら、といたしますかな?」

藤真が負けることが前提になっているらしい。小隊長は手刀で首を斬る真似をして喜んでいる。

「わかりました。さっさと済ませてしまいましょう」
「では、いざ尋常に!」

その様子を城の大扉の上から眺めていたは、手合わせが始まるやいなや、窓から身を乗り出して侍女に取り押さえられた。しかし侍女の方もを押さえながら首を伸ばして朝っぱらの決闘を覗きこんだ。

からかうように剣を振り回し突き出した小隊長は、藤真の剣が届く間合いに入ると一瞬で跳ね返され、次いで淡々と襲いかかる攻撃を剣で受けるのが精一杯になり、どんどん後ろに下がっていく。そして崩れた見物人の輪から飛び出し、城壁近くまで追い詰められたところで足を払われて尻餅をついた。

喘ぐ小隊長の首に藤真の剣の切っ先がスッと向けられる。

「ではこれで一本。ご満足いただけましたか」

涼しい顔で囁く藤真に、小隊長は震えているのか頷いているのかわからないくらいガクガクと首を動かしている。小隊長の脱げてしまった靴を持ってきた花形がひょいと屈んで靴を返し、静かに付け加えておく。

「だから相手にならないと申し上げたでしょう。これで修行中の身ですからね」
「花形、余計なことを言うな。では失礼します」

鞘に剣を収めた藤真は無表情で振り返ってスタスタと去っていく。後には漏らさんばかりの小隊長と、あまりの展開に道を譲ることしか出来ない見物人だけが取り残された。その中を行く藤真は無表情のまま花形に囁いた。

「図書館はまた今度にしてくれ。バルコニーに行く。気が狂いそうだ」
……御意」

父王逝去の後にいきなり3国に攻めこまれた。救援が入るまでの数日間は国境沿いにて激戦が繰り広げられていた。犠牲者も大量に出た。それでもまだ成年に達していない王子は戦場に出ることを許されなかった。そうしてこれだけの腕がありながら戦うことも出来ずに、国を奪われる羽目になった。

何も出来なかった。何の役にも立たなかった。その記憶は今も藤真を責め苛んでいる。