たまゆらの雫

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クラスが離れているせいで初日から織姫と彦星状態のふたりは、隙あらば携帯でやり取りをして気を紛らわせていた。途中、むしろ修学旅行をキャンセルしてその間登校して自習の方がたっぷりふたりで過ごせるんじゃないかと考えたりもしたけれど、さすがに牧の立場ではそれも難しい。親にもいい言い訳が出来ない。

「字幕と吹替どっちがいい?」
「字幕」
「席はどの辺が好きとかある?」
「どこでもいいけど、あんまり前の方だと見づらいかな」

自由行動日デート計画、まずは映画を見に行くことにしたので、が座席予約をしている。高校生なのでクレジット決済は出来ないけれど、は事前にシネコンのギフトカードを購入してきて、それを使ってリザーブしているらしい。こういうところは非常に周到なので、余計に牧の母と祖母は目の色を変えるわけだ。

しばしのち、から座席指定のスクリーンショットが送られてきた。平日の朝イチの回である。3日前の今日はまだ4席程度しか予約が入っていない。がマークを付けてくれているが、ほぼド真ん中だ。

「予約完了! 終わるのが11時だから、その後移動してお昼でいいよね?」
「いいよ」

のリサーチによると、自由行動日の行き先人気ナンバーワンは太秦映画村だった。まあわかりやすく勉強抜きで楽しめそうではある。次いで地主神社。縁結びにご利益があるというので女子が殺到する予定。その次が伏見稲荷。幸いその3点は方向がそれぞれバラバラな上に離れているので、はそれらの真ん中あたりにある商業施設内のシネコンを選んだ。

その後は逆に盲点だろうと考えて京都駅まで戻ることになっている。昼が済むとそれぞれの地点からみんな戻ってくるが、基本的には東側の観光地が人気のようで、それを避ければいいのではと考えていた。あとは日本史好きが通過しそうな寺社仏閣や史跡があったらすぐに離れるなど、気をつけていればいいだろう。

「うちの部に幕末好きな子がいるんだけど、1日で27箇所回る計画だって」
「無茶だ」
「地図見せてもらったけど一応一本道の一筆書きで、本人はギリ間に合うって」
「ニアミスしそうなところあったか?」
「大丈夫そう」

映画村や縁結び神社など大人数が殺到してその場でのんびりしているのと違い、日本史好きはどこから飛び出してくるかわからないので怖い。しかもそういう歴オタが6人しかいない茶道部にふたりもいると来ている。

なので最終的にはホテルの近所で過ごすことにした。灯台下暗しだ。

「ふたりで写真取るくらいはいいよね?」
「それはまあ、見られなきゃいいだろ」
「早く4日目にならないかな~」

3日間接触なしはつらいけれど、それさえ我慢すれば朝から夕方までたっぷり一緒に過ごせるかと思うとはテンションが上ってきている。映画見てランチしてショッピングして……無難な場所を選んでいたらえらく女子好みのデートになってしまったが、牧は不満はないらしい。

「有名な観光地とかそういうのは、いつかふたりで来ようね」
「おお、そうだよな。映画村でコスプレしたいんだろ」
「紳一はお殿様ね」
「オレはやらん」
「なんでよ!!!」

西へ向かってひた走る新幹線の車内、ふたりはあまり熱心になりすぎないよう長く間隔を空けてやり取りをしつつ、4日目に思いを馳せていた。それまでは努めてクラスの仲間達と修学旅行を楽しんでおこう。楽しくなかったとしても、顔には出すまい。全ては無事に4日目を迎えるため!

4日目が待ち遠しいあまり、退屈極まりない3日間はとにかく過ぎるのが遅かった。体感時間は普段の倍くらいあったのではというほど、も牧もお互いの禁断症状に苦しんでいた。

もちろん文字でのやり取りはしていたし、電話もできないことはなかったけれど、誰もいないところは基本的にないわけで、家族にかけている振りをしなければならなかったし、余計に会いたくなるので音声は禁止にしていた。禁断症状は進む。

日中指定通りのコースを回っている間などは多少気が紛れたけれど、ホテルに帰ってきてしまうとロビーを隔てた向こうにいるのにな、と切なくなるし、消灯時間後の恋バナがまたつらかった。これはだけでなく牧も同様で、なぜか同室の連中は毎夜恋バナ……というかまあ女の子の話題で遅くまで喋っていた。

そういう苦行めいた3日間を耐え抜いたふたりは、4日目の朝、どちらもアラームより前に目覚めてしまい、朝っぱらから携帯越しに笑いあった。どんだけ楽しみにしてんだ。

さて自由行動日である。

単独行動の理由は事前に打ち合わせた通り。牧は祖父の呉服店関係の知人がいるのでそれを理由にした。実際にいるのである。またも茶道の師匠の師匠に会いに行くことにした。これもいるのである。既に故人だが、墓地におられる。どちらも嘘はついていない。真面目です。

それぞれ親しい友人には適当に言い訳をして、ぞろぞろとホテルを出て行く人の波に紛れて街へ出た。ホテルは主な観光スポットから少し離れているので、みんな駅やバス停に向かう。なのでと牧は事前に調べておいた別系統のバス停まで歩き、そこから少し離れた駅まで向かい、待ち合わせた。

京都と言っても、自分たちの生活圏と大差ない駅前の木陰。先に到着してソワソワと待っていたは、後ろから突然抱きすくめられて飛び上がった。

「びびびびっくりした、やめてよー!」
「ごめんごめん、なんかあんまりソワソワしてるから」
「そりゃこれだけおあずけ食らえばね」
……、久しぶり」
「わー! 私も会いたかったよ紳一ー!」

平日の午前中、駅前は人もまばらで、ふたりはぎゅっと抱き合ってほんの少し目を閉じる。いつでもこうしていたいのに、毎日こうしていたいのに、ああ親たちがめんどくさい。同じ学校とは言えこうして知り合えたのも親たちのおかげなのだが、それはそれ。

「じゃ、行こっか、デート!」
「あ、ちょっと待った。上、着替えるタイミング失っちゃって」

特徴的な制服ではないものの、海南の生徒が見ればもちろん気付かれる。なのでそれぞれちょっとした変装を用意してきた。どちらも制服のジャケットを脱いでパーカーに。ふたりとも髪型を少し変えて、牧はニット帽を持ってきた。これでちらと見ただけでは気付かれないだろう。

……何ニヤニヤしてんだ」
「えー、だって紳一の私服ほとんど見たことないもん。若くなるね!」
「何言ってんだ元から若いから」

さて、改めて出発です。少し遠回りになるが、電車移動でまずは映画を見る。映画の好みは割とずれているカップルなのだが、たまたまふたりとも共通して見られそうなタイトルがあったので、これは運が良かった。しかも公開の翌週。修学旅行の日程が少しでもずれていたらアウトだった。

全国に広く展開するシネコンなので、いくら関東と関西で距離が離れていても戸惑うことはなく、もちろん海南の生徒などどこにもおらず、シートに並んで腰を下ろしたふたりはするりと手を繋いで寄り添った。薄暗い照明が気持ちを落ち着けてくれる。ずっとこんな時間が欲しかった。

「ねえねえ、先生……じゃなくて紳一の親って、友達同士で旅行とかそういうのはダメなタイプ?」
「どうだろうな。卒業旅行とかそういう理由があれば大丈夫かもしれないけど」
「春休み、家だけなんとかなれば卒業旅行のふりして行けるかなって思ったんだけど」
「まあ、そうだよな。たぶんほんとの卒業旅行は行かれないだろうから」

既に各大学からスカウトが殺到しているような牧なので、高校卒業後はいずこかの大学の寮か、アパートを借りてひとり暮らしになるだろう。その準備や引っ越しや、春休みはあまり余裕がないかもしれない。

というかはそういう1年後を見越して今から同じ大学に行けるよう準備を始めている。用意周到なので牧もこれは心配していない。いっそ引退したあたりでカミングアウトして同じ部屋にでも住まわせてもらえないだろうかと考えるが、さすがにそれは虫が良すぎるか。

「でも冬休みは時間取れるよ。帰省組もいるし、寮も閉まるし、監督も家族サービスしなきゃならないし」
「そっか! 家は大丈夫?」
……めんどくさいのは元旦くらいか。たぶん大丈夫だと思うけど」

オール和風の牧家なので、それはそれは季節ごとの行事にはこだわるし、勢いやりすぎなところも多々ある。けれど、この外来スポーツに夢中でお茶もお花もまるで興味のない息子にはだいぶ諦めが来ており、おそらく友達とカウントダウン行くと言ったところで止められはしないはずだ。

音もなく、吸い取られるようにして明かりが落ちる。平日の午前中の回、公開翌週だが割と若者向けのタイトル、シートは人が少なくガラガラだった。牧は繋いだ手を少し引き寄せて頭を落とした。NO MORE映画泥棒の映像の光に照らされたの頬が白く光る。

「そういうのも先延ばしにしないでちゃんと決めていこうな」
「でも、紳一は時間ないんだし……
「ふたりのことだろ。一緒に考えよう」

牧はそのまま首を伸ばして静かにキスをした。

久々の開放的なふたりきり、そして珍しく一緒に見られるタイプの映画はどちらも大当たり、360度どこを見渡しても海南の制服はいないし、映画館を出たら11時過ぎでまだまだ時間はたっぷりある。

手始めにが調べておいた店で食事を取ったふたりは、ほぼ初めてに等しい「外で手を繋いでデート」を始めた。目と鼻の先、というほどではないけれど、ふたりとも地元生まれ地元育ちの海南生、手頃な場所でキャッキャウフフなデートなどやりようがなかったし、どうしても家族にバレるリスクの方が大きかった。

その上付き合っていることを隠しているせいでの家族はお盆休みに家族旅行を計画、友達と遊ぶから旅行に行かないと言うのは簡単だったが、残念なことにの友人は揃いも揃って地元でのんびりしているタイプの子ばかり。お盆休みでなくても遊べてしまう。結果、夏休みも牧とはほとんどふたりで過ごせなかった。

そんなだから、むしろ学校が始まってからの茶道部の部室の方が安心してふたりきりになれる空間だった。

「もちろん今すぐ後継者がどうのとは言わない……と思うんだけどなあ」
「大先生より先生の方が割と熱心だよねそこんとこ」
「自分で望んで牧家に入ってきた人だし、その辺はバアさんより『残したい』と思うのかもな」

大先生は牧の祖母、先生は母。もちろんここも師弟で、弟子が師匠の息子と恋に落ち、なおかつお教室の後継者になることも望んでの結婚だった。やや同じ道を来ているが自分の跡を継いでくれると思ってはしゃぐ姿は想像に難くない。

「伯母さんがお茶飲めればこんなことには……

お教室で華道を教えている牧の伯母は本来なら跡継ぎの人のはずなのだが、不運にもカフェインに弱く、お茶を飲むと強い頭痛に襲われるという体質ゆえ、作法は覚えられても結局続かずに終わってしまった。その憤りが花の方に向かい、共にお教室を開くまでにはなったけれど、元々は茶道教室なので厳密には跡継ぎではない。

「紳一のいとこはどうなの、その伯母さんの。確かふたりくらいいたよね?」
「いるけど、お花すらやってない。ひとりは医療系でもうひとりは黒ギャル」
「黒ギャ……まあ紳一も似たようなもんだ」
「あれと一緒にすんな」

牧家の人間は決して子に家業を強要しなかったのだが、そういうわけで紳一世代は全員お茶にもお花にも興味がなく、不自然に黒々としたのがふたりも現れてしまう始末。なので外に跡継ぎを求める気持ちは如何ともしがたいわけだが、黒々とした息子の彼女が元教え子という餌はあまりに甘美だ。

ふたりはああでもないこうでもないと「干渉されないで付き合うには」を議論しつつ、京都の街を歩いていた。

ふたりともクラス行動の間に土産物はあらかた買ってしまったし、今日は観光やショッピング関係なくふたりきりで過ごそう、という前提があったので、ただひたすら手を繋いで歩いていた。だが、牧はある店の前でつい足を止め、の手を引いた。

「どしたの」
「ごめん、これちょっといいなあと思って」

牧が指差した小さなショーウィンドウには、革小物がいくつか並んでいた。財布、パスケース、キーケース……ベーシックな色から鮮やかな着色のものまで、どれもシンプルながら繊細な作りで、牧は目を引かれた。本皮製品など高校生のお小遣いでは手が出ないけれど、いつかこんなものを持ってみたい、という気にさせられる。

「さすがに高いな。財布だと3万もするのか」
「革だと長く使えるから高いのかな」
「うわ、後ろにおいてあるバッグ、7万もする」

職人の手による工房の製品でむしろそのくらいは普通の価格、いや少し安価である――ということは高校生にはわかるはずもない。かっこいいレザーアイテムを持ってみたいけど、さすがに財布ひとつにポンと3万出せる経済状況ではない。ふたりは感嘆のため息を付きつつ、その場を離れようとした。が、

「あ、ねえ紳一ちょっと待って、これなら買えるよ!」
「何これ、ブレスレット?」
「革紐の色と、金具が選べるみたい。メンズ2000円、レディース1700円だって」

細めの革紐は5色展開、選べるチャームは全部で15種類、ブレスレット1本につき3つのチャームを選んで通すことができるようだ。追加料金が発生するが、プレートに文字を刻むこともできる模様。ふたりは顔を見合わせて頬を緩めた。せっかくふたりで過ごしているのだし、記念になるものがほしいとは考えていたのだ。

しかしそれはどこかの神社か何かで天然石のブレスレットを買うとか、お守りを交換するとか、そういうことだと思っていた。それもいいけど、お揃いのレザーブレスレット、いいんじゃないか?

……お揃いの、作るか?」
「うん、欲しい。紳一がいいなら同じの欲しい」
「授業中につけてるわけにいかないんだし、これならいいよな」

普通に授業中でもアクセサリーつけてる生徒はいますが、どうしても真面目です。

「ほんとに? うわ、どうしよ嬉しい。どれがいい? 色は?」
「色は普通の色がいいな。赤とか黄色はちょっと……
「あはは、海南カラーなのに?」

はよっぽど嬉しいのか、牧の手を振り回して飛び跳ねている。すると、店内から髭面の男性がぬっと現れて、ふたりの横からぼそぼそと声をかけてきた。は思わず牧の後ろに隠れてしまった。

「革紐とか、実物ありますよ。見ますか」
「は、はい、おねがいします」

招かれるまま店内に足を踏み入れると、ふんわりと革の匂いが漂っている。少し油っぽくて、少し草のような、柔らかい匂いだ。ショーウィンドウにあるものよりだいぶ高価な商品がずらりと並んでいて、ふたりは思わず肩をすくめる。気をつけて、落とさないようにしなければ。

「これが革紐、こっちがチャーム、アルファベットもあるけど、それとプレートは別料金です」
「あの、メンズとレディースで同じものって作れますか」
「違いは革紐の太さと長さだけなので大丈夫ですよ。お揃いにしますか」

無表情でぼそぼそと喋る店主らしき男性にふたりはうんうんと頷いた。彼は「決まったら呼んでください」と言い残して店の奥へと消えてしまった。途端に静まり返る店内、と牧はすぐに実物を手に取ってデザインを考え始めた。実物があると目移りしてしまう。

「革紐はやっぱり普通の色にしようか。明るい方と暗い方、どっちがいい?」
「普通の色ならどっちでもいいよ。決めなよ」
「じゃあ暗い方にしようかな。長く着けてても汚れたりしなさそう」

お揃いのブレスレットを長く着けていたいんだ、という気持ちを込めて言ってみただったが、牧は真剣な顔でチャームを選んでいて聞いてない。

……気に入ったのあった?」
「どれもいい感じですげー迷う」
「デザインもだけど、ふたりしかわからない意味があったらよくない?」
「意味?」

はチャームのトレイからいくつか取り上げて手のひらに乗せた。

「例えば、花とクロスと波で、私と紳一、とか、そういう感じ」
「ああ、そういうことか。いいよ、は花がいいのか?」
「えっ、うーん、そう言われると……

ふたりはチャームを拾い上げてああでもないこうでもないと自分たちを表すデザインに悩みまくった。身に着けるものだから見栄えも重視したいし、しっかり意味がある方がふたりの大事なアイテムとしての価値は上がるし、店内に誰もいないのをいいことに、じっくり時間をかけて選んだ。

「よーし、これでもういいな? やっぱり違うのにしたいとかないな?」
「大丈夫! なんか思った以上にかわいい!」

試行錯誤の末、ふたりは太陽と月と王冠を選んだ。太陽と月はと牧を、王冠は海南を表す。バスケット部がふたりが生まれた頃からずっと神奈川の覇者であり、それがやがて「神奈川の王者」と評されたことに拠る。月と太陽で王冠を挟むと、どこかファンタジックでデザイン的にも可愛らしい。

店主らしき男性が消えていった奥へ声をかけて注文を済ませると、20分ほどで仕上げてくれるという。急ぐ用もないことだし、ふたりはまた店内で待たせてもらうことにして、ブレスレットの仕上がりを待った。

「これなら学校で着けててもバレなそうだね。クラスも違うし」
「共通の友達もいないしな。今まで着けてないのにいきなりずっとしてたら怪しまれるだろうけど」

登下校の間とか放課後とか昼休みとか。そういうタイミングでさりげなく手首に偲ばせているぶんには、派手でもないし、でも牧でも不慣れで突飛な変化には見えないだろうし、通りすがりに足を止めたにしてはいいセレクトで、はもうずっとニマニマしている。お揃い嬉しい。

「お揃いのアクセサリーとかって嫌がる子も多いでしょ」
「まあ、あんまりキラキラしたもの着けろって言われるとな」
「いい感じのに出会えてよかった~修学旅行京都でよかった~」

3日間完全に引き離されていたことなど、もうどこかに飛んでしまった。朝からずっとふたりきりだし、お互い気に入ったお揃いのアクセサリーも買えるし、言うことなしだ。

そして出来上がったブレスレットを受け取ったはまた大喜び。メンズとレディースではベースとなる革紐の太さが違い、パッと見た時の印象がずいぶん異なる。革紐だけなら同じ商品とは思えないくらいだ。しかしよくよくチャームを見れば、完全なお揃いである。パーフェクト!

「修学旅行ですか」
「はい」
「どちらからですか」
「神奈川です」
「カップル……ですよね」
「え、ええまあ」
「これ、サービス」

何を言ってもやっても無表情の店主は、一瞬たじろいだ牧を促して出来上がったブレスレットの端を差した。ブレスレットはフックで止めるスタイルだが、その金具の手前に、ふたりが選んだチャームより小さいハート型のシルバーのコンチョがくっついていた。が思わず歓声を上げる。

「えっ、いいんですか!?」
「裏側に引っかき傷があるやつで申し訳ないけど」
「いえ、そんな、ありがとうございます」

やっぱり口元以外微動だにしない店主だったが、出来上がったブレスレットを持ち上げてふたりの腕にかけると、ありがとうございました、と頭を下げた。ふたりも思わずありがとうございましたと言って頭を下げ、なんとなく名残惜しくなりながら店を出た。無愛想だけど粋なことをなさる職人さんではないか。

「どうしよう、すっごい嬉しいんだけど」
「訳ありのだから、ってことなんだろうけど、これ高そうだよな」
「細かく掘られてるから、一瞬ハートに見えないのもいいね」

ふたりは歩きながらブレスレットの揺れる手首を並べては何度もひっくり返し、自分たちで選んだチャームとこっそりくっついているハートのコンチョを見ていた。これまでずっと秘密の関係だったけれど、とうとう「証拠」が生まれてしまった。ふたりが特別な関係であることのしるしがくすぐったい。

どっちがどちらでもいいけれど、太陽と月はと牧、双方を繋ぐのは王者の証である王冠、そして密やかにハートが隠れている。これ以上ないほどにふたりを象徴するブレスレットが出来上がってしまい、だけでなく、牧も足元が浮ついていた。

誰に知られることもなく緩やかに紡がれてきた関係は今、さりげなく、そして激しく主張するブレスレットによってしっかりと現実に根を下ろしたような気がしてしまう。

お前たちの恋は夢まぼろしで、風に吹かれでもしたら一瞬で掻き消えるような儚いものなのだと言われたら、反論できなかった。誰も知らない誰も見たことがない、自分たちの気持ちだけが拠り所だったから。だけどもう、それだけじゃない。こんな風にありきたりでありがちなアイテムがふたりをしっかりと繋いでくれる。

繋ぐ手も心なしか熱いような気がする。

……嬉しいな。紳一とお揃い」

思わず呟いたの声に、牧は少しだけ背筋を震わせた。そんな可愛いこと言うなよ、こんな往来で、沢山の人が行き交う場所なのに。手を繋ぐくらいしか出来ないのに。

「オレも……嬉しいよ」

もうそんな言葉でしか気持ちを表せない。それが全てという気がしたから。

だがその一瞬ののち、ふたりはカッと激しい光に包まれて顔を跳ね上げた。気付けば空は黒々とした重苦しい雲に覆われていて、吹き抜ける風はひやりと冷たく、そして湿気ていた。

「なんか嫌な色だな」
「ほんとだ。雨、振りそうだね――

そうが言った瞬間、ふたりは激しい雷鳴とバラバラと吹き付ける雨に晒されて思わず抱き合う。

、走るぞ!」

雨宿りできそうな場所はなかった。