七姫物語 * 姫×医師見習

4

に手伝ってもらい始めてものの1時間ほどで、花形が3時間近くかかった分量以上の薬草が集まった。がちらほら話すところによると、がちっちゃい頃には既に大先生はお爺ちゃんであり、こうしてがちょこまか走り回って薬草を集めるといたく褒めてくれたそうだ。楽をしたかったに違いないと花形は確信する。

「もうお昼をとっくに過ぎてる頃だけど、お腹すきませんか」
「帰ってから食べればいいかと思って……
「じゃーん!」

やたらとドヤ顔のは持ってきた籠を差し出し、かけてあったナプキンを取り払った。中には果物やパンなどが詰め込まれており、見た目通りのピクニック仕様だった。しかし花形はもう呆れる気力もない。まだ見習いでしかない医師を続けていく自信もなくなってきた。

「よかったら食べませんか」
「はあ、頂きます……
「疲れた?」

花形の意気消沈を疲労と受け取ったらしいは隣に腰を下ろして籠の中をガサゴソやっている。中には焼き菓子や飴なんかも入っていて、まるで子供の遠足だ。料理長に頼むとこんなものも作ってもらえるのか……とぼんやり考えていた花形の頬に、ポツンと冷たいものが当たった。

「透はハムとチキン、どっちが好き?」
……雨」
「飴は食後にした方がいいんじゃない」
「いや、雨だ。マズい、上見てみろ」

我に返った花形が空を見上げると、木々の隙間の空はいつのまにか重い灰色になっていて冷たい風が吹いてきた。マズい、いくら城の裏山と言ってもすぐに帰れる距離ではないし、道無き道を行かねば城の裏口にもたどり着けない。城の者しか立ち入りを許されない山だから住む者もいない。

花形は急いで薬草の入った籠を閉じ、またマントを引っ掛けて靴紐を締め直す。がもたもたしているので弁当の入った籠も薬草籠に突っ込み、の両手は開いた状態にしておく。

「大雨になったらことだ。急いで帰るけど、絶対手を離すなよ。いいな」
「わ、わかった」

そしておろおろしているの手を取って繋ぐと、平坦な道筋を選んで歩き出した。小雨程度の間に城まで戻らなければと思うが、を急がせるわけにも行かない。がもっと小さな子供だったら薬草を全て捨てても籠に突っ込んで走って帰るのに……

焦る花形をあざ笑うかのように天候はどんどん悪化、空は暗くなる一方だし、雨粒も大きくなるばかり。風も冷たく強くなるし、しかしのことを考えると速度を上げられない。岩場に差し掛かった花形は先に飛び降りてからに手を伸ばした。花形の身長なら大した段差でもないが、には少し高すぎる。

「飛び降りられる高さじゃない。一度座って」
「こ、こう?」

岩の突端に座り、足を投げ出してくれれば抱きかかえて下ろせる。緊急時なので王女に触れてもそこは勘弁して頂きたい。の腹のあたりに花形が手を伸ばしたその時だった。バン! という大きな音とともに、稲光が辺りを包んだ。雷だ。悲鳴を上げたを庇った花形は、いよいよ焦って混乱してきた。雷の下を歩くのか!?

が、体を起こすと目と鼻の先にの顔があって、花形は思わず息を止めた。

こんな非常時だというのに焦っていた気持ちがすうっと薄れていく。頭の中は真っ白だった。雨と風と遠くに響く雷の下、花形は思わず顔を近付けた。するとの瞼が徐々に降りていくので、花形はそれにつられるようにして自分も目を閉じた。荒れ模様の空のことなど忘れてしまったふたりは言葉もなく静かに唇を重ね――

再び稲妻が空を駆け抜け、轟音が轟く。

「キャアアア!!!」

唇が触れるか触れないかというその瞬間のことだった。あまりに大きな雷には驚き、花形にしがみつこうとした。そのせいでぐらりと傾いたは、支えようとして伸ばした花形の腕を滑り落ちて落下した。

「大丈夫か! おい、しっかりしろ」
「いた、いたたた」
「掴まって、立てるか?」

急いでを引き上げようとした花形はしかし、腕を取ったところで全身が冷たくなった。今ここで最も見たくないものを見てしまったからだ。の革のベストの下に着こまれている白いシャツ、ベストから飛び出てしまった裾には鮮やかな赤があった。血の色だ。

、大丈夫か、どこを、どこが」
「わか、わかんない、でもあちこち痛い」
「足、動かせるか、手は?」
「足は、平気、動く」

だが、よろよろと立ち上がったは痛みに悲鳴を上げて体を折り曲げた。花形が確認すると、なんとの脇腹あたりに細い枝が刺さっていた。どうやら岩場の隙間から生えていた若木の枝に向かって落ちてしまったらしい。花形は目の前が真っ暗になったが、自分がどうにかしなければ状況は悪化するばかりだ。

、脇腹を怪我してる。痛いだろうけど、少し我慢してくれ」
「う、うん、頑張る」
「絶対連れて帰るから、オレに全部任せてくれ。いいな」

痛みで涙目のが頷くので、花形は枝の刺さっている方を外側に向けて抱き上げた。また痛みには呻くが、歯を食いしばって花形にしっかりと抱きつく。急ぎたいが、この状態で転倒したり滑落すればもっと悲惨なことになる。花形は慎重になりながら可能な限りの速度で歩き出した。

花形の足だと城までは一刻程だろうか。しかしを抱きかかえた状態で安全に歩ける道筋を行くのでその限りではないし、雨で足場も悪いので進みは遅い。すると、少し歩いたところで、また岩場に出た。山の斜面に突き出した岩場の上から低木が屋根のように覆い被さって生えている。しめた! 花形はそれを目指して速度を上げる。

を地面に下ろし、肩に引っ掛けていたマントを敷いた上に横たえる。動く度に痛みが走るのだろう、は呻くが、悲鳴を上げないように耐えている。花形は荷物を下ろしての荷物の中からナプキンを取り出し、の顔を拭ってやる。痛みが酷いのか、は青白い顔をしていた。

、痛む箇所わかるな。すごく細いけど枝が刺さってる。ここで抜くと出血が多くなるだろうから、出来れば帰るまでこのままにしておきたい。痛いだろうけど、我慢できるか?」

花形の言葉には頷き、ナプキンを顔に押し当てて音も立てずに泣いている。じっとしていても痛むに違いない。

「透、ごめん、なさい」
「えっ、何が」
「私が、来なければ、こんなことには」

花形ははらはらと涙をこぼすの頭をそっと撫でる。

「薬草採りに出かけてるよって聞いたから、お弁当持って追いかけようって、薬草採るのお手伝いしようって」
……助かったよ」
「だけど……

真っ赤な目をして首を振るの頬をそっと撫でると、花形はまた少し顔を近付けて覗き込む。

、お前は悪くない。オレも悪いなんて思ってない。運が悪かっただけだ」
「透、先に帰って。私ここでじっとしてるから、ひとりで戻っ――
「そんなことするかバカ!!!」

驚いて目を丸くしているの頭を抱えて、花形は絞り出すように言う。

「絶対に連れて帰る、絶対に助ける。オレが命に替えても絶対に守るから」

緊急時なので焦っていたけれど、それは嘘ではなかった。本心から花形はそう思った。そして体を起こすと薬草籠の中に手を突っ込み、あれこれと引っ張りだす。の弁当の中から水の瓶も取り出して、栓を抜く。

「適当な組み合わせになるけど少しでも効けば……消炎、鎮痛、解毒作用、血を固めて、体を温め――

花形の頭の中で忙しなく学術書のページが捲りあげられていく。記憶の中の全ての知識を総動員してを助ける。冷たい雨に体が冷えているのは花形も同じ。手がかじかんで震えるけれど、集中すればするほど冷たさや不安は遠のいていく気がする。いくつかの薬草を組み合わせ、水を飲むためと思われるカップの中ですり潰す。本来なら乾燥させて煎じたり、煎って粉にしたりするものだが、ないよりはマシなはずだ。

葉の筋や余計なゴミを取り除き、水で割っての口元にあてがう。

「苦いだろうけど、我慢してくれ」
「平気、慣れてる」

は花形の手ごと抱え込んで飲み干した。荷物をまとめ直した花形はマントにナイフを入れて部分的に切り裂き、それをの背にかぶせた。

「ここからはおぶっていく。そのマントで括りつけていくから傷が痛むだろうけど」
「大丈夫、気にしないで」
「荷物は全て置いていくけどいいな?」

を背負って、その上荷物までは持てない。を背負うことで彼女はまた痛むだろうが、一刻も早く、そして安全に城まで戻るには花形の両手足が自由になっていることが重要だ。裂いたマントは要は「おんぶ紐」である。の腕力だけではしがみついていられないだろうが、括りつけてあればなんとかなる。

はしっかり頷き、ゆっくりと体を起こすと腕にすがって花形を見上げた。

「わかりました、全てお任せします。一緒に城まで連れて行って下さい」

真っ白な顔をしたはそう言って柔らかく微笑む。何かに心を突き動かされた花形はの額にキスを落とすと、傷を避けて強く抱き締めた。こんな極端な状況で追い詰められているから余計に感情的になっているんだという自覚はある。けれどそんな状況だからこそ、あれほど鬱陶しかったとの日常を失いたくないと思った。

それほど深く刺さっているようには見えないけれど、もし何らかの衝撃でもっと枝が深く入り込んでしまい、内臓を傷つけたら取り返しがつかない。早く、そして安全に城まで戻らなければ。花形はを抱き締めながら覚悟をして、そのまま背負った。の荒い呼吸が首筋にかかる。

、辛くない程度に何か喋っててくれ」
「えっ、えーと、それじゃあ、えーと、城の人たちの話とか」

花形は慎重に素早く歩きながらくすりと笑う。花も恥じらう王女様が何か話せと言われて城のお爺ちゃんお婆ちゃんの裏話とは。だがは花形の意図を察したらしく、部署別にひとりひとり名を挙げてはこんなことがあったあんなことがあった、と隠れたエピソードを挙げ連ねてゆく。

ゆっくりと淡々と話すの声がほどよく緊張をほぐす。花形は焦っていた気持ちが落ち着き、しっかりした足取りでどんどん下りていく。この速度ならあと一刻もすれば到着できるかもしれない。

果たして花形はを背負ったまま山を下り続け、とうとう城が見えるところまでやってきた。

「ほら見えるか、もうすぐだ」
……透、私ね、友達が欲しかったんです」
「えっ?」
「何でも言い合えて、一緒に遊んだり出来る友達が欲しくて、それでついあなたに纏わりついて」

安全に歩くことしか考えていなかった花形は、の声が弱々しくなっていることに今気付いた。マズい。

「王女が相手なら逆らえないとわかって邪魔ばっかりして……本当にごめんなさい」
、そんなことはいいから――
「不愉快な思いをさせているのもわかっていたけど、そうやって本音で接してくれて嬉しかった」
「不愉快な思いなんかしてない、、そういうのはやめろ、もうすぐ帰れるんだから」
「透、お願いがあります、私と友達になって下さ――

今わの際のようなことをが言い出したので花形は思わず揺すったのだが、ありあわせの薬草が効いたか麻痺したか、は痛む様子もないままかくりと意識を失った。首筋にかかる息は弱々しく、花形の胸に垂れ下がる手は冷たくなっていた。花形の体の中をサーッと冷たいものが駆け抜ける。

、しっかりしろ、もうすぐなんだからそんなこと言うな、友達でも何でもなってやるから!!!」

花形は大きく息を吸い込み、走り出した。

城の通用門では大先生と門番が白い息を吐きながらうろうろしていた。そこへを背負った花形が飛び込んできた。

「透くん!!!」
「大先生、姫の脇腹に小枝が刺さっています。意識もありません。今すぐ処置の準備を!」
「なっ、よしわかった、君もすぐに汚れを落として来なさい、手伝うんですよ」

花形は大先生とともに診療所の隣にある処置室へと駆け込み、を下ろすと診療所で服を脱ぎ汚れを落とし、大先生たちが普段着ている白の制服に袖を通す。城に来て2週間ほどで作ってもらったものだが、今日まで着ないままになっていた。

急いで処置室に戻ると、普段のんびりしたおじいちゃんたちが厳しい顔でずらりと並んでいた。

「透くん、何か飲ませたかい?」
「消炎鎮痛に効果がありそうなものを主に、あとは解毒と凝血と……
「いいだろう。大丈夫、そんなに深く刺さってないよ。内蔵にも達してない。出血はあるだろうが、傷は塞げる」

大先生は清めた両手を掲げてにっこりと笑う。もうそろそろ日々の仕事がしんどいお爺ちゃん大先生はが子供の頃から薬草学を実践的に仕込んだ人であるが、本来的には外科医である。や花形が生まれるずっと前、内紛があった時に多くの兵士をその手で救ってきた人だ。

「よし、それじゃあ枝を抜くぞ。透くん、姫の手を握ってあげなさい」

息はあるが、は意識がないので麻酔もせずに大先生は処置を始めた。花形は言われるままにの手を握り、お爺ちゃんたちの厳しい目を、確かな手捌きに見蕩れた。大先生の言うように、枝を抜くとの体に入り込んでいた部分はほんの少しであった。の人差し指の半分もないくらいだ。

途端に出血が始まるが、傷自体は大きくない。大先生の腕を持ってすればさらに小さく目立たないようにすることが出来るかもしれない。の様子を見つつ、お爺ちゃんたちはてきぱきと傷の処置をしていく。学院にいる間に医療講習は受けたけれど、こんなことは出来ない。役に立てると思っていたけど、オレはの手を握っていることくらいしか出来ない――

しかし花形に絶望感はなかった。眼前の神業に魅了され、こんな風に働ける人間になりたいと思った。

2時間ほどで処置が終わると、は自室に運び込まれた。処置は無事に終わったけれど、何しろその前からずっと意識がない。青白い顔をしたは冷たいまま、体のぬくみも戻らない。

それをじっと見ていた大先生だったが、しばらくすると顔を上げて花形を振り返った。

「もしかして透くん、姫の弁当、食べなかったの?」
「はい、弁当を食べようかという時に雨が降りだしたので」
「なるほどな、無理もない。姫は朝から何も食べてないんだ」
「はあ?」
「料理長に手伝ってもらいながら張り切って作ってたからね」

大先生いわく、は空腹の状態が続くと目眩を起こしたり体が震えたりする体質なのだそうだ。それにしてもあの弁当が手作りだったとは。わがまま放題の王女が毎日忙しい料理長に命令して作らせたものだとばかり思っていた花形は恥ずかしくなって俯いた。しかも山中に捨ててきてしまった。

「砂糖と塩を溶いたお湯を持って来なさい。小さなスプーンもね」

侍女にそう指示した大先生はベッドサイドの椅子に腰掛け、花形にも座るように勧めた。

「見習いの君に話すようなことじゃなかったから黙ってたんだけどね……

大先生はため息とともにそう吐き出し、ゆっくりと顎ひげをしごいた。

「姫は子供の頃から体が弱くてね。10歳まで生きられないと言われていたんだよ」

大先生の声を聞きながら、花形はベッドで眠るを見ていた。もう一度の声が聞きたい、喧嘩腰でもいいからの声が、笑う声が、童話のものまねが、透と自分の名を呼ぶその声が聞きたい――そう思っていた。