七姫物語 * 姫×側近見習

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全力で遊ぶ気でいただが、男装のような服はいかんと怒られてしまった。王家の私有地ならともかく湖の町は普通に国民生活がある場所で、人の目に付くところでただでさえがさつな姫が男装で釣りだの乗馬だの、とんでもないというわけだ。だがロングワンピースとブーツで出来る範囲なら遊んできてもよろしいと許可が下りた。

というかお父さんも行きたいと国王は思っていたようだが、木暮に断られた上に仕事だった。

「で、何で馬車なの~」
「一応道中は馬車で移動せよとのことです。不埒な輩がいないとも限りませんから」
「てか今もふたりしかいないじゃん、いいよそんな敬語使わなくたって」
「あれは姫のお部屋でお勉強の時だけです」
「せっかく遊びに来てるのにつまんないじゃん」

はふたりしかいないと言うが、それは馬車の中だからであって、外には御者がふたりいるし、湖の町にも姫の到着を待つ町長がいるし、厳密にはふたりきりではない。の部屋と違って人の耳がある以上、木暮はこの態度を崩す気はない。側近見習が姫とお友達感覚ばかりになってしまったら本末転倒である。

城から湖の町までは2時間ほどの道のり。長く使われている街道を行くので早く安全に移動できるが、その分目につきやすいので騎乗での移動は危険と判断された。これはが王女である以上仕方ない。贅沢な宝飾品などひとつも着けていないが、着けていると思われるのが王族だ。

早朝の出発だったので、は馬車の中で朝食を取りながら湖の町まで向かった。

「姫、こちらの町の起源は?」
……建国より数十年の後に当初は隠居した王族の保養地として開拓、使用人が周囲に居を構えるにいたり町として発展、やがて城から近いことで保養地としての人気が衰え、使用人の子孫だけが残った今では湖に生息する淡水魚の養殖など漁業と水産加工業が中心の小さな町になっています」
「はい結構」
「遊びに来たんでしょもー」

いきなり町の概要を求められたは不機嫌そうに顔をしかめたが、木暮の指導のおかげかスラスラと言うことが出来たし、頭を撫でて褒めてもらえたのでちょっと口元が緩んでいる。出迎えた町長と御者ふたりも笑いを噛み殺している。

「姫、街の皆さんがお弁当を作ってくださったそうなので、昼食に頂きましょう」
「えっ、お弁当!?」
「はい、この湖で取れる魚を使いました。お口に合うとよろしいのですが」
「もちろんです町長、姫は本当に美味いものに目がなくて。それしか楽しみがないといいますか」
「ちょっと言い方!!!」

とうとう我慢できずに町長は下を向いてブホッと吹き出した。城から王女が遊びに来ると聞いて緊張していたようだが、すっかり緩んだ。湖に隣接した町から湖を少し回ったところに草原があるというので、はそこを目指す。馬に乗るためだ。乗馬は落馬の危険を考えて地面が固い場所ではダメ、とこちらも釘を差されている。

なのでまた馬車移動の一行は昼前には小さな花が風に揺れる美しい草原にやって来た。湖に向かって少しだけ傾斜があり、山から吹き降ろす風が可憐な小花をちらちらと揺らしている。

は馬車を降りるなり歓声を上げて駆け出し、地面にゴロゴロと転がってバタついている。

「姫!!! スカート!!!」
「まあまあ木暮様、誰も見てないんですから。それじゃ昼食後にお迎えに上がります」
「すみません……よろしくお願いします……

本日の御者のひとりはこの町の出身である。なのでがここで遊んでいる間、御者ふたりは彼の実家で好きに過ごしてきてよいということになっていた。の相手は木暮ひとりで充分、というか木暮以外に人がいてもあまり役に立たないので遊んできていいよということだ。

草原をゴロゴロ転がるは木暮に怒られてもどこ吹く風、今日は乗馬のためにスカートの中に強化済みのドロワーのようなものを穿き込んでいるので、スカートが捲れても素足は出てこない。だから恥ずかしくないもん。

落ちてしまったの帽子を拾ってきた木暮は、傍らに立って湖を眺めている。風が水面を揺らして吹き抜けていく。

「誰も見てないとはいえ、どうなんですかそれ。王子様逃げますよ」
「そんな冷たい王子様やだ」
「冷たいとかいう問題ですか。まだまだ女性はそういうことダメっていう人は多いんですよ」
「ねえねえ、もう誰もいないけど」
「ああ、そうか」

御者のふたりは町に戻ったし、今日は町長の計らいでこの辺りに人の立ち入りを禁止にしてもらっている。その上安全上の理由で少し離れた街道を通行止め・迂回路への誘導をしてもらっているので、人的な危険はほぼない。あるとすれば動物的な危険だが、普段は街道に人馬の通りが多いので滅多なことでは出てこないとのこと。

「何して遊ぶんだ」
「えーとね、馬乗るでしょ、釣りするでしょ、あとトランプしようと思って持ってきた」
「トランプ……城でも出来るのに」
「こーいうところでやるから面白いんだよ」

にやりと笑ったは体を起こすと草を払い、木暮の持ってきてくれたバスケットに手を突っ込んだ。

「一勝負しようぜ兄ちゃん」
「オレだからいいけど、ほんとにそういう言葉遣いは気をつけろよ」
「私外面はいい方だと思うんだよね~」

呆れつつも木暮はカード勝負に付き合うことにした。かけるのはのおやつである飴玉。半分ずつ取り分けたところで開始。賭け事という点はともかく、まあ相手はなので木暮は気楽に考えて勝負に出た。カードゲーム好きな王族貴族もいるだろう、も覚えておいて損はない。

――と思っていた木暮だが、気付くと飴玉がなくなっていた。えっ?

「ちょちょちょ、一体これはどういう……
「どういうって、木暮の負け、私の勝ち」
「それはわかる。てか何でこんなに強いんだ」
「強い? 木暮が弱いんじゃないの」

そんなわけあるか。学院にいる頃、寮で一番強かったんだオレは! 運や引きの強さはともかく、木暮は何しろ顔に出ないプレイヤーであった。黙っていると穏やかで優しげな彼の顔はその下に何が潜んでいるのかまったく読めないと評判で、自称10年以上無敗の寮監のカードクイーンを破ったとして今も寮に名が残っているというのに。

しかしの勉強をつきっきりで見ている木暮には、のプレイに高度な駆け引きだの計算だのはまったく見えない。つまりそれは強烈に「運がいい」ということなのでは――

……、もう一勝負しよう」
「いいよ~!」

運だけなら、いずれ尽きるはずだ。改めて飴玉を分ける。数十分後。

「やっぱり木暮弱いんじゃないの」
…………もうそれでいいです」

木暮、相手に1勝28敗1分け。見るも無残な惨敗である。ただ、この勝負強さはもしかするとものすごい宣伝材料になるのでは……という気がしてきた木暮は少し持ち直した。王子様と結婚するのはいいが、場合によっては戦好きな王子様ということも有り得る。勝負に強い王妃として験担ぎ的に珍重してくれるかもしれない。

「勝ちっぱなしもそれはそれで面白くないね」
……オレにもそんなことを言っていた時期がありました」
「釣りは最後にするの? 釣れたら持って帰るんだからそうだよね?」
「ああそうそう。もし釣れなければ少し譲ってくれるそうだよ」
「私が釣ったことにしようっと」

釣れたら持ち帰れるように加工してあげますよ、と言ってもらっているが、どうせ釣れないだろうと木暮は高をくくっていた。だがこの強運ではそれも怪しい。帰り道も長いので傷まないよう既に加工されきっているものを譲ってもらえればと考えていた木暮はどうしたものかと腕を組んだ。

「じゃあ馬乗る!」
「そうだな。乗ったら昼食にしようか。あいつも少し退屈してくる頃だろうし」

「あいつ」はもう一人の御者が乗って連れてきてくれたの馬である。しょっちゅう乗れないのでそれほど仲が良いわけではないのだが、優秀な馬で、の言うこともよく聞いてくれる。うきうきと鞍に跨がり、は草原を駈け出した。馬の方は状況をわきまえているので適度な早さで軽快に駆けて行く。

草原を吹き渡る風にの髪がそよぎ、馬のたてがみと一緒に陽の光に煌めく。この国では、こうして髪をなびかせていられるのは未婚の間だけ。基本的には平民でも結婚したら人前で髪を解いてはならないことになっている。それが嗜み。

学院にいる頃、歴史とともに宮中においては食事のマナーと同じくらい重要になる服飾史を学んでいた木暮は、そのしきたりを「めんどくさいな」と思っていた。平民でもきっちり髪をまとめていなきゃならないなんて、無意味な習慣だと思っていた。しかし今、その理由がわかった。髪をなびかせるがとても美しく見えたからだ。

確かにこれは危険だ。というか未婚でもまとめておいた方がいいんじゃないのか。

しかしそこで、なびかせておいてどこかの王子様の目に止まってくれないと困るのだということに考えが至った木暮は途端に恥ずかしくなって、つい顔を逸らした。の髪をまとめてしまって隠しておきたいと思ったのと同じことだったのではないだろうか。隠しておいてどうするつもりなんだ。いつまでも姫のままでいさせる方が可哀想だろうが。

それでもこの自由になびく髪は天真爛漫なを象徴しているようで、それをガチガチにまとめてしまうのはそれもやっぱり可哀想な気がした。いつでもこうしてなびく髪のように伸びやかなのままでいてくれたら――

足元の小さな花を見下ろしていた木暮がそんなことを考えていた時だった。背後での甲高い声が上がり、一瞬で全身が冷たくなった木暮は勢いよく振り返った。馬が言うことを聞かなくなってあっちに行ったりこっちに行ったり、かと思えば首を振って足をバタつかせている。木暮は手にしていた荷物を全て放り投げて走った。

幸い馬は暴れているというよりは「イヤイヤ」をしているような感じだ。ただが上手に御しきれないのでウロウロしてしまっている。木暮は全速力で馬を追いかけ、モタモタと走り出してしまった馬に何とか追い付くと鞍に手をかけた。

「あっ、なんか小動物かなんかがいたみたいで、急に飛び出してきて、それで」
「喋らないで! ちゃんと掴まってて!」

から手綱を受け取った木暮はそれを引き、速度が緩んだ隙を突いて鞍を掴んで飛び上がり、鐙に足を引っ掛けるとの後ろに跨った。が落ちないように両腕で強く挟みながら手綱を操り、馬を宥める。

「大丈夫か」
「ご、ごめんなさい……
「振り落とされなくてよかった」

これでに何かあったら自分が責を追うだけでは済まされない。と木暮をふたりきりにした御者も湖の町の町長もただでは済まない。例え国王が寛大な態度を見せたとしても、前例を作ってはならないのだ。抜け道は塞いでおかなければならない。それが何とか回避されたのでホッとした木暮はハァーッと大きくため息を付いて肩を落とした。

それがを後ろからぎゅっと抱き締めるような格好になってしまったのは偶然だ。だが、風に揺れる髪が木暮の鼻をくすぐり、で危険が去ったことで安堵したと思ったらいつの間にか後ろからくるみこまれていたので声が出ない。

誰もいない湖のほとり、風が吹き下ろすだけの草原、聞こえてくるものと言ったら小鳥のさえずりに葉ずれの音、そして遠くに昼を知らせる町の鐘の音。そういう世界の中で、も木暮も自分の鼓動の音ばかりが耳に響いてしょうがなかった。ダンスで組んだ時はこんな風にならなかった。何度練習で踊っても胸は高鳴らなかった。

すっかり落ち着いた馬の上で言葉もないまま手綱を掴んだまま、木暮は静かにの体を抱き締めた。びくりと震えるの体、恐る恐る頬を寄せた髪は甘い香り、やがておずおずと腕に添えられるの手のひらに背筋が痺れる。少しずつ腕の中で体を捻る、俯いたままの頬が次第に後ろを向いていく。

……無事で、よかった」
「木暮、少し、怖かったから、少し、こうしていて」

木暮の頷く振動が伝わったので、は彼の腕をぎゅっと抱き締めて目を閉じる。木暮も手綱を手首にかけたままの体を腕の中に包み込む。

「怖かった、よな……目を離してごめん」
「平気、もう怖くない、こうしてれば、怖くないから」

ゆったりと歩く馬の気の向くまま、ふたりは午後1番の鐘が聞こえてくるまで草原を彷徨っていた。

御者のふたりが迎えに来た時、は湖に張り出した桟橋でぼんやりしていて、木暮は少し離れた場所で荷物をまとめて立っていた。木暮は御者ふたりにが疲れたようだと説明して、釣りはしなかったから町長に頼んでお土産に出来る加工品を譲ってもらいに行きたいと言って荷物を馬車に詰め込んだ。

ぼんやりしたままのは大人しく馬車に乗り、町で木暮が魚の加工品を買い求めている間も馬車から出てこなかった。

そしてまた2時間の道のりを帰るわけだが、姫を休ませたいからと木暮はの馬に乗らせてもらい、御者ふたりで馬車を引いてもらうことにした。の方もぼんやりのまま馬車の中でクッションに寄りかかっていた。たまに顔を上げてカーテンの外を覗いてみると馬に乗っている木暮が見えるので、慌てて顔を戻す。

城に帰り着いてものぼんやりは治らず、大はしゃぎしてよっぽど疲れたんだなと笑う人々の間をすり抜けてさっさと自室に籠もり、寝てしまった。仕方ないのでお土産は木暮が届けに行く。

「そりゃよかった。いい息抜きになったろう」
「はい、それはもう。こちらはお土産です」
「おお、魚の燻製か。今夜の夕餉につけてもらおう」
「釣りをする予定でしたが、遊び疲れたのでしょうか、昼食を取ったら眠くなってしまったようで」

国王は土産を厨房に運んでもらうと、無事に帰還できたことをまず良しとし、少し身を乗り出して声を潜めた。

……ところで、どうだね。君がの教育係になってだいぶ経つが」
「頑張っておられますよ。今日も湖の町の興りから現状までスラスラと」
「ダンスやマナーの方は?」
「そちらも問題ありません。物怖じされない方ですから、練習の成果はそのまま活かせるかと」

国王は満足そうにうんうんと頷き、首を傾げて木暮を覗きこんだ。

「まあまだお転婆なところはあるだろうが、どうだ、輿入れさせても大丈夫そうか?」

そう言った瞬間、木暮はガチッと音が出そうなほど体を強ばらせて唇を固く引き結んだ。

「えっ、まだダメか」
「い、いいえ、そういうわけでは……
「いやいや、君は先生なのだから遠慮せずに言いなさい。まあそろそろ舞踏会くらいならと思うんだが」
「そ、そうですね、まずはそういった場から慣らしていかれればよいのでは」

国王は木暮がどうにもしどろもどろなので、おやっと眉を釣り上げたが、当の木暮はそれどころではなくて、何とか取り繕おうとの勉強の進み具合だのマナー系の授業の成果だのをぼそぼそと喋っている。

……まあそれはまだよかろう。ところでどうだ、見習の方は」
「あっ、はい、お陰様で基本的な流れや心得などは少しずつ掴めてきたように思います」
「それは謙遜ではないのかな。この城の者たちもすっかり君を頼りにしているようだが」
「とんでもないです。まだ私など……

だが、木暮の「留学」期間は無限ではない。いずれ見習を終えて故郷に帰らねばならない。

「父上は君をとても買っておられるよ」
……そうでしょうか」
「言わないだけだ。側近で終わるような子ではないと願っているんだがな」
……私にはそのくらいがちょうど良いのです」

話が途切れてしまったので、木暮を下がらせた国王は紙とペンを用意させ、何やらスラスラと書いては考え込み、しくじっては紙を丸めて捨て、しかしどこか楽しそうに何やら書き綴っていた。