七姫物語 * 姫×王太子

3

……さっきから何してるんだよ」
「掃除」
「何でお前が」
「暇だから」

館で寝起きするようになって3日ほど経つ頃になると、は暇を持て余して館の掃除や庭の手入れ、果ては厨房の手伝いまで始めた。城の方はが王太子と仲良くやっていると思い込んでいるし、一応王女なのでフラフラと城下に下りるわけにもいかないし、何もすることがない。

大量の家臣と使用人を引き連れてきた割には館の中には最低限の人数しか置いていないようだし、厨房に至っては高齢のばあやが中心になって全員分をこしらえている始末。元々お部屋で刺繍をしているだけのお姫様ではないので、はつい首を突っ込み手を出した。

……仮にも婚約者が使用人まがいのことをされると困る」
「この館の中にいる人は本当に近しい人ばっかりなんでしょ。あれじゃ誰も侵入できないだろうし」

はバルコニーの外を顎でしゃくって見せた。警備の隊列が交代のためにゾロゾロと歩いて行く。この館は広い庭を背の高い外壁で囲んであるが、神はお互いが見える間隔で兵士を配備している。はこんな保養所ばかりの国では危険もないのではと思うが、大国育ちの彼には当たり前のことなのかもしれない。

神は面白くなさそうな顔をしているが、は意に介さない。

「何よ、昨日の夕食に出たデザートおかわりしたくせに」
……それが何だよ」
「あれ作ったの私だからね」
「は?」

この国は森林が豊富でナッツがたくさん採れるのだとが言うと、ばあやは若様ナッツ大好きなんですと頬を赤く染めた。なのでこの国の伝統的なお菓子を作ってさし上げたというわけだ。神はそれがおいしかったらしく、が作ったとも知らずにばあやを褒めておかわりをしていた。同席していたはテーブルの下でこっそり拳を振っていた。

「お国に行ったらこんなことしないけど、ここは退屈だからそのくらいいいでしょ」
……好きにしろ。だけど目障りだからどこか別の場所掃除してこい」
「はいはい、じゃあその昨日から着っぱなしの夜着、着替えて」
「ばあやか!」

なんと言われようと構わない。は神を追い立てて着替えさせると、夜着にガウンを持って部屋を出る。本来なら洗濯は城下にある専門の職人を使わなければならないところだが、神が許可しなかったのでこれもとばあやの担当である。しかも素材が高級なものばかりなので気を使う。

朝は毎日会議があるので、は寝起きしている使用人部屋を出ると厨房へ向かい、朝食をさっさと済ませて神たち会議がてら朝食の人々の分の準備を手伝う。そしてそれが終わると少し休憩を挟んで掃除を始め、昼食を挟んで午後は庭の手入れや夕食の準備を手伝う。その間にも洗濯や繕い物などもこなし、夕食の片付けを手伝っての1日は終わる。

「お前本当に王女?」
「色んな国があるんですのよ王太子様」
「ばあやも何黙ってやらせてるんだ」
「ばあやは助かっております」

と一緒だとばあやは神に少し冷たく当たるようになってきた。勝手なことは言えないのであからさまに叱ったりは出来ないけれど、ばあやはちょっと納得いってないです、という顔だ。と仲良くなってきたので余計にばあやはツンツンしている。はそんなばあやが可愛いので館での日々が楽しくなってきた。

「若様、姫はすごいんですのよ。屋根の上に落ちた枝を取ったり、壊れた戸棚の扉を直したり出来るんです」
……それ王女としては逆にマズいだろ」
「読みが外れて残念でしたわね王太子様。私は元から城でこういうことをしてた王女なんです」

だが神はふんと得意げなには同意せず、少し目を細めた。

……読みは外れてない。お前が丈夫で叩いても壊れない王女だっていうのは最初から知ってる」

おやっ? と首を傾げたとばあやはちらりと目を見合わせたが、神がぷいとそっぽを向いてしまったのでさっさと部屋を出た。婚約者の地元である静養地でのんびり過ごす体裁の神だが、毎日何やら忙しそうで会議ばかりしていて、基本的にいつも疲れていて機嫌が悪そうだ。

「お国でもいつもああなの?」
「ええと、お忙しい時はあんな感じかしら。お疲れなんですよ」

ばあやはオホホと笑って誤魔化す。どうも神周辺にはには話せない事情があるようだが、ばあやあたりはつい口が滑りそうになることもしばしばで、それは少し可哀想だ。別にどんな事情があったってもう傷付いたりはしないと思うが、神がいいと言わない以上はの耳に入ることはあるまい。

考えても仕方のないことは気にしない。はそう気持ちを切り替えて日々を過ごしていた。とにかく暇なので何とかして用を見つけては働き、それでも時間が余るとばあやにお料理を習ったり、しまいには神が連れてきた犬を貸してもらって庭で洗ったりもした。犬番は貸した犬がきれいになって帰ってくるので不思議がっている。

そんなある日のことだ。館の門のあたりを掃除していたは神の家臣らしい男がウロウロしているのを目にとめて近寄っていった。門を勝手に開けることは出来ないけれど、用向きを聞くくらいは出来る。

「どうされました」
「やあこれは助かりました。殿下に急ぎお届け物です。お届け下さいますか」
「わかりました。ご苦労さまです」

が小箱を受け取ると男はペコペコと頭を下げて帰っていった。は掃除を切り上げて館に戻る。館の裏口から入り、玄関口に出ると神の側近である初老の男性に出くわした。年齢的にも神の一番の側近であり、口数は少ないが、ばあやのようにに対してはとても優しい人だ。

「あ、すみません、お届け物だそうです」
「届け物? そんな予定は……

首を傾げる側近に、は両手に小箱を乗せて差し出した。すると、元々しっかり止めていなかったらしい小箱の蓋がふわっと浮き上がり、中からするりと何かが出てきての手に絡みついた。

次の瞬間、館中にの悲鳴が響き渡った。

「何事ですか!」
「ばあや、来てはいけません! 様も動かないで下さい!!」

の手には蛇が絡まっていた。真っ青な顔をして涙目になっている、腰を抜かして壁にへばりついているばあや、しかし側近はじりじりとに近寄ると素早く蛇を掴んでから引き剥がした。そしてナイフを取り出すとが落とした空箱の蓋に突き刺して殺した。

「姫、噛まれてはいませんね?」
「は、はい、ないです、噛まれて、ないです……
様、様なぜこんなことに」

よろよろと駆け寄ってきたばあやとは思わず抱き合って震えていた。騒ぎを聞きつけて館中から使用人や家臣たちが集まってくると、それぞれが一斉に渋りきった顔をして絶命した蛇を見下ろしていた。

「こ、こんな、どうして、この国には蛇は滅多に出ないのに、どこから……
様、気持ち悪いでしょう、良い匂いのお湯で洗いましょう。ね?」
「ばあや、少しお待ちください」

こんなところからはさっさと逃げようという勢いだったばあやを止めると、側近はに向かって頭を下げた。

「殿下、大変申し訳ありませんでした」
……なんであなたが謝るんですか」
「危険な目に、遭わせてしまいましたので。毒蛇です」
「あなたのせいじゃないでしょ」
……これ以上申し上げられないことも含めて、どうかお許し下さい」

広い玄関口に集まった家臣使用人、特に神と密接な関係にある30人ほどがそれに倣って一斉に頭を下げた。

「何か……事情があることは承知しています。私も勝手な真似をしました。ごめんなさい」
様、どうか私たちをお許し下さい、若様を、恨まないで差し上げて下さいまし」

重苦しい空気の館には、ばあやのすすり泣きの声だけが響いていた。

物騒なお届け物の件はも同意の上で城には報告しないと決まった。どころかこの館の中だけに秘しておくことにもなり、しかし神は報告を受けると王女が使用人の真似事なんかするからだとを非難した。どうして身元も確かめていない人物からの「お届け物」をバカ正直に運んできたんだと怒っていた。一応それは間違っていない。だが、

「殿下、いい加減事情をご説明なさったらどうです」
「またその話か。言っただろ、仲良し夫婦になるつもりはないって」
「仲良し夫婦以前の問題です。様は若様の奴隷ではありません」
「ばあやまでそんなことを。余計なことは知らなければ漏れることもない。女の口は信用ならない」
「ばあやも女ですよ!」

は精神的疲労で早々に部屋に引っ込んでいる。その部屋の中のに聞こえてもおかしくない声でばあやは神に小言を言い、蛇を退治した側近も渋い顔をしたまま苦言を呈した。

「お飾りの王太子妃も結構ですが、こんなことが続けば破談になりかねません」
「逆だ。全部話して逃げられたらどうする。あんな姫もう見つからないぞ」
様はそんなことで尻込みされる方ではありませんよ」
「さっきも言っただろ、知らなければ漏らしようがない。ただでさえ軽率な女なんだから、余計なことは教えない方がいい」

側近とばあやふたりがかりで諭しにかかったが神は頑として譲らない。

「何とかして結婚までこぎつけなきゃならないんだから、それまでは余計なことしないでくれ」
「それはわかっております。だからこうして皆で一緒にいるのです」
「だけどそれとこれとは話が別です。若様も一国の王子ならもう少し紳士にお成りあそばせ!」

理解を示した側近だったが、ばあやはお冠のままそう言うとぷりぷりしながら出て行った。

「ほんとに女はめんどくさいな」
……殿下、敵を欺くのにはまず味方からというのはここぞという時の戦法です。それを成功させるのは日々の生活の中で生まれる信頼に他なりません。それを怠れば隙を突かれて一切が水泡に帰すことになります」

側近はばあやのようにあからさまに怒ったりはしないが、言っていることは同じだ。

……オレは誰とも仲良くなるつもりはない」
「あなたより軽く3倍は生きている者の見地から申し上げても、様は信頼に値する方です」
「だとしても、だ」
「私は終生殿下に忠誠を誓った身です。ですが、今の殿下では結局本懐を成し遂げられないと確信します」

忠臣と名高い側近らしからぬ物言いに神は驚いて顔を上げた。側近は普段通りの顔をしている。

……どういう意味だ」
「これから伴侶になられる方と信頼関係を築けないようでは、そういう努力から逃げるのでは、あるいはという意味です」
「姫と恋人同士のように仲良くなって馴れ合えと?」
「殿下はそんなこともお分かりにならないほどバカではないはずです」

ぐうの音も出ない。神は静かに淡々と叱られて言い返せなくなってしまった。

「これは進言や忠告ではありません。私の考えを述べているだけです」
……覚えておくよ」
「とりあえず明日はおふたりで人前に出なければなりません。様が怖い思いをされたということもお忘れなく」

明日は元々王太子を歓迎する観劇が予定されていて、また城で晩餐会となる。の精神状態が心配だとしてばあやと側近は神を取り囲むに至ったわけだ。神はまるで聞き入れないけれど、言うだけ言ったので側近も部屋を出て行った。

ちらりと目をやるが、がいるはずの使用人部屋からは物音ひとつしない。神は主寝室の隣にある部屋の巨大なテーブルの上にある書類の山に手をつき、散らばる紙をぐしゃりと握り潰した。もう少しなんだ、あと少しで――

こんな小国であるから、世はまさに王女の婚約に熱狂の渦、最近生まれた女の子はかなりの高確率でと名付けられ、無許可の記念品が飛ぶように売れていく。そんな騒ぎなので観劇に出かけるは一旦城に戻って身支度を整える。

この国の王家では婚約中、つまり結婚相手が決まっている女性はそれ以前に比べて少しだけ肌を見せるドレスになるのが慣例だ。縁談が決まりそうになってからというもの、こういう機会のために城下のお針子集団はのドレスをせっせと作っていた。本人は遠慮していたけれど、みんなが楽しそうなので好きにさせておいた。

髪型にも色々決まりがあり、まあ結婚してこの国を出て行ってしまえば関係なくなってしまうことであるが、は婚約中の王女であることが見て取れる装いに整えられた。今日はなんとか元気な父上はちょっと涙目である。

そうして迎えに来た神とともに屋根のない馬車に乗り、劇場までお披露目行列である。

「陛下にバラしてないんだな」
「バラしてもあの病弱を不安させるだけだもん」
「昨日のこと、突っ込まないのか」
「突っ込んだら何か言い訳でもしてくれるの? しないでしょ」
……使用人の真似事なんかするからだ」

ふたりはのんびり進む馬車の上、沿道に詰めかける人々に笑顔で手を振りながら不穏な会話をしている。

「いつまた同じ目にあうか、毎回誰かが助けてくれる保証はないんだぞ」
「昨日は慌てちゃったけど、私、槍と弓は5歳から心得があるから結構です」
「は?」
「格闘技は許してもらえなかったから自己流だけど多少はできるし、馬術は試合で勝ったこともあるし」

母親の命を食って生まれてきたと陰口を叩かれるほどは元気で丈夫で、そして活発な少女であった。が育つほどに父親は弱っていったが、こんな吹けば飛びそうな小国にあって、が溌剌としていればいるほど人々の希望にもなったのだ。それが大国の王太子とご婚約なのでこれだけ盛り上がっているわけだ。

頑丈な姫だとは聞いていたけどまさかそこまでとは……と神はぽかんとしていた。が、が王女でありながらちょっとした兵士並みの腕を持つことは残念ながら事実であり、別に隠していたわけでもない。城の玄関口にはのトロフィーがわざとらしく飾ってある。

さて、馬車が到着すると劇場前広場は黒山の人だかり、手を振り帽子を振り国旗を振り、みんな大盛り上がり。なのでそれに対して「いかにもそれらしい」方法で返してやりたくなるのは仕方ないのだが、大臣に「キスでもしてみては」と言われてふたりは冷や汗が出た。もちろん大臣に悪気はない。既に仲良しですという顔をしていたのはと神の方だからだ。

大臣は気軽にそんなことを言うけれど、と神はキスなどまだしたことがない状態。こんな大観衆を前にさあどうぞ、などと言われてしまうとさすがの神も狼狽えた。自分だけ天使のふりをしているぶんにはいいけれど、と仲良くなろうという気が全くなかったので動揺している。

しかし断るいい方法もない。は恥ずかしいよそんなの、と大臣に囁いているけれど、何を仰いますかこれからご夫婦になられるんですから遠慮なくさあどうぞ、などと頓珍漢な切り返しをされる始末。

「頬にするけど、いいな」
「え、するの?」
「しょうがないだろ」

大臣など放っておけばいいとでも考えていたらしいが驚いて顔をあげるので、神はわざとらしく微笑んでからキスをした。劇場前広場は割れんばかりの大歓声、帽子が飛び国旗が飛び、しまいには肩車されていた子供まで飛んだ。

…………何をそんなに真っ赤になってんだよ」
「こんな人前で……恥ずかしいからに……決まってるでしょ」

無理やり笑顔を作っているは頬から耳から真っ赤になっている。それが見える距離にいる人々はまた大喜び。働き者で優しいけれどお転婆な姫様が王太子様にキスされて頬を染めているなんて! あんなにお小さかった姫様がお嫁に行かれるのね! 王女生誕の頃からを知る世代は涙ぐんだほどだった。

「ほっぺにキスぐらいで狼狽えてどうするんだよ。そんなんで子供作れるのか」
「そ、そっちは誰にも見られないんだからいいの」
……結婚までに慣れておけよ、こんなこと」

はにっこりと微笑みつつ、喉の奥から雪崩のように押し寄せる涙と嗚咽を必死で飲み込んだ。神と結婚しなくてはならないことに異議はない。父や国のために頑張りたいと思っている。けれど、たかが頬だったとしても、衆人環視の中で自分のことを欠片も好いていない人から仲良しのふりをしてキスをされることがこんなに悲しいものだったとは。

私はもう一生、好き合う人とキスをすることが出来ないんだ。

私なんかあの時、毒蛇に噛まれてしまえばよかったのに。そうしたらこんな思い、しなくて済んだのに――