ルーザーズ&ラバーズ

Side-M Episode extra.

翌日、朝から藤真に呼び出されたは昼頃になって渋々牧のアパートにやって来た。つい応じてしまったけれど、なんで番号知ってんのよ藤真くん……

「はい、おはよう」
「なんで藤真くんが仕切ってんの……
「まあオレにも責任あると思うし」

牧の部屋のインターホンを押して出てきたのは、牧ではなく藤真だった。パーカーにジャージというラフな装いで、まるで友達だ。その上テーブルの上には既にファストフートが用意されていて、その至れり尽くせりが居心地が悪い。

どうせ私が一方的にキレてることになってて、食い物とかで気を遣えば機嫌が治るかも、みたいな判断なんだろうな。女が怒るとすぐこれだよ。問題に向き合ってももらえず、正当な理由で怒ることも許されない。その「ご機嫌取り」が余計にムカつくってわかんないのかな?

一昨日の今日で頭が冷えていないので、も沸点が低い。だが藤真がセッティングしてくれなければ自分から仲直りしようとは思わなかった。依然腹は立つが、藤真の前で牧と醜い言い争いはしたくない。その分だけ冷静に話が出来るかもしれない。

……と思ったが、テーブルを前に座っている牧がの方を見ないのでまたイラッと来た。せめておはようとかくらい言え。昼だけど!

……おはよう」
「おは、よう」
「はいはい気まずいのは全員同じなんだからカッカするなよ。深呼吸しろ」

と牧が向かい合い、藤真がその間に入るようにテーブルに付く。男子ふたりの前にはファストフードのバーガーが山と積まれているが、どちらも手はつけない。ので、は遠慮なくドリンクを啜り、ポテトを口に突っ込む。がいつもオーダーする好きなメニューが揃っているのはちょっと心が痛む。牧はが好きなメニューを完璧に記憶している。

「で。色々ゴチャゴチャ拗れてるし、1年前の件はオレが軽率だった、ってことでおさめないか」
「それは……何度も言ってるけど別に藤真くんと私は」
「そう、そうなんだけど、それを言い出すときりがないから、オレを悪者にしない?」

藤真の本心が申し訳なさなどではなく、お前らもうめんどくさいから、そういうことで手を打たないか――であることはも牧もわかる。が、その建前でも「藤真を悪者にして有耶無耶にする」がモヤモヤしてしまうくらいには、も牧も責任感が強いタイプだ。卑怯じゃないか、それ。

「実際、牧と付き合ってるんだってさんから聞いた時点でオレが弁えるべきだった。それも一理あるだろ。あの時はついさんが元気そうで安心するあまり近況報告とかしたくなったけど、立ち話で済ませなきゃいけなかった。それは悪かったと思ってる。オレもどっちかっていったら彼女がそんな状況になるのは嫌だから、無理に反省してるってわけでもない」

なんとか早めに拗れたと牧のわだかまりを解きたいと頑張っている藤真だが、そもそものきっかけは1年前のことなんかではなくて、の競技ダンスにある。藤真はそれを蒸し返す気はないようだが、牧は腹を括ったので無視出来ない。

女子をとろけさせる笑顔の藤真を制し、牧は背筋を伸ばす。

「でも、問題はそれだけじゃないんだ」
「おい、何を言い出す」
「昨日話しただろ。この際それもちゃんと片付けておきたい」
「まじかよ……

が到着する前にどういう話をするか、ということを打ち合わせしていたのに。藤真はぐにゃりと猫背になるとため息を付きながらポテトに手を伸ばす。じゃあオレいらないじゃん……

「片付けるって何」
「ひとまず怒らないで聞いてくれ」
「一昨日、怒りに任せて話もしなかった人が私に言えたこと?」

朝から細かい予定を先送りして友達でもないカップルの痴話喧嘩の仲裁に入りに来たのに……と萎れていた藤真はポテトを喉に詰まらせそうになって慌ててドリンクで流し込む。いやこれフォローで口挟まないと余計に大喧嘩になるやつだ。

「ちょ、さん、待って、そういうのひとまず措こう? な?」
「なんでよ」
「もちろんそういう細かい不満とか、付き合ってればある。あるよ。わかる。でもひとまず!」

は納得いかないようだったが、藤真が必死に止めに入るのでそれに免じて黙ることにした。

「はい、じゃ牧、余計なこと言わないで、要点だけ」
……だからその、一昨日のことは、1年前のことだけじゃなくて」

ハラハラしながらチーズバーガーをモグモグやっている藤真にフォローしてもらいながら、牧は彼女が競技ダンスをやっているということにどうしても嫉妬心が出てしまうことを白状した。一応余計なことは言わず、がダンスに夢中になっていることは何より応援したいことだとも付け加えた。

それでもやっぱりブチ切れるかもと藤真は冷や汗をかく思いだったのだが、は牧が一旦話を切ると座り直して腕を組んだ。勢い任せに怒鳴るつもりはなさそうだ。

「それは、わかった。実際大会で着るようなド派手な衣装なんてまだ着たことないとか、まだまだ初心者だから男と組んで踊ったことないとか、言いたいことは他にもいっぱいあるけど、競技ダンスがそういう嫉妬を呼んでしまっても仕方ないってのは認める。気持ちはわからなくもない」

冷静な意見に藤真がホッとする。牧は真顔でを見つめている。

「で、それだけに関して言えば、1度練習してるところを見てもらったら話が早いんじゃないかと」
「えっ、見学していいの? 部外者だけど」
「大丈夫。たぶん紳一と藤真くんが考えてる『社交ダンス』とはちょっとイメージが違うと思うし」
「えっ、そうなの?」
「やってることは『社交ダンス』で間違いないけど、一応競技だし、結構スポ根というか」

へええ~と呑気な返事をしている藤真の向こうで牧はまだ押し黙っている。ので、それを目にしたは組んでいた腕をほどいてテーブルの上で揃えた。

「でも、それだけじゃないんじゃないの、紳一」
…………言ってもいいのか」
「この際だからはっきりさせた方がいいと思う。まあ、藤真くんは証人てことで」

ポテトをモグモグやりながら、藤真は片手を挙げて頷く。それを確認した牧は深く息を吸い込む。

「昨日こいつと話して、自分でも考えて、わかったことがあるんだ」

そして、牧はをまっすぐに見つめて言い放った。

、愛してる」

宙を舞う藤真の咥えていたポテト、むせる藤真、ポテトを避けようとしてドリンクを倒す、ポテトが変なところに入って悶え苦しむ藤真、ティッシュが遠くて床を転がる。大惨事だ。

藤真がまともに息が出来るようになるまで、たっぷり3分はかかったが牧は身じろぎひとつしない。

「紳一……それ今ここで言うことかな……
「それを間で聞かされるオレの身にもなれ……
「だからだろ。ふたりきりのときにムードに流されて言ってるんじゃない。証人の前で言ったんだ」

いやまあ確かに……と藤真は座り直したが、とても気まずい。

「つまんない嫉妬だってことは、これでも自覚がある。でもそれを押し通したいわけじゃない。一昨日はそういうものが積もり積もって吹き出してしまったけど、結局、突き詰めるとそういうことだった。だから競技ダンスもつらかった。がダンスに夢中になってるのは一番嬉しいことのはずなのに、つまらない嫉妬が邪魔をする」

それら全てに強い愛情と独占欲を感じてしまうからだ。それが苦しいのは牧も同じだった。

すると藤真のチーズバーガーを持つ手が間に入ってきた。

「ちょっと間に入っていい? なあさん、こういうのって重い?」
「え、ええと、気持ち自体は嬉しい。びっくりしたけど」
「でも一歩間違えると束縛になるよな?」
「うん……この1年そういうことはなかったから、実感ないけど」
「それでも気持ち、変わらなそう?」
…………うん」

チーズバーガーの残りを口の中に詰め込んだ藤真は包み紙を丸め、正座する。

「よし、じゃあ、さんも言おうか」
「えっ、何を?」
「正直な気持ち」
「え!?」
「証人証人」
「ぅえ!? まじで……

一転は真っ赤、無理もない。だが牧は真顔で黙っているし、藤真は両手で促してくるし、何だか都合のいい魔法の言葉という気もするが、どうしてかブチ撒けてしまいたくなった。

「あの……私も、大好き、です」

牧と同じ言葉ではなかった。それに気付いた牧と藤真が顔を上げると、も頷く。

「私が『愛してる』じゃないのは、私の気持ちが100パーセント『愛してる』になれないのは、まだ、1年以上も経つけど、好き以上に感謝が、あるから。紳一は、絶望の底にいた私を救い出してくれた人だから、私に、夢とか希望とか、そういうものを何の見返りも求めずに、与えてくれた人だから」

言いながらは涙声になり、両手で顔を覆った。

「牧、嫌な言い方だろうと思うけど、オレとさんは高校時代に味わった苦痛がよく似てる。だから彼女の感じてた苦しみはよく分かるし、そこから救い出してもらえたことは、命を救ってもらったくらいの気持ちになるんじゃないかと思うよ。不安だろうけど、さんのこの思いはそう簡単に揺らぐことはないと思うし、お前も彼女のそういう気持ち、受け止められるようになれよ。出来るだろ、愛してるなら」

牧が小さく頷いたのを確かめると、藤真は自分の食べた分の包み紙やポテトのケースなどをテキパキと片付け、最後に残ったドリンクを音を立てて飲み干した。帰りたいらしい。無理もない。

「はい! そういうわけでオレはふたりの真摯な愛情がきちんと向き合っていることの証人になるので、後で言った言わないでゴチャゴチャ文句言わずに、壁を乗り越えたカップルとしてステージをひとつ上げたと思って、この後に控えているクリスマス、年末年始、恙無くお過ごしください」

言い終わった藤真が両膝に手をついて頭を下げるので、ついと牧もペコリと下げる。

「藤真、悪かった。ありがとう」
「お前が礼とか気持ち悪いから気にするな」
「でも、ありがとう」
さんからのはもらっておくよ。さんはオレにとっても希望だから」
……藤真くんは、いないの、好きな人、とか」

ついその背中に声をかけた、藤真はダウンに袖を通すと振り返り、ニヤリと笑った。

「大丈夫、オレにはオレだけのヒロインがいるから」

それはまた別の物語、と牧の物語とは関係ない。どこか知らないところで紡がれていくものだ。

じゃあな、と手を上げると藤真はさっさと出ていった。数秒置いて牧がのそりと立ち上がり、鍵を閉めに行く。ついでに藤真が蹴っていった自分との靴を整える。そして立ち上がって振り返ると、が目の前に立っていた。

……

全部言い終わらないうちに抱きついてきたを強く抱き締め返す。もぎゅうっと両腕で牧の体を締め上げ、そして少しだけ涙声を漏らした。

「つまんない嫉妬で、ごめん」
「ちゃんと話してくれて嬉しかった。心配させてごめん」

予定ではふたりきりで過ごせる休日はこの日の夕方まで。それを思い出したふたりは腕を緩めて勢いよく唇を重ねた。本当なら昨日もずっとこうしているはずだったのに。

……でも、予算、余ったよね」
「クリスマスと、年末年始に使うか」
「ずっと一緒?」
……ああ、ずっと一緒に、いような」

今年のクリスマスや年末年始だけじゃなくて、出来るならその先も――

藤真が間に入って初めての喧嘩がおさまるという、米松先生が聞いたら弾け飛びそうなエピソードはしかし、慎重に隠されて年を越した。と牧は予定通りクリスマスと年末年始をふたりきりで過ごし、藤真の言う通り「ステージをひとつ上げた」カップルとして余裕も出てきた。

牧は競技ダンスの練習を見学に訪れたが、の言うように先輩ペアはもはやどつき合いのような勢いで踊っているし、圧倒的に女性の方が多く、牧が不安に思っていたことはひとまず心配がなさそうだ、とやっと納得出来た。というか見学しているのを見つかり、ラテン種目が似合いそうなルックスだからぜひさんとペアに! と騒がれてほうほうの体で逃げ帰ってきた。

そして牧はからひとつの「夢」を打ち明けられた。

母校に牧が残してくれたルーザーズの指導者、ダンスの先生だ。

ふたりが卒業以来、米松先生はダンス部の指導者を探していると言っていた。軽音は米松先生自身が指導できるし、アウトドア部も今のところ趣味性が強くて指導者は必要ないが、ダンス部は文化祭に発表の場を手に入れたので、専門的な指導ができる人材が欲しかった。が、なかなか上手くいかないと聞かされていたは漠然と「自分がやるべきなのでは」と思い始めた。

ダンス部に指導者が必要なのはルーザーズが誕生したからであり、文化祭に発表の場があるからだ。それは全て牧がのために生み出し、残してくれたもの。にとっては数ヶ月の関わりしかないルーザーズだが、それを守っていくのは自分しかいないのではと思えた。

現在が大学で学んでいるのはダンスとは関係ない分野なので、卒業後にインストラクター養成学校に行かねばならないし、ということは早くてもあと4年は叶わない夢であり、海南大附属の方が先に指導者を見つけてしまうかもしれないが、目指す道として傍らにおいておきたい目標となった。

牧はまたを強く抱きしめ、がどんな夢を抱こうと1番近くで応援できるパートナーでありたいと思っていたけれど、それは自分も一緒に目指したい夢だと言った。

が自分は負け犬だなどと思わずに元気いっぱい踊っていられれば、牧はそれでいいのである。が踊りたいと思う限り、それが叶えば他に望むものもない。

こうしてふたりの「初めての喧嘩」は丸く丸くおさまることになった。

そして、3月。東京の片隅で。

「あれっ、藤真さんじゃないですか」
「おお、久し振りだな。もしかして引っ越しか?」
「ええ。もう終わりましたけど」

親の知人が所有するアパートで新生活を始める神が、引っ越しの手伝いをしてくれた親戚を送って戻ろうとしたところ、見たことのある顔が歩いてきたのでつい声をかけた。藤真が高3、神が高2の時の冬の大会以来である。

だが、神は藤真の顔を見て昨年末のことを思い出した。そういえば――

「そういえば藤真さん、牧さんとさんの件て……
「なんでそれ知ってんの」
「牧さんと喧嘩したさんが地元に帰ってきたところに鉢合わせまして」

神は神でカスタマイズ大盛りで1000円以上した抹茶ラテを奢ってもらったとは言え、の愚痴に1時間も付き合わされていた。が、その後どうなったかの報告はもちろんなく、かといってどうなりましたかなんて連絡は取りたくないし、ちょっと気になっていた。

すると藤真は盛大にため息を付き、がっくりと肩を落とした。

「あいつら……めんどくさくて……つまんねえ嫉妬で喧嘩して……
「それ以来連絡取ってないんですが、まさか」
「いや、別れてないけどさ、その仲裁に入ったオレの前で愛してるとか言い出して……
「えええ……

神は聞いたことを後悔し、藤真のように肩を落とした。先輩たちそれは……

「牧なんか社交ダンスに転向すればいいんだ。オールバックに胸筋むき出しにして顔にオイル塗って」

恨みがましく言う藤真の言葉に神はつい吹き出した。

「それはなんか聞いた気がしますよ。先輩の練習に付き合ってるって」
「え、まじか!」

あのあとふたりにどんなことがあったのかは知らないが、藤真は固く心に誓った。

「よし、今度はそれでイジろう。全力でイジってやる」

神はにこやかな表情を保ちつつ、そっとため息をついた。

なんだかんだで仲いいのかな、この人たちって。

どうでもいいけど。

END