ルーザーズ&ラバーズ

Side-M Episode extra.

……なんで番号知ってるんだ」
「色んなところを回って。昨日のこと気になってたんだよ。大丈夫か」
「全然大丈夫じゃないし、元はと言えばお前のせいだろ」
「お前がそんな湿っぽい男だなんて知らなかったよ」

と喧嘩してしまった翌日、朝から見知らぬ番号の着信に応じてみたら藤真だったので、牧は寝癖の付いた髪をかき回しながら不機嫌な声を隠そうともせずにいた。湿っぽくて悪かったな。

「全然大丈夫じゃないって、まさか別れたとかじゃないよな」
「具体的な話は出てないけど、そうなるかもな」
「それは早計だろ。ちゃんと謝ったのか?」
「なんでオレが謝るんだ」
「ハァ!?」

湿っぽい牧が珍しいなら、藤真のこんな甲高い声も実に珍しい。牧は思わず携帯を耳から遠ざけた。

「おい牧、お前んちってどこだ」
「は?」
「は、じゃねえよ今から行くから場所教えろ!」
「なんでそんなこと」
「文句言うな。さんと別れたくないならつべこべ言わずに教えろ!」

その勢いに飲まれた牧が住所を教えると、藤真は1度だけ復唱し、さっさと電話を切った。

そしてきっかり40分で牧のアパートまでやって来た。藤真が自分の部屋にやってくるなど現実感もなかった牧は寝癖もそのまま、服だけ着替えて彼を招き入れた。藤真は昨日と同じコートにマフラーを巻き込み、また鼻を赤くしている。

「ほんとに来るか」
「お前その顔ウケる。ほれ、どうせ飯食ってないんだろ」
「食ってないけど……なんなんだ」

藤真は靴を脱ぎながら牛丼チェーンの袋を突き出した。中には大盛りと思しき牛丼がふたつ。別に彼とは友達というわけでもないし、国体が混成チームになった時は一緒に戦ったけれど、それ以外ではずっと「敵」だったのに。

牛丼の袋を手にぼんやりしている牧に構わず部屋に上がり込んだ藤真はコートを脱いで勝手に座り、今度はバッグからペットボトルを2本取り出す。仕方なく牧も座り、と食べるはずだったお菓子が乗ったままのテーブルに牛丼を置く。

藤真はペットボトルのお茶を一口飲むと、胡座の膝に手をついて牧を真正面から見つめた。

「先に言っとくわ。オレ、さんと試合観戦したこと、あれどうしてもそんな悪いことって思えない。さんに下心があるわけないこと、お前もわかってるはずだし、オレだって彼氏のいる女の子にちょっかい出してやろうなんて気持ちはこれっぽっちもなかった。てかそれわかってるよな、お前」

ぼんやり座ったままの牧に構わず牛丼を取り出して並べた藤真は、そこで少しニヤリと笑った。

「でもオレにも責任があるのはわかる。だから話せよ」
……え?」
「1年前のことだけじゃないんだろ。他にも腹に溜め込んでたことがあるから喧嘩に発展した」

箸を差し出しながらそう言う藤真に、牧はがっくりと頭を落とした。

確かにこいつは高校3年間のライバルで1番油断してはいけない相手だった。結果的に自分の方が頭ひとつ飛び出た成績を残したので、そう言う意味では彼に「勝った」という意識を持っていた。しかし100パーセント選手として全力で戦ってきた自分と違い、藤真は同じように選手をやりながら監督という責任も背負ってきた。その「経験」を強く感じさせる藤真の視線に、牧はのろのろと箸を受け取る。

こいつはこうやって仲間の心の中にまで目を配って来たんだろうな。脱落していく仲間を引き止めて悩みを聞いてあげるなんてことをやって来なかったオレには、こんな目は出来ない。抱え込んでいるものをブチ撒けてもいいのかもしれない、なんて思わせる目はまだ出来そうにない。

目の前にはまだ湯気の立つ大盛りの牛丼。

「お前、嫌なやつだな。知ってたけど」
「気にすんな、オレもお前のこと嫌なやつだと思ってるから」

「つまんねえ嫉妬だってのはわかってるけど、しょうがないだろ。しかもお前」
「まあそれはわかる。オレもお前が一番嫌だ」
「だったら――
「だとしてもそれを彼女に当たり散らすのは理解出来ないぞ。オレはそれは絶対やらん」

顔でモテてるやつは言うことが違うなと思いながら、牧はタマネギを箸で突っつく。

「当たり散らしたってほどじゃない。がキレて出て行っただけだ」
「ちゃんと話し合ったのか?」
……ていうほどでも。怒ってたし」
「どっちが?」
「どっちも」

藤真が口の端にご飯粒を付け、ため息と同時に肩を落とすだけでもイラッと来る――が、一応話を聞いてくれているのだし、牧はあまり直視しないようにして箸を置く。礼儀と思って食べ始めたが、寝起きだし、との喧嘩のせいであまり食欲もない。

「でもさ、もし直後にオレと試合観戦したって聞いても怒ったんじゃないか、結局」
「かもしれない」
「だけど、もしそれがオレじゃなくて後輩の神とか清田だったら?」
「それは……怒らないだろうな」
「高砂」
「別に」
「武藤」
「特には」
「高頭監督」
「ない」
「マックス」
「むしろ安心」
「陵南の仙道」
「許さない」

藤真は箸を持った手で口元を押さえて吹き出した。

「ちょ、おま、それ」
「えっ、なんでだ……?」
「じゃ、じゃあええと、湘北いこうか、三井」
「絶対怒る」
「桜木」
「それはそうでも……
「流川」
「それはダメ」
「嘘だろお前面白すぎるんだけど」

大声で笑いたいのを必死で我慢している藤真は涙目だ。だが牧の方も一部の人間にだけ不快感を感じるということに驚いていた。なんでだ。

「まあだから、要するにさんが『恋愛対象になり得る男として見るかもしれない』相手だったら腹が立つんだな、お前。流川がダメで桜木はOKなのは、あいつちょっと子供っぽいからかもな。清田と同じ感じ。海南の連中が大丈夫なのも、信頼してるからってことかも」

すぐに納得できる説明ではなかったけれど、否定するところもなくて牧は黙った。すると涙目になりながら笑っていた藤真は突然冷たい表情になって目を細め、指を差した。

「だけどさんのことは信頼してない、と」
「そん……
「そんなことないのか? 相手によってはさんが心変わりするかもって思うんだろ」
「そういうことじゃ……ちょっかい出してきそうとか、そういうのも」
「ちょっかい出されたらさんはきっぱりと拒絶すると思うけど。それが出来る人だろ」

高3の夏、落ちこぼれ部と蔑まれていたダンス部で戦っていたは確かに、それが出来る人物だ。そして藤真もその様をしっかり目撃している。は1年以上前から強い女性だった。牧はまた黙る。

「てかさんがそんなフラフラと他の男になびくとは思えないんだけど……あんなに真っ直ぐな人が」
「別にそれは疑ってない」
「じゃあ何が問題なんだよ。昨日だってデートしてたじゃん。手繋いで。その前はこれなんだろ」

藤真は呆れたような半目でテーブルの上のお菓子に紛れていたコンドームを指差した。居た堪れない牧が手を伸ばしてじゃがりこで隠したが無意味だ。それは事実。付き合って1年以上が経つが、も牧もお互いが大好き、たまにしか会えなくても相手のことをいつも想っている。

……そんなに頻繁に会えるわけでも、ないからな」
「あっ、そうか。さん地元か。んー、まあそれは多少同情しないでもない」
「その地元で何やってるかと言えば競技ダンスだしな」
「競技ダンス……あのさ、それって社交ダンスのことだよな?」
「そう」
「男女ペアじゃなきゃダメっていう」
「そう」
「なんか衣装とか際どくて」
「そう」
「お前の嫉妬の根源、それじゃないの」

牧はまたがくりと頭を落とす。それは薄々気付いていた。

「それは確かに嫉妬、ってかやだなと思うのはわかるわ」
「まだ始めたばかりだから固定の相手がいるわけじゃないし、練習は女ともしてるって言うんだけど」
「でも男女混合のサークルなんだろ」
「でも人数少なくてインカレサークルになるかもって話が」
「最悪」

ふたりの喧嘩には責任があると思っていた藤真だが、牧の湿っぽいくてくだらない嫉妬のそもそもの出発点には同情せざるをえない。しかもこれがさらに問題なのは、

「でも楽しそうに活き活きと踊ってるさんにダンスやめてほしいなんて言えないもんな」

だから牧の中に少しずつ蓄積していたストレスだったのだ。が楽しそうに踊っている姿は牧が何より望んでいるものでもある。そのためにひとり行動を起こし、海南大附属の悪しき習慣を断ち切り、母校に偉大な足跡を残した。それは全てが思い切り踊れるようにするためだった。

なので競技ダンスに興味が出てしまったのは牧にとって不運としか言いようがない。練習に付き合ってと言われれば恥ずかしいけれど付き合うし、懸命に練習に励むを見ているのは今でもやっぱり好きだ。真剣だけれど喜びに輝く彼女の瞳を見ていると幸せな気持ちになれる。だがその結果自分以外の男と体を密着させて踊り、種目によっては男女の熱く激しい情愛とかなんとかを表現しなければならない――というのはどうしても心から納得出来ていなかった。

「それはわかる。オレも彼女がそんな状態だったらしんどい」
「普段どれだけ仲が良くても微妙な遠距離だし、今頃部活でと思うと気が滅入る」
「それ言ってみたことあるか?」
「まさか」
「正直な気持ちなんだってことは伝えてもさん怒らないんじゃないかなあ……

藤真にとってという人物は、体育館の使用権を不当に奪われたことに腹を立て、国体の神奈川代表選手に向かって「IHだか何だか知らないけど、偉そうに。何様のつもりよ」と言い放った剛の者である。監督にも先生にも躊躇なく自分の意見を申し述べ、生徒を部活の成績で差別するなという姿勢を崩さなかった人だ。あるいは牧の愛情ゆえの嫉妬には一定の理解が得られるのではと思うのだが……

「それもこれも今回の件で台無しだけどな」
「なんでだ」
さんの言い分も聞かずに責め立てて歩み寄ろうともしなかったくせに」

それも一応自覚があるので、牧はベッドに寄りかかってのけぞった。もうどうすればいいかわからん。

「それで、結局どうなんだ」
「なにが」
「このまま喧嘩別れで終わってもいいのか?」
「まさか」
「別れたくないのか?」
「それは、まあ、そう」
「はっきりしろよ神奈川の帝王の名が泣くぞ」
「オレが名乗ったわけじゃない」

牛丼を平らげた藤真は、お茶を流し込むと背筋を伸ばしてテーブルに両肘を付いた。優しげな表情に見えるが、藤真のこの目を牧は知っている。試合開始の時の目だ。これからジャンプボール、そんな時の目だ。勢い牧も体を起こして背筋を伸ばした。

「確認しとく。ふざけてるんじゃなくて、マジでさんのこと好きなんだよな?」
……ああ」
「そしたら、仲直りするためにちゃんと、怒らずに向き合えるよな?」
……ああ」
「オレが間に入るから、早めに仲直りして、クリスマスと年末、予定通りにやれよ」
……すまん」

おかしい。藤真は友達なんかではないというのに、一体なんでこんなことになってるんだ。牧はもうそんな気持ちでいっぱいだったのだが、それでもと仲直りをして、ぼんやりと思い描いていたふたりきりの年末年始を取り戻せるなら、もう藤真でもなんでもいい……と思えてきた。

湿っぽい嫉妬だったかもしれないが、腹が据わればもうグズグズ言わないのがトッププレイヤーだろうか、牧はペコリと頭を下げると、すっかり冷めてしまった牛丼に手を付けた。腹が減っては戦はできぬ。藤真もホッとしたのか、姿勢を崩してゆるりと微笑む。

「試合見てる間も、さんお前に夢中だったよ」
……そうか」
「お前のダメなとこを解説したかったけど、出来なかった。それくらいお前に惚れてんだよ」

それは慰めではなくて藤真の正直な記憶だった。あの日脳震盪を起こして3年間の努力を棒に振りそうになっていたには自分を重ねてしまうところがあったし、だからこそ元気そうな彼女を見て安心したし、牧と付き合っていると聞いて驚いたが、それも嬉しかった。さんよかったな、幸せそうで。そう思えばこそ、嬉しくなってココアまで奢ってしまっただけの話だ。

藤真にとっては自分と同じつらい経験をした同士のようなもので、だからこそそれが彼氏と喧嘩しているなど見過ごせなかった。他の女の子なら関わる気もなかっただろうが、そう言う意味ではは特別なので。自分がそうであれるように、にも有意義な日々を過ごしてほしいから。

「お前もそうなんだろ。こんなしょげてるところ見たくなかったよ」
「オレも生まれて初めてだよ、こんなの」
「そんなに好きなんか」
「まあそう、だな。結婚考えてるし」
「ははは、そう――結婚!?」
「今すぐの話じゃないぞ。将来の展望としての話だ」

それはわかるがそこまでとは思っていなかった藤真はテーブルから肘を落とし、ぽかんと口を開けた。

……いやお前さん大好きだな!?