七姫物語 * 姫×騎士

3

しかしそこは立派に育たれた王女様である。牧の失言も一晩経つとすっかり水に流して普段通り振舞っていた。

むしろ部下にへの心情を言い当てられてしまった牧の方が落ち込んで、警護の方は抜かりないけれど、と直接相対する時は妙な緊張感が出るようになってしまった。と言っても気まずい思いをしているのは牧ひとりなのでも部下ふたりも特に助け舟を出してやろうとはしなかった。

そんなわけで牧ひとりがギクシャクしながらの帰路であったが、一行は無事に城まで戻ってきた。

城壁からは喇叭が吹き鳴らされ、国旗が翻る。王女の帰還を祝う祝砲が打たれ、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。城内に直接馬車を乗り入れると、国王夫妻と大臣たち、そして牧の父親と祖父までもが勢揃いして待ち構えていた。

そしてこの日から三日三晩の祝宴が催される。王女の帰還は言わば戦が終わることの最後の締めであり、本当に終わらなければ帰還は実現しなかった。なのでが戻ったことで皆肩の荷が下りたわけだ。長い戦でどこもかしこも苦労をしたけれど、王女も戻ったことだし、もう大丈夫。

ついでに祝宴には国内のあらゆる貴族や友好国からの来賓が多く足を運んでおり、3年間も疎開先に引きこもっていた王女は歓迎された。戦の前にはまだ子供のようだった姫がすっかり大人の女性になって。誰も彼もが牧と同じようなことを言ってを褒めていた。

「なんかお偉いさんたちの目線がいやらしくて腹立つ」
「まあまあ、それだけ姫が好意的に受け入れられてるんだよ」
「牧さん辛くないんすかね」
……そりゃ、つらいだろ」

牧がは既に適齢期を過ぎているからとか何とか言っていたけれど、とんでもない、正装で挨拶をして回るは大人気だ。特につれ合いを亡くした中年男性、そしてより少し年上の独身男性が代わる代わる群がってくる。本日の警護を担当しているのは牧の父親で、牧は会場の見回りをしている。

「あっ、あのニヤケ野郎、姫にベタベタ触りやがって」
「オレたちだって腹立たしいのに……ほんとにつらいだろうな」

城に戻る間にすっかり仲良くなった神と清田はカリカリしていたけれど、牧は黙々と仕事をしていた。

長旅から帰還したばかりだというのにすぐに祝宴で疲れたは翌日をほとんど寝て過ごした。何しろ今日も日没後から祝宴である。時間をかけて風呂に入り、マッサージをしてもらい、また深夜まで続くであろう祝宴に備える。だいたい、正装は窮屈で余計に疲れる。戦の終結と王女の帰還を祝う祝宴のはずだが結婚の話ばかりなのもうんざりする。

しかしそれが王女の務めなのである。ここで癇癪を起こして祝宴を逃げようものなら、だけではなくて王家、ひいてはこの国そのものの顔に泥を塗ることになってしまう。

午後も半ば頃を過ぎたあたりでは身支度を始める。髪を結い上げ、体にも化粧を施し、きつく体を締め上げる正装を身に纏う。本当はこんなことをしてる時間があったら紳一と遊びに行きたいのに。やっと帰ってこられた故郷だけれど、いつまでいられるかわからないから、少しでも楽しい思い出が欲しいのに。

疲労も手伝って気落ちしてしまっただが、全ての支度が整うと雑念を振り払って部屋を出て行った。今日も詰めかけるやんごとなきお方の群れ、を気に入ってしまった殿方たちがすっ飛んできて手にキスをしていく。の背後ではやはり牧の父親が警護に付いているが、彼は絶対に口を挟まない。ので、話したければが声をかけるしかない。

「小父さま、紳一の隊はひとりも欠けることなく終わったそうですね」
「お陰様で。ご加護の賜物です」
「そう? 紳一が立派な騎士になったからじゃなくて?」
「ははは、まだまだですよ。騎士団を任せられるほどには到底足りません」
「小父さまはいつごろ団長になったの?」
「今の紳一よりは10年ほど年をとってからでしたかな。それだって先代が怪我で仕方なく、というところですから」

血の気が多い先代は現役ド真ん中で重傷を追って一線を退き、以来牧の父親が団長を務めている。

「紳一が団長になるの、楽しみですね」
……それを殿下にご覧頂けなくて、残念です」

団長は苦しそうな顔をしていた。もまた、笑いたいのに笑えないという顔をするしかなかった。戦も終結したことだし、王女は遠からずいずこかへ嫁いでいくだろう。里帰りが出来ないわけではないが、もし遠方であれば騎士団長の就任程度では戻れない公算の方が大きい。はこの国の人間ではなくなってしまうのだ。

将来的に牧が騎士団長に就任するのはほぼ間違いないと見ていい。だが、それと同時に、その頃にはもうはこの国にはいないのも間違いないだろう。家族とも、子供の頃から親しい一家とも離れ、たったひとりで他の家族の中に入っていかなければならないということが、今更ながらにの背中に重くのしかかってきた。

昔を懐かしんで思い出話をすることも出来なくなってしまうのか。小さい頃あんなことして遊んだよね、そんな言葉を言える相手がいなくなってしまうのか。そう思うと、死んでしまいたくなる。こんな気持ちで誰かのもとに嫁いで私はその家族を愛せるんだろうか、その国を誇りに思い、守れるんだろうか。甚だ疑問に感じてきた。

元々の疲労にそんな気持ちが乗っかってしまい、は急に絶望感に苛まれた。そして、酒を飲んだ。

「またやっちゃったんですか様」
「えっ、また?」
「あわわ、ええとあの、殿下はお酒に弱いと伺っておりまして、はい」
「そうなのか。すまん知らずに」

はすっかり酔ってしまい、驚いた団長が祝宴が催されている広間から連れ出してきた。それを見て駆け寄ってきた清田の言葉を聞いて団長は困った顔をした。が酒に弱いだなんて知らなかったので、本人が欲しいというまま飲ませてしまった。神が冷たい水を飲ませたけれど、はすっかり酔っ払って薄ら笑いだ。

「すまないがどちらか紳一を呼んできてくれ。私は広間を離れられない」
「かしこまりました。団長、殿下はもう今夜はお暇ということでよろしいのですか」
……ただでさえ長旅だったのに、余計に疲れさせてしまったからな。陛下には私から話しておく」

騎士団の団長の顔から、父親の親友の顔になると、の頬をするりと撫でて団長は広間に戻っていった。それを見送ると清田が走って牧を呼びに行き、神は少しずつ水を飲ませて介抱していた。牧が急いで駆けつけた時にははすうすうと気持ちよさそうに眠っていた。

「なんだまたやったのか。親父は何やってたんだ」
「それが、お酒に弱いことをご存じなかったそうですよ」
「えっ、そうだったか!? それにしても、まったく困ったお姫様だ」
「今日はもう休まれていいとのことです。隊長、あとをお願いできますか」
「いやオレ仕事があるから」
「オレや清田が殿下を抱きかかえて寝所までお連れして介抱してもいいなら話は別ですが」

真顔の神と清田に冷たい目で見られた牧はわざとらしくため息をついてを抱き上げた。むにゃむにゃ言いながらは気持ちよさそうに眠っている。しかし正装が苦しそうだ。神と清田は牧に抱っこされているをひょいと覗き込むと、ちらりと顔を見合わせてから牧を見た。

「牧さん、様可愛いっすね!」
「は?」
「ほんとに可愛らしい方ですよね」
「何の話だ」
「オレたち騎士になってから戦ばっかすけど、もっと様にお仕えしてたいです」
「オレもそう思います」

そう言うと神と清田はペコリと頭を下げ、スタコラと広間に戻っていった。

祝宴が催されている広間は居住棟とは別棟にあり、の部屋までは長い渡り廊下を通り、そして居住棟をまた3階まで昇らねばならない。牧は気持ちよく眠ってしまっているを抱きかかえたままスタスタとその道を行く。慣れた城だし、今日は怪我もしていないし、さっさと届けてさっさと寝かせなければ。

祝宴のせいで使用人たちが出払っているので、を部屋に戻したら誰かを呼びに行かなければならない。酒に弱いなので、酔っていると言っても摂取量自体はそう多くないはずだが、酒は水分のように見えて脱水を促す。水を用意して服を緩め、この国の民間療法である果物の塩漬けを少し食べ、出来れば少し酔いが覚めるまで起きていた方がいい。

の部屋は彼女が5歳の時に与えられたものだ。当時は牧もまだ子供だったので、出入りを許されていた。は子供の頃から聡明な子だったので、牧が父親から聞きかじった騎馬隊の陣形やら城攻めの兵法を自慢気に披露すると、すぐに積み木でそれを再現してしまうような子だった。それをちょっと羨ましく思ったこともある。

途中、ずいぶんと年若い侍女らしき女とすれ違ったので、水と果物の塩漬け、そしてもし空腹だった時のことを考えてお菓子を用意するよう頼んだ牧は、の部屋に到着すると足を止めた。子供の頃は何度も遊びに来たが、少年部隊に入ってからは一切訪れていない。牧が入ったことがあるのは、の「子供部屋」だけだった。

しかし何も夜這いを仕掛けに来たわけじゃない。介抱しなきゃならないのだから、と雑念を振り払った牧は部屋に入る。途端に鼻を突く甘い香りと、女性特有の華やかな室内に少し目眩がした。が、そんなものに惑わされてはならない。牧はドスドスと乱暴に歩き、ベッドにをどさりと落とした。

がまた苦しそうな息遣いをしたので、ごろりとひっくり返して腹を締め付けているコルセット状の飾り帯を解いて外す。

「ん…………あれ?」
「目が覚めたか。このバカ王女」
……紳一?」

コルセットだけではない。足元も編み上げの靴でガチガチになっていたのでそれも外す。頭にも髪飾りやらリボンやらがぎゅうぎゅうになっているので、そっちも取り払う。は少し痛がったけれど、牧は遠慮しなかった。

「お前自分が酒に弱いの、わかってるだろうが。何で大事な祝宴なのに飲んだんだ」
……嫌なことがあったから」
「嫌なこと!? 親父がついててなんでそんな目に。何があった!」

何を勘違いしたか、牧はの肩を掴んで体を起こさせると、さあ話せ、という顔をした。はつい吹き出し、ベッドの上で座り直してひとしきり笑った。

「違う違う、そういうことじゃなくて。大丈夫、誰にも何も変なことはされてない」
「そうか……? じゃあその、嫌なことはもう大丈夫なのか」
「そんなこと言ったらまた怒られちゃうもん」

はアクセサリーを外してはベッドサイドのチェストにバラバラと投げ出していく。そしてベッドを降りると隣の部屋に入り、不快なものを引き剥がすかのようにドレスを脱ぎ、柔らかで軽やかな夜着に袖を通す。すると、ノックの音がして先ほどの侍女が水やらを届けに来た。

「失礼します。お言いつけのものをご用意してまいりました」
「おお、早かったな。ではこれ――
「ありがとう、もう下がって。私は頭痛がするから明日の昼まで起こさなように伝えておいて」
「何!?」
「かしこまりました。失礼致します」

夜着にストールという状態で出てきたは、退室するつもりでいたらしい牧を捕まえると侍女を帰してしまった。

「おい
「侍女ひとりに見られたくらいならどうってことはないでしょ」
「まだそんなことを言ってるのか」
「何度でも言うけど」

まだ酔いで頬が赤いはふん、と鼻を鳴らしながら髪を跳ね上げる。牧はそのの体を片手で抱えると、しっかりと支えてやりながらベッドに押し倒した。解けた髪がシーツに広がり、めくれた夜着から素足が覗く。

「こういうことを望んでるのか?」
「あるいはね」
……嫌なことって、何があったんだ」

牧は押し倒されるままになっているの上に覆い被さるようにして腕を突っ張っている。その牧の頬をはそっと撫でる。子供の頃にふざけて何度もつねり合いをした頬はずいぶん固くなってしまった。

「小父さまと話した。紳一はいずれいい騎士団長になるね、って」
「そんなこと――
「小父さま、『それを殿下にご覧頂けなくて、残念です』なんて言うんだよ……

何度言っても立場をわきまえないに苛ついていた牧は、その言葉にぎくりと肩を震わせた。頬を撫でるの手が胸を抉る。自分がいつか騎士団の団長になったとしても、その時にはもうはこの国にはいない。

「誰も知ってる人がいないところへ、たったひとりで入っていかなきゃいけないのかと思ったら、辛くて」
……
「紳一と昔話をしたりも出来ない、それどころかほとんど会うこともなくなっちゃうんだろうなって思ったらさ」

まだ遠方の国に輿入れすると決まったわけではないけれど、その可能性はあるし、牧とほとんど会えなくなることに関しては確実だ。それがわかるので、牧も体のいい無難な慰めの言葉が思いつかなかった。

、お前はどう、したいんだ」
「どうって?」
「他家に嫁ぐのが嫌と言って聞き入れられるわけはないとしても、その、今とか」

しばしきょとんとしていただが、今度は両手で牧の頬に触れると、優しく微笑んだ。

「紳一が、したいと思うことを、して欲しい」

するりとの親指が牧の唇をなぞる。牧は突っ張っていた腕を緩めると、に覆い被さって抱き締めた。

……だから慣れ合いたくなかったんだ」
「慣れ合い? したいと思わないことなんかしなくていいんだよ」
「お前、意地悪な女になったな」

言いながら牧はの耳たぶを甘咬みした。は喉を詰まらせて息を呑む。

、お前の意地悪でオレはひどく傷付いてる」
「そんなの、私だって同じだけど」
「いいや、違うね。証拠を見せてやるよ」

を抱き起こした牧は、目の前で服のボタンを外し始めた。城内での制服であるジャケットを脱ぎ、ベストのボタンを外し、そのままシャツのボタンも上から順に外していく。いかに城内であっても騎士は基本警護がその役目なので、彼らはシャツの下に固い生地の胸当てを着込んでいる。よっぽど強く刺さない限り刃物も通しにくい。

「胸当ては支給されないからそれぞれが仕立てるんだけど、だいたい大事なものを入れるポケットをつけてある」

急に牧が服を脱ぎ始めても動じないは、牧の指す胸当てのポケットに目を向ける。

「ペンダントを入れてたり、手紙を入れてたり、それは様々だ」
「紳一は、何を入れてるの」
「オレが一番大事にしているものだ」

そう言って牧はポケットの中に指を差し入れ、中身を取り出す。はそれを目にした瞬間、両手で口元を覆って息を呑んだ。ポケットから出てきたのは、少々色褪せた赤い布の切れ端だった。

「そ、それ……
「そう、子供のお遊びで騎士の位を授けてもらった時に、お前にかけてもらったケープの切れ端」

まだピンク色のドレスを着て転げまわっていた頃、はスカートの上に赤い布を巻きつけていた。それを騎士のマントの代わりに牧に授けてやったのだ。実際に騎士の位を授かる時、最初に支給されるマントも赤なので、当時の牧はそれでも大喜びしたのだ。しかもは一応本物のお姫様である。

「少年部隊を出た後にオレは正式に騎士団所属の騎士になった。だけど、自分ではこのケープをかけてもらった時に騎士になったと思ってる。あの時、お前に棒切れで肩を叩いてもらった時に、誓ったんだ。これでオレは騎士だ、騎士はお姫様を守るのが仕事、だからオレはいつまでもを守ろう、父親たちのように、命がけでを守ろう、そう誓ったんだ」

牧はまたポケットの中にケープの切れ端をしまいこむと、ボタンを全て戻していく。

「それが果たすことの出来ない誓いだと気付いたのは、お前の帰国が決まった時だ。戦の最中は戦を終わらせることこそがを守ることになるんだと思ってたけど、本当に終わってみたら、つまり国が戦時下から解かれたら元の外交が復活する、は嫁に行く。それが、どれだけつらかったかわかるか……?」

ボタンをかけ終えた牧はの頬に手を伸ばす。

だけの騎士になろうと誓ったのに、お前がいなくなったらオレは誰を守ればいいんだよ」
「し、紳一……
「それなのにお前は、したいことをしろなんて言う。意地悪だ」
「そんなの」
「ああそうだな。オレも意地悪だ。意地悪されたお返しだな」

そして牧はぐっと顔を近付け、思わず目を閉じたの眉間にゆっくりとキスをした。

「オレがしたいことをしたら、全てが壊れるんだよ。オレはお前の騎士だから、そんなことはしない」

の目からぽたりと涙が零れ落ちた。