「それでこの子拉致って逃げてきたっていうのかよ」
「拉致とか失礼な。私たちはこの子を助けただけ」
「はあ~三っちゃんが幼馴染に子供産ませたのかと思った……」
「ふざけんな」
三井と同じ学校で同様に「ヤンキー」という人種である堀田という男子は、その大きな体を丸めてジュエルを覗き込み、はーっとため息をついた。
彼の家は住宅街から少し外れた場所にあり、板金工場と同じ敷地内に2軒の戸建てが建っていて、その周囲は無作為に車が停めてあった。堀田の話によれば、元々はここに彼の祖父母と両親の他に叔父の家族や親戚の居候が住んでいたそうだが、現在は自分の家族と祖父母しかいないという。
なので「離れ」扱いの元叔父宅を堀田とその姉が使っている。姉は本日週末のため夜遊び中。
ジュエルはまたミルクを飲んで寝てしまった。目が覚めても泣かず、ぼんやりとの顔を眺めているだけに見える。一応病院に搬送することになっていたけれど、今のところは元気そうだ。
「でも、そんなのオレら素人にはわからんだろ。大丈夫かよ」
「だけどあの人たち、絶対この子のこと知ってるよ!」
「……警察署の入り口にいた男もおかしかったんだ。オレたちを見てすぐに妨害した」
「よく見れば10代だって気付くだろうけど、確かに三っちゃんたちは初対面のはずだもんな」
「私が『お母さん見つかるといいですね』って言っても、同意しなかった。それもおかしい」
「……そうだよな。この子が誘拐なのか置き去りなのか、はっきりしてないのに」
ジュエルのために薄暗くしてある部屋で、3人は腕を組んで唸った。
最初はと三井も児相の職員だという女性を疑っていなかった。だが、思い返してみると妙な点が多すぎる。ジュエルをから有無を言わさずに奪い取ったり、「るうちゃん」の件といい、の言うように、何も真相が判明していないというのにジュエルは「親が置き去り」にしたと言っていた。この時点で既に充分おかしい。
さらに三井の言うように、警察署の入り口でふたりの前に立ちはだかった男性も、まるでジュエル本人のことを知っていたような態度で、しかも勤務中の職員というよりは、定年退職後の無職の男性という風体だった。
「……この子のじいさんとばあさん、と考えるのが自然だろうな」
「それはわかるんだけど、だとしたらどういうこと? なんであそこにいるのわかったの?」
「いや、こっち見るなよ、わかるわけねえだろ」
覗き込んでくるに三井は身を引いて首をすくめた。
「てかお前、あの石山とかいう人に連絡すんじゃねえのかよ」
「あ、そうだ。堀田くん、電話借りられる?」
「いいけど……逆探知とかされねえか?」
「警察に電話すると全部逆探知されちゃうの?」
「いや知らんけど、まあいいか」
怪訝そうな顔をした堀田だったが、普段から使われている形跡のない学習机の上から子機を取ってきてに手渡した。警察署の電話番号を調べて直接かけよう思っただったが、その子機をまた堀田が奪い取った。
「えっ、なに」
「一旦オレがかける。その石山って人に取り次いでもらえそうだったら代わるよ」
「えっ、ほんと。ありがとう」
パァッと笑顔になったの声にちょっと照れつつ、堀田はプッシュボタンを押して電話をかけた。特に用向きは伝えず、身内のものだが石山に取り次いで欲しいと申し出ると、ややあってから堀田が左手でOKサインを出した。高校生にしては低くて野太い声をしているので、未成年には聞こえなかったんだろう。堀田は子機を床においてスピーカーボタンを押す。軽やかな保留音が淡々と鳴っている。
20秒ほど待っただろうか。突然保留音が消え、不機嫌そうな石山さんの声が聞こえてきた。
「お待たせしました、石山です」
「……石山さん、黙って聞いてください、です」
「……あなたね、自分が何をしたかわかってるの?」
「石山さん、大きな声を出さないで。赤ちゃんは無事です。傷つけるつもりはありません」
「いい、今すぐ、どこにいるのか教えなさい」
「石山さん、お願い、私の話を聞いて。さっきの人は、児相の職員じゃない」
必死に語りかけるだったが、電話の向こうの石山さんはわざとらしいため息をつく。
「児相の職員じゃなかったら何だって言うの。いい加減にしなさい」
「石山さん、石山さんはあの赤ちゃんの名前、知ってますか?」
「知りません。そういうことはこれから調べます。今どこなの」
「そうでしょ、誰も知らないはずでしょ。だけどあの人、赤ちゃんの名前知ってた」
「そんなわけないでしょ、何を言い出すの」
石山さんの声が高くなってきたので、今度は三井が口を開いた。
「オレたちが赤ん坊を抱えて警察署を出ようとしたら、初老の男にいきなり妨害をされた。それはどう説明するんだ。オレたちは事実10代だけど、男女ふたりが子供を抱いていただけなのに、なぜあの男はオレたちに『その子をどうするつもりだ』と言ってきたんだ。オレたちが赤ん坊を奪って逃げてるところだって、なんでその男はわかったんだよ」
電話の向こうの石山さんは無言だ。またが身を乗り出す。
「私、早くお母さん見つかるといいですねって言った。だけどあの人は『どうかしら、公園に捨てていくような親だ』って言った。どうしてこの子が捨てられたって思ったの? 誘拐だったかもしれない、隠しただけだったかもしれない、赤ちゃんをあそこに置いたのが親だなんて、いつわかったんですか?」
ややあってから、低い石山さんの声が聞こえてきた。
「……あの人が児相の職員なのは間違いないの。それはどう説明する?」
「なんで石山さんはあの人が児相の職員だって思ったんですか?」
「思ったんじゃない。児相に連絡して来てもらった人だから」
「職員さんてIDとか、身分を確認するものを提示するんですか?」
「えっ……と、私は今日直接要請をしたわけじゃなかったから……ええと」
石山さんが途端に口ごもり始めたのでは畳み掛ける。
「じゃあなんで石山さんはあの人のこと頭から信用してるの?」
「だってそれは、少年課の……」
「つまり、あんたは直接面識なかったんだな。だけど仲間が連れてきた人だから疑いもしなかった」
また沈黙が続いて、今度は疲労の滲んだため息が聞こえてきた。
「赤ちゃんは無事なんでしょうね」
「大丈夫です。子育て経験のある女性がいる場所にいます。家の中だし、寒くない」
ジュエルのことは何ひとつ話していないが、一応堀田とその姉を育てた彼の母親はすぐ近くにいる。ジュエルの様子がおかしくなったら堀田には申し訳ないが頼ろうと思っている。
「石山さん、調べてください。赤ちゃんを迎えに来たふたり、絶対おかしいから」
「だけどあなたたちに赤ちゃんを預けっぱなしにしておくわけには――」
「あんたらはオレたちが10代だってだけで疑い、あいつらのことは疑いもしない」
「それは……」
「そういう人間ばかりいるところに返せると思うか? 信じてほしかったら調べてくれ」
横から口を突っ込んできた三井が言い終わると、石山さんが大きく息を吸い込む音が聞こえた。
「……ちょっとでも様子がおかしくなったら、すぐに病院に」
「わかってます。今はスヤスヤ寝てるけど目を離さないから」
「それから、今から私の携帯の番号を教えるから、何かあっ――――」
「……石山さん?」
「ちょっと待って」
また沈黙が続き、一瞬保留音に切り替わると、直後にまた低い石山さんの声になった。
「石山さん? 何か――」
「急いでメモして。それから、今から5分後にかけてください」
「えっ、は、はい」
石山さんの声が怖いので、は慌てて番号をメモした。すると挨拶もなく一方的に通話が切れた。
「どうなんだ今の人。信用できそうなのか?」
「石山さん本人は大丈夫だと思うけど……」
「5分後つってたな。何があるのやら」
「その前にトイレ行ってこよ。堀田くんトイレ貸して」
が急いで部屋を出ていくと、腕組みのままだった三井と堀田は息を吐いて姿勢を崩した。
「……悪かったな、いきなり」
「いいよ別に。ちゃんかわいいし」
「ふざけんな」
「何だよ、やっぱり好きなのか」
「そ、そういう意味じゃ、ねえし」
つい何も考えずに「ふざけんな」などと口走った自分の迂闊さを呪った三井はしかし、モゴモゴと口ごもるので堀田のニヤニヤが止まらない。
「ちゃんの前だとヤンキーになる前の三っちゃんが出てくるよな」
「どういう意味だよ」
「こんな赤ん坊、どうなったって気にしないだろ、普段なら」
「そんな……ことは……」
「三っちゃんはほら、割と一緒にいる人間によって人が変わるから」
「知ったような口利くんじゃねえ。殴るぞ」
だが、堀田はニヤニヤを引っ込めない。ジュエルに気を使ってか、三井は言葉では物騒なことを言っていても、ずいぶん小声だからだ。赤ちゃんが起きちゃうのでうるさくしてはいけないと思っているわけだ。すぐに喧嘩に走るヤンキーなのに。
「もし今日一緒にいたのが鉄男とか竜だったら、助けてないだろ」
「……知るかよ」
「普段のことはともかく、ちゃんに関しては素直になっといた方がいいと思うけど」
そう言って部屋を出ていった堀田はトイレから出てきたと一緒に戻ってきた。手には薄手の毛布を何枚か持っていて、それをと三井に差し出した。はそれにくるまると、メモした電話番号をプッシュしていく。
「……石山さん?」
「……今、外に出ました」
先程の低く潜めた声ではなかった。
「実は、今あなたたちは赤ちゃんを誘拐した未成年男女ということになってます」
「まあ、そうですよね」
「だけど、さっき電話で話している時、女性の方に、私も違和感を感じて」
「違和感?」
「ちょっとヒステリックになって、涙ながらにあなたたちを捕まえろと」
また石山さんのため息が聞こえてくる。
「児相の職員さんなら、もっと悲惨なケースに日々直面してるはずです。それにいちいち涙して感情的になっていたら仕事になりません。状況的には無事に保護できたというのに、あの様子はおかしいと私も思ったの。それに、一緒にやって来た男性があまりに親密そうで、職場の同僚に見えなかった」
からの電話を受けながらそれを目にした石山さんの心に疑いの風が吹いた。
「だけど、だとするとどうして赤ちゃんがうちの署に保護されていることを知ったのかとか、うちの少年課の署員と児相の職員として面識があったのか、説明がつかないの」
それを聞いたたちもまた腕組みをして唸った。問題はそこだ。
「それでさっき、児相の方に連絡してみたの。そしたら確かに職員の方が連絡を受けてこっちに向かったということは確認が取れたし、もしあの男女が赤ちゃんと関係があったのだと――」
また石山さんの声が途切れる。
「石山さん? もしもし?」
「……あなたたちは、なぜあの女性が名前を知っているのかと言ったけど」
「赤ちゃんの着ている肌着に黒いペンで書いてあったんです」
「それは、もしかして、『ジュエル』?」
「えっ?」
また石山さんの声が怖くなったので、は全身がサッと冷たくなった。
「さん、このままかけていられますか? イヤホンマイクにします」
「堀田くん」
「……大丈夫、会社のとまとめて払ってるからバレない」
「石山さん、大丈夫です」
「今、30代くらいの男女が、『ジュエルが戻らなかったら遺産がパァだ』と言って通り過ぎました」
「遺産……」
「署内に入っていったから、後を追います。ヒントになるようなことがあったら教えて」
「わ、わかりました」
しばし無音が続き、やがて人の話す声が混ざり始め、明るく作った石山さんの声が聞こえるようになっていった。だが、しばらくすると、さきほどジュエルを抱いて「るうちゃん」と呼んだ声が涙混じりで喋っているのが聞こえてきた。
「もしあの子に何かあったらどうするんですか。あんな不良のカップルくらい、パトカーで追いかければすぐに逮捕できたでしょう。早く見つけないと、こんな寒いのに」
これが児相の職員の言葉だろうか。たちが背筋を冷やしていると、「母親だと名乗る人が来た」と石山さんの小さな声が聞こえた。遠くにわずかだが、若い女性の「赤ちゃんはどこですか」という声が聞こえてきた。
「自分の子が行方不明の時に『赤ちゃん』て言うか?」
「まあせめて『うちの子』だと思うよな」
ぼそぼそと言う三井と堀田の言葉に、ははたと思いついて顔を上げた。
「寿、ピアス持ってたよね?」
「えっ、ああ。さっきの」
「石山さん! 返事しないでいいです。『はい』なら1回、『いいえ』なら2回マイクを引っ掻いて」
すぐにガリッという音が聞こえてきた。
「そのお母さん、ピアスをしてますか」
3回聞こえてきた。わからないということだろう。
「確かめてみてください。ピアスはしてますか」
しばらく沈黙が続いた後、1回聞こえてきた。
「そのピアスの形は、棒にキャッチで宝石がついてるタイプですか」
1回。
「その宝石の色、何色ですか。青?」
2回。そして、かすかな声で「パール」と聞こえた。
「石山さん、その人もお母さんじゃない。赤ちゃんの入ってたキャリーの中に青い石がついたピアスがひとつだけ落ちてた」
1回。すると今度は明るい石山さんの声が聞こえてきた。どうやらそのジュエルの親を名乗る人物の男性の方と話しているようだ。内容は特に怪しいということもなく、淡々と娘が心配だということばかり。だが、それもおかしいではないか。なぜこの署にいると知っているんだろう。
そして続けて女性の声が聞こえてきた。
「赤ちゃんを誘拐したやつの行き先は見当ついてるんですか?」
「現在追跡中です。一度は保護したと連れてきてくれた少年ですので、慎重に捜査を」
「何を言ってるんですか、悪人なんですよ?」
「お子さんをとても大事にしていらっしゃるのですね」
「当たり前でしょう?」
「私が応対しました。真っ白なハイブランドの肌着を着ていて、愛されてるんだなって思いました」
えっ、と声を上げたはぐっすり眠り込んでいるジュエルの襟元を開いて覗き込んだ。真っ白なハイブランドの肌着? 黒い油性ペンで名前が書き込んであるヨレヨレした薄ピンクでリボン柄の肌着だけど? だが、ピンときた三井が子機に顔を寄せた。
「肌着は薄いピンクでリボン柄、名前が書いてある」
1回。そしてまた女性の声。
「もちろんです。うちではそのブランドのものしか着せないんです」
思わずは両手をバチンと口元に叩きつけた。
ややあってから石山さんの荒い息遣いが聞こえ、男性の署員に事情を話しているのが聞こえてきた。その途中で通話が切れてしまったけれど、たちが固唾を飲んで待っていると、10分ほどしてまた電話がかかってきた。
「ごめんなさい、協力ありがとう」
「大丈夫なんですか?」
「信用できる人に全部話したので、全員一箇所に集めて事情を聞きます。なので――」
また石山さんの声が途切れた。すると今度は彼女の泡を食った「大丈夫ですか!?」という声が聞こえてきた。一体何があった。
「石山さん!?」
「署の裏に停まっていた車の中に猿ぐつわをはめられた女性が……!」
「え!?」
「どうしました、大丈夫ですか!」
「わた、私が児相の職員です!!! 偽物が!!!」
冷たい秋の風が吹く夜に、石山さんとたちの悲鳴がこだました。