七姫物語 * 姫×傭兵

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本名を言えば説明する前から先入観を持たれると思った――そんな理由で寿は名前しか名乗らなかったが、彼が三井寿という名だと聞いても、事件当時やはり10歳だったは犯人扱いされた末に国を追われた彼の父親のことは知らなかったし、あとで聞いたりもしなかった。

現在軍の作戦部の資料を片付けているはそれなりに紛争に関する資料を目にしていたが、そこでも彼の父親の名は見ていない。寿の話によれば北の塔に入れられる前には一応裁判があったそうだし、その記録がすぐに手に入ればいいのだが、生憎裁判の資料は軍ではなく裁判所だ。

「何から調べればいいんだろう……事件の資料とかあるのかな」
「というか親父の件なんか大して重要じゃないんだと思うぞ。だから放り出されたんだし」
「だけどええとつまり、お父さんは濡れ衣を着せられたわけでしょ。本当に囚人を逃した人に」
「それしか考えられないんだよな。囚人が全部自力で逃亡した、じゃなくて協力者がいたことは覆らないわけだし」
「今でもその真相が暴かれてないんだから、その真犯人は素知らぬ顔してるってことだよね?」
「だろうな。何人も処刑されたけどそれは牢を出ちまった囚人を取り押さえられなかったからだし」
…………今、どっちにいるんだろう?」
……オレはこっちにいると考えてる」
「どうして?」
「まだ小競り合いが続いてるからだ」

ちょっとずつ記録を取りながら話していたはひょいと首を傾げた。どういうこと?

「例のワルキューレが反体制派だったことが問題なんだ。ワルキューレの目的はざっくり言ってお前の祖父さんのものであるこの国の転覆。それを意図的に逃がしたんだとしたら、そいつも同じ目的の反体制派ってことになるだろ。一緒に乙国に逃げたって何も出来ないじゃないか。ワルキューレは捕まったから逃げるしかなかったけど、そいつは違う」

また紙にちょこまかと書きとめながらは頷いた。なるほど、そう言われればそうかもしれない。

「それに、親父はそもそもそのために呼ばれたんじゃないかという気もする」
「そうだよね……特に理由もないのにいきなり地方都市の上院から城の役人だもん」
「ワルキューレのことはあまり調べられてないけど、親父が召し出された時にはだいぶ危なかったんじゃないか」
「そっか。じゃあワルキューレから調べていこうか。彼女を逃した人が犯人なんだから」
「おお、そうだな」

捜査方針が固まったので、ふたりはうんうんと頷いて親指を立てる。 気付けばすっかり夕暮れだ。

「てかせっかく風呂にも入らしてもらったけど、また汚れるぞ。服、いいのかこれ」
「えっ、なんで?」
「なんで、って牢に戻るんだから当たり前だろ」
「戻らないけど」
「ハァ!?」

寿は身を乗り出して目をひん剥いた。じゃあどうすんだよオレ。

「隣に使用人用の部屋があるからそれを使うように言われてる」
「逃げたらどうすんだよ」
「えーと、逃げられない」
「はあ?」

が部屋の隅にあるドアを開くと、こじんまりとした部屋が現れた。ベッドとチェストに机と椅子、それだけの部屋だ。ちょうどの浴室の横にあって、窓は顔より小さな明かり取りがある程度で、それにも格子が嵌っている。廊下に面した小さなドアもあるのだが――

「あっちのドアは表から打ち付けられてて、このドアの方は内側から施錠解錠は出来ないようになってる」
「それはともかく……いいのかよお前王女だろうが」
「まあ、それも今はもう名前だけみたいなものだし、ハナミルくんは幼馴染のお友達だからね」

ハナミルの件を思い出した寿は鼻にしわを寄せて苦笑いをすると納得した様子で頷いた。

「あと1時間もすれば夕食が届くから、その時は手枷かけてね。それが終わったらゆっくり休んで、明日からワルキューレのこと調べてみよう。彼女のことがわかる資料が見たいっていうことならそれほど疑われずに見せてもらえると思うんだよね」

そこからふたりで作戦を練り、夕食をとりながらどこまでの父に報告するか、ということを取りまとめた。まさかそのまま話してもさすがに信用してもらえないだろうし、寿が持っていたのは8年前の事件当時の地下牢の鍵なのだから、ワルキューレのことを知りたいとだけ言っても疑われないのでは――という結論に落ち着いた。

「それじゃまた明日ね。フカフカのベッドとはいかないけど、藁敷きよりは快適だと思う」
……巻き込んですまん」
「自分から首を突っ込んだんだから平気。実はちょっとわくわくしてたりもする」

王女らしい贅沢をしたいとは思っていなかったけれど、それでも城の中で働くだけの単調な毎日に少しだけ変化が訪れた。それがどんな結果を招くのかはわからないけれど、もし本当に寿の父が無実で、他に真犯人がいるなら突き止めたいと思う。そういう意味では胸が高鳴っていた。寿と話しているのも楽しい。

……、おやすみ」
「うん、おやすみなさ――

ウキウキした気持ちを抱えていたは、突然引き寄せられて額にキスをされてしまった。そしてすぐに放り出されて目の前で勢いよくドアが閉まる。ぽかんとしたままドアを見つめていただったが、しばらくすると中からやけにぶっきらぼうな声で「早く鍵かけろ」と聞こえてきたので、慌てて鍵をかける。

鍵をベッドサイドのチェストに置き、ぼんやりしたまま浴室に入って浴槽にお湯を注ぐ。お湯が溜まるまで待とうと鏡台の前に座ると、鏡に紅潮した顔の自分が映っていて、は余計に赤くなる。

おでことはいえ、家族以外の人にキスされたの、初めてだ――

翌日、経過報告のために朝から父親の部屋に行ったは打ち合わせ通り、ハナミルくんはまだ投獄の疲れで話すことが要領を得ない、しかしあの鍵は父親が持っていたもので、それが死んだので形見代わりに持っているだけらしい――ということだけを説明した。

ただ、どうも8年前の脱獄事件がきっかけで国を出たようだし、乙国で傭兵をしていたのも1年以上に渡るようだから、とりあえず事件を把握したいのでワルキューレの資料が見たいと申し出てみた――ら、暇がないのは同情するが、そんなものは城の蔵書庫にあるだろうがと呆れられてしまった。

そういうのは表向きの資料で詳細が書かれていないのかと思った、と返したところ、蔵書庫に入れる時点でかなり限られてくるのだし嘘の記録を城内に残しても意味がないだろとまた呆れられてしまった。急かすつもりはないがのんびりするなと一応釘を差されたはしかし、蔵書庫なら基本的な情報収集が出来ることがわかったので足早に部屋に帰った。

「おはよう、起きてる?」
「起きてる。出られるのか」
「とりあえず朝ごはんにしよう。そこで話すから」

使用人部屋のドアを開けると少しぼんやりした顔の寿がのろのろと出てきた。蔵書庫は盲点だった、あそこなら基本的な調査は出来るはずだと上機嫌で報告するだったが、寿はまだ反応が鈍い。

「大丈夫? やっぱりベッド固い?」
「いや、それは大丈夫……
……もしかして具合悪い?」
「それも平気。すまん、朝苦手なだけ」

という割にはちゃんと起きてた寿に首を傾げつつ、は朝食を終えると鎖が差し渡してある手枷を寿につけて部屋を出た。手枷をした男が王女のあとを着いて行くのは妙な光景だったが、のんびり日常生活が営まれている城ではないので誰も気にしなかったし、蔵書庫の役人も事情を説明すると全ての書棚を見られる鍵を貸してくれた。

「過去の記録なんかはこの辺かな」
「8年前8年前……ここだ。やっぱり分厚いな」

資料が閉じられた革表紙を引っ張り出し、テーブルの上にどさりと落とす。他の年に比べて1冊がかなり分厚いし、それが15冊もある。寿が全て運んでくると、はおおまかな日付を探していく。だが、そのほとんどが脱走事件に端を発した一連の騒動の記録である。

「これ、事件の経過を追っただけかもしれない」
「ワルキューレの資料ってのは別なのか」
「捜査資料とかそういうのかもしれない」

また書棚を漁り、それらしき数冊を手に戻った寿の傍らでは事件の概要を確認していた。全体の流れは寿が話した内容と一致している。0時の巡回が終わったので役人である寿の父が退勤、その後推定で1時頃に囚人ひとりが脱走、看守は詰め所で殴打されて昏倒していた。以後目撃証言もなく、囚人は消え失せた。

「だけどこれおかしくない? ワルキューレが牢を出たところ、誰も見てない」
……そう。だけど実際にワルキューレは乙国にいる」
「牢の中にはちゃんと入ってたんだよね?」
「それは確かだ。記録にも残ってるぜ、ほら」

ワルキューレに関する資料を開いていた寿はの前にサッと差し出して指をさす。確かに寿の父親が役職についた後に隠れ家に踏み込まれて捕まっている。即北の塔行きな案件のはずだが、収監から脱走までの約3週間、彼女は地下牢の南通路で過ごしていた。

「ええと、この年生まれということは今47歳、私の父より少し下だけど、同世代だ」
「反体制派なんてみんなそのあたりだろ」
……それもなんでなんだろう」
「今の国王に変わってから一家一職制とかいうのになったからな」
「そのことなの?」
「少なくとも乙国ではそう聞かされてる」

の祖父は職業による身分制度を作り、基本的に家業と同じ職につかなければならないという妙な法律を作った。もちろん早々に破綻の兆しを見せたので徐々に例外ばかりが増えてきて、今も身分制度は残るが、絶対に家業でなければならないというほどではなくなっている。それだけのことで……

「オレらの親の世代にとっては職業も自由に選べない絶望ってやつがあったんじゃないか」
……そんなの私なんか生まれた時からなのに」
「しかもこんな紛争続きで兵士ばっかりが増えてる。もう引き返せないんだろ」

資料をめくったは手を止めて顔を近付けた。

……ねえこれ、ワルキューレの親の概要見て。お父さんと同じじゃないのこれ」
「ほんとだ……マジか。てことはこいつも一時城にいたってことか?」
「もしかしたら城下住まいってことも考えられるけど、見てここ、初等科は中央になってる。あれっ?」
「どうした」

は唯一添えられている小さな写真に目を近付ける。初等科時代のワルキューレらしき少女が写っている。

「これ……顔は映ってないけど」
「隣に誰かいるな」
「うーん考え過ぎかな」
「何だよ」
「叔父様かもしれない……
「えっ?」

静かな蔵書庫に寿の手枷がじゃらりと落ちる音だけが響いた。

その日のほとんどを蔵書庫で過ごしたふたりは、夕方になっての部屋に戻ると、ぼんやりしたまま食事を取り、寿はまた風呂を貰い、その日はさっさと寝てしまった。

翌日からまたふたりは蔵書庫に入り浸って資料を読み込み、それがあらかた片付くと今度は裁判所の資料を閲覧しに行き、はひとりで中央学院まで話を聞きに行ったりと毎日調査をしていた。父親には少しずつ話が出てきているがまだまとまらないと報告してある。しかし寿が手枷のまま大人しくしているのは事実なので、彼は疑う様子はなかった。

そうして調査を進めること1週間、この日もあれこれ調べて資料をまとめ終わると、すっかり日が落ちて暗くなっていた。

「書類仕事なんかしたことねえからすっげえ疲れる」
「ちょっと休んでたら? 私これだけやっちゃうから。そしたらご飯にしよう」
「悪いな、少しだけ横になるわ」

部屋の中なので手枷のない寿はのベッドにごろりと横になる。1週間も朝から晩まで一緒なので、次第に遠慮がなくなってきて、この部屋の中なら寿は自由に過ごしている。夜も使用人部屋のドアに鍵をかけるのもやめてしまった。というか最近では夜遅くまで事件に関係ないことでもたくさん話をすることが増えた。

良いと思うもの悪いと思うもの、世の中について、自分の置かれた環境について、そういう堅い話から、好きな食べ物だの苦手だった学院の先生だのという他愛もない話まで、いくら話しても話題は尽きることがなかった。

は元から城で従姉妹くらいしか同世代もおらず、初等科を出たら法が変わって成人してしまったので高等科はキャンセルさせられ、以来友達と呼べる人はいなかったし、寿の方も国を追放されてからは友達どころの話ではなかった。下らないことでも高尚らしい話でも、自分の気持ちを言葉にして話すのは楽しかった。

それから1時間ほど経っただろうか。現時点で出来る限りの資料をまとめ終わったはテーブルの上を片付けるとベッドに歩み寄り、ぐっすり眠り込んでいる寿の傍らに腰掛けて肩を揺すった。

「寿~終わったよ。ごはん食べない? 今日はもう――
「触るな!!!」

今日はもう疲れたから資料のまとめなんかは終わりにしようか――そう言いかけたは突然起き上がった寿の手で首を掴まれた。憤怒の形相と荒い息遣い、低く乱暴ながら悲壮な唸り声には竦み上がって抵抗もできない。が、寿は直後に我に返って慌てて手を離した。どうやら寝ぼけていたらしい。

「すっ、すまん、大丈夫か、痛くないか、その、お前だと思わなくて、夢、見てて」
「へい、平気、急に触ってごめん、びっくり、したよね」

の方も息が上がっているが、寿が本気で自分を殺そうとしているとは思えなかったので、恐怖や怒りはなかった。本人の言うように夢見が悪かったのだろうということは想像に難くない。がケロリとしているのを見ると、寿は安堵のため息を付きながらがっくりと肩を落とした。

「ほんとに……ごめん」
「怖い夢、見たの?」
「怖いっていうか……嫌な夢だな。もう何度も見てる」
「聞いてもいい?」
……北の塔から、親父が出て来るんだ。やせ細ってヨロヨロの。その代わりに、オレが塔に入れられそうになる」

ベッドについた手がギュッと固く握り締められる。謂れのない容疑で家族全員が迫害を受けた記憶、それは今も寿を苦しめている。それもこれも、事件の真犯人とろくな証拠もないのに彼の父親を断罪しようとした城の人間のせいだ。も肩を落として頭を下げた。

「本当に、ごめんなさい」
「え。いや、だからお前が謝るようなことじゃ」
「こんなんでも一応王女だし、何も出来ないけど心から謝ることならできるから」
……何も出来なくないだろ」

寿の手がの頬に伸びてきて、遠慮がちに触れる。最初の夜のおでこにキス以来、ふたりの間には何もない。王女様とその幼馴染のハナミルくんそのものだった。がゆっくり顔を上げると、目の前に寿の顔があった。

「助けてもらって感謝、してる」
「そんなこと、私はただ……
「ただ、なに?」
「ただ、何か事情があるなら力になれればと、思ったから……

頬にあった手が落ちて、の手に触れる。はついギュッと握り返していた。

「それでもオレは助けてもらってんだよ。牢からも、過去からも」
「過去……
「真実に辿り着いたら、もうあんな夢は見なくなると思うんだ」
……絶対見つけようね、ほんとのこ――

思わず握った手を持ち上げて両手でくるんだは、強い力で抱き寄せられ、そのまま唇を奪われた。驚きのあまり真っ赤な顔で震えているを寿はそのままゆっくりとベッドに横たえ、ゆったりとキスを繰り返す。まだ明かりを灯していないので暗くなるばかりの部屋、無音の部屋にの息遣いだけが響く。

……悪い、勝手なことして。だけどオレ――
「だ、大丈夫、びっくりしただけ」
「もう少し、こうしてて、いいか?」
「あの、ご飯、持ってきてもらわないと変に思われるかもだけど、ええと、もう少しだけな――

言い終わらないうちにまたキスが降りてきては身を捩った。寄り添う体、唇が離れる度に漏れる吐息、いつしかあちこちを触れて回る寿の手のひら、それら全てがを蕩かしていく。

しかしこのままずるずると事に及んでしまい、夕食を手配してもらうのが遅くなればなるだけの言うように怪しまれてしまうかもしれない。せっかく調査は進んでいるのだし、一応まだ囚人扱いの傭兵が王女に手を出したなどという事態になれば、荒んだこの国のこと、寿を今も苦しめる北の塔行きにもなりかねない。

、今日からまたドアに鍵、かけてくれ」
「えっ、どうして?」
「そうじゃなかったら、襲わない自信、ない」

カーッと顔が熱くなるに微笑みかけると、また寿は静かに唇を寄せた。