七姫物語 * 姫×騎士

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「だから何か様子が変だったんですね、隊長」
「変だったの」
「仕事はちゃんとやってますけど、どこか心ここにあらずというか」
「何も刺さってないフォークをガブガブ噛んでましたしね」

無事に3日間の祝宴を乗り越えたはやっと休んでいる。急に深刻な話が出てきてしまったけれど、まだ国王は政略結婚の話など持ってこないし、というかまだ和平交渉が成ったばかりで完全に戦が終結したわけではない。その上牧の言うように地域によっては戦乱の傷跡生々しく、祝宴などのんびりやっているようだが暇ではない。

しかしこういう時には王女は暇だ。牧の小隊もまだまとめられて1年足らず、先の戦では後方支援が多かったというように、騎士団の中でも中核を担うほどの存在ではなく、いつ何時呼び出しがかかるかはわからないものの、寝る間もないほど忙しくはない。隊長がちょっとボンヤリしていても大丈夫なくらいには余裕がある。

ちょっと甘えてみたくなっただけだったと牧が気まずくなってしまったので、やっぱり神と清田が呼び出された。王女の部屋なので最初は緊張していたふたりだったが、付きなだけあって侍女もじいやもばあやもみんな友好的だった。ふたりは昼間なのでお茶とお菓子でもてなされながら、の話し相手になっている。

「てかその……ええと様は、牧さんのこと」
「一応言葉で肯定はしないでおきたい」
「ああ、ですよねー」
「実際のところどうなんですか。ご予定というか、誰かを薦められたりとか」
「うーん、父親からは何も」

祝宴の最中に何人も言い寄られてはいたけれど、決定権を持つ父親は何も言わないし、言い寄ってきたようなのもあからさまに結婚を匂わすようなことまでは言わなかった。ただ3年も秘されていたに等しいが「良い姫」だったので、顔を売っておきたいという雰囲気だった。

「でもオレはみんな嫌っす。初対面なのにベタベタ触ってきたり、いい年したオッサンだったり」
「さすがに唯一の姫君が後妻ということはないですよね」
「うーん、それもどうなんだろう。国力如何によってはあるのかもしれないよ」
「世継ぎがいてもですか?」
「公の場で王妃がいないっていうのもマズいんだよ」

一応には兄がひとりいて、現在は基本的に地方で仕事をしているので城にいることは少ないが、この国の王家としては世継ぎに困るわけでなし、はどう考えても政略的に有利なところへと嫁ぐのが当たり前というのが世の習いだ。

「輿入れの際には誰ひとり伴ができないんですか」
「侍女やじいやばあやは可能だと思うけど、騎士は無理だろうね。どう考えても先方にもいるんだし」
「転職してもダメっすか」
「老兵ならいいかもしれないけど、お付きって若い子ダメだからね」
「まあ……そうですよね、嫁に行くのに若い男連れてくるなんてのは、無理ですよね」
「私だって連れて行きたくない。一緒なんて嫌だよ」

それぞれ自分のことを言っていたつもりの神と清田は言葉に詰まった。

「そういう意味じゃ、ひとりで乗り込んでいかなきゃいけないのはいいのかもしれないね」
……せっかくお仕え出来ると思ったのに、寂しいっす」
「ありがとう。清田くんは思ったこと正直に言ってくれるから嬉しいよ」

正直に言われたせいで牧と気まずくなっているはずのは寂しそうに笑った。

が城に戻ってから1ヶ月が過ぎた。城内は変わらず戦の終結に向けたあれやこれやで忙しくしている人々ばかり、そんな中で王女への縁談など来るわけもなく、ただ祝宴でを気に入った様子の御仁数名から贈り物が届いた程度。

「花、お菓子、お人形、宝石、宝石箱、香水、髪飾り、猫、酒」
「お人形って、それはちょっとどうなんすかこれ」
「見事な子供扱いだな」
「酒もグイグイ飲んでたから好きだと思われちゃったんですね」
「だからやめろと言ったんだ」

贈り物に危険がないかどうかの検分中である。牧は酒を避けてため息をつく。牧たちによる検分が終わったら全て一旦じいやに預け、送り主と品を記録した後にの元へ届く。そして送られた品に応じた返礼が出される。ついでに直筆の御礼の手紙を添える。

「こういうやりとりが繰り返されて求婚、てことすか」
「そういう例もある」
「国内と国外半々てところですね」
「国内で政略結婚とかあるんすか」
「王家より発言権のある貴族がいるような国ではよくあることだけど」
「うちにはそーいうのないすね。したらやっぱ国外かあ……

清田はしょんぼりと肩を落としてみせたけれど、牧は無反応である。結局と気まずくなっていたのはほんの数日で終わり、牧はまた元のちょっと説教臭い幼馴染の騎士に戻ってしまった。のことで神や清田がどれだけ突っついても全く動じない。本人に対しても丁寧だがやや冷たいくらいになってしまった。

「国内といえば……牧さん地方出向に志願するって本当ですか」
……いずれな。まだこの城が忙しいうちには動かないぞ」
「城内はいつでも忙しいですよ。団長のご意向ですか?」
「いや、そういうわけじゃない」

いくら誤魔化したいことでも牧は嘘をつかない。神も疑問に思ったことは遠慮なく言う。

「牧さんが地方に出向かれるなら、オレたちも一緒ですか?」
「それはどうだろうな。出向が決まれば解隊になるかもしれないだろ」
「団長のご子息なのにまたどこかの隊に入るんすか」
「別に騎士団の団長は世襲制じゃない。……もう3代も同じ家から出てる方がおかしいんだ」

まあこれは劣等感の強い騎士や貴族からはよく言われることだ。だが牧の上3代に渡り同じ家から団長が出ているのは世襲ではなくて、本当に全員適任だったからだ。そしてまた4代目となる牧自身もそれに相応しい成長を見せている。

「だけど次の団長は牧さんしかいません」
「それを判断するのは陛下だろ。誰がいいとかそういうことじゃない」
「何でそんなに欲がないんですか!」

珍しく神が大きな声を上げた。隊の詰め所には3人しかおらず、牧は表情も変えずに手を止め、清田はふたりの間で肩をすくめた。神の言う「欲」はその殆どが「」という意味だったろうと思われるが、牧は特に反応も見せずに神の目を静かに見つめる。

「逆だ」
……どういう意味ですか」
「欲がないんじゃない。欲がありすぎるんだ」

今度は神と清田がふたり揃って首を傾げた。牧のどこをどう見たら欲まみれだというんだ。

「顔に出さない、言葉にしない、それだけの話だ。オレは親父や祖父さんなんかよりもよっぽど欲が深い。欲しいもの成し遂げたいものだらけで、時間なんかいくらあっても足りん。そういう自分の欲を満たそうと思ったらまだるっこしい手順を踏むのも嫌なくらいだ。全て自分の思い願うとおりにしたい。オレはそういう人間なんだよ」

贈り物の検分は終わっている。酒だけはに届けられないので国王への贈り物の方に回さねばならない。牧は高そうな装飾を施したピカピカの瓶を手に、そのまま詰め所を出て行った。

「神さん、オレ理解できてねえんすけど」
「お前も隊長も面倒だな。欲しいもの成し遂げたいものが財宝や名誉だなんて限らないだろ」
「まあ、そうですけど。じゃあなんですか」
「欲しいものは様、成し遂げたいものは騎士団の団長を勤めあげること、だとしたら?」
――ああ! ……そりゃ面倒くさいっすわ」

牧は嘘はつかない。間違ったことも言っていない。神は呆れてため息をついた。

「こんなお人形、様が欲しがるわけねーすよ」
「お人形を与えて喜ぶ姫君、それが欲しいんだろう。本人の気持ちは二の次だ」
「そういや最近可愛い女の子が侍女になったって噂んなってますよね。その子いるかな」
「侍女は若いのダメって様が言ってたじゃないか。厨房の下働きの子かなんかだろ」
「あっそーか。どうすんだこれ……お前も可哀想にな」

清田もまたため息をついて、人形の頬をツンと指でつついた。

神や清田がソワソワしている一方でへの縁談などはまったく来ず、城下町の武装解除がやっと完了し、自粛させられていたパブなどの夜間営業が再開したのは王家の女性たちの帰国から2ヶ月が経った頃だった。

すっかり大人の王族になった割にやることがないは城下に下りる機会が増え、病院の慰問や女性との交流をしつつ、最近では父親にくっついて政の場にも顔を出すようになった。王子である兄はまだ地方から帰らないし、は賢いので置いておいても邪魔にならないどころか、意見を求められれば至極真っ当な見解を示すので誰も文句を言わない。

しかし相変わらず牧が冷たいというか素っ気ないというか、とにかく距離を置かれているので、は城下に下りる時も護衛は神と清田を指名するし、牧もそれについては何も言わないしで、ふたりの関係は悪化の一途を辿っていた。神と清田もなんとかしてあげたいと思いつつ、手出しができない。そんな頃のことだった。

ある日、戦時下でも細々と畑を守りぬき、今年もいい酒が仕込めました! と近所の農家が新酒を献上してきた。城の者は大喜び、どれ出来を見ようかと新酒に舌鼓をうっていた。が、酒に弱いは当然蚊帳の外である。

「しょうがないすよ、今度おいしいジュース買ってきてあげますから」
「いいもん……酒なんか飲めなくたって死なないから……
「それじゃ明日は昼前にお迎えに参ります。おやすみなさいませ」

今日も神と清田をお伴にしていたは、部屋まで送ってもらうと仲間はずれにされたことにちょっぴり不貞腐れつつ、体を締め付けるドレスをさっさと脱いでベッドに横たわった。最近では夜になると自室に人を入れたがらないので、誰かを招き入れているのではと疑われたが、もちろんそんなことはない。ただ静かな時間をひとりで過ごしたかっただけだ。

さわやかな風が吹き込む窓を閉じると、は眠りに落ちていった。

すやすやと眠っていたそのの眠りを妨げたのは、悲鳴だった。女の声だということはわかるが、誰のものかはわからない。とにかく金切り声だった。慌てて起き上がると、部屋の中は何も異変はなかった。目を擦りあくびをし、ガウンを羽織って1本立ての燭台に火を灯し、それをまたランタンに移す。

ランタンを手に立ち上がると、ぼんやりと部屋の中が明るくなる。はランタンを手にしたまま窓辺に近寄り、カーテンに手をかけた。まだ真っ暗だけど、何があったんだろう。そしてカーテンを引いた瞬間、も短い悲鳴を上げた。

城の一角に火の手が上がっていて、ごうごうと燃えていた。

様、様起きていらっしゃいますか!?」
「起きてます、一体何があったの!?」

まだおじいちゃんと言うには若いが、役職的に言うとじいやの声が乱暴なノックとともに響いてきた。が答えるとドアが勢い良く開かれ、じいやと侍女たちが雪崩れ込んできた。全員夜着ではなく平服に着替えている。

「あれは何!? 火事?」
「いいえ、詳しいことはわかりませんが、どうやら火事ではなくて戦闘のようです」
「はあ!?」

じいやと侍女は普段から備えとしてまとめられているの服や生活に必要なものが入ったトランクを引っ張り出し、の手を引いた。普段王族が全員寝起きしているこの居住棟には、地下に通じる抜け道がある。そこを通っていけば、城下町の外壁まで抜けられるようになっている。

「ひとまず隠れ家に向かいます。お話はそれから」
「わ、わかった。行きましょう」

子供の頃から何度も通らされて慣れた通路なので、は頷くと走りだした。地下に入ってしまうと城の上の音は何も聞こえなくなってしまう。抜け道の無機質な石壁と静寂が余計に不安を掻き立てるが、じいやたちも何が起こっているのかわからないのではどうしようもない。

走り続けること5分ほどで城壁近くの隠れ家の地下にたどり着く。階段を上がると、地上階の床に隠されている蓋と思しきドアが見えてくるので、合図のノックをする。するとテーブルか何かをずらす音がして、蓋が開いた。

様、ご無事で」
「神くん!」

差し出された神の手に捕まって外に出たは、勢い余って神にぎゅっと抱きついた。

「神くんも無事でよかった……! ひとり? 紳一と清田くんは?」
「今はちょっと出てますけど、どっちも無事ですよ」
「一体どうなってるの」
……停戦協定が破られました」
「嘘!?」

神によると、時間的に現在は夜明け前で、異変が起こったのは今から2時間ほど前だったという。城壁の四方にある門のうち北にある門の衛兵が全員倒れているのが見つかり、夜勤の騎士たちは慌てて団長に報告に飛んでいった。そこから騎士団だけでなく兵という兵がかき集められ、城下町を調べていたら突然城内で火の手が上がった。

……おかしくない? 門はすべて閉じられてて、衛兵が開けるわけはないし、衛兵は門の内側にいるのに」
「ですから、手引きしたものがいるはずです。でなければ城内に入りようがありません」
「そうだよね……閉門したら城内なんて猫だって入れないのに」
「夜間に入りたければ騎士団の詰め所の中を通るか、軍部の真ん中を通るしかないですからね」

そういう事情で外部の人間が侵入するには内側からの手引きが絶対不可欠となる。しかし――

「戦が終わったばかりでよそ者なんて雇った覚えは――
様、男ではありません。女です。覚えてませんか、少女のような侍女」
「えっ、だって侍女は年齢制限が」
様はご覧になってませんでしたか。可愛い女の子がいるって少し前から噂になってたんですよ」

侍女やじいやなどになるには、既婚かつ結婚から20年以上が経過している男女、と決められている。

「だからありえないでしょ、そんなこと」
「侍女として雇われたわけではなかったのでは? 侍女風の身なりをして潜入してただけだったら」
「それが手引きをしたっていうの?」
「北門の衛兵は幸い全員息がありました。それが子供のような少女に襲われたと」
「衛兵ってあのゴッツいのが何人もいるのに!?」
「少女に見えて少女ではなかったのかもしれません」

はすすめられた椅子に腰掛けてがっくりと肩を落とした。

「それで攻めこまれたっていうの? じゃあどうして停戦協定なんか結んだの……
「それはまだわかりません。ですが、明らかに敵国の兵士です」
「そんな……戦の終結に向けてちゃんと協議をして順調に進めていたのに」

するとそこへ合図のノックの音がした。は慌てて厨房の隠し扉の中に隠され、神が合図を慎重に確認してからドアを開いた。数人の騎士が一気に雪崩れ込んでくる。

「城の北側はもうダメだ。火の手がおさまらない」
「これ以上延焼しないようにしてるけど、それに人出を取られてどこも手薄で」
「あっ、神さん! 様が行方不明で!」

清田が混じっていた。神はそれには答えず、最後に牧が飛び込んできたところでドアを閉め、厳重に鍵をかけた。

「神、抜け道は――
「皆さんお静かに。様ご無事でご到着なさっています」

じいやに連れられて厨房から出てきたに、十数人の騎士は一斉に跪く。

「皆さんご無事で何よりです。お怪我はありませんか」
……数名連絡がとれておりませんが、ここにいる者は全員無事です」

跪いた牧は冷静な声だったが、その目は厳しく、そして怒りの色を帯びていた。

「ですが、我々は命を賭して殿下をお守りいたします」

十数人の騎士たちは静かに立ち上がると、牧に倣って剣を掲げて見せた。