続・七姫物語 神編

01

大陸の中でもポツンと小さく、暮らし向きの質素な観光地頼りの某国では今まさに建国以来ではないかと思われるほどのお祭り騒ぎが続いていた。この国の国王は生来病弱なのだが、異様に健康で文武両道でよく働く国民人気の高い王女が大国の王太子と結婚するからである。

とはいえ、この騒ぎは2年前にも一度起こっている。その時も王女の婚約だった。それが国民にはあまり詳しく説明できない理由で一度破棄になっている。婚約のために滞在していた王太子は国へ戻り、そして約2年の時間を置いて、また王女をもらいに戻ってきた。

この王太子も婚約に際しては金品その他をバラ撒いたおかげか、国民からはとても好意的に迎えられていたし、何より民に愛される王女を選んだことで「あのお方ならうちの姫様をお任せ出来る」と信頼されていた。が、婚約破棄になった際には「やっぱりこんな小国じゃだめだったか」と落胆した者も少なくなかった。

しかし、王太子は戻ってきた。超大国の世継ぎでありながら、周辺諸国の金持ちの静養で成り立っているような国の王女を妃に迎えるために戻ってきた。王太子は今や王女と並んで大人気、国王よりも好かれているかもしれないという有様。というか王女婚約のお祭り騒ぎの中で一番影が薄いのが病弱な国王陛下である。

「何しろ遠いからね、私も心配していたんだよ」
「恐れ入ります陛下。本当は武力行使はするつもりなかったのですが……
「殿下、嘘はいけません」
「はいはい、面倒くさいので片付けました」

つい昔の習慣で好青年を演じてみせた王太子、神宗一郎は側近に突っ込まれると途端に真顔になって不貞腐れた声を上げた。この王太子、子供の頃から謀殺と隣り合わせで育ったせいで、外面がよすぎる反面中身は黒め。瞬間的に豹変した王太子に国王と王女は吹き出した。

王太子殿は王女・を妃に迎えるために、しつこく襲撃を繰り返してくる分家を2年で壊滅に追いやり、自身の世継ぎとしての立場を揺るぎないものにして帰ってきた。

「それで宗一郎殿、いつ頃出発されるのかな?」
「今回は長居せずにお暇したいと思います。前回とはだいぶ事情が変わってしまいましたから」
「結婚式はまだ先だろうね?」
「それも日取りをお約束できる状態ではなくて」
「そうだろうそうだろう。でもそれだけは私も出席したいので、呼んでくだされ」
「もちろんです。こちらからお迎えに上がりますので、是非お越しください」

2年も待たせたので王太子は早く王女を連れて帰りたがっている。分家が倒れたとはいえ、元々神の父親である現国王は気弱で優柔不断、あまり留守にしたくない。なので、2年前には1ヶ月以上滞在した王太子一行は旅の疲れを癒やしたらすぐにでも出発の予定だ。

「それまでは父娘水入らずで……と申し上げたいところなのですが」
「大丈夫、私たちは2年も水入らずをやったから、今度はふたりでゆっくりしなさい」
「感謝します、陛下」

神はにっこり微笑んで隣にいたを抱き寄せた。ふたりは素直に愛し合うようになった瞬間に離れ離れ、こちらも2年ぶりの再会である。もう中身がちょっと黒めなことを隠さなくていい神は遠慮しない。父親を前にしては恥ずかしがっているが、まあ今さらだ。

前回は城に近い国1番の館を王太子の宿として提供したが、彼はそこで分家の襲撃に遭い、最終的には唯一の資産である民家のような別荘に寝起きしていた。ふたりは出発までの数日間をここで過ごす予定だ。

別荘は何しろ小さいので使用人の部屋はない。ないというか厳密にはあるが薄いドアを一枚隔てただけの簡素な部屋なので、2年ぶりの再会を果たしたふたりの邪魔にしかならない。神を生まれた時から面倒見ているばあやと側近たちは、用があれば一番近い宿から通う。

そして2年前に国で1番の館に賊を入れてしまった反省から刷新増強された警備がふたりを邪魔しない程度に取り囲む予定だ。しかし繰り返すが別荘は小さい上に別荘を取り囲む塀もなくて、春になると黄色の可憐な花をつける低い生け垣があるだけ。かなり離れないとお邪魔です。

歓迎の晩餐会を終えたふたりは、月が高く登る頃になってようやく別荘に帰ってきた。

「2年前、発つ前に3日くらいここにこもってたでしょ。子供出来たんじゃないのって大変だったんだから」
「まあそれはちょっと期待しないでもなかった」
「何それ。そしたら1歳近くなるまでお父さんに会えないじゃない」
「いや、もしそれが男の子だったら危険な時期を一番安全な状態で過ごせるから」

ひとりで子供産んどいてくれたらよかったのに、と言われたのかと思ったは憤慨したが、現実的な理由が返ってきたのでしょんぼりと眉を下げた。当の神自身がそういう危険な中で育ってきたからだ。その上彼の生母である当時の王妃は息子を守って亡くなっている。

「実はあの時、ここに来たのは妃を迎える名目じゃなかったんだ。ただの静養の振りしてた」
「じゃあもし子供出来てたとしても、バレようがなかったのか」
「ま、自分の子とはいえ、子連れの女を妃に迎えると言えばまた騒ぎになったろうけどな」

神はを膝に乗せてへらへら笑っているが、笑いごとじゃない。

「そんなんで本当に結婚できるの?」
「できるの、じゃなくてするんだよ。実際法的には一切問題なし、国王が認めればそれでいい」

もちろんできるよ! という明快な答えが返ってこないのが余計にの不安を煽る。なんせ神の国カイナンはの国に比べて何もかもが桁違い。国土と人口の段階でカイナンの方が30倍も大きい。今更ながらそんな大国の王妃になるなど、規模が大きすぎて目眩がしてくる。

けれど、ふたりの目的は市井の人々のように一緒に暮らすことである。お互いの立場が色々面倒くさいだけで、感情だけで言えば単に好きだから結婚したい、それだけなのである。

「大丈夫かなあ、私……
「明け方に忍び込んできた襲撃犯をひとりで返り討ちにするよりよっぽど楽だと思うけど」

2年前の話をほじくり返した神の頬をはつねる。王妃としての務めと槍術はまったくの別物だ。その上の場合、槍術歴は既に14年。比較にならない。

「軍の新人に槍とか弓とか馬とか教えろっていうなら簡単なのに」
「それが簡単なのもどうなんだほんとに。あまり危険なことはやらないでくれよ」

おかえしに神もの頬をキュッとつまむ。

「でも、何も心配することないよ。そのために2年間戦ってきたんだ。ちゃんと安全に連れ帰るし、それで陛下に結婚式に来てもらおうな。たぶん陛下わんわん泣いちゃうんじゃないか。うちのばあやと一緒に」

想像したらも涙ぐんできた。神と一緒になれるのは嬉しいが、生まれ故郷から離れるのは寂しい。ばあやをはじめとする神の家臣たちが仲良くしてくれるので不安はないけれど、わんわん泣く父親は想像に難くなくて笑えてくるが、泣けてもくる。

……お前をこの優しい国から連れ出すのはオレも忍びないんだけど、その、来てくれるか」
「大丈夫、二度と帰れないわけじゃないもん。カイナンの人とも仲良くなりたいって思ってる」
「寂しくないように、するから」

息を吸い込むようにして、唇が重なる。神はを抱きかかえるとベッドに運び、慎重に横たえる。そのに寄り添い、腕を突っ張って覆い被さる神は顔を近付けると声を潜めてニヤリと微笑む。

、子供出来てもいい?」

民家と変わらない大きさの別荘、小さなベッドの上では小さく頷いて目を閉じた。

「王宮の前側がつまり城下町ということになります。王宮の前は放射状に区切られていて、外国人居留地区、歓楽街、商業地区、職人地区、工業地区の5つに分かれています。一番小さいのが歓楽街、一番大きいのが工業地区。それを取り囲んでいるのが住宅街。王宮の背後は軍部や議会、裁判所などがあります」

馬車の中で神の側近である総隊長から説明を受けたは、ぽかんと口を開けて窓の外に首を出している。

の生まれ育った城より高い外壁に囲まれたカイナンの王宮とその城下町は巨大で、自然豊かな小国育ちのの想像を遥かに超えていて、説明を受けたところで頭になどさっぱり入ってこない。というか放射状に分かれてるのはいいけど今は一体どこなんだ。

「あら、まだ街に入ったばかりですよ。ここは南町の中央通り、商業地区の中です」
「みなみまち……
「王宮を境に北が官、南が民なので、こちら側を総称して南町といいます」
「分家が片付きましたからね、街にも下りられますよ」

淡々と説明する総隊長の横で、ばあやはにこにこだ。彼女にとっても神との結婚は念願であり、いっそ神付きから付きに変えてもらえないかと最近はしつこい。

「正式に結婚するまでなら好きに下りられるぞ。居留区の外国人と立場は同じだからな」
「当然その際には護衛が付きますが、それでもよろしければ」
「あら、様ならそんなものなくても槍でエイヤッとなされば」
「ばあや、はこれからオレの妻になるんだからな」
「あらそうでしたわね、若様がばあやを厄介者扱いするので忘れておりましたわ」

神からへの担当替えをばあやが考えていた頃、それを知らない神がつい労うつもりで「もうお役御免にしようか」などと言ったので、以来ばあやは神に冷たい。彼女は体が動かなくなるまでばあやを続けたいと願っている。それが生き甲斐なのだ。

そういう3人のやりとりを右から左へ聞き流していたは、まだ窓の外の景色に呆然としていた。外壁を通り過ぎてからもう10分くらいは走っているのに、一向に王宮が近付いてこない。実家の城と城下の目抜き通りなんて、歩きでも15分程度で終わってしまうのに。

お父さん、こんなところに来たら腰抜かすだろうな――

「ああだけど様、何日かは王宮の中に缶詰です。しばらくご辛抱なさってね」
「は、はい」
「それが明けたらばあやと一緒に色々おでかけいたしましょうね」
「あのな、ばあや」
「若様はお仕事で忙しいですから、女子だけでお出かけしましようね~!」

ばあやの「女子」発言に神と総隊長が吹き出し、もやっと笑った。だが王宮に缶詰と言っても、その王宮自体がの生まれ育った城と城下町を足したより大きい。閉塞感などないに違いない。そして改めて思う。とんでもないことになってきてしまった――

そして30分近くかけて王宮の正門に到着した馬車は、ずらりと並んだ城の衛兵に迎えられた。城下の民の出迎えはない。一般人はこの正門から向こうには基本的に足を踏み入れられないし、例えば現在正式に王族である神の場合も正門の外へは出られないことがほとんどだ。

護衛に囲まれた馬車だけがすばやく王宮に入っていく。馬車が通り過ぎると巨大な正門が閉まり、衛兵だけが闊歩する殺伐とした王宮の中に入る。一応馬車を待っているのは国王と現王妃、そして国の首脳陣たちなので、は既に正装になっている。緊張もしているが、そこは武芸で鳴らした猛者だ。呼吸で緊張を宥める。

、昨日も話したけど、父は気弱で、どちらかというとの父君のような感じだ。だからそれほど気を使わなくてもいい。だけど王妃の方は神経が細くて怒りやすいから丁寧に。大臣たちは今の時点でも階級が下だ。ちゃんと上から目線で接するようにな」

は真面目な顔で頷く。一般市民の嫁入りと違うので、こういうことは神の指示に従っておかないと後で面倒なことになる。大臣たちへ上から目線で接しろというのも、小国の田舎臭い姫君だと思って舐めてかかられてはならないからであり、それはいずれ神への態度に直結するからだ。

元が城下の人々とも親密に接してきた愛され王女なだけに、初対面から砕けて接したが最後、もう修復できない。はそれを前夜に神と総隊長から昏々と説かれて、しっかりと覚悟をした。いずれ民と触れ合えることもあろう。今はまだその時ではないし、彼らはそういう相手ではない。

馬車が止まると、まずは総隊長が出て扉を大きく開き、ばあやを下ろす。その次に神が出て、最後にである。ドレスの裾を押さえながら神の手に掴まって馬車を出たは、顔の筋肉を無理矢理固定した状態で頭が爆発した。王宮が大きすぎる。山に見える。本当に人間が築城したと思えない。出迎えの一行が遠い。

……怖いか?」
「怖いけど負けない。いつか王宮の中を全部走破してやるから」

しっかりと笑顔を作るに神も笑い返すと、ふたりは王宮前広場を歩いて行く。やがて正面玄関というには大きすぎる入り口の前で待っていた国王たちも歩み寄ってきた。先頭に立つ神に面差しの似た優しそうな男性が国王だろう。神が足を止めると、は一歩後ろで止まり、腰を落として頭を下げた。

「只今戻りました。こちらが王女殿下です」
「無事に戻って何よりだ。殿、よくぞいらしてくれた。表を上げなさい」

が姿勢を戻すと、柔和な国王陛下がちょっと涙目で微笑んでいた。

「初めまして、と申します」
「なんと、可愛らしい姫ではないか。唯一の姫だというのに、殿もよくぞ決断してくれたな」
「父とお慕いできる方が増えるのはこの上もない喜びでございます」
「心憎いことを言うてくれる。どうか末永く宗一郎を支えてやってくれ」
「はい。承知いたしました」

神の言うように、国王陛下はの父と完全なる同類のようだ。息子が可愛い嫁を連れてきたのが嬉しくて仕方ないらしい。涙目を細めてうんうんと頷きっぱなしだ。

「それからこちらが王妃だ。宗一郎とは義理の関係になるが、母と慕ってやってほしい」
「お互い遠いところを嫁いできた身の上、いずれゆっくり話しましょう」
「母上などとんでもない、お姉様のように思えます。こちらこそぜひお話をさせて下さいませ」

実際のところ王妃は後妻なので、神ととは13歳離れているだけ。その点に非常に過敏だという話だったので、少々わざとらしく聞こえるのを承知で突っ込んでみた。が、かえってそのわざとらしさが気遣いに聞こえたか、王妃はホッとした顔で微笑んだ。

、こちらが大臣はじめこの国の首脳陣だ。皆もよろしくな」
「初めまして、ようこそおいでくださいました様」
「忙しい中の出迎え感謝します。共に陛下と殿下を支えてゆきましょう」

にこやかだが決してへりくだることなく言うに、大臣たちも「おっ」と目の色を変え、事務的に頭を下げた。そうは言ってもまだ婚約中、結婚しても国王が死ぬまでは王太子妃、それほど接触はあるまい。これでいい。

一行は国王に促されて城に入り、雑談めいたことを話しながらも巨大な城内を通過し、さきほど総隊長が説明していた「北町」が見える王宮の裏庭にやってきた。歴代の王族が眠る墓所である。はこの末端に加わるものとして、まずはここで祈りを捧げる。

あまりキョロキョロするわけにもいかないが、何かを探している風だったに、神は目配せをしてやる。彼の生母の名が刻まれた墓碑だ。はそれを確認すると、中央に立つ1番大きな墓碑の前に跪きつつも、意識だけは神の生母の方へ向けて祈りを捧げた。お母様、初めまして――

さて、今日のところはこれで終わりだ。到着早々晩餐会などというのんびりした余裕のない国家である。国王は大臣たちと執務室に戻り、王妃は公務のためにこれから城を出るという。歓迎の晩餐会は翌日の予定だ。

「お疲れ様でございました。さあさ、今日から様のお家になる館へ行きましょうね」
「館?」
「王宮内はいくつもの城と館でできているんですよ」
「父親のすることに口挟んでてもまだ立場は王太子だからな。オレたちの家は城の外」

の国の城下の目抜き通りと同じくらい広い廊下を、ばあやと総隊長に挟まれ、神と手を繋いで歩いて行く。は広い廊下に馬術の練習場を思い出していた。ここなら馬で走れるな……

「明日の晩餐では王族が一同に介します。全員覚えるのは無理ですが、予習しておきましょう」
「面倒くさいのだけ覚えておけばいいからな。話もオレが間に入るし」
「だけどどっちみち晩餐は夜です。今日はゆっくりお休みくださいね。若、あなたもですよ」
「はいはい」

王宮内でひときわ大きな城が国王の居城と政務の場ということになる。その周りに王族の館が街のようにいくつも並んでいて、城下と王宮を隔てる外壁があるとは思えないほどの広さ、そして緑豊かな通りには感嘆の声を上げた。その中でも特に大きな館が王太子邸である。

「政務には公式に参加してなくても、一応立場は国王の次だからな」
「2番目は王妃様じゃないの?」
「彼女は3番目。ちょっとややこしいんだそこんところ」

この国は「世継ぎ優先」で格付けされるしきたりだ。なのでもしが神との間に男の子を生めば、その時点で王妃はまた一段下がる。そして神が即位したらまた下がる。逆には上がる。

「面倒くさいね」
「分家がうるさいんでギチギチに固めてたんだよ」
「殿下の私物は既に運び込んであります。荷解きはその都度お声掛け下さい」
「私たちもこちらに住んでるんですのよ」

神が2年前に借り受けていたあの館の軽く5倍はありそうな巨大な造りだ。左右対称で3つに区切られており、右側がばあやの領分である生活に関わる場、左側が総隊長たちの居室や執務室、そして中央が神とが過ごす場所だ。

ひとまず翌日の晩餐の予習と、その際に着用する正装の準備で遅くなってしまい、その晩のふたりはイチャつく気力もなくベッドに倒れ込んだ。少なくとも神の方は気持ちだけなら盛り上がっていたのだが、疲れすぎて瞼が重い。それでも巨大なベッドで寄り添ったふたりは、手を繋いでまどろんでいた。

「何もかも大きくて正直混乱してるけど、こうしてると何も変わらない感じがする」
「街から距離があるから王宮内は静かだしな」
「今まではここでひとりで寝てたの?」

頷く神はもう殆ど目を閉じている。

「これからふたりだ。ずっと、な……
「うん……

細く差し込む月明かりの下、ふたりは吸い込まれるようにして眠りに落ちた。