昔日のフォーマルハウト

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4年前に中古で買った軽自動車はとにかく値段を優先してしまったので、今どき珍しい「ポンコツ」感漂う薄汚れた白をしていた。ただ、値段の割に頑丈な奴で、不調になることは滅多になく、上司が言うには「気が合う」車になっていた。

まだ夏の暑さがたっぷり残っている9月の土曜の午後、はこのポンコツの相棒に仕事道具を詰め込むと、気休め程度のエアコンをフル稼働させながら市内の体育館を目指していた。

真夏と真冬はこのポンコツを処分して快適な車に買い替えたいと思うのだが、極端な季節を過ぎると途端にこの「気が合う」相棒と離れがたくなり、結局今年もまた8月の酷暑を乗り切ってしまった。特にカスタムもしていないし、デコレーションもしていないし、ぬいぐるみも置いていない殺風景な車内だが、かえってそれが落ち着く。

それにしても暑い。こんな気温の中を何時間も走り回るスポーツというものがどうにも苦手なだったが、仕事なので如何ともし難い。それに、の仕事はその運動している人々を写真に収めることなので、自分が汗をかくわけではない。ただでさえ暑いのに、見てるだけでも暑苦しいスポーツ少年なんかを撮影するかと思うと気が滅入るだけである。

しかも、本日の被写体は市内に3つあるミニバスチームからの依頼。余計に気が滅入る。バスケットは思い出したくない思い出のトリガーで、気をつけないと黒歴史に悶える羽目になる。

市内に3つあるミニバスチームのうち、本日のチームは最近では珍しい男子のみのチームだ。他のふたつは基本男女混合、試合の時だけ分かれるそうな。

というのも、このチームは創設が古く、最初から男の子のみのチームであったことと、地域の高校の男子バスケットボール部が協力をしていて、女性の指導者やスタッフがいない。そのせいか女子も混ぜてくれという話が出ないまま今に至る。

それも気が重い。奉仕活動の一環で長年協力しているという男子バスケット部は、こともあろうに母校のクラブで、だからこそ余計に近寄りたくなかった。もう10年も前のことだし、今に関わる重大な事件というわけでもないのだが、当時のことを思い出すだけで未だに苦しい。

は頭の中でディズニー映画白雪姫の「ハイホー」を無理矢理歌う。ハイホー、ハイホー、仕事が好っきー! おかしいな! 英詞だと仕事終わったから帰ろう、なのにー!

自分を鼓舞するためのイメージングの選択を誤ったは渋々体育館の駐車場に車を停め、仕事道具を担いで午後の日差しの中をヨタヨタと歩き出した。夏バテになりたくないので食事には気をつけたいが、こう暑いと何を食べたいのかもわからなくなる。特にひとり暮らしを始めてからは食事の管理が面倒になるばかりだ。

かといって実家の食事が恋しいかといえばそうでもなくて、の親は偏食を許さず、苦手な食材は努力でおいしく食べられるようにならなければいけないという主義で、たまに帰ると苦手な食材ばかり食べさせられるので、外食に誘うことが多くなった。

体育館のロビーに入ると、受付でIDを提示して用向きを伝える。いちいちIDを見せなくても顔馴染みなのだが、「ウィース、いつものなんで、よろしくー」などと雑に済ませられない性分のは毎回提示し、入館のための書類を自分で記入する。

「ミニバスの……もうそんな時期か、今度は何期生になるのかな」
「ええと、来年度で38期生だそうです」
「それにしては翔陽に行く子いないんだよなあ。ちゃん高校、翔陽だったよね?」

生返事だけでスルーしたは現在、地域の情報誌の編集部に勤務している。一応フォトグラファーとして就職したのだが、地元の情報と求人が一緒になったミニコミ誌、医療情報誌、不動産情報誌、子育て支援情報誌の4つを発行している割に職員が少なく、写真以外の編集作業もやっている。

本日の依頼は件のミニバスチームが来年度の新規参加者を募集する広告のための写真撮影だ。毎年一学期を最後に私立中学受験組が卒業するので、秋から来年度の募集広告を打つのが恒例となっている。しかも子供向けの習い事やコミュニティーは広告料が割引になるので頻繁に依頼が来る。

の母校、翔陽高校は古くからバスケットの強い学校として知られ、特に男子は何度もインターハイに出場していて、県内では強豪校にあたる。体育館の職員さんは呑気にそんなことを言うけれど、翔陽で選手として活躍出来るレベルとなると、相当にハードルが高い。

だが、母校の男子バスケットボール部は記憶の蓋を開いてしまう最後の鍵だ。は携帯を確認して過去のイメージを頭から締め出す。今日は翔陽男バスの子たちは来ていないはずだし、集合写真や練習風景をカメラに収め、監督に書類を渡し、帰るだけ。早く帰ってすぐに広告のデータを作ってしまえば、それだけ早く帰れる。食欲はないけど缶チューハイなら喉を通る気がする。

は受付の職員さんに礼を言うと、仕事道具であるカメラの入ったバッグを抱えてサブアリーナに向かう。メインアリーナでは市内の高校生がバレーボールの試合中。

暑いけどチューハイにチーズなら食べられそうな気がする。確か冷蔵庫にトマトがあったはずだから、今日はそれでいい。もしもっと食べられそうなら、そうめんを1把、生卵と麺つゆに絡めて食べよう。そうめんに生卵は職場の先輩に教えてもらった食べ方だが、3年前に初めて食べて以来のお気に入りだ。

よし、チーズを買って帰ろう。何がいいかな。夏はスモークよりモッツァレラとかカマンベールとか、なんなら割けるチーズやチータラでもいい。チーズ、チーズ、チューハイとチーズ。

「はい、チーズ」

は脳内をチーズでいっぱいにしてシャッターを切った。目の前には揃いのTシャツを着てボールを持った小学生の男の子たちがぎこちなく微笑んでいる。というか一番笑顔がぎこちないのは監督だ。人見知りで人付き合いが苦手なでも難なく話せる善い人なのだが、愛想がいい方ではない。

まあ集合写真といっても実際に掲載されるサイズはとても小さいし、笑顔が自然でも不自然でもよくわからない。なので数枚で切り上げたは荷物置き場に戻り、カメラを変え、コートに戻る。今度は練習風景だ。一応チームのオーナーからは「躍動感のある写真を」と頼まれている。

なにぶんよりもずっと小さい子供なので躍動感と言われても難しい。安易に下からのショットでいいんだろうか。スポーツ専門のフォトグラファーではないので、そうしたきめ細やかなノウハウはまだ乏しい。自身、そもそもは自然物を撮影する方が好きだった。

子供たちの方も大きなカメラを担いだが目に入ると緊張するようで、表情は固いし動きも鈍そうだ。戸惑っている。中にはお調子者の子がいて、カメラの前に滑り込んできてピースサインをしたりするけれど、もちろんそんなショットは使えないし、監督が間髪入れずに怒るので、「躍動感」はどんどん遠のいていく。

「うーん、僕みたいな黒電話世代と違って写真には慣れてるはずなのになあ」
「逆にこういうレンズの付いたカメラに戸惑うのかもしれませんね。スマホしか知らないから」

毎年やっていることなのだが、年々子供たちがギクシャクしてきている、とはも思っていた。写真に写り慣れた世代だと思っていたが、それはモニターで写りを確認しながら撮影するものだけの話だったのだろうか。確かにのカメラはデジタル一眼だが、見た目はオーソドックスなレンズ付きのカメラだし、大きい。

「躍動感というのも曖昧だし、オーナーさんにいくつかお見せして選んでもらおうかと思うのですが」
「すみません、お願いします。僕は門外漢だし、彼女が気にいればそれでいいですよ」

このチームの現在のオーナーさんは駅前に店を構えて40年のクラブのオーナー兼ママさんである。彼女は以前から青少年育成や女性の支援に熱心な人で、13年前に先代のオーナーがリーマンショックによる自社倒産で夜逃げした際には二つ返事で後継を引き受けてくれた人だ。

というかこのママさんは地元に古くから名士として長く続く一族の本家筋の人なので、もよく知っている。が携わっている情報誌もこの一族の関連会社や店舗の広告だらけ。ママさんの家も駅前の一等地、巨大な豪邸である。

地元の情報誌の編集部という職はちょっとした伝手で紹介を受けたところだった。フォトグラファーという願ってもない憧れの職業に就けるとあって、は何も考えずに面接を受けた。だが、就職して半年が経つ頃になると江戸時代まで遡るしがらみにがんじがらめになった地元の縮図を目の当たりにして少し後悔した。自分は21世紀を生きていると思っていたのに、昭和の世界がそこにはあったからだ。

転職を考えないのは、フォトグラファーという憧れの職業を手放したくなかったのと、締め切り前の超過勤務あるものの、慎ましいひとり暮らしに困らない収入があるからだった。それに、少人数の編集部には滅多に飲み会もなく、社員旅行もなく、編集長は子供を溺愛しているし、先輩たちはそれぞれ趣味人で、仕事を離れてまで余計な付き合いをしなくていいからだ。

友達は元々ほとんどいないし、恋愛はもっと縁がないし、それらが人より乏しいことに焦りや苛立ちは感じなかったし、昭和の世界に関わらねばならないことを除けば、の毎日はそこそこ気楽なものだと言っていい。ひとり暮らしを始めてからは余計に気楽だった。

ただ、25歳を過ぎて以来、変化のない毎日に不安を覚えるようになってきた。新たな生活や刺激的な出会いを求める気持ちはなかったけれど、四捨五入して30歳になった瞬間、編集部がなくならない限り自分は一生今のままなのではと思ってしまったからだ。

カメラのファインダーを覗き、撮影した写真で広告や記事を作り、ひとり暮らしの部屋に帰り、休みの日は疲れて寝ている。永遠にその繰り返しなのでは、いや、この編集部が存続している間はその繰り返ししかありえないし、定年、あるいは編集部が廃止になったとしても、何かの仕事を繰り返すだけの日々しか自分には出来ないのでは。

だってそうでしょ、たまに不安になるけど、じゃあ毎週日曜になると必ず河原でバーベキューやってるような人たちの中に混ざれると思うの? 絶対イヤでしょあんなの。サブカルもいまいち興味が薄いし、高校の時の写真部の先輩みたいなこじらせたオタクも無理。女子力向上も気乗りはしない。

そんな人たちの中に入って面白くもない話に楽しそうに笑ってあげることが出来るなら、今頃オーナーさんが持ってるキャバクラで働いてるよ。あなたの話は面白くないですねってツッコミなら言えるけど、お世辞も社交辞令も大嫌い。

はこんな性質(たち)だが、10代の頃はそういう考えをずけずけと口に出してしまうことが多く、さらにおしゃれや流行にさほど興味がなかったので、余計に同級生の中では浮いていた。

今思うと、そりゃあ友達出来ないよね、あれじゃ。27歳のは17歳の自分を心の中で嘲笑う。そういうわけで、10年かけて「口に出して言わない方がいいこと」を覚えたは無口になった。ひとり暮らしなので仕事を離れると余計に喋らない。

そうしてたまに声が出なくなったのではと思っては、ひとり部屋の中で「あー」と言ってみる。そんな時はいつも少しだけ嗄れていて、また薄っすらとした不安に包まれる。

孤独死は怖くない。それよりも怖いのは、いつかこの不安に負けて望まない世界へふらふらと迷い込んでしまわないだろうかという恐れだ。バーベキューやオタク趣味に混ざらなくても生きていける心の強さが欲しい。「人並み」から外れた日々でも不安を感じたりしない胆力が欲しかった。友達がいなくても、恋人がいなくても、結婚していなくても――

ギクシャクと跳ね回る少年たちに向かってシャッターを切りながら、の脳内のチーズはいつしか溶けてしまい、苦痛を伴う17歳の記憶が蘇ってきた。一番思い出したくない記憶はやはり夏だった。夏の夜、は学校で一番人気のある先輩とふたりで歩いていた。

今でも理解に苦しむことに、その先輩はに片思いをしていたそうで、何かというと彼の友人たちが手を尽くしてと彼をふたりきりにしたり、一緒に過ごせる機会を作ったり、世話を焼いていた。夏の夜にふたりで歩いていたのも、そのせいだ。

この日は地元近くのライヴハウスで高校生イベントが行われていて、ひょんなことからはそこで写真撮影を担当することになった。その夜、みんなで食事をしたあと、もう遅いから送っていくという理由で、ふたりきりになってしまった。先輩は荷物を持ってくれる上に気を使って色々話を振ってくれるのだが、当時のはその状況がもう既に耐えられなかった。

当時先輩は学校の中で一番強い光を放って輝いている宝石のような人だった。それがなぜ、路傍の石である自分に興味を示すのかが理解出来なかったし、の意志に関係なく外堀を埋めるようにしてカップル成立に持ち込もうとしてくる先輩の仲間たちも鬱陶しかった。

今にして思えば、先輩は顔の造作の良さだけでなく、人柄もよい人物だった。が偏見で思い込んでいたような俗悪なところは微塵もなく、口を開けば生意気なことしか言わないに対しても、辛抱強く歩み寄ってくれた人だった。

でも、それが耐えられなかった。どうしても彼のことを素直な目で見られなかった。

その夏の夜を最後に、先輩とは会っていない。むしろ同じ夜に自分たちを焚き付けていた先輩の仲間たちの中からカップルが生まれたそうだが、それを聞いた時は「くだらない、深く関わらなくてよかった」と心底思った。そんな仲間の末席に加わるのは嫌だった。

とはいえその高校生イベントには翌年も参加し、それが縁で地元の情報誌編集部への就職に繋がったので、悪いことばかりではなかった。ただ27歳のには17歳の自分が黒歴史だったし、こんな自分を好いてくれた先輩に対しては申し訳ないという感情が強くなっていた。

何を思ったかこんな面倒くさい女に興味を持ってしまって、その上何を言ってもやっても振り向くことはなく、プライドに障ったんじゃないだろうか。それは18歳だった先輩の傷になっただろうし、無駄な時間だっただろうし、申し訳ないことをした。

謝れるものなら謝るんだけど、きっと先輩はもう、そんな通り過ぎた過去のことは覚えてないかもしれない。ほんの数ヶ月心に引っかかっただけの可愛くない女のことなんかすっかり忘れて、今頃めちゃくちゃかわいい人と結婚してるかも。それならいいんだけど――

「嘘だろ、さんだ、さんだよね、久しぶり!」

頭上から振ってきた声には顔を上げ、驚くあまりカメラを落としそうになった。

「こんなところで会えるなんて。元気だった? あっ、ていうかオレのこと覚えてる?」

ポカンと口を半開きにしたは、ややあってからちょこんと頷いた。

そりゃ覚えてますとも。今ちょうど先輩のこと考えてたんだから。ていうかあなたは私の最大の黒歴史で、疲れてたり生理前になると蘇ってくる苦い記憶そのもので、だから忘れたことなんかなかった。

の目の前で柔和な笑みを浮かべているのは、黒歴史先輩こと、藤真健司その人だった。