七姫物語 * 姫×騎士

5

城に火の手が上がってから2日、戦を終える準備ばかりしていた城と城下町はあっという間に敵方の手に落ちてしまった。もちろん城下町の人々はすぐに逃げ出したし、城下と城内にいた騎士兵士がひとり残らず懸命に戦ったけれど、火事の被害も多く、徐々に劣勢になって来ていた。

が身を寄せている隠れ家は外から見るとただの民家だが、中で4棟が繋がっており、騎士団の本部兼病院になった。怪我をした騎士が運ばれてきたり、少し仮眠を取ったり、もちろん食事をしたり。しかし、異変が起こってからというもの、誰も彼もろくに眠ったり食事をしたりしていない。

様言ってたっすもんねー。ちゃんと働きたければ休め、って」
……そんなこと言ってた頃が懐かしいね」

は清田の火傷と切り傷を手当しながらため息をついた。事態が悪化するばかりの中、そろそろ3日目に突入する。

牧は依然として詳しいことを話さないが、この隠れ家を騎士団の本部としたというのに、団長は一度も来ないし、先代である牧の祖父も来ない。どの騎士に尋ねても城下での戦闘支援をしているとしか言わないし、城内がどうなったかは全員「知らされていない」と言うばかり。そんな日々が逆にに状況を悟らせる。城はもう、落ちたのかもしれない――

やがて夜が更け、3日目に入った。は万が一のことを考えて隠れ家の中のさらに隠し部屋で休まされていて、この時もベッドではなくソファに寄りかかって仮眠を取っていた。懐剣を忍ばせた侍女も一緒にうとうとしていた明け方のことである。

、起きろ!」
「ふぁっ、紳一!?」

牧の声に飛び起きたはしかし、緊張が解けない時間が続いているので一瞬で目が覚め、その上牧が他人の耳があるというのに「」と呼んだことに気付くと、全身がサーッと冷たくなった。嫌な予感がする。

「起きたか? 目、覚めてるか? 歩けるか? 服と靴は大丈夫だな」
「し、紳一……
「話は後だ」

同様に驚いている侍女たちにも目配せをすると、牧はの手を引いて隠れ家の裏口から外に出た。隠れ家に逃げ込んでからというもの、家の外はおろか窓すらろくに開けなかったは、子供の頃から慣れ親しんだ城下町が戦場と化しているのを目の当たりにして目をひん剥いた。

煙の匂い、硝煙の匂い、遠くから聞こえる叫び声、何かが崩れるような轟音。

の手を引いた牧は隠れ家の裏側を出て、元々逃走経路として用意されていた民家の隙間や民家に装った通路を抜けていく。が隠れていた家は城下町では南東に位置しているので、非常用通路を行けば南門に辿り着ける。だが、この状況下では四方の門は全て押さえられているだろうし、そうでなければ戦闘の真っ最中だろう。

その通り、牧は途中で道を反れて民家の庭に作られた物置に飛び込む。物置に見えるが地下へ通じるドアだ。その地下通路を行くと南門から少し離れた外壁の隠し扉に行き当たる。これを出ると門と門の間にある見張り塔の根本になる。見張り塔は外壁に食い込んでいるが、根本は外側に詰め所があって、警備の際の拠点となっている。

通常、見張り塔は外壁上部から、詰め所は門を出て外側からしか入れないが、が通ってきた地下からのみ詰め所に入れる。これも城からの脱出のための造りだ。詰め所の中には常に馬車が用意されていて、毎日手入れされてきた。その上武器類なども隠されており、こういった事態を想定して備えられていたものだ。

が詰め所に駆け込むと、既に馬車の準備が整っていた。そして牧の隊の騎士たちが満身創痍で待っていた。

、もうこの町は落ちる。湖水地方に行ってもらう」
「湖水地方? あんなところ何も――
「だからだ。地方に散らばってた戦力を全てそこに集めるように指示してある」

きょとんとしているに、牧は丁寧に語りかける。その間も出発の準備が進められていて、詰め所の一角に牧とはぽつんと取り残された。は思わず牧の腕にすがって震えた声を上げた。

「待って、指示って、ねえ、もしかして」
……今はオレが団長になってる」
……そう、そうなんだ」

つまり彼の父親も祖父もその役目を担えない状態にあるということだ。は涙の滲む目を擦る。

「紳一、が、団長になるの、見られないと思ってたけど、見られたね」
「こんななり方、嫌だったけどな」
「でも、紳一なら大丈夫、立派な団長になるよ。湖水地方についたら、ちゃんと就任式しようね」

牧は返事をしない。がおやと顔を上げると、牧が真剣な顔で黙っていたので、一瞬で真っ青になった。

…………待って、やだ、それはお願いだからやめて」
「もう決まったことだ」
「め、命令、命令します、私と一緒に――
「今回ばっかりは命令には従えない。ちゃんと護衛は付けるから」
「そういう問題じゃないでしょ!?」

牧はここに残るつもりでいるのだ。それを察したは彼の胸を叩いて悲鳴を上げた。詰め所の中は騒がしいけれどうるさいというほどではなくて、の悲鳴が響き渡っても誰も飛んでこない。牧がに話をしているので誰も邪魔しないのだ。――最後になるかもしれないから。

「どうせ落ちるなら残っても意味がないじゃない。湖水地方で立て直すなら紳一がいなきゃ」
、オレの話を聞いてくれ」
「嫌だ、聞きたくない、一緒に行かないって言うなら私もここに残る!」
「それはダメだ! 、言うことを聞くんだ!」

の頬を両手で包んだ牧は、顔を近付けると声を潜めた。

「いいか、陛下も、親父も祖父さんもみんなやられた。城にまで攻め込んできたということは、王子も既にやられてる可能性が高い。、お前が最後のひとりなんだ。もうお前しか残ってないんだ」
「だから何!? 私が生き残ったからって――
「お前がやるんだ。、湖水地方に行って残りの戦力をまとめて、国を取り戻すんだ」
「そんなこと出来ないよ!!」
「出来る、やるんだ!」
「出来ないってば!!!」

また悲鳴を上げたは呼吸を整えると、涙声で訴える。

「私だけの騎士なんじゃなかったの……?」
「そうだ、お前に騎士の位を授けてもらった時から、オレはずっとお前だけの騎士だ」
「なのに一緒にいてくれないの? わたしひとりでそんなこと、出来ないよ、一緒にいてよ」

の頬に涙が伝う。それを親指で払った牧は、素早く唇を押し付けた。

「オレの役目は、一緒についていくことじゃない、お前を守ることなんだよ」
「だからそれは」
……、女王に即位するんだ」

息がかかるほどの距離でそう言われたは、一瞬息を止めた。

「大丈夫、難しいことじゃない。お前が考えた通りにやればうまくいくから」
「紳一、私――
「隊長、準備整いました!」

牧はをぎゅっと抱き締めると、もう一度キスした。

、愛してる。お前はオレの全てだ」
「わ、私も、私も同じ――
……いつかまた会える。それまで生き延びてくれ」

は今度こそしっかりと頷いて、涙を拭うとひとりで歩いて行く。馬車の準備が万端整い、ずらりと騎士たちが並んでいる。そのひとりひとりに声をかけていき、神と清田を残してはくるりと振り返る。

「何より皆さんのご無事を祈っています。皆さんの働きに報いることが出来るよう、私も努めます」

自然と女王陛下万歳の声が上がり、は涙を堪える。万歳なんかされたってちっとも嬉しくない。

様、大丈夫ですよ、牧さんいるから絶対大丈夫ですって」
「清田くん、無理しちゃダメだよ。立ち止まって考えることも大事だからね」
「はいっす。またお菓子一緒に食べましょうね!」

頭に包帯をぐるぐる巻きにしている清田はニカッと笑っての手を取り、キスをした。

「神くん、神くんが頼りだからね。隊のためを思ったら危険なことはしないでね」
「肝に銘じておきます」
「わかってないでしょ、その顔は。指一本欠けても許さないし、そんなことになってたら騎士の位も剥奪するから」
「わ、わかりました。様、またお近くでお仕え出来ることを願っています」

神が手にキスをすると、はもう振り返りはせずに馬車に乗り込んでドアを閉めた。

「よし、馬車を出すぞ。南門はまだ落ちてないはずだが、万が一の時は全員騎馬で突っ込め」

牧の合図で詰め所の扉が開かれ、それと同時に馬車が走り出す。警護の馬と小さな荷車も同時に詰め所を出て、地平線の向こうから朝日が差す中を飛び出していった。しばし周囲を警戒していた騎士たちだったけれど、やはり南門は落ちていないらしく、の一行はどんどん遠ざかっていく。

「牧さん、大丈夫そうですね」
「ま、広場に陽動を出しておいたからな。大丈夫とは思ってたけど」
様とちゃんとお話出来ました?」
「ちゃんとチューしたっすか?」
「愛してるって言いました?」

悲壮な空気が一転、牧が神と清田の脇腹に一発ずつ入れると詰め所の中はドッと笑い声で溢れた。何しろ今こうして残っている騎士たちはその殆どが牧と同世代で、若くて経験の浅い青年たちばかりだ。団長と姫様が何やらめんどくさいのはよく知っている。その上切羽詰まっているので、気持ちが高揚して興奮気味だ。

「お前らに言われなくてもキスはしたし愛してるとも言ったし、もうこれで後悔はない」
「えー、オレら後悔ありまくりですってー隊長だけずるいっす」
様も無事に逃がしたことだし、存分に暴れられますね」
「よし、行くぞ!」

騎士たちは牧を真ん中に置いてにんまりと笑うと、一声上げて詰め所を駆け出していった。

停戦協定を破られ、突然攻めこまれてから3年の月日が流れた。

もちろん協定が破られたのは、元々停戦する気などなかったからである。その機会を狙っていた敵国はあの日より遡ること3日前に地方にいた王子の暗殺に成功していた。それがきっかけとなって一気に中心を叩く流れになったのだが、何しろ城内城下では騎士団に手を焼いて陥落させるのに時間がかかってしまった。

その上皆殺しにするはずだった王家からなぜか王女が逃走に成功し、戦の後始末で国中に散らばっていた戦力と合流してしまった。襲撃から約2週間、戦の間は疎開していた王女が女王に即位し、この国の王家が倒れていないことを宣言するに至った。それからの1年ほどは、戦時下に逆戻り、というしかない状況に陥った。

さらに面倒くさいことに周辺の小国が顔を突っ込み出し、新たな君主が若い女であることに勝機を見出して敵対し始めたり、非道な協定違反を非難する形で味方したり、いくつもの国を巻き込んだ小競り合いが数えきれないほど勃発した。

そんな中、政の経験も殆どない女王は確かに舐められていた。女だし、若いし、家臣はほとんど失っているしで、ろくな指揮は出来ないと思うのが当然だ。ところが、女王を君主に置いた新体制は妙に動きが素早く正確で無駄もなく、長年戦力の中核を担ってきた騎士団が不在だというのに、劣勢にならない。

周囲がそのことにおやと首を傾げている間に、は敵対する国をひとつひとつ押し返していき、しかし領土に攻めこむことはせずに、少しずつ確実に自分の国を奪い返すと、守りを固めていった。なぜか彼女の軍は、作戦は失敗しないのだ。

もしかしてこれ、あの小娘に味方しておいた方がいいんじゃないのか――そんな風潮に傾き始めたのは2年が過ぎた頃だっただろうか。ひとりがに味方すると声を上げると、後は早かった。この辺り調略だったとする説もあるが、とにかくたちは僥倖を得てますます素早く無駄なく事を進めていった。

そうして今度こそ戦を終わらせ、自分たちの国も取り戻し、ボロボロに崩れた城に戻ることが出来たのは2年と4ヶ月が過ぎた頃だった。城なんか後回しでよいという女王だったけれど、城は象徴でもあり重要な拠点なのだからと説き伏せられて、突貫工事が強行された。

そんなわけで突然の悲劇から3年、何とか立ち直った城では女王として王座に就いていた。

「陛下~いい加減いくつか絞って下さいよ~」
「そんなの後回しでいいでしょも~やることいっぱいあるんだから」
「これから普通の外交が戻ってくるんですよ、これどうにかしないと。あっ、これはどうです、某国の将軍」
「軍人はもうたくさんだって言ってるでしょ!!! てか私忙しいんだけど!」

大変な日々を乗り越えた女王はしかし、毎日「結婚して下さい」と家臣たちに催促される日々を送っている。ただでさえ忙しいというのに、先の戦乱では物資による援助すらしてこなかったような国のおぼっちゃんからの謁見願いが引きも切らず、は辟易していた。何しろ独身の女王、国は慌ただしいが将来性はある。

「王族も嫌、貴族も嫌、軍人も嫌、そしたらあとは平民しか残ってないじゃないですか!」
「階級差別してるわけじゃないの! 今結婚のことで時間取られてる暇がないって言ってるの!」
「そんなこと言ってたら求婚来なくなっちゃいますよ! ただでさえ年取ってきてるのに!」

不用意なことを口走った家臣は腹に渾身の一撃を食らって撃沈、しかしこれは家臣の方が悪いので彼はその任を解かれて5年間は生産業に従事するよう言い渡された。こんな風に政権では階級に関係なく働けるもの優先の人事が当たり前になって来ていた。何しろ人手が足りないのである。贅沢は言っていられない。

「しかし陛下、外交が復活するという時に独身は不利です」
「それはわかってます」
……まだ彼を待っておられるのですか」
……待ってるわけじゃない」
「では、忘れられないのですね」
「当たり前でしょ」

人手が足りないので城の中の一切を取り仕切る立場になってしまったじいやは表情を曇らせた。彼もまたや牧が子供の頃から面倒を見てきた人である。がどれだけ牧を慕っていたかはよくわかっている。

「軍人が嫌なのも彼を思い出すからですか」
「それもあるし……
「まあ、もし彼が生きて戻ってきた時に軍人の夫がいるとは言いたくありませんね」
「わかってるなら聞かないで」

牧は戻ってこなかった。湖水地方で彼に言われた通り体制を立て直して奮闘を続けていたけれど、騎士団は戻ってこなかった。だが、先に述べた通り陣営の作戦は失敗しない。そんなうまい話があるかというほどは順調に国を取り戻した。内部ではそれを「どこかで騎士団が手伝っているのでは?」と噂していた。

いやいや、なんで見えないところで手伝う必要があるんだ、陰から支えるんだったらちゃんと女王のところに戻ってくればいいじゃないか。それももっともなので、その件に関しては結論を先送りにしているけれど、そんなわけでは牧たちが全滅したとはとても思えないでいたのだ。

しかしへの縁談・謁見願いは途切れることがなく、忙しいも渋々それに応じなければならなくなって来た。何しろ忙しいからまたねで放置しているのは今後外交しなければならないような相手ばかりで、いい加減逆効果になってきそうだからだ。例によって頓珍漢な贈り物も多いし、面倒だがやらねばならぬ。

「それで今日は?」
「今日は少ないですよ、3件です。某国第4王子様、某国の大富豪の後妻」
「その大富豪の後妻は先にふざけんなって言っといて」
「かしこまりました。あとはほら、あれです、最近噂になってる秘密結社」
……聖水でも撒いとけば」

正確には秘密結社ではなくて、牧がやっていたような騎士団だ。ただ、どの国にも属していないというので秘密結社扱いをされている。先の戦に乗じて膨れ上がった組織で、も何度か代表と顔を合わせたことがあるが、傭兵集団と変わりがないような気がして良い印象はなかった。

「軍人は嫌だって言ったのに」
「軍人て言うんですかねこれ」
「てか大富豪は何なのよ。なんで一国を預かる女王が商人の後妻になるの? 仕事できると思ってんの?」
「だけどお金持ちです。この中で言ったら一番お金持ちです」
「ううう……どうせうちは戦貧乏ですよ……
「そうですね、この中で言ったら王子と同じくらいですか」
「は? なんで王子がそんな貧乏なの」
「第4だからじゃないですか。だから陛下と結婚したいんでしょ」
……ちょっと待て、てことは秘密結社の方が金持ちってこと?」
「そうなりますね。戦で稼いだみたいです」

は執務室のテーブルにばったりと倒れこんだ。女王が汚いドレスを着ていると舐められるから絶対ダメだと押されたは外部の人間と会う際にはそれなりに豪華な装いをしているが、内情はギリギリもいいところ。

「縁談でなくともお金持ちとは喧嘩しない方がいいんじゃないですか」
「わかってるもんそんなこと……

今日も白地に金糸の柄があしらわれたドレスを着ているは盛大にため息をついた。時間が来たら王笏を持ち王冠を頭に乗せ、長く引きずるマントを肩にかけて王座に付かねばならない。この3つがとにかく重いのでそれも苦痛だ。

この3年間、無我夢中だった。牧の言葉通り、自分の思うまま戦ってきた。正直に言えば牧のことなど思い出している暇がないほど忙しかった。誰か別の人をいいなと思う暇もなかった。毎日生きるか死ぬかを繰り返していた。一応それが終わった今、さあ結婚しろと言われても気持ちがついていかれない。

疎遠になった時期もあったけれど、期間で言えば十数年一緒で、その最後に愛してると初めて言い合えたきりになっている人がいて、それで誰か別の人と結婚せいと言われても、である。国のために嫁に行かなければならなかったあの頃とは事情が違うし、自分の結婚相手はこの国の将来に直結している。簡単に選べることではない。

「では参りましょうか、大富豪からです。昨日から待たされててオレを先にしろと言ってるようです」
「じゃあさっさと終わらせてさっさとお帰り願いましょうかね」

重い女王装備を引きずっては王座の間に向かう。喇叭が吹き鳴らされ、全員が跪くか頭を下げて待つ。が、その大富豪は直立不動で腰に手を当てていた。全身貴金属宝石だらけでキラッキラだ。

女王陛下のお目見えです」

お触れ役がそう言っても微動だにしない。いくらなんでも大変失礼である。これをが丁寧にお相手すると思ったら大間違いだ。先んじて、仮にも国を預かる女王なので後妻でしかも商人の家には入れないと伝えておいたらしいが、彼は資金援助と共に自分が国王になるから女は働かなくてよろしいと言って聞かなかったそうだ。3分で追い出された。

「これでも3年間7カ国を巻き込んだ戦の中心で戦ってきた王女ですよ。舐めすぎと違いますか」
「まったくですな大臣。もはや我々にも手がつけられないというのに」
「じいやもあとで覚えておきなさいよ。人が動けないのをいいことに言いたい放題言いやがって」
「陛下、お言葉が乱れております」
「次は王子様ですよ」

大富豪が追い出されたので、今度はどこぞの第4王子様の番――だったのだが、こちらもご挨拶しただけで終了。なぜなら、第4王子様、まだ5歳だった。お母上に抱っこされてやってきてにお花を一輪下さったので丁寧にお礼をし、よかったら料理長にお菓子をたくさん作らせるので食べていって下さい、で終わった。

「アレお母上、目がちょっとおかしくなってましたね大丈夫ですかね」
「うちの侍女たちつけておいて……お母上ちょっと参っちゃってるんじゃないの」
「可愛らしい王子様でしたけど、いくらなんでもねえ」
「当たり前でしょ」
「なんか早く終わりそうでよかったですね。あと秘密結社だけですよ」

大臣とじいやは割と無責任だ。このことに関してはがまったく折れないので、まあ手当たり次第ぶつけてみるか、という手に出るしかないからである。それを繰り返していけばいつか当たりを引くかもしれない。秘密結社だって何かいいことがあるかもしれない。さあほら、最初くらいは笑顔でどうぞ!

元は2番目だったはずの秘密結社は大富豪のせいで3番手にまで下ろされたが、文句も言わずにスタスタと王座の間に入ってくる。大富豪と5歳児と来てだいぶ投げやりになっていたはずり落ちてくる王冠を載せ直していて、真面目に見ていなかった。だが、大臣とじいやにビシバシ肩を叩かれて顔を戻すと、秘密結社が跪いていた。

「へへへへへ陛下」
「うるさいなもう。――どこかのわがままな商人のせいで待たせてしまって申し訳ない」
――この度は謁見の願いを聞き入れて頂きましてありがとうございます。ご挨拶に参りました」

胡散臭い戦争成金の軍人集団と思っていたはおやと首を傾げた。見れば全部で十数人、先頭に3人を置いたハーフアーマーの男が跪いてまともな口上を述べている。軍人はあまり関わり合いになりたくないと思っていたが、これはちゃんと相手をせねば。

「先の戦の間は何度か世話になりました。正直、当分戦はしたくないのだが、懇意にしてくれると助かります」
「願ってもないお言葉です。陛下にお仕え出来るのはこの上もない喜びでございます」
……堅苦しいのはもういいでしょう。顔をお上げ下さい」
「はっ」

大富豪と5歳児のせいなのだが、まともな言葉遣いをしてくれるだけで好印象だ。はひょいひょいと手を翻して面を上げさせた。その瞬間、は王笏と王冠を落とした。王冠がコロコロと先頭の男の足元に転がっていく。慌てたがきょろきょろと周りを見回すと、みんな涙ぐんで口元を押さえている。

「大変ご無沙汰しております陛下。お元気そうで何よりです」
「またお目にかかることが出来て光栄です。陛下、指一本欠けておりません」
「僭越ながら美味しいお菓子をたくさん持って参りました。よろしければ是非」

牧とその部下たちだった。はよろよろと立ち上がると、王座に手をついてガクガクと震え出す。

「い、一体これは……
「陛下、陛下、もうこれでいいじゃないですかこれにしましょう、ね、陛下」
「隊長殿、長くかかりましたな。陛下はずっとあなたをお待ちしておりましたよ」
「連絡もできずに申し訳ありませんでした」
「もうそんなことはいいでしょう、姫も望んでいるはずです」
「はい。また陛下の御下で働きたいと存じます」

勢い余ってベラベラと喋っていた大臣とじいやだが、ここにきておやっと首を傾げた。なんか話噛み合ってないな?

「あの、ちょっといいですか隊長、失礼ですが今日の目的は……
「目的? それはもちろんご挨拶にですが……
「ご挨拶!? 求婚ではないんですか!?」
「求婚!? そんなこと言いましたか!?」
「なんとなくそう伺ってますけど!?」

じいやと大臣と牧は一斉に声が裏返った。が、何かを察した牧が素早く振り返ると、神がサッと顔を逸らす。

「ぶ、部下が早まったようです大変ご無礼を」
「早まってないでしょ、何言ってるんですか! 3年前のこと覚えてないの!?」

とうとう大臣とじいやは王座の傍らを下りて牧に詰め寄った。が、そこでが甲高い声を上げた。

「ちょっといい加減にして! なんなのこの騒ぎは。謁見は終わります!」
「陛下も何言ってるんですか、紳一様が戻ってきたんですよ!」
「そんなことはわかってます! わざわざ謁見で話すようなことですか! 全員装備を解いて執務室に来なさい!!!」

王笏を掴み直したはそう怒鳴ると、マントも脱ぎ捨ててさっさと王座の間を出て行ってしまった。

「あわわ、紳一様追いかけて下さい」
「はい!?」
「牧さん行って下さい、後のことはどうにでもなります」
「騎士なんだから陛下に恥かかせちゃだめすよ」

今王座の間にいるのはよく知った顔ばかり。牧は神と清田に背中を押されてよろよろと歩き出した。一度壊れて修復されているとはいえ、子供の頃から慣れ親しんだ城である。が飛び出ていった廊下も、その行き着く先も全てわかっている。ふいに遠い記憶が蘇った牧は、懐かしい匂いを嗅いだような気がして身震いした。

「わかった、行ってくる」

そして牧は騎士の印である真紅のマントを翻らせ、王座の後ろにある扉を開けると駆け出していった。長い廊下は執務室や資料室を通り過ぎて城の真裏にあたるベランダへと繋がっている。遠い日に幼いお姫様から騎士の位を授けてもらった場所だ。お姫様はいつしか立派な女王様になったけれど、牧の誓いはあの頃のままだ。

牧も生きるか死ぬかの3年間だった。の元に戻るより正体を隠して援護する方が効率がいいと気付いてからは、影武者の代表を立ててありとあらゆる手を尽くしてきた。幸いの作戦はそのほとんどが理に適っているものだったので、あとはほんの少しのずる賢さで隙間を埋めてやればよかった。

の後ろ姿に迫った牧は速度を上げた。ベランダまで辿り着き、肩で息をするから少し離れてゆっくりと跪く。

「陛下、こっちを向いて下さい」
……3年! また3年も離れてたのに挨拶しに来ました、って何!」
「やっと会えることになったんだ。放置してたわけじゃない」
「わかってる。たぶん色々助けてくれてたんだろうなってことはわかってる。だけど、だからって」
、こっち向いてくれ」

のろのろと振り返ったは真っ赤な目をしていた。牧は立ち上がるとそのまま抱き締める。ハーフアーマーは固くて冷たいので、そっと柔らかく。はそのハーフアーマーの胸を押し返すと、牧の頬を両手で包んで涙をこぼした。

「私、言う通りにしたよ。ちゃんと女王になったよ」
「ああそうだな」
「戦も終わらせたし国も取り戻したし、ちゃんと生き延びたよ……!」

吸い寄せられるようにキスをして、またふたりは抱き合った。

「その、結婚とかそういうのはどうでもいいから、戻ってきてよ」
……そのつもりで来た。3年の間に仲間も増えたし蓄えもあるし、それを全部、受け取って欲しくて」
「全部もらう。騎士たちも蓄えもありがたくもらう。だからここにいて、そばにいて」
、ついでにオレももらってくれるか?」

牧は照れくさそうだったが、は大きく頷いてまたぎゅっと抱きついた。

「それが一番欲しいんだから、当たり前でしょ! 私だけの騎士なんだから!」

幼いころの牧の夢、それは苦難を経て全てが現実のものとなりつつある。それを授けてくれたと共に。

めでたしめでたし、おしまい