七姫物語 * 姫×傭兵

5

「それにしても……事が事だから今回は目をつぶるが、今度やったら北の塔も覚悟しておけ。いいな」

調査が進み、資料をまとめ終わったと寿は連れ立って第一王子であるの父親の元へ足を運んだ。全て話し終わり、手枷を取ることを許された寿がに外してもらっていると、その背中に低い叱責の声が飛んできた。は首をすくめ、振り返るとか細い声で謝罪する。

「しかしよく気付いたなこんなところ……私も散々見たはずなのに」
「普通は顔しか見ないんじゃないの」

例の資料に添付されていたワルキューレの写真である。推定10歳から12歳くらいの写真だが千切れていて、ワルキューレ本人も全身は写っていない。だが、はその写真に写るワルキューレが誰かと手を繋いでいるように見えた。劣化も進んだ状態では判別しづらいが、確かに少女ワルキューレの肩の横に学院に通う男子が着るシャツとベストが写っていた。

その胸の紋章は第二王子のものに間違いなかった。王族が生まれると与えられ、御印として生涯使っていくものだ。変更はしないし他人が使うことは許されないし、本人以外が身につけようがない代物だ。

「お前の言うとおりだ。これはあいつのエンブレムだし、年齢も同じ」
「それに、ワルキューレの指に錠前結びの飾り紐があるように見えるんだけど」
……確か特別学級に入った女子は」
「もちろんどういう目的で使うのか習うし、練習もするし」
「私の記憶違いでなければそれが転じてこうやって指に結んで」
「結婚ごっこをします」

父娘の会話を黙って聞いていた寿は背中に冷たいものが走る。まだ子供の遊び――というには10歳から12歳という時期は年齢が高すぎる。この時もしワルキューレと第二王子が子供ながらに恋に落ちていて、それがその後も変わらなかったとしたら? 現時点で真犯人に一番近い人物があまりに大物なので、寿は頭痛がしてきた。

「だけど彼女可愛さに反体制派に手を貸したりするの? 国を転覆されたら自分だって困るじゃない」
…………おそらくこの数年後に一家一職制が始まるんだ」
「それが面白くないのはわかるけど」
「いや、そうじゃない」

揃って首を傾げると寿の前で父上はため息をついて腕を組んだ。

「ワルキューレの制服も見てみろ。襟のリボンが特別学級のものだ。この頃、特別学級は人が少なくて、裕福な貴族の子女が紛れてることがよくあったんだ。だからあいつとは同じ教室で学んだ仲なのかもしれないが、制度が敷かれて貴族にも細かく階層が出来た。もしかすると、一緒になれない階層の娘になってしまったのかもしれん」

ますますの首が傾いていく。ええとそれってつまり……

「子供ながらに結婚しようねと言い交わしていたところ、階級制度で結婚できなくなってしまって、それでこんな国ブッ潰してやると反体制派に身をやつした……とかそういうこと?」
「考えられない話じゃない。事実、お前の従姉妹は母親が違うのではという疑惑がある」
「は? 疑惑って、城で生まれたのに誤魔化しようがないじゃな――
「あの子は城生まれじゃない。公務で出かけた先で産気づいて生まれたことになってる。ちょっと資料見せてくれ」

目が泳いでいるに代わり、寿が資料を差し出すと父上は目を落として大きく頷いた。

「やはりな。このワルキューレの故郷だ。あの子はここで生まれて半年後に城に戻ってきたんだ」
……それはもうひとりの王女様のことですか」
「そうだ。このは確かにこの城で生まれているが、あの子が生まれるところを見たものはここにはいない」
「もしかしたらワルキューレの娘かもしれないのですか」

寿の言葉に父上はすっくと立ち上がると、部屋の外に顔を出して側近を呼びつけ何やら指示をして戻ってきた。

「お父様?」
「少し気になることがあってな」
「そんな……ことで……

寿ががっくりと肩を落とすので、はその背中にそっと手を添えた。もしこの推測が正しくてワルキューレと第二王子が一緒になれない憤りを王国転覆まで膨れ上がらせたのだとしても、寿の家族は何の関係もない。自分たちの都合で彼らを苦しめ、自分たちが舐めた辛酸と同じものを浴びせかけているに過ぎないではないか。

「寿と言ったか。まだ確たる証拠はないが……お前は何を望むのだ」
「望む?」
「追放を解きこの国に帰ることか? それとも乙国に戻ってこの国を攻め落とすことか?」
「そ、そういうことでは……
「お前の父がまだ存命なら出来ることもあったろうが、今となってはお前の望みしか残されていないだろう」

父親の名誉回復は証拠が揃わなければ実現しないだろうし、したとしても既に故人、息子が満足の行く結末とは何ぞやと父上は問うたのだが、本人もまだそこまで考えが至っていない。もっとわかりやすい真犯人だったのならともかく、落とすにはあまりに大きな敵が出てきてしまい、有耶無耶に片付けられてしまいそうな気がしたのだ。

「しかも、お前を苦しめたこの国に戻っても今は何も変わらん。あっちもこっちも引っ込みがつかないままずるずると諍いを続けている。若いお前などすぐに徴兵されて結局同じことをさせられるだけだ。最近では人手不足も甚だしくてな。地方貴族の血筋でも遊んでいられないのだ」

しんと静まり返ってしまった部屋の中にノックの音が響き、側近が何やら布を被せた手を父上に差し出すと、何も言わずに退室していく。と寿は一歩進み出て父上の手を覗きこんだ。被せてあった布が取り払われると、先日までが従姉妹と一緒に作っていた飾り紐が出てきた。すっかり出来上がっていて、伝統の縁起物としては何もおかしなところはない。

父上はワルキューレの資料も取り上げ、ふたりの前に突き出す。

「見てみなさい。同じ結び方だ」
……そりゃ錠前結びだから同じだけど」
「そうじゃない、結び目の形と数を比べてご覧」

飾り紐は錠前結びを使って幾つもの結び目で象られている。それをまた紐で繋いで一本の飾りとして仕上げる。は怪訝そうな目で飾り紐と写真を見比べる。

「嘘、ほんとだ……
「どういうことだ?」
「こっちが私の結び目、こっちが従姉妹の結び目、結び目の数が違うのわかる?」
……ほんとだ。、様、の方が結び目が多い、けど、これって」
の方が正しい。王家仕様なんだ」

寿がきょとんとしているのでが説明してやる。

「錠前結びは同じなんだけど、この飾り紐、私たちは少し結び目を多くして大きく作るのね。この、角が少し欠ける感じに作るのは、王家以外のやり方で……

つまりあの従姉妹は王族仕様の飾り紐の作り方ではなく、貴族や平民のやり方で作っていたのだ。もしちゃんと習っていたならこんなものを作るはずもない。寿だけでなく、と父上も深刻な顔になって来た。

「頭を抱えていても埒が明かんな。この件はしばし保留だ。というところで寿の処遇だが……
「も、もう鍵の件ははっきりしたんだし、牢に入れておかなくても平気でしょ?」
「それはそうなんだが、穀潰しを置いておくほどこの城に余裕がないのはわかってるだろう」

の脳裏に「収容所」という言葉がよぎる。それだけは回避したい。

「ね、ねえ寿はさっき言ってた『望むこと』って何かないの? 生まれ故郷に帰りたいとか、そういうのもない?」
「え、いやその、ちょっと混乱してて……
、落ち着きなさい、放逐するなんて言ってないだろう」

寿の腕を掴んでガクガク揺すっていたは父親の言葉に手を止めた。ほんとに?

「まあその、何しろ人手不足でな。雑務でいいなら仕事は腐るほどある。それでいいなら私が直接召し抱えよう」
「ほ、ほんとに? 収容所行かなくていいの」
、静かにしなさい。どうだね」
……よろしくお願いします」

まだ固い表情だったが、寿はペコリと頭を下げる。それを見た父上は微笑むと、足を組んで椅子にもたれる。

「腕は立つようだが、戦地に送ろうもんなら娘の恨みを買いそうだからな。階級制度の手前、程々にしろよ」
「ファッ!? その、あの、オレ、いや私は!」
「私もどうにかしてこの状況を終わらせたいと思ってるんだ。これで腹に収めてもらえないか」
……いえ、充分です。ありがとうございます」

父親に何かを勘付かれているとわかったは顔も上げられない。一応キスだけしかしてないわけだが、そう言われてしまうと庇い方があからさまだった気がして、穴があったら入りたい気分だった。

さておき、こうして寿は第一王子直属の雑用係として処分保留のまま釈放と相成った。

とはいえ階級制度、そして仮にもは王女で、寿は今のところ甲国の正式な国民ではなく、程々にしろよと釘も刺されているし、寿は使用人部屋住まいを続けている。ふたりきりになればそれなりにイチャついてもいたが、一晩中いつでも行き来ができると思うと色々危険なので施錠もしている。

そんな中のことだった。寿の帰りが遅いので城内を探し歩いていたは、まさかと思いつつ父の部屋にも顔を出した。

「寿? いや見てないが……今は確か地下3階の掃除をしてるんじゃなかったか」
「そうなんだけど、もう日暮れの鐘が鳴ったから地下牢の総門はとっくに閉じてるでしょ」
「戻らないのか?」

今まで一切不審な動きがなかったので父娘は寿をすっかり信じていたわけだが、戻るべき時に戻ってこないとなるとまさかという考えが頭をよぎる。特にはすっかり寿のことが好きになってしまったので、不安だし疑いたくないしで動揺している。父上の方も自分の判断を信じて召し抱えた手前、背中にサッと冷たいものが走る。

父親の顔色が変わったのを見ても青くなる。自分は寿の身を案じているが、父親は違うことを心配している――それがわかったからだ。急いで剣を取り腰に差し渡して部屋を出て行く父の後を追い、も走りだした。

ちゃんと寿が地下牢を出たという確認のため地下へ降りていったふたりだが、閉じた総門に看守がぐったりと寄りかかっているのを見て血の気が引いた。まさかまた同じことが繰り返されてしまうんだろうか。ふたりは看守に駆け寄り声をかけ脈を取ってみる。

「お父さん、大丈夫生きてる」
「おい、つらいだろうが目を覚ましてくれ、誰にやられた。掃除に入った者を見てないか」

看守は薄目を開けると王子父娘なので驚きつつ、第二王子の側近にやられたと呟いてまた意識を失った。父上は親鍵を取ると鉄格子を開け、一番近い房の囚人に何か見ていないかと聞きに行き、は看守を床に横たえる。

、寿と連れ立って出て行った後に側近だけ戻ってきてポカリとやったらしい」
「叔父さんが……? どうして急に」
「とにかく私は探しに戻るから、お前はこっちを頼む。終わったら部屋に戻るんだぞ、いいな」

言い終わると父上はさっさと地下牢を出て行き、も助けを呼びに階段を駆け上がっていった。寿の父親がやっていた地下牢担当の役人を呼び、看守が事故で意識がないので交代と医者を手配するよう指示し、非番の者を呼び出してでも以後は地下に誰も入れないようきつく言い渡した。

それが終わるとも地下を出て城内を駆け抜ける。父親は部屋に戻れと言うけれど、そんなの無理だ。

あちこち顔を出して探した挙句、は大広間に辿り着いた。少しだけドアが開いていて、父親の声が聞こえた。父親の声がゆったりと落ち着いていたので、は何も考えずにドアを開き、中の様子も確かめずに足を踏み入れた。が、そこは一触即発のとんでもない状況になっていた。

寿と叔父が睨み合い、父上は背中にナイフを突きつけられていた。ナイフを持っているのは従姉妹だ。

、出て行きなさい!」
、止まらないとこいつを刺すからね!」
逃げろ!」

父親と従姉妹と寿の声が重なり合い、は混乱してドアにへばりついた。また広間に沈黙が流れる。

……、余計なことをしたもんだな。男に飢えてるならそう言えばいいものを」
「お、叔父さん、何言ってるの……
には何もするんじゃない、この子を傷つけても何も変わらん」
「何言ってんだ、変わるだろ。親父とお前とを倒せれば、いずれ私の娘が女王だ」
「何をバカなことを、我が国に女王制度はない」
「私が王になったらすぐに制度を作るよ。一家一職制度の廃止とともにな」

には話が見えないが、どうやら推測は間違っていなかったらしい。膠着状態の中、叔父はじりじりとの方へと移動してくる。父上の足元には彼の剣が落ちているのだが、当人がナイフを突きつけられている以上、寿は手の出しようがなくて焦れている。を助けたいが、自分が動けば恩人である第一王子が刺されてしまうかもしれない。

ににじり寄った叔父は優しげな笑顔で両手を広げた。

「そうだ、親父と兄貴を片付けたら、、お前は国外追放としよう。そこの傭兵のように着の身着のまま国境から放り出してやろう。そしてお前の愛しい傭兵を我が娘の夫としよう。地方貴族の血を受けた者同士、これなら誰も文句あるまい」
「断る!」
「身の程知らずだな。何、子が出来るまでで構わん。そうしたら北の塔にでも入れてやろう……父親のようにな」

優しげな叔父の言葉に寿は真っ青になって硬直した。北の塔は彼の悪夢そのもの、叔父は寿の父親が北の塔に入っていたこともちゃんと記憶していたのか。だとすれば、あのワルキューレ脱走とそれにまつわる事件の全てはやはりこの第二王子の仕業だったということになるだろう。

寿が色を失っているのをいいことに、叔父はスタスタとに歩み寄り、こちらもドアにへばりついたままの姪に手を伸ばしかけた。が、娘の危機に父上が行動に出た。ナイフがすぐ近くにあるのも厭わずに足元の剣に手を伸ばし、寿の名を呼んでそれを放り投げ、彼が受け取ったのを確かめると襲い掛かるナイフを避けようと身を翻す。

「寿、頼む!」
「なんてことするのよ!」
!」

寿は剣を鞘から抜き放つと、脇目もふらずに駆け出して第二王子に向かって剣を振り被った。だが、娘の叫び声との悲鳴で気付いた彼は自分の剣でそれを受け止め、後退りしながら広間の真ん中へと移動していく。その隙に駈け出したは従姉妹の背中に体当たり、父上が膝を折った彼女の手首を蹴りあげてナイフを叩き落とす。

ナイフが叩き落とされるのと、叔父の剣が寿に弾かれたのはほぼ同時だった。丸腰の相手を前に寿は片手に持った剣をじっと見下ろしている。何しろ自分の家族を地獄の底に叩き落とした張本人だ。一刀両断のもとに切り捨ててしまいたかったに違いない。なんとか姪を取り押さえた父上が首を捻って唸る。

「寿、それでお前の復讐が成って心が晴れるなら斬れ。だけど迷うならやめておけ、断罪はする」
「やれるものならやってみろ、いくら私が悪人でも王族だぞ。また追放だ。とは一緒にいられまい」
「寿、聞くんじゃない、自分の心に従え!」

寿の持っていた剣がスッと浮いてきらりと光った、その時だった。の悲鳴を聞きつけたか、大勢の人が広間に雪崩れ込んできた。役人やら兵士やら使用人やら取り留めがなかったが、彼らもまたこの異様な光景に驚いて息を呑んだ。父上がよろよろと立ち上がると、床にボタボタと血が滴り落ちた。

「そいつを取り押さえろ、8年前の事件の首謀者だ。それからこっちも。もう王女ではない」

引きずられていく叔父父娘を見送ると、は流血している父親を置いて寿のもとに駆け寄る。まだ剣を少し浮かせた状態で固まっていた。その腕にが触れると、やっと我に返って振り返った。額に汗が伝っている。

……斬らなくて、よかったの」
……切ったら、嫌な夢が増える気がして」

は片手に剣をぶら下げたままの寿に抱きついてぎゅっと締め上げた。子供の頃から家族と思ってきた叔父父娘がずっと嘘をついてきたことは悲しいけれど、寿が自分の選択を出来たことの方が大事だ。そこへまだ血を滴らせている父上が近寄ってきて手を差し出す。寿は少し膝を落として剣を返した。

「寿、こんなことを押し付けて済まなかったな。私だったら斬ってたよ」
「いえその、もし真犯人がわかったらどうしたいとか、考えてなかったもので……
「これでお前の父の冤罪は証明されたな。本当に済まなかった」

父上が頭を深々と下げるので、もそれに倣い、驚いていた寿もやがて頭を下げて返した。寿が顔を上げると、険のない若者らしい柔らかな笑顔になっていた。父上はそれを確かめると娘の背を押して寄り添わせ、広間を出て行った。と寿は何も言わずに抱き合うと、安堵のため息をついて束の間目を閉じた。

地下3階で掃除をしていた寿の下へやってきて言葉巧みに誘い出したのは叔父と側近のふたりだったのだが、寿が8年前に無実の罪で投獄された上に追放された役人の息子だということを漏らしたのは、第一王子の側近であった。王女が仕立てた婚礼用の飾り紐を持ってこいと言われて事が露見しかかっていると気付き、ご注進に及んだ。

予定では、襲われたから返り討ちにしたという体裁で寿を葬るつもりだったらしい。その間第一王子に見つかっては困るので従姉妹を足止めに使うつもりでいたのだが、が父親を連れ出してしまったので計画が狂った。

第二王子はともかく、側近ふたりは揃って反体制派であったらしく、の従姉妹を含め、4人は即刻北の塔送りになった。さらに調査が進むと第二王子周辺には反体制派の人間がゴロゴロと紛れていて、老いた国王は衝撃のあまり勢い任せに激怒して体調まで崩す始末。

とはいえ、国王が体調不良で王子が反体制で投獄で国内ガタガタ、では乙国の思う壺である。ワルキューレの思惑は別だっただろうが、乙国にしてみれば甲国の内紛などどうでもいいこと、一気に攻め込まれる危険があった。とその父親は頭を抱えた。このままでは国の消滅の危機である。

しかし緊急事態なので合理的な第一王子は一晩悩むとさっさと決断を下した。遷都である。

父親を強引に退位させて自分が国王になってしまうと、そういうことが可能だという前例を作ることになる。それはまずい。なので国王は国王のまま城に残し、中枢に関わる人間だけごっそりお引越しというわけだ。そして国王にはいつも通り指示をしてもらい、さもそれが通っているかのように見せかけることにした。

乙国相手にも第一王子は「国王代理」と言ってしまうことにする。嘘は付いていない。遷都の準備中も国王の体調は回復しないし、これで自ら退位を決断してくれれば言うことはないのだが、そんな相手なら遷都などしない。

「引越し先はお城じゃないんだよね……私普通のお家初めて」
「平屋ってだけで殆ど変わらないと思うぞ」
「さすがに一緒の家には住めないけど、近くに用意してもらえると思うんだ」

寿が返事をしないので、数少ない服を畳んでいたは手を止めて振り返った。寿はが私物を詰めたトランクを抱えて視線を逸らしている。

「どした? 何か――
、オレは一緒に行かれない」
「えっ?」

トランクをドアのすぐ脇に立てかけた寿はスタスタと戻ってくるとを抱き寄せる。

「オレが望んだことは全て叶った。11の頃から抱え続けてきた恨みはもうほとんど残ってない。あの4人が北の塔に入っていくのを見た時、あの嫌な夢も一緒にあの塔の中に吸い込まれてく気がしたんだ。……だけど、オレは傭兵の間に沢山の人を傷つけた。それは自分が楽になったからって忘れていいものじゃないと思う」

寿が親を亡くして傭兵となったのは13の時だ。奇しくもが身勝手な法改正のおかげで成人させられてしまったのと同じ年だ。も寿も、13の時から大人のように働くことを強いられてきた。

「それに、親父とお袋の墓は甲国でも乙国でもなければ、一緒でもないんだ。あの事件が正しく明るみに出たことをちゃんと報告したい。だから、一緒に行かれない。ふたりに報告して、一度乙国に戻って、それから――

きっとずっと考えていたであろう言葉を頑張って話している寿の腕から逃れたは、彼の両頬を両手で挟むとぐいっと引き寄せる。は涙目になっていたが、悲しみや怒りの表情はなかった。

「また、会えるんでしょ?」
――この紛争が終わったらきっと」
「私、お父さんと一緒に何とかしてみせるから。芯から腐ってない国にするから、だから」

今にも涙が零れ落ちそうな、寿はその唇にキスをしてまた抱き締めた。

「階級制度も緩くしといてくれよ。ワルキューレたちみたいにはなりたくない」

……私が召し抱えてれば位を授けることも出来たというのに、意外と堅物だなあいつは」
「そういうずるいことはしないの。ずるはしないで一緒にいられるようになるまで待つからいい」
「お父さんは孫がほしいんだけどな」
「だったら制度見なおして下さい」
「善処します」

遷都先へ向かう馬車の中、は窓の外を見つめながら父親と話していた。城の前で別れた寿は馬で乙国に向かっている。紛争地域からしか接触できないのでそちらへ行ってから乙国に戻ることになるだろう。というか反体制派の件に関してのみスパイ行為に協力するらしい。父上は感謝の印に剣を一振り贈っていた。

寿の乗った馬はもう遠ざかり、ほんの小さな点にしか見えない。けれどそれすらも見えなくなるまでは窓の外を眺めていたかった。一体何年かかるかわからないけれど、きっと再会出来ると信じている。

……母さんとは向こうで合流することになってるけど、飾り紐を持ってくるように言ってあるから」
「飾り紐?」
「私が解かないとならないからな」
「べ、別にそんなすぐそういう話には――
「ちゃんとあいつが戻ってこられるように、解いておくさ。戻ってきたら母さんにまた結んでもらいなさい」

そう言いながら父上はそっと娘の指を撫でた。

「その時はこれも解くからな」

の指には錠前結びで作った飾りがひとつ、括りつけられていた。王家仕様で編まれた飾り、初等科の子供たちが「結婚遊び」をする時の約束の印だ。がふたつ作り、ひとつずつ分けあった。ずっと解けないように、約束がきっと果たされることを願って。は頷き、そして遠くに消え去ろうとしている寿を思ってまたひとつ、涙を零した。

大丈夫、絶対に会えるから大丈夫。きっとまた手を取り合える。

自分たちが苦しんだことを逆恨みして多くの人を傷つけた者たちは必ず裁かれる。寿はそれと同じにならないために旅立った。はそれを待つ。いつか寿が全てを終えて戻ってくるまで、せめてこの国がこれ以上腐らないように頑張ろう。そう思いながら、指に絡みつく錠前結びの飾りに頬を寄せて目を閉じた。

めでたしめでたし、おしまい