忙しい年末の営業をなんとか乗り越え、12月31日、フローリスト周辺の店はいつも通りに閉店すると、いつぞやの大捕物のときのように、のれんを下ろしたあさひ屋に集まった。あさひ屋も既に火を落としているが、今夜は色々全部お疲れ様、の忘年会なのである。
無論、花形家や藤真に長谷川も呼ばれた。花形家はさすがに長男のみの参加だったが、旭さんはもちろんの母親も車椅子で顔を出した。この忘年会の開始自体が21時をたっぷり回ってからなので、即宴会になった。妊婦と病み上がりは1時間ほどで帰る予定になっているが、基本的には朝までの忘年会である。
年が明ける頃には一部の泥酔者と寒がりを残して氏神神社に初詣に行くことになっている。さらに、年末の間に自家用の餅など用意する暇がないので、元日の昼間に餅つきをするのが習慣になっていた。
「最近はさあ、みんな酒が弱くなって、つき手が寝ちゃって起きなくて、女だけでやったこともあったのよ」
「今年は若いのがいっぱいいるから頼もしいわねえ~」
えどやと亀屋の女将さんふたりはそう言いつつ日本酒で真っ赤になっている。妊婦と病み上がりが帰宅して22時半、雑貨屋のおじいちゃんなどは既に口を開けて寝ている。その「若いの」にあたるであろう花形たち高校生男子は苦笑いである。おそらく兄貴も頭数に入っているのだろうが、だいぶ酒量が進んでいる。
「みんな、無理しなくていいからね」
「でもつきたての餅、食えるんだろ」
「兄貴が雑煮の用意してるって言ってたしな」
あさひ屋の入り口脇のテーブル席は未成年席である。酒の持ち込みや酔っ払いの接触禁止エリアになっている。主にそのあたりのルールブックは葉奈。彼女がいなければ全員強制的に飲まされていたに違いない。普段4人席のところに一席足して5人で座っている。今日もお誕生日席は葉奈だ。
は花形たちをこき使われることが面白くないのだが、彼らは自分たちの予定を曲げてまで付き合ったりはしない。今日はもう一切手伝いもしていないし、忘年会だというので夕方ごろにぶらぶらとやって来た。男子3人は初詣もつきたての餅も楽しみな様子である。
「航くんも来ればよかったのにね。それとも友達と出かけてるの?」
なんの他意もなくそう言ったに視線が集中する。
「え? 何?」
「あれだよな、って遠慮と気遣いの人の割に鈍感なのな」
「ど、どういう意味よ」
ため息をつく藤真には身を乗り出して口をへの字に曲げたが、何のことかわからない。葉奈はもう面倒そうな顔をしたままそっぽを向いているし、仕方なく兄である花形が説明する。
「あいつな、お前のこと好きだったみたいなんだよ」
「…………は?」
花形の言っていることがすぐに飲み込めないは、藤真たちの方を見るが、やれやれという顔をしている。このことを知らないというか気付いていないのはだけだったというのか。
「だって私年上で――」
「気にならなかったんだろ。オレも最初は変だなと思ってたんだけど、どうもそういうことだったらしくて」
は途端に罪悪感を感じて俯いた。花形が不在の間、葉奈と一緒に毎日のように一緒に帰ってくれた航を思い出すと、胸が痛い。その兄と丸く収まっているのがとても悪いことのように感じてしまう。
「お前ら本当にめんどくさいよ。オレを見習えってんだ」
「……イケメン、それ言ってて空しくならない?」
なんだかしんみりしてしまったが、23時半も過ぎると、歩いて10分ほどのところにある氏神神社まで5人は出かけて行った。酔っ払って潰れた数人と寒がりのえどやの女将さんを残して、ぞろぞろと神社へ向かった。さてそこでまたご婦人方を惑わせたのは藤真である。
ファーフードのコートが異様に似合う藤真は、屋台の女性や商店街の顔馴染みの家族や果てはバイトの巫女さんまでキュンキュンさせながら参道を行く。どこの子かと聞かれる度にフローリストだのあさひ屋だのと適当に答える藤真に、店長はお賽銭を投げたい気持ちだった。
一方同じファーフードでもと手を繋いで歩いている花形は、うっかり葉奈に聞こえる声で「巫女さん可愛いな」と言ってしまい、蹴られた。の和服姿が見てみたかったからつい、と言い訳をしたが許してもらえなかった。はそれでも赤くなっている。
5人は新年のカウントダウンを参道に並びながら迎えた。カウントダウンの後はキスだと言い張る葉奈は、つまりと花形にさせるつもりだったのだろう。だが、結果的にはも含めた4人に頭にキスをされて、かつてないほどにうろたえ、そして真っ赤になってしまった。
「なんかこれじゃアタシ、すごいちっちゃい子みたいじゃない」
「ちっちゃいことには変わりないじゃないか」
「ちくしょう、透兄ちゃんの弱虫意気地なし! 男気みせろ!」
「オレにあたるなよ」
年明け早々葉奈に悪態をつかれた花形は、厄落としにの頬に素早くキスした。これでどうだと言わんばかりの花形のドヤ顔に葉奈はぎりぎりと悔しがった。
「ふん、彼女にキス出来たからなんだってのさ」
「藤真と一志にもしようか?」
葉奈をぎゃふんと言わせる機会は滅多にないので、花形は楽しそうだ。だいたいいつもこうしてぎゃふんと言わされている藤真も満足そうだ。参拝を済ませると、その勢いのまま5人はおみくじを引いた。葉奈はなんと大吉、も中吉で内容も上々であった。ところが、
「凶って!!」
藤真が正月時期ではレアな凶を引き当てた。葉奈は大喜びである。ついでに花形と長谷川も末吉で内容もあまりよくなかった。葉奈はもう有頂天である。今度は藤真の方がぎりぎりと悔しがった。
屋台をひやかしたり藤真がナンパされたり甘酒を貰ったり藤真がナンパされたりしながら、一行は商店街に帰ってきた。年越しをぐっすり眠って過ごした酔っ払いが蘇生、神社から着いて来たご新規さんも加えた宴会は新年会に改められた。さすがに未成年5人は3時頃にフローリストに逃げ、仮眠を取ることにした。
葉奈と藤真は即落ちしてしまい、は花形と長谷川に熱いお茶を淹れた。すうすう寝てしまっているふたりはともかく、長谷川はと花形をふたりきりにした方がよかったのではと気にしている。
「オレたち帰った方がよかったんじゃないのか」
「年中サカってるみたいに言うなよ」
「そんなこと言ってないだろ」
店のシャッターを少し開けてあるので、あさひ屋の方から小父さんたちの笑い声が聞こえてくる。宴会はほぼ小父さんからおじいさんのみになりつつあり、明日の餅つきが気になっている女性陣はあさひ屋の一角で仕込みの確認をすると帰ってしまった人も多い。その声を聞きながら、花形が呟く。
「この辺りって毎年こうなのか?」
「今年はちょっと特別。宴会も初詣も餅つきもやるけど、こんなに盛り上がらないよ。人数ももっと少ないし」
「……今年は色々あっただろうからな」
しみじみとカップを傾ける長谷川には頷いた。
「ほんとに。ほんとに色々あったけど、みんなのおかげで無事に年が越せたよ」
は花形と長谷川の手を取り、ギュッと握ってから頭を下げた。
「もちろん藤真も。ありがとね」
は藤真の毛布をかけなおしてやる。店の2階にある物置から引っ張り出してきた毛布で、実は少し臭う。
「……オレは特に自主的にだからなあ。一志の方がお疲れ、だよな」
「だいたい、その、私たちのことは長谷川くんいなかったら、ねえ」
「オレも自主的に、だよ。言ったろ、商店街、けっこう好きなんだって」
それでも、ずっとこんな風には過ごしていられない。進級すればも葉奈も航も受験生、花形たちには最後の夏が待ち構えている。商店街に入り浸ってなどいられない日々が始まる。
「……なんか今、すっごい花が咲いてる感じ」
は膝を抱えながら体を揺らした。
「オレもまあまあお花畑だな。一志は?」
「ちょっと数が少ないけど、地味な花が咲いてる」
3人は藤真と葉奈を起こさないよう、こっそりと笑い合った。
それから数時間後、バックヤードでぐっすりと眠り込んでいた5人は亀屋の女将さんに叩き起こされた。時間は昼前で、餅つきの準備をするからいい加減起きなさいというわけだ。全員ぼんやりした顔で店を出ると、酒の抜けていない男性陣と、すっかりいつも通りの女性陣があさひ屋の前に集まっていた。
まだ眠いけれど、つきたての餅にありつきたければ、つかねばなるまい。完全にあてにされている高校生男子3人は、女将さんたちの厳しい指導の下、杵を振り下ろす。だが、餅は約10店舗の家族が全員食べ、そして少し持ち帰るだけ作らねばならない。
「うお、ちょ、代わってくれ、肩痛い!」
「いや花形さっき代わったばっかりだろうが」
「小母さん、腕怪我したら大変だよ、みんなもうやらなくていいから!」
3人がへとへとになっていると、輪の外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「じゃあ私がやります!」
「母さん! いつ来たんだよ!」
「あけましておめでと、透ちゃん! 今来たとこよ! 杵貸して!」
メルヘン母だけではない。なんと花形父も航も来た。少し緊張してしまうだったが、航は普段と変わらないように見える。兄や藤真に向かって渋い顔でツッコミを入れたりしている。が緊張していることを嗅ぎつけた葉奈が擦り寄ってくる。
「弟、すごいよね。アタシはちょっと時間かかったもんなあ」
「え、葉奈ちゃんそれどういう……」
「けっこう前だけど、アタシも振られたの! 丸く収まったのなんて、ちゃんたちとあさひ屋夫婦くらいだよ」
葉奈はの横でニカッと笑った。
「葉奈ちゃん、好きな人、いたの」
「まあね。元から望みない感じだったから期待してなかったんだけど、さすがにね、言葉で言われちゃうと」
「……ごめん」
「なんで謝るのさ。そういう恋もあるって」
花形が戻ってきたので、葉奈はそう言い残してメルヘン母の元へ飛んでいった。
「どうした、深刻そうな顔して。具合悪い?」
「ううん……。葉奈ちゃん、好きな人、いたんだけど、振られたって」
するりと繋がれる花形の手は暖かかった。はキュッと握り返して、腕に寄り添う。
「長谷川くんも、手の届かない人が好きだって言ってた」
「……また自分だけ悪いとか思ってるのか?」
「思わないようにしてる」
花形は小さく息を吐いて笑った。そういえば若先生もに振られた。
「透くん、今度は私が花を贈るね」
「え?」
「好きな人に、花を贈りたいから」
花形を見上げるは、アーケードに差し込む日の光の中で、柔らかく微笑んだ。花形に花を贈りたい。ひょんなことから巻き込んでしまった、けれどいつも真っ直ぐにを思って、助けてくれて、愛してくれて、そして今こうして隣にいるということがたまらなく嬉しいから。何より愛しいから。
「もう、オレの中、花だらけなんだけどな」
「もっと咲かせてあげる」
藤真が餅をつまみ食いして葉奈に怒られている。それを長谷川が宥めている。航が何か皮肉を言ったらしく、メルヘン母が後から抱き締める。それがうらやましい花形父に亀屋の女将さんがウットリしている。二日酔い激しい店長と兄貴が戻ってきた旭さんに叱られている。
そんな様子を眺めながら、花形は手を解くと、の肩を抱き寄せた。その手首にはリストバンド。
「楽しみにしてるよ」
そして、このを取り巻く全ての愛しい世界が、花で溢れるように祈っている。どうか君がいつでも笑っていられるように、悲しむことなどないように。苦しみは分けてくれて構わないから。君が花をくれるというなら、また何度でも花を送り返そう。
だからどうかその心の中に、いつまでも僕を置いて――
END