キス・ミー・アゲイン

3

夏休みデビュー、夏休み墜ち、そして夏休み彼氏彼女。9月1日のニューストピックの定番であり、まあそのくらいしか話題がないと言えばそうなのだが、しかしその中でもと清田のことはだいぶ驚きを持って迎えられた。意外だったからではない。急にどうした!? という方だ。

どちらも人懐っこい方なので基本的には誰とでも気さくに話せるが、清田の方が多忙なのは知れたことだし、そもそもバスケット部は優勝はならずともインターハイで大活躍してきたのだし、と清田ってそんな仲良かったっけ? 一体何があったよ――という意味でたいへん驚かれた。

しかも同じクラスなので付き合いたてホヤホヤの当人たちは目の前。

「やっぱり隠しておいた方がよかったか?」
「それは別に平気だけど……人によって対応変えなきゃいけないのはめんどくさい」
「何か困ったら言えよ。オレが言うから」

清田はまた真顔だが、はギュンと締め付けられる胸を押さえて頷く。もちろんそこにはインターハイ準優勝というタイトルを持つ清田の方がトラブルを制圧しやすいという理屈もあるけれど、守ってもらってる感に弱いタイプにはとてもよく効く殺し文句だ。

の場合、この清田が初めての恋人である。なので何をしてもらっても嬉しい状態。昨日も手を繋いだまま家まで送ってもらい、自宅前でぎゅーっとハグしてもらった。なんとか自分でも抱き返したけれど、頭がクラクラして何も考えられなかった。

なので出来るだけ意識してクールダウンを心がけていた。浮かれちゃダメ。

「あ、困ってる困ってる」
「えっ、もう?」
「今日一緒に帰る人いなくて困ってる」
……オレちょっとミーティングあるんだけど、待てるか?」

やっぱり清田は真顔だった。普段の騒がしい感じはない。その余裕がまた胸を締め付ける。

「えー、どのくらいかかるの?」
「国体の件と普段の練習についてだと思うから……1時間くらいか」
「えー、長い~」
「ごめん」

もちろん1時間くらい待てないわけじゃない。けれど清田の表情は変わらなかったし、わざとらしく拗ねてみせたというのにすぐにごめんなどと言う。切なく締め付けられていた胸が今度はポワッと暖かくなる。

「いいよ、待っててあげる。早く終わらせてね」

ミーティングを主導しているのは清田ではなくて監督だ。それもわかっていては淡々と言った。清田が優しいので甘えたくなってきたのと、彼女なんだから立場対等、少しくらい我儘言ってもいいよね、という気持ちがふんわりと浮き上がってきたからだ。私のこと好きならそのくらい平気なはずだよね?

清田はゆるりと笑顔になると、しっかりと頷いた。

「おう。さっさと終わらせてくるから、ちょっと待ってて」

ほらね?

国体を控えているので週末が全て潰れているし、平日も早くても練習が終わるのは19時頃だったし、確かに毎日放課後に制服のまま街をぶらついてデート、なんてことは出来なかったけれど、それ以前にクラスは同じ、休み時間や昼に話せないわけでなし、または普段週3日ほど22時までアルバイトの身なので、バイトのない日に清田の練習が終わってから会うということも不可能ではなかった。

ただ、練習終わりの清田は冬眠明けの猛獣のように腹を空かせていたので、何も食べないまま引き止めるのは酷だった。なのでふたりでご飯を食べられるという状況がまず必要だったし、清田はお小遣い生活なので余裕もなかったし、付き合い始めたと言っても、中々ふたりの時間は取れなかった。

かと言ってどちらも人前でベタベタとくっつきたいタイプでなし、せめて昼は毎日一緒に取っていたけれど、誰に聞かれてもいい他愛のない話題しか話せない。自分たちの感情よりも、周囲の目を気にしながら名前で呼び合うようになり、学校の外では手を繋いで歩いたけれど、それだけだった。

時間がないのは承知の上だっただが、そういう状況はしょっちゅう清田に「ごめん」と言わせ続けていて、国体の頃にはすっかり不貞腐れてしまっていた。確か私たち付き合ってるはずだけど、付き合ってるってこういうことだったっけ? 直接話すより携帯で話してる方が多いんだけど。

確かに最初は王子様だったのだ。優しくて余裕があって楽しくて。

けれど清田は部活よりを優先することはない。

「明日はどこと当たるの」
「明日は愛知! ひとりで大丈夫か?」
「大丈夫かって、一緒に行く人なんかいないもん」

なんとなく友達を誘ってみたけれど、「あんたが彼氏見に行くのに何で付き合わなきゃいけないの」という顔をされて別の言い訳で断られた。無理もない。彼氏持ちじゃなくても付き合ってくれる友達がいない、それもちょっと苛ついていたはふんと鼻を鳴らした。

「オレも別に友達が見に来たりするわけじゃないしなあ。来ても親だし」
「ひとりで大丈夫だって。駅から遠くないみたいだし」
「ごめん。でも来てくれて嬉しい。頑張るから見ててくれ」

謝りつつ清田がそんなことを言うので、はまた鼻息が荒くなる。

「当たり前じゃん! 私が応援しないで誰が応援するの! うちわ作った方がいい!?」

電話の向こうで清田はかかかと笑って、鼻にかかった甘ったるい声を出した。

……ありがと、大好き」

ぞわりと背筋が痺れる。清田はこうしてストレートに愛情表現をしてくれる。しかしそれに震えるほど痺れても、気の利いた返し方はわからなかった。なんて言えばかっこいいんだろう。なんて言えば信長も私みたいに痺れてくれるんだろう。そう考えては頭がもじゃもじゃして、出てくるのはつまらない言葉ばかり。

「そ、そういうのいいから! ちゃんと勝ってよ!」

最初にこうして勢い余って可愛くないことを言ってしまった時は、やばい、怒ったんじゃないかと焦ったものだった。けれど、清田は不思議なことにが何を言っても怒ったりしないのだ。

「大丈夫大丈夫、が応援してくれてて負けるわけないから」

ぞわぞわと痺れる頬に身を縮めながら、は掠れた声を出した。

……バカ」

国体でもベスト4に輝いた神奈川代表だったが、当人たちはあっさりしたもので、代表チームが解散になると、すぐさま冬の大会の予選に向けて練習を開始した。昨日の友も明日は敵、まずはつい昨日まで一緒に戦ってきた連中との再戦で完勝しなければ。

しかし直後に中間テストが待ち構えており、無事に国体を終えたバスケット部はそのまま長い休みに入った。この中間でひどい成績を取ると予選の練習に響くほか、予選直後に期末を迎えなければならない手前、今習っていることは今頭に叩き込んでおかねばならない。あとでやりますという時間はないのだ。

というわけで、テスト期間という名目ながら、待望の一緒に帰れる期間である。

授業が終わったら手を繋いで一緒に学校を出て、ファストフードでふたりで勉強。また手を繋いで帰って、家に帰っても連絡を取り合いながら勉強して、朝も途中で待ち合わせて一緒に登校する。

――と、そういうつもりでいたはテスト期間初日から出鼻をくじかれてヘソを曲げた。一緒にファストフードまで行ったまではよかったのだが、清田は完全に勉強モードになっており、少しの雑談にもあまり応じてくれなかった。しかもの最寄り駅では降りずにそのまま帰った。

あっれー? と首を傾げながら帰宅したは、夕食を取り、少しテレビを見てのんびり風呂に入ったところで机について清田に電話をかけた。すると、清田は普通に勉強していた。

「文化祭の時も練習できない期間あるだろ。だから絶対何ひとつ落とせないんだよ」
「落とすって、赤点てこと?」
「そう。補習が入ったら困るから。今月後半は2年生が修学旅行でいないし……

毎年国体に出場している都合上、海南のバスケット部の2学期は特に忙しいという。

「まあもちろん海南が負けるわけはねーんだけど、夏と違って冬は出場枠がひとつしかないし」
「夏よりも厳しいってこと?」
「というより、そういう狭い枠な上に3年にとっては最後の大会だから」

後がない3年生の気迫、負けるわけはないと言いつつも1枠、冬は冬で厳しい大会なのだと清田は真面目くさった声で言う。それを逆算していくと中間も疎かにできないというのは理屈としてはわかるけれど……

「赤点で補習食らって練習休むとほんとに針の筵なんだよな」
「だけど補習って赤点の数に限らず4日間くらいじゃないの?」
「平日の練習4日ってでかいんだよ」

しかも修学旅行や文化祭でも秋は練習が削られる。

「だから文化祭はサボって練習行っちゃう人多いらしい」
「それはどーなのバスケ部」
「まあオレもせめて決まった時間内はやるべきだと思うけど、文化部と違って当日やることもないしな」

以前はアクロバットを含んだシュートパフォーマンスをやっていたこともあったそうだが、練習では上手く行ってたのに文化祭当日に怪我をして最後の冬を棒に振った3年生がいたとかで、以来バスケット部は部としての参加はしないことになっているらしい。

「オレバカだからちゃんとやっとかないと危ないんだよなー!」

テスト期間内でも練習は欠かさず、しかし成績もちゃんと維持しているという先輩が何人もいるそうだが、まあそれはそっちの方が特別と考えた方がいいだろう。ついでに寮生はテスト期間になるとみんなで毎日計画的に勉強してるし、監督も教えてくれるとかで、自宅部員はちょっと分が悪い。

……初日くらい一緒にいられると思ってたのに」
「ごめん。あ、テストの最終日とその翌日は空いてるぞ」
「まだ10日以上先じゃん……
「まあそりゃテストだからしょうがない」

圧倒的に清田が正しい。しかしはイライラが募る。

空港でばったり出会い、長距離バスで一緒に帰ったあの時の感じがいいのに。ちょっとドキドキしながら待ち合わせして入ったあのハワイアンレストラン、また行こうねって言ったのに。テスト期間だって言っても、1時間くらいデートみたいなことして帰ったって普段からちゃんと授業聞いてたら赤点なんか取らないって、普通。

パンケーキ食べながらいっぱい話した。お互い湘南育ち、海は好き。ハワイアンデザインも結構好きって言ってたから、お揃いのブレスとか作りたかったのに。裏側に名前入れてくれるところがあるんだよ。しかもそんなに高くないの。信長のお小遣いでも充分買えるから、それ作ろうと思ってたのに。

それに、そうやってふたりきりになる時間がないせいで、手を繋いで歩くくらいしかしたことがない。清田がの自宅まで送り届けた時にぎゅっとハグしてくれるくらいで、それ以上のことは何もしていなかった。それもモヤモヤする。ストレートに愛情表現をしてくる割にすごい草食だったのだとしても、キスくらい、とは思う。

付き合うってこういうことだったっけ? 私、信長と付き合ってるよね? 証拠見せろって言われたら……私たち何を証拠にするんだろう。付き合うってもっと、色んなことがたくさんあるはずじゃないの?

そういうの全然なくて、それってつまり彼女よりバスケの方が大事ってことにならない?

しかしそもそも彼は「日本一バスケットの強い王子様」だった。たかが2ヶ月ほどでそれを忘れたわけじゃない。だけど付き合いたいって言ったのは王子様の方だ。の気持ちがグッと起き上がる。私は友達になれたらいいなあと思ってただけだったけど、付き合いたいって言ったのは、そっちじゃん。

「じゃあテスト終わったらパンケーキだからね!」
「おお、いいね。今度はオレもパンケーキ食べようかな」
「絶対約束だからね! 赤点で補習とかになったらほんとキレるからね」
「わかったわかった。頑張るよ」

やっぱり清田は鼻で笑って優しい声でそう返してくれる。そのたびには思う。

こいつ、ほんと私のこと好きなんだなあ……

だが、当のがテスト中に風邪を引いて発熱、朦朧としていたので後半はほとんど捨てる羽目になってしまい、それでも主要教科が前半で終わっていたので何とか補習は免れたけれど、最終日は虚ろな目でぐったりとしていた。パンケーキどころの話じゃない。味覚がおかしくなっている。

「残念だったな。でも後半でよかったじゃん」
「正直何書いたのかもよくわかんない」
「パンケーキはほら、逃げないからさ、文化祭の時にまた行こうぜ」

まだ熱が下がりきらないので今日は清田が送っていってくれている。手を繋ぐと言うか、体を支えてもらいながらヨロヨロ歩いているは体調の悪さ以上に不機嫌が頂点に達していて、ずっと仏頂面のままだ。

確かにもうすぐ文化祭準備期間に突入するし、直前の数日はやっぱりバスケット部は練習が休みになる。体育館が使えなくなってしまうからだ。清田の言うように文化祭準備は適当に切り上げて自主練に励む部員がほとんどだと言うが、それでも少し時間が出来る。

「2年はほんと悲惨だぜ、テスト終わったらすぐ修学旅行で、帰ってきたら文化祭」

何も面白くないからそんなの。かかかと楽しそうに笑っている清田の腹のあたりをボフッと殴ってみたが、力が全く入らない。その手を清田は取って指を絡める。

「手ェほんとに熱いな! 全然熱下がってないんじゃないのか」
「たぶん……
「明日、休むか?」
「うん……そうする」

最悪だ。本来なら今日の放課後から明日は練習がないので、ずっと一緒にいられるはずだった。行きたいところをいくつもピックアップして、話したいことも色々考えていたのに、全部飛んでしまった。デートできないどころか家から出られないだなんて。はがっくりと頭を落とす。

……無理しないで、ちゃんと治せよ。あ、明日見舞いに行こうか?」

優しい清田の声がのささくれだった心を余計に逆撫でする。

「いいからそんなの……伝染ったら練習できないでしょ」
「そ、そうだよな、ごめん。部活さえなきゃほんと代わってあげたい」

部活がなかったら、でしょ。部活はなくならないんだし、そんな白々しいこと。

……休みになっちゃうと会えないから、寂しいよ」

ほんとに本気でそう思ってるの? は朦朧とした頭でまたイライラし始めた。

薄曇りの午後の自宅周辺は人通りもないのに、ぴったりくっついて自宅まで送り届けてもらったって、キスも出来ない。風邪引いてるから。相手は本年度バスケット部唯一の特待生だから。しかしは冷静さを欠く頭でまた考える。私、バスケ部の特待生と付き合ってるのかな、それとも清田信長と付き合ってるのかな。

そしてやっと自室のベッドに横になると、もうひとつの疑問が頭をもたげてきた。あいつ、これでいいわけ? なんで私と付き合いたいとか思ったんだろう。わけわかんない。

あいつにとって私って何なんだろう。あいつにとって彼女って、一体何なの?