七姫物語 * 姫×側近見習

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の「遠足」以来、ふたりの関係は目に見えてギクシャク――することもなく、自称外面のいいとかつてはカードキングだった木暮はまるでそれまでと同じように日々を過ごしていた。の部屋でふたりで勉強をし、ダンスの練習をし、ただの王女としての修行だけがじわじわと積み重ねられていくだけだった。

勉強は面白くなくても、例えば時事問題なら国王である父親と日常的に話をするなど、机から離れてもそういう習慣ができてくると、自ずともっと広く知識は蓄積されていく。仮にも王女なので国王のところへやってくる使者との謁見に同席しても問題はないから、そういうところでもが王女から王妃になるための勉強はできる。

元々マナー系の授業は木暮の担当外だ。なぜそれが必要なのかを根気よくに覚えさせていただけで、彼がテーブルマナーや会話術を教えていたわけじゃない。なので、そろそろ木暮の教えることがなくなりつつあった。

国王の言う「輿入れさせても大丈夫」な状態になって来たというわけだ。

元々間に合うように時間割を組んでいたとはいえ、が順調な成長を見せるとともに、木暮には期限が迫っていた。見習としての留学を終え、故郷に帰る。それほど遠い国ではないが、途中船旅を3日ほど挟む距離だ。

もちろんはそれをわかっているけれど、あからさまに名残を惜しんだりはしない。むしろ木暮が故郷に帰ることについて少し大袈裟なくらいに寂しがったのは城の人々である。この城で側近になればいいのに、お国はうちより大きな国でしょう、こっちの国の方がのんびりしてて楽しいよ。

木暮の今後はともかく、一応留学生なので一度は帰らなければならない。それに木暮は故郷で職を得られるかどうか決まったわけでないし、場合によってはまたどこか別の国へ奉公へ出されてしまうかもしれない。それは木暮自身が決めることではないので、惜しむ声には素直に感謝しつつも困った顔をしていた。

「何か口添えがほしい時はいつでも言いなさい」
「何から何までありがとうございます」
「ずいぶん長いことこの城にいたからな、私も寂しいよ」

顔を綻ばせる国王に向かって木暮は深々と頭を下げていた。木暮は明日にも故郷へ帰る。

「だけどまあ、見習の方は充分すぎるほどだったし、それはここにちゃんと書いておいたからな」
「皆様のお陰です」
……心残りはないかい」
「はい、ありません」

遠慮がちに聞いてみた国王だったが、木暮は間髪入れずにきっぱりと返した。普段からよろず生活が真面目な彼のこと、引越支度はとっくに終わっているし、元から余計なものは持たなかったし、もう不要になってしまったけれどまだ使えるようなものは全て人にあげてしまった。もうこれでいつでも帰郷できる。

も寂しがるだろう。あれは本当に世話になった」
……やむなくとは言え、王女様に大変な失礼の数々、どうぞお許し下さい」
「そんなこと誰も思ってないよ。友達らしい友達もいない子だから、楽しかったはずだ」

木暮がそれ以上答えないので、国王はそのまま下がらせた。彼の故郷は行き来をするのに片道何ヶ月もかかるような遠い国ではない。しかし毎日一緒にいたのが急にいなくなると、それはけっこうつらいものなんだがな――と既に連れ合いを亡くしている彼は思い、静かに息を吐いた。

教育係として朝から日没まではの部屋に出入りしてもよいことになっていた木暮だが、日没から朝一番の鐘が鳴るまではの私室がある棟にも入ることは許されていない。それは出発の前日でも同じだ。なので、と木暮はふたりきりで別れの言葉を交わすことなく、当日の朝を迎えた。

「道中気を付けて。ここは第二の故郷と心得なさい」
「はい、ありがとうございます。陛下、この御恩は決して忘れません」
「木暮、大変お世話になりました。お体をお大事に」
「はい、王女様もどうぞお元気で」

たったそれだけの別れの言葉だった。木暮は城を馬車で出て、乗り継ぎの馬を出している町からまた馬に乗り、そこから2日ほどで到着できる港から船出する。城のバルコニーで木暮の乗った馬車を見送っていた父と娘は、優しく吹く風に髪をそよがせていた。木暮の乗った馬車がどんどん遠ざかる。

「寂しくなるなあ」
「てか木暮がいなくなっちゃったら私の勉強どうなるの」
……もう勉強はしなくてもいいんじゃないかって言ってたよ」
「えっ、ほんとに!?」

もう自分が教えることは何も――木暮はそう言って頭を下げた。

「まあ、時事問題とか会話術とか、そういうのは続けてもらうけどな」
「それは構わないけど……そか、私もう勉強いらないのか」
「したければしてもいいよ」
「うーん、やりたいと思う学問がない」

父と一緒になってへらへら笑いつつも、はバルコニーに腕をついて顔を背けた。

……私、政略結婚するの?」
「したければしてもいいよ」
「何それ」

父親の声があんまり普通のトーンなので、の顔がぐりんと元に戻る。父は微笑んでいる。

「今はにどこかに嫁に行ってもらわなきゃならないような状態でもないしね」
……じゃあそういう状態になるまで待機?」
「待機って」
……私、臭くて意地悪な人はやだ」
……うん」

もう殆ど見えなくなってしまった木暮の馬車が走り去った方向を見つめながら、は髪を払う。

「優しい人がいい。怒って大声で怒鳴ったりしない人がいい」
「そうだな」
……わがまま言わないから、パパ、それだけお願い」

俯いてしまった娘の頭を撫でると、国王はしっかりと頷く。

「大丈夫、いつか素敵な王子様が迎えに来るよ」

城の人々に愛された見習がいなくなってしまってから10ヶ月が過ぎた。

見習がいた頃はわがままでガサツな「面倒くさい姫」だっただが、最近では城下に下りる機会も増えて、主に市井の女性との交流が盛んに行われている。また、多少落ち着いたとはいえ元が暴れん坊の気があるであるから、特に配偶者などから暴力を受けた女性の保護に努めており、暴力夫相手に乱闘になることもしばしば。

ついでに湖の町の町長との交流が地味に続いており、その縁で国内地域ごとの食品産業に首を突っ込み始めた。特産品を城下に集めて品評会を行ったり、普段交流のない地域の商人たちに商談をさせてみたり。

一体あの勉強大嫌い、木暮に叱られてばかりの姫は何だったんだ。

だが、こうした取り組みができるのは木暮の教育の賜である。木暮が去った後に城で開催されたささやかな舞踏会では来客ときちんと踊ってみせ、マダムを感涙させていた。まだ国王と一緒でなければならないとはいえ、そういう来客と世間話をすることも出来た。木暮の言うように、物怖じしないので本番でも失敗しない。

こうなるともついに「立派な王女」である。

大臣や国王の側近たちは口を揃えて舞踏会を増やしましょうと言い出した。方々の王侯貴族を招いて王女をお披露目し、出来るだけ良い条件の所に嫁げるようにしましょう! それはが王女である以上、義務に等しい。国益になるような縁組を実現させ、黙って嫁いで立派に跡継ぎを産み、王妃として生を全うしなければならない。

はそれに逆らう気はなかった。ただどうかお願い、優しい人でありますように――

自分の縁談で国の中枢が盛り上がっていることに気付いていただが、口も挟まず意見も言わず、また文句も言わないで日々を送っていた。仲良くなった城下の女の子たちは見ず知らずの相手のところに嫁がねばならないを哀れんで、城下に気に入った男の子がいたらいつでもこっそり遊ばせてあげると息巻いていた。

そうして木暮がいなくなってから10ヶ月ほどが過ぎたある日のこと。城下も城内も朝からやけに騒がしいのでは寝起きの頭をポンポン叩きながら部屋を出て、まずは父親に朝の挨拶をしに行った――ら、いなかった。

おろおろしている側近を捕まえると、何やら突然の大人数の来客の報せがあって城下城内てんてこ舞いなのだという。確かに昨夜までは来客の予定はなかった。というかほぼ約束なしだというのに大人数で押しかけてくるとはどういう了見だ。つい2日前にも女房子供を殴って酒を飲んでいた鍛冶屋を鉄拳制裁してしまったはふんと鼻を鳴らした。

……というか輿入れ先を逸るあまり、なんか適当なこと言ってその気にさせちゃったんじゃないだろうな。

その可能性に気付いたは城内を駆け抜けて父親を探した。すぐにその後姿を見つけたのだが、彼は城の使用人たちと一緒になって城壁前の掃除をしていた。枯れ葉やら小枝やらが溜まっていたからである。

「パ……父上、何やってるんですか」
「おお、ちょっと大変なお客様が来るから急いで身支度をしてきなさい。正装だよ」
「今からですか!?」
「着付けの子たちを集めるように言ってあるから、早く衣装室に行って、ほら早く!」

追い立てられたは城の衣装室に駆け込むと、この国での正装であるドレスに着替えさせられて、髪を整えて髪飾りまでくっつけられてしまった。一体何なの。

「姫、いつの間に王子様に見初められたのですか」
「そんな覚えないんだけど」
「だけどどこかの王子様が家臣たちを大勢連れて来るって噂ですよ」
「どこのバカだそれ」

衣装室の女の子たちはきゃいきゃいと盛り上がっているが、には全く心当たりがなくて首を傾げるばかりだ。だが、どこかの強引なバカ王子が押しかけてくることだってないとは言えないだろう。もしかしたら大群で押しかけてきて威圧した上で結婚を強要されるのかもしれない。はこっそりため息を付いて肩を落とした。

とうとう来たか。私は誰だかよく知らないような人の元へ嫁に行くのか。

それが現実として迫っていることを実感してから、は結婚生活で苦労している女性の救済に傾倒し始めた。自分は幸せな結婚はできそうにないから、せめて自分の国の女の子たちには幸せになって欲しかった。彼女たちを傷付ける男が許せなくて、鉄拳制裁を繰り返しては父親に嫌味を言われ続けてきた。

覚悟はしている。後悔はない。

――いや、ひとつだけあった。あの日、馬上で木暮に抱き締められた時、彼にキスしたいと思ったのだ。勝手にしても怒られないだろうと思った。体を捻って顔を後ろに向けて、もう少し首を伸ばしたらキスできるはずだった。だけど、どうしても出来なかった。誰も見てなかった、誰もいなかった、木暮の方から抱き締めてきた。キスくらい、出来たはずだった。

だけど、ほんのちょっとでもキスしてしまったら、見ず知らずの人のところへ嫁ぐ覚悟が出来ない気がしたから。

しかし木暮は国に帰ってしまったし、その後の消息は一切報せてこなかった。せめてどこの国に落ち着いたのかくらい連絡寄越せよと思ったが、居場所がわからない以上どうにもならなかった。

すっかり支度が終わったはドレスを引きずって衣装室を出ると、また父親を探した。着替えたけどどこでどうすればいいのかくらい言ってよもう! そうしてウロウロしていたが、まだ城壁の外にいるというのでは早足で城門に向かった。すっかり外はきれいになっていて、城門前の広い階段には赤いカーペットが敷かれている。

「ちょっとパパ、何事よ」
「おー! きれいきれい。この間までピンクのリボンが似合う女の子だったのに、すっかり大人の女性になったね」
「はあ?」
「ママによく似てるよ。ママと結婚した時のことを思い出すなあ」
……パパ、私どこに嫁に行かされるの。いつから決まってたの」

どうせしなければならない諦めならさっさとしてしまいたかった。だが、国王は柔らかく微笑むとの背を支えて城門前の階段を一段降りる。城内の人々は城門の周囲や階段の両脇に控えて膝をつき、頭を垂れる。が首を巡らすと、やたらと豪華な備えの一団が城下町の中央通りを進んでくるところだった。

楽団に騎士団、馬車に馬、ざっと見ただけでも300人以上はいるだろうか。

一体どこのバカ王子よ……。どんだけ見栄っ張りなの。

呆れるだったが、やがて城の前の広場に先頭が到着すると、騎士団が左右に開いていく。それを合図には父親に背を押されて階段を下りていく。そして下から3段目あたりで止まると、国王はより一段上がって待つ。どこの誰だか知らないけどようこそいらっしゃいました。

そんな風にが気持ちを切り替えたその時だった。

左右に開いた騎士団がずらりと並ぶと、その真ん中から金色の馬が現れた。あちらこちらから感嘆のため息が漏れる。陽の光に眩しいほど輝くアハルテケ、あまりに美しいその馬はの目の前で止まると横を向いた。そして、アハルテケに乗っていた人物が音もなく降りてくる。白い服に深い臙脂のマント、風に翻る赤がの目に突き刺さる。

その人物は振り返りざまに膝をつき、と国王に向かって頭を下げた。

……よういらしてくれた」
「突然のお願いを聞き入れて下さってありがとうございます」
「何、少々掃除をしたくらいだ。ところで用向きはなんだろうか」

震える両手でドレスをぎゅっと掴んでいたの目の前で、その人物は顔を上げて優しく微笑んだ。

「王女様を頂戴したいのです。どうかこの見習いに様を下さりませ」

木暮だった。思わず両手で口元を覆ったはボタボタと涙を零しながら、ゆっくりと立ち上がる木暮をずっと見つめていた。一体何なんだこれは。なぜ見習がアハルテケに乗ってこんなところにいるんだ。

様、隠していてすみませんでした。ええと、私、一応王子なんです」
「お、おう、じ……? パパ? みな、見習」
「つまりその、王子は王子でも、6番目なんです」

木暮は恥ずかしそうに頬を指でほりほりと掻く。その手は茶の革手袋だ。見習の時と違って髪は整えられているし、真っ白な上下に深い臙脂のマントはが夢見た王子様そのもの。

「彼の父と私は昔馴染みでね。羨ましいことに、ここんちは王子ばっかり12人もいるんだよ」
「だからその、世継ぎにはなれないので兄の側近になろうと思ったわけです」
「だけど学院は優秀な成績で出ているし、側近なんかもったいないと言ったんだけど聞かなくてな」
……自分が相応しい人間だとは思えなくて」
「という割にはものすごい王子様じゃないか。どういう心境の変化だ?」

困り顔で微笑む木暮は国王の前に進み出ると頭を下げる。

様を頂くためにはこの立場を使うしかありませんでした。お許し頂けないでしょうか」
「うん、君の父上とは古い仲だし、君も本当に王子だしそれは歓迎したいところだ。だがね」

国王はちらりと父親の顔を覗かせてを一瞥すると、オホンと咳払いをした。国王の意思はさておき、大臣たちはを外へ嫁がせたがってあれこれ画策していたが、何しろ一人娘、には従兄弟もいない。お父さんはを嫁に出した後に来るであろう後継者問題を考えると頭が痛かったし、できればただひとりの家族である娘を遠くにやりたくなかった。

「ご存知の通り我が国には世継ぎがいなくてな。いるのはこの姫ひとりだ。持っていかれると、ちょっと困る」
……はい」
「あとこれもよく知っておろうが、城の者どもは君のことが大好きだ。さて、どうしたらいいだろうな」
…………覚悟をして参りました」
「そうか! その言葉を待っていたのだ! 許そう、私の娘の夫となるがいい」

ポカンとした顔で父親と木暮をキョロキョロと見ていたは首を傾げる。何の話してんのふたりとも。

「姫、陛下のお許しを頂いたので改めて申し上げます。私の妻になって下さいませんか」
「なんで10ヶ月も音信不通だったの?」
「えっ!? それはその、金色のアハルテケが手に入らなくて」
……覚悟って何?」
……あなたを貰っていくのではなくて、私が婿になるんです」
「それが覚悟なの?」
「ちょっとは考えて下さいよ、あなたと結婚してこの国にいて、陛下がいつか旅立たれたらどうなりますか」

小さくてのんびりした国でもは王女でその父親は君主国王である。その夫はいずれその後を継ぐことになる。自分の上には5人も兄がいるし下には6人も弟がいるし、その中で兄弟たちを押し退けて上に上がろうとまでは思わなかった。だから側近にでもなろうかと思ったのに、ひとっ飛びに次期王位継承者である。

世継ぎはいないし一人娘だし、さてどうしようと考えていた国王はウキウキだ。願ったり叶ったり。いやあ、木暮の父親に「どうもうちの娘と君んとこの六男が恋に落ちたみたいでさ」と手紙で突っついておいた甲斐があったというものだ。娘は国に残るしよく働く婿は来るし、お父さんは嬉しくて声を張り上げる。

「我が娘の伴侶となる者が、そしていずれこの国を治める者が現れたぞ! 皆の者、そのように心得よ!」

城門前広場に詰めかけていた人々が一斉に膝をついて頭を垂れた。木暮はの両手を取る。

、夢見た通りの王子様だと思うんだけど、どうかな」

取られた手を振り払ったは飛び上がって抱きつき、そのままキスをした。頭を垂れていた人々は大歓声を上げ、木暮の引き連れてきた楽団が音楽を奏で、そして騎士団の掲げる剣が陽の光に煌めく。城壁の上からはと木暮をよく知る城の者たちが花びらを風に乗せてばら撒いた。

木暮はを抱き上げ、神々しい輝きを放つアハルテケに乗せると自分も跨る。名馬は幅の広い階段を一歩ずつゆっくりと登っていく。風に乗る花びら、人々の歓声の中をふたりは城の中へ入っていく。いつかのように背中に木暮の体温を感じたは少し振り返って囁く。

……私、前ほどあの言葉、嫌いじゃない」
「あの言葉?」
「そうしてみんな幸せに暮らしました、めでたしめでたし」

は木暮の腕を抱き締めながら大きく息を吸い込む。あれは結末を投げているのでも雑に締めているわけでもない。これからも続く物語がそうであるようにと願う心、そして決意の言葉だ。

「そういう風に、なろうね」
「仰せのままに、王女様」

めでたしめでたし、おしまい