ルーザーズ&ラバーズ

Side-M Episode extra.

自分が高校生だった感覚もだいぶ薄れて意識もしなくなり、も牧も大学1年目をそれぞれ忙しく過ごしていた。牧は当然バスケット、は競技ダンスを始め、生活環境は変わったが、どちらもやっていることはそれほど変わっていない。

ふたりとも学校の中が中心の3年間だったけれど、卒業してからはぱったりと付き合いが変わり、高校時代の友人とは疎遠になるばかりだった。だが、増える一方の「新しいこと」に埋もれてしまって寂しさは感じなかったし、微妙な遠距離恋愛だったが、ふたりの仲は良好なままだった。

米松先生ことベイマックス、通称マックスとはそこそこ頻繁に連絡を取っているが、やり取りの8割くらいが「恋バナ聞かせて~!」なので、も牧もあまり取り合わない。高校在学中も生徒の恋バナを聞きたがる先生だったが、卒業以後は話が具体的になり、自分のこともよく話すようになったので気まずい。まだちょっとマックスとそういう話はキツい。

なのでふたりが交際1年を過ぎても付き合いたてのような関係のままと知る人はほとんどいなかった。

さて、1年目のシーズンを全て終えた年末、やっと時間が取れたふたりは集中的に一緒に過ごそうと以前から計画していて、は都内の牧のアパートに転がり込んでいた。実際に会うのもほぼ1ヶ月ぶりだったので、初日は部屋にこもって出てこなかった。

そんなふたりが外に遊びに出かけたのはその翌日のことだった。

といっても高校時代と変わらず部活と勉強とで目一杯なふたりだったので、目的もなく都内をぶらぶらしていた。時期的にクリスマスが近いが、何の予定も立てていない上に、予算も厳しい。

「別に私は紳一のアパートでもいいけど」
「なんかそれも芸がない気がして」
「去年なんか私の部屋で最終的にナナコ付きだったんだから、それよりはマシ」

去年は去年で場所も予算も厳しく、の自宅で姉のナナコに乱入されながらのクリスマス・イブだった。当然お泊りなんかはなし。というかその頃はまだ体の関係はなかった。

「なんかやりたいクリスマスとかあるのか」
「というほどでもないんだけど」
「オレも別に一緒に過ごせればそれでいいよ」
「いきなりそういうこと言うのやめてもらえますか」
「えっ、オレ何か言ったか?」

ということは今年もお部屋でまったり、でもナナコに邪魔されないクリスマスかな。ふたりは繋いだ手の指を擦り合わせながらそんなことを考えてほっこりした気分になっていた。ケーキとチキンだけ用意して、あとは一日中イチャイチャ、お金のかかるクリスマスはもっと大人になってからでいいよね。

それに冬はふたりでくっつきながら過ごせるイベントが多い。クリスマスに予算を全振りしてしまうと他のイベントが貧相になるばかりだ。少なくともカウントダウン年越しと初詣はちゃんとクリアしたい。ていうかもういっそ冬休みはずっとふたりでいるっていうのはどうだろうか。

そんな、ほっこり笑顔がちょっとニヤニヤしてきたふたりがカフェの前を通り過ぎたときのことだ。店内からカップを手に肩をすくめて出てくる人物に目を留めたが「あ!」と大きな声を上げた。

「藤真くんだ!」
「えっ、あれ!? さん久し振り!」
「なんだこんなところで」

冷えた体がカフェの中で温まったのか、頬と鼻を赤くした藤真は肩をすくめたままちょいと手を上げた。手もなんだか白い。

「夜から翔陽のOB会なんだけど、早く来すぎちゃってな……
「それでそんなに白くなってたのか」
「そっちはデート? まあインカレ終わったし、ちょっと骨休めしたいよな」
「実際1ヶ月会ってなかったからな」
「えー。さん頑張ったねー」
「おい」
「それが私も部活で……
「あれ、何やってんだっけ?」
「競技ダンス」
「あー、なんかそんなこと言ってたね。てかそっか、もう1年になるのか、早いな」
「えっ、あ、それは」

無難な近況報告的な雑談だったわけだが、藤真が目を細めてそんなことを言い出したので、は焦って手を浮かせた。が、声を上げて止めればそれはそれで説明が必要になるし、クリスマスソングがやかましい雑踏の中、が止められないまま、藤真は笑顔で1年前を懐かしんだ。

さんとふたりでお前の高校最後の試合見てたんだよな、懐かしい」

それはと藤真、そして神しか知らない1年前の出来事であった。

……どういうことだそれ」
「どういうことって、えっ、さん話してなかったの」

牧の表情が曇ったので、藤真もサッと青くなる。

、ふたりで観戦してたのか?」
「牧、たまたま行き合って近況話してる内に会場に到着したからそのままってだけだ。怒るな」
「オレはに聞いてるんだよ」
「だとしてもオレが部外者でも、彼女に対してそういう威圧はやめろ」

が口を挟もうとすると藤真が間に入るので、牧の不機嫌は加速する。

「その頃は既に付き合ってたはずだが」
「会場に向かいながらその話聞いて、よかったな、ってそういう話をしてただけだ」
「だからなんでお前がしゃしゃり出てくるんだ」
「お前がさんを頭ごなしに責めようとしてるからだろ」

それは牧も図星なので彼は黙り、やっとが声を上げる。

「別に隠してたわけじゃないって。忘れてたの、そんな特別なことだと思ってなかったし」
「試合見て、お前が落ち込んでたら甘やかしてやってくれって言って、その場で別れただけだ」
……それはわかる」
「だったらそんな顔で詰め寄るなよ。さんが浮気心起こすわけないだ――

なんとか牧を宥めようとした藤真だったが、無情にも携帯が着信を報せて泣きわめき、まだ頬と鼻の赤い彼は慌てて電話に出た。どうやら待ち合わせ予定の相手からのようだ。

――すまん、オレ行かなきゃ。だけど牧、やましいことは何もないぞ。試合見て、じゃあなって別れただけ。以来1度も会ってないし、もちろん連絡先も知らん。というかお前とは何度も顔合わせてるけどさんのことなんか思い出しもしなかった。言い方悪くてすまない、さん、余計なこと言った」

話は混乱の真っ最中だが、藤真はまた着信に追い立てられて、機嫌の悪い牧とげんなりしたを置き去りにして雑踏の中に消えていった。

もう街をぶらぶらどころではないふたりはそのままアパートへ戻り、昨日散々イチャついたベッドの縁に腰掛けて向かい合った。牧は腕組み、は膝を立てて頬杖、どちらも互いの顔は見ていない。

「別に私と藤真くんが浮気的なことをしたわけじゃないのは分かるでしょ」
「それはわかるって言ってるだろ。オレが納得行かないのはなぜ隠してたかってことだ」
「だから、隠してたわけじゃないって。忘れてたの。私も思い出しもしなかった」
「だからそれもおかしいだろ。既にオレと付き合った後だったのに」

はため息をつくと、牧との距離を縮めて彼の膝に手を置いた。

「だから、冬の選抜、紳一の高校最後の試合。その後何があった? 私は藤真くんと別れた後ひとりで渋谷をウロついて、家に戻ったら紳一が帰ってこないって神くんたちが騒いでた。私も急いで探しに行って、学校で紳一を見つけて、体育館の横でいっぱいキスしたよね? てかその時初めておっぱい触ったじゃん。だから藤真くんと試合見たとかそんなこと完全に忘れてたんだってば」

高3の文化祭をきっかけに付き合い出したふたりの気持ちがさらに強くなったのがこの時だ。牧は少し落ち込んでいたし、はそれを支えたい、これからもずっと支え合っていきたいと思っていたし、キスを繰り返すうちにどんどんテンションが上ってしまい、真冬の野外だったが牧は初めての胸に触れ、寒さで我に返なければ事に及んでいたかも……というくらいには盛り上がっていた。

「藤真くんに会ったのは本当に偶然だったし、脳震盪の時以来会ってなかったからお礼も言って、海南て部活同士で確執があるんじゃなかったの、何で試合観に来たの、って言うから、実はこんなことがあって紳一と付き合ってるんだって話をして、話が終わらないからそのまま席について、試合中はずっと解説してくれて、紳一のプレイの何がどうすごいのかってこと、たくさん教えてくれて、私バスケのこと詳しくないけど最後の最後でちょっと牧紳一っていうプレイヤーのことを知ることが出来たのかなって思えた、そういう時間だっただけなんだよ」

それはの心からの本音だったわけだが、そういう時間をに与えたのは藤真であり、内容がどうでもそれを1年も知らずにいたという憤りが牧は抜けなかった。というか、付き合い始めてからというもの、大きな喧嘩もなく深刻なすれ違いもなく、むしろお互いが大好きという関係できたものだから、ショックが大きいあまり冷静になれなかった。

だが、何ひとつやましいこともなく、藤真とふたりきりで観戦したことなどすっかり忘れていたは徐々に苛立ってきた。こんなことで信頼が揺らいでしまうなら、牧の愛情は実は浅いものでしかないんじゃないのか。

「じゃあ何? 謝ればいいの? あなたのライバルと試合見てごめんなさいって言えばよかったの?」
「そういうわけじゃ……隠し事をされたのがショックなだけだ」
「だから隠してないでしょ! つまんない嫉妬で責任転嫁しないでよ!」

牧の足をピシャリと叩いたは、つい大きな声を上げた。隠してない、忘れてただけ。

「好きで付き合ってる彼女が他の男とふたりきりで嫉妬するなっていうのか」
「藤真くんは確かに隣にいたけど、その時私が見てたのは紳一だけ。大好きな人を見てたの!」
「問題はそこじゃないだろ!」
「だったら何なの!? 他の男とふたりきりってマックスなら文句言わないくせに!」
「マックスと藤真を同列に考えないだろ普通!」

喧嘩らしい喧嘩が初めてだったふたりは何か言えば言うほど自分の心が痛み、余計に怒りを膨れ上がらせ、この諍いをどう決着つけたいのかもわからなくなってきた。

はまた大きくため息をつくと、泊まり支度で大きな荷物を抱え、コートを引っ掴むと何も言わずに出ていった。

せっかく久し振りにふたりきりで過ごせると思っていたのに。

全てのことが面白くなくて、牧はつい傍らにあったゴミ箱を蹴った。転がったゴミ箱からは使用済みのコンドームを包んだティッシュのゴミが飛び出し、床に散らばった。そう、ほんの昨日までは脇目もふらずに愛し合っていたカップルだったはずなのに。

ゴミをゴミ箱に戻しつつ、牧もため息をついた。

怒りと苛立ちで鼻息が荒いは、頭から湯気が出そうな気持ちのまま地元に帰ってきた。

せっかくふたりっきりで過ごせると思ってたのに、なんなのこれ。

自分でも少し意外なほど、悲しさは感じなかった。の心を占めているのは怒りだ。おかしいでしょ、どう考えても私たちお互いのこと大好きなのに、なんでこんな下らない喧嘩してんの? てか紳一ってあんな些細なことにヘソ曲げてゴネる性格だった? 私が知らなかっただけ?

ていうか藤真くんのことなんか今日の今日まで忘れてたんですけど!!!

それほど彼氏に対して夢中になっているというのに、それが伝わっていない気がして、は余計に腹が立つ。あのバカ、昨日何回セックスしたと思ってんだ。単なる欲求の捌け口じゃなくて、自分たちは愛し合ってるよねってそういう話をしたばっかりだろうが!

急転直下の険悪ムードなので、ふたりきりの時間を惜しむ気持ちもおさまらない。は最寄り駅の改札を出ると、怒りに任せてブーツのヒールを叩きつけるように歩いて行く。まったくこんな予定外に帰宅してナナコに何を言われるやら。

そんな状態だったので、後ろから突然声をかけられたは何も考えずに大きな声を出した。

先輩じゃないですか、お久し振りで――
「あァ!?」
「ヒッ」

憤怒の表情で振り返ると、何だか見慣れた色が目に飛び込んできた。紫と黄色、懐かしの母校カラーだ。というかその母校カラーはジャージの色らしい。目の前にはこれまた見慣れた感じのジャージの胸のあたりがある。顔がない。ので上げてみたら、

「あれ、神くんじゃん!」
「お、お久し振りです、すみません……

かなり高いところに久々に見る顔があった。後輩の神だった。の怒声にビビっている。

「こっちこそ大きな声出してごめん。久し振り、元気?」
「はい、おかげさまで。オレも引退になりました」
「あっ、そっか……もうそんな時期なんだね。お疲れ、1年大変だったよね」
「いえ、今はもう納得してます。先輩たちはみんなこんな気持ちで卒業していったんだろうなって」

海南大附属は去年も今年も全国大会で優勝を果たすことなく終わった。結果だけはナナコから聞いていたのだが、今年1年チームを率いていた神を目の前にすると感慨がこみ上げる。ちらりと改札の時計を見上げるとまだ夕方のうちというところ。はそのまま神をカフェに連れ込んだ。

牧とゆっくり過ごそうと思って予算は多めに準備していて、それが2日目で中断になったので有り余っている。牧に対してはまだ怒りが収まらないし、無事に引退を迎えた後輩に気前よく奢れば少しは気が紛れるかもしれないと思った。

「いいんですかこんな、ずいぶん高くなっちゃいましたけど」
「いいの。牧とゆっくり過ごそうと思ってたけど喧嘩して帰ってきたところだから」
「えっ、け、喧嘩!?」

有料カスタマイズを好き放題乗せた抹茶ラテを啜っていた神は驚いてむせた。

「あの……先輩と牧さんて喧嘩するんですね……
「こんなガチの喧嘩は初めてだよ。実は今すっごい怒ってんの。付き合わせてごめん」
「いえ、それはいいんですけど……初めて喧嘩するってよほどのことがあったんですか」

神だけでなく、後輩たちの目にもと牧は誠実な信頼関係とお互いへの愛情が強い絆になっているカップルに見えていた。それが怒りがおさまらないほどの喧嘩とは……海南バスケ部とダンス部史上初の奇跡のカップルだというのに。神はストローを咥えたまま猫背の上目遣いでを見た。

「それが……私と藤真くんと神くんしか知らないアレがバレまして」
…………なんでしたっけ」
「だよね!? 覚えてないよね!? ほらそのくらい些細なことじゃん!!!」

テーブルに突っ伏したの腕でカップが倒れそうになったので、神は慌てて押さえる。

「あの、まったく覚えてないんですけど……
「ちょうど1年前頃、冬の選抜の決勝戦、私が藤真くんとふたりで観戦してて」
……あー! そういえばありましたね、そんなこと」

神はたまたま会場を連れ立って出ていくふたりを目撃しただけなのだが、それを「デートしてたんですか」と茶化しはしたものの、同様牧が戻らない事件の方がよほど印象が強い。

「まさかそれを責められたんですか?」
「藤真くんにバッタリ会っちゃって、本人の口からバラされてさ。私も忘れてて」
「牧さんてそんな嫉妬深いタイプでした……?」
「本人は『隠し事をされた』と思ってるみたいで。しかも相手が藤真くん」

は肩を落としてげんなりしているが、どうにも神は腑に落ちずに腕を組んだ。自分たち後輩が知るのは3月に卒業していくまでの先輩たちでしかないのだから、その後ふたりがどんな風に変化したか、あるいはプライベートでは本当はどんな人物であるか、それはわからない。けれどどうにもそれだけのことで大喧嘩するような人たちだとは思えなかった。

「隠さなければ怒らなかったんでしょうか」
「それは私もちょっと疑問」
「じゃあもし今ここにさんを追いかけてきた牧さんが来たらオレ殺されるんでしょうか」
「どうだろう、私を怒るのかもしれないよ。また自分の知り合いとふたりきりになってるって」
「でも先輩、マックスとはよくふたりで出かけてましたよね?」
「普通はマックスと同じに考えないって言われた」

まだテーブルにへばりついているはカップを引き寄せ音を立てて啜る。もしここに牧が現れたら――いやあいつは来ない。なりふり構わず私を追いかけて向き合おうとなんかしない。

「文化祭カップルの末路なんてこんなもんなのかもしれないね」
「悲観するのは早くないですか」
「でももうどうやって修復すればいいのかもわかんないもん」

普段から喧嘩しない仲良しカップルが裏目に出た。少し首を突き出した神が声を潜める。

……でもまだ牧さんのこと、好きなんですよね?」
「って何度も言ってるのにいいい」

またがばりとテーブルに倒れ込む、その首筋に小さな痣を見つけた神はこっそりため息をつきつつ、抹茶ラテを啜って口の端だけニヤリと歪めた。喧嘩し慣れないカップル、加減がわからなくてやりすぎたんだな。で、どっちも引くに引けない、と。

「何度も言ってるのに……

いやもう勝手にやって下さいよ、犬も食わないです、それ。

苦笑いの神は両手での頭を撫でた。