七姫物語 * 姫×医師見習

3

「ねえねえ、最近髪もちょっと痛み気味なんだけど、髪にいいクリームとか作れない?」
「傷んだ髪は元には戻りません。切るしかないです」
「じゃあまつげを増やす薬草とかない?」
「そんなもの増やしてどうするんですか」
「そういえば私取りたいホクロがあるんだけど」
「そんな簡単に取れたら苦労しません」
「あ、そうそう、書庫の本で取って欲しいものがあるんだけど」
「オレは薬草担当の見習いです」

元々は毎日のように診療所に来る習慣があったが、最近は花形の作業台の前に座り込んでお喋りをするのが日課になっている。この診療所は本来たち城に住む王族優先のものなので、基本的に花形に仕事を手伝って欲しいお爺ちゃんくらいしか人は来ない。なので花形はに対してはだいぶ態度が緩んで雑になってきた。

敬語は崩さないし頭も下げるが、のこういう雑談に対しては面倒くさそうな顔を平気でする。もちろんそれは大先生を始め診療所のおじいちゃんたちが何も言わないからだ。お爺ちゃんたちにしてみれば、が同世代の話し相手を得て楽しそうにお喋りをしていることの方が大事なのである。

も花形がいくらぞんざいな態度を取ろうがどこ吹く風、思ったままのことを言いたいだけ言う。それはまるで花形が通った学院にいるような、友達同士のひとときそのもので、は毎日楽しそうだ。

一方で、身長を当て込まれて駆り出され、自分の仕事が出来ないと嘆いていた花形はのおかげで余計なお手伝いを頼まれることがなくなった。何しろ王女が目の前に座って楽しそうにお喋りをしているので、それを遮って透くん貸してとは言えない。それに気付いて一瞬ありがたいと思った花形はしかし、慌ててそれを否定した。

「そんなに姫は面倒臭いかい」
……そういうことではありません、オレの仕事ではないと思っているだけです」
「まあそうね。君を採用するときに姫の話し相手なんていう項目は確かになかった」

大先生は花形の作業台の傍らに立って、優しく微笑んでいる。

「だけどねえ透くん、薬草の専門家だから薬草のこと以外一切したくありません、というのはちょっと違うねえ」

大先生は声も表情も優しいが、何故か叱られているような気がした花形はぎくりとして背筋を伸ばした。

「もし今大量の怪我人がここへ運び込まれて来ても君は同じことを言うかな?」
「そ、そんなことは……基本的な医療講習は受けてますからお力になれると思いますけど……
「じゃあもし城が火事になったらどうする? 薬草の専門家なので消火活動には加わりませんて言うかい?」

にこにこと笑っている大先生はしかし、手にしていたリンデンバウムの枝をついっと花形の鼻先に突き出す。

「君は研究所に籠もることより、その薬草の知識をこの城の人々のために活かす道を選んだ。自分の縄張りを侵されることに怯んではいけない。薬草しか相手にしない医師など誰が頼りにしてくれるもんかね。もっと城の人たちと距離を縮めてご覧。それが君の知識を活用する近道だよ。姫はその入口になってくれる。それも活かしなさい」

これは叱られているんだろうか。説教なんだろうか。父親のそれとはずいぶん違うので花形は戸惑った。しかし、をも利用せよという大先生の言葉はぐさりと胸に刺さった。このお爺ちゃん、温厚そうな顔をしているが一応この国の医療機関の頂点にいる人なのだ。その優しい笑顔の下を覗いたような気がして、花形は身震いした。

それに比べたらなど。そういう意味ではこれ以後の相手がとても気楽になった。

それを大先生に見抜かれたかどうか、しばらくするとの部屋に頼まれていたお茶を持って行って上げなさい、と診療所を放り出されるようになった。週に2~3度、午後のおやつ時になると花形はお茶やら大先生からのお届け物やらを手にの部屋に向かう。女官長の部屋に顔を出し、用向きを伝えて通してもらうのだが、ここも次第に流れ作業になる始末。

しかし届け物をしてそれでは失礼します、とはいかない。はどうせならお茶でも飲んでいって、それで少しお喋りして行って、と引き止めるので、だいたい小一時間の雑談に付き合うことになる。それはまさに「姫とふたりきり」で、大先生の言うように友達みたいな言葉遣いや振る舞いをしてもバレない空間だった。

の方も花形が砕けた態度になっていくことを咎めたりはしないので、ひと月もするとの部屋では花形は敬語すら滅多に使わなくなった。相変わらずは言いたいことを言いたいだけ言うので、それに対してまともに相手をする気もなくなってきた。

「透はほんとに私のことバカだと思ってバカにしてるよね」
「今まさにバカなこと言ってるからな」
「ふん、学院で主席だったからって偉そうに。私だって通ってたらきっと――
「そういえばこの間大先生が『姫の数学はひどい』って言ってたな」
「ちょ、大先生もひどい!!!」

やっぱりこんな会話が楽しいわけじゃない。けれど花形は以前ほどを鬱陶しく思わなくなってきた。慣れというものは恐ろしいと思いながら、の部屋に来るとおいしいおやつにありつけるので、それはちょっと楽しみになりつつあった。この城に就職して一番良かったところは、とにかく食べ物が旨いことだった。

「そりゃあそうでしょ。姉がものすごい偏食だったから料理長はすごく苦労してた」
「上の姫様か。子供の頃にはもういなかったからなあ」
「今はもう5人の子供のお母さん」
「そうか、じゃあ姫は5人の子の叔母さんてわけだな」
「悪意を感じるなその言い方」

ふん、と鼻で笑い、花形はお茶をすする。は花形が調合した美容に効くお茶を飲んでいるが、花形はそんなもの必要がないので、城に献上された高級品のお茶をおいしく飲んでいる。

「まだ私ちっちゃかったから、姉がここを出て行く時は大泣きしたんだよね」
「ずいぶん遠方だったか」
「以来ほとんど会えなくなっちゃったし、子供が生まれてからはあまり構ってもらえなくなっちゃったし」
「そりゃ母親になったんだから仕方ないだろ」
「そんなこと子供の頭で理解できるわけないでしょ。今だってあんまり理解できないよ、そんなこと」
「母親になりゃわかるんじゃないのか」
……そうなのかな」
「まあなんだ、バカだと嫁の貰い手がないなら理解せずに済むんじゃないのか」
「またバカにしたな!」

これが城内いちの下っ端と王家の姫君の会話だろうかと思うが、それについては花形はもう気にしないことにしている。はそれでもいつも楽しそうだし、と関わることで大先生の言うように城の人々ともゆっくり無理のない速度で距離を縮めていかれている。少しずつではあったけれど、花形にも「城仕え」としての自覚が育ってきていた。

夏が過ぎ、秋が深まる頃になると花形はすっかり城での生活にも馴染んで、以前ほどお爺ちゃんお婆ちゃんたちの「透くん助けて」に苛ついたりしないようになっていた。顔を合わせれば言い合いのような会話になってしまうのはだけだ。

そんなある日のこと、薬草の在庫が少なくなってきたので花形は朝から城の裏山に入っていた。城の真裏は山になっており、全て国有林なので花形のように城で働くものしか足を踏み入れられない場所になっている。大先生の指示で山に自生している薬草を回収しに来た花形は、その縦に長い体を屈めて黙々と地面をいじっていた。

普段騒がしい診療所にいるので、山の静寂が耳に痛い。だがそれが少し心地いい。風にそよぐ枝のざわめき小鳥のさえずり、姿の見えない小動物が駆け抜ける気配ですら、程よい緊張とともに安らぎをもたらしてくれる――はずだったのだが、目的の薬草を千切っていた花形の耳にの声が聞こえてきた。

まあ毎日聞いてるから耳に残ってるのかもしれんな……そう納得しつつ少しげんなりした花形だったが、その空耳の音量がどんどん上がっていくので、血の気が引いて勢いよく振り返った。

「やっと気付いたー!」
「何やってんだこんなところで!」
「何って薬草採りでしょ。最近山に入ってなかったから行きたくなっちゃって」

花形はがっくりと肩を落としてため息をついた。

「なんなんだその格好は……
「狩猟祭の時とか山に入る時とか、そういう時に着る服だけど」

はいつものドレス姿ではなく、軍の騎士隊が祭礼の際に着用するような取り揃えになっている。膝までの革のブーツに皮のベスト、腰までの丈のローブはあまり広がらないサイズで、髪もきちんと纏められている。そして革手袋をした手には手提げの籠をぶら下げている。まるでピクニックだ。

「今何探してるの」
「採集は中止」
「えっ、なんで?」
「これから帰るからだ」
「だからどうして」
「それがわからないほどバカなのか?」
「これはバカ関係ないと思うけど……

花形は薬草を放り込んでいた籠を閉じて背負い、大先生から預かった目録は腰のバッグに押し込む。籠に引っ掛けていたマントを肩に巻きつけ、靴紐を締め直す。そしての手首を掴むと遠慮なく引っ張って歩き出した。

「ちょ、ちょっと待ってどこ行くの」
「帰る」
「だからどうして! まだ全部集め終わってないでしょ」
「あのなお姫様、ここは整地されていない山で、道もなくて、野生動物もいて、そういう場所なんだよ」
「そんなこと知ってるけど」
……あんたの方こそオレをバカにしてるだろ」

が首を傾げるので花形はついカッとなってしまった。

「こんな足元の悪い場所で何かあってみろ、あんたに傷ひとつ付こうものなら明日の朝にはオレは首を切られてる! どうしてそう人に迷惑をかけるようなことを平気でするんだよ。オレは遊びに来てるんじゃない、仕事で来てるんだ。あんたの気紛れに付き合わされるこっちの身にもなれよ!」

言い終わった直後にしまったと思ったがもう遅い。今まさに処刑ものの罵声を吐き出したわけだが、状況はもっとひどい。が目を赤く染めて涙を零した。見習いで新入りの下っ端がこともあろうに王女にきつく当たって泣かせてしまった。一瞬の首切りによる処刑で済めばまだいい方かもしれない。拷問なんじゃないだろうか。花形はまた血の気が引いた。

「ごめんなさい……
「い、いやその、オレは、そんな別に」
「お仕事のお邪魔してごめんなさい、帰ります」
「え!? ちょ、ちょっと待った!」

ぽろぽろと涙を零しているがぺこりと頭を下げて踵を返したので、花形は慌てて引き止める。ひとりで帰るのは危ないし、先に帰られて下っ端に泣かされたと告げ口されたら大変なことになるし、いつも何を言っても動じないが泣いているので冷静ではいられなかった。

「帰るなら一緒に帰るから! ひとりじゃ危ない」
「ここまでひとりで来たから平気。またね」
「またねじゃなくて! ちょっと待て頼むから、待てって――――!」

が足を止めないので、花形はそう大声を上げて手を掴んだ。王女の名を呼び捨てにしてしまった。

「悪かった、言い過ぎた」
「悪いのは私だから」
「違う、オレがカッとなったからだ。とにかくオレが悪かったから、その、ごめん……

花形はの頬に伝う涙の跡をなぞり、しずくを取り払った。の泣き顔が花形の胸を抉る。

「こんなところは危ないと思ったから、つい……
「大先生と一緒に来たこと、あるよ」
「そ、そうか、それならまあ」
「一緒にいてもいいの?」

そう言って見上げるに、花形はドキリとして息を呑んだ。何だ今の。

「い、いいけど、怪我しないようにしてくれ」
「うん、気をつけます」

まだ鼻をグズグズ言わせていたは素直に頷いた。花形は背負っていた籠を下ろし、マントも外して目録を取り出す。まだ半分も終わってない。薬草を探しながらにも気を配らないとならないのは正直負担だったがやむを得ない。

「何を探してるの」
「えっ、ああ、この目録の下半分を……危ないからじっとしてろよ」

そう言い捨て、また地面と目録を交互に見てキョロキョロしていた花形は、しばらくすると後ろから肩を叩かれてひょいと振り返った。すると、目の前に大量の薬草が飛び込んできた。

「わっ、何だよ……あれっ? これって」
「目録の一番下にあったやつ。こっちはその次の。これはさらにその次」
……よくわかったな」
「そりゃ、しょっちゅう採ってるからね」
「は?」

薬草を受け取って紐でまとめ、籠に放り込んだ花形は目を丸くした。しょっちゅう採ってる? はまた目録をのぞき込むとぴょんぴょんと山を駆け抜けていずこかへ消え、また両手にいっぱいの薬草を抱えて戻ってきた。

「はいこれ」
「あ、ありがとう……
「次は?」
「どういうことだ」
「何が?」
「今持ってきた薬草、見つけるの難しいんだぞ。何でわかったんだ」

初等科高等科専科とある学院の専科3年丸々薬草学に費やした花形は意味がわからない。毎週のように野外講習に出たって本一冊分の薬草を簡単に見つけられるようになんてならないのに。

「何でって、大先生といつも来てるから」
「来てるだけで見分けが付くようになるか?」
「それはよくわからないけど……子供の頃からずっとだし」
「子供の頃!?」
「言ったでしょ、大先生が先生だったって。私6歳位から大先生と一緒にここで薬草の勉強してきたから」

今度こそ花形は言葉を失って口をあんぐりと開けたまま棒立ちになった。大先生直伝で6歳から!?

「ちっちゃかったし、薬草のことは本で見ても覚えられないから、実際に見てみましょって大先生が」

は子供の頃から山で薬草に親しんでいただけで、学術書などで学んだことはないのだと照れくさそうにしているが、とんでもない話だ。つまりはこの国の医療機関の頂点である大先生から直接薬草の知識を叩きこまれて10年以上ということになる。約週一の野外講習と学院の室内で3年間学んだだけの花形は途端に気持ちが潰れて落ち込んだ。

何で言ってくれなかったんだよ大先生、がバカなことばっかり言うから、それを鼻で笑い飛ばしても怒ったりしないもんだから、オレは自分の方が詳しいのにって偉そうにふんぞり返って、慣れた山に入ってきただけのに怒鳴って泣かせて……なんでそういうこと教えてくれなかったんだよ大先生……

身軽に山を駆けまわって薬草を集めるを見ながら花形も採集を再開するのだが、の方が速度が早い。はわさわさと布の袋に刺のある薬草を詰め込んでいる。

「あれっ、これ破けてる。あっ、こっちも! 何でこんなボロボロの使ってるの」
「いやその……誰も繕い物とかしないから」
「誰かに頼めばいいのに」

刺があったり素手で触るとかぶれる植物は布の袋に詰めて持ち帰るのだが、その袋に大きく穴が開いていた。袋というか、要は刺や刺激の強い植物を布でくるめればいいので、そのままになっていた。は倒木に腰掛けると腰のベルトに下げているポーチから針と糸を取り出して繕い始めた。

……そういうこと、出来るのか」
「あ、今どうせお姫様のお遊びだろとか思ったでしょ」

そんなことは思ってなかったが、はちくちくと縫いながらにやりと笑う。

「こんな小さな国だし、王女って言ってもただの穀潰しだし、だけど裁縫だけは完璧に出来るように厳しく教えられるんだよ」
……花嫁修業?」
「んーん。戦になった時の、旗を縫うの。王家の女の仕事なんだって」

また花形は言葉が出ない。戦って。

「実際は旗どころじゃなくて、亡くなった兵士の服を縫い直してまた使わせたり、収容所のシーツを縫ったりもするらしいんだけど、つまり戦が起こったら王家の女はずっと縫い物してなきゃいけない決まりがあるんだって」

今のところ平和なので政略結婚をする必要もない、本人の言うように穀潰しのバカ姫だと思っていたを急に遠く感じた花形は、その素早い手つきをぼんやりと見つめていた。なんだか今すぐ山を降りて城を出て実家に帰りたくなってきた。父親にガミガミ言われるかもしれないが、こんなふうに居た堪れないよりはマシなんじゃないか。そう思った。