熱いカラダ

前日の天気予報通り、この日は11月初旬だというのに朝から大変な冷え込みだった。前日との気温差が10度以上の地域もあるらしいから、体調管理はしっかりしろとHRでも言われていた。なので、花形は制服のブレザーの上に部のジャンパーを羽織り、マフラーまで巻いて家を出た。

また、文化祭が近いので体育館が作業場として様々な部やクラスに占拠されており、運動部は全てグラウンドに追いやられた。全運動部がグラウンドを奪いあう状況になっていて、元々体育館使用部であるバスケット部は駐車場の脇にあるゴールポスト1基だけしか確保できていない。

この状況と突然の低気温を受けて、一応自由参加である朝練は中止と相成った。

いつもより遅い時間とはいえ、一気に冬に突入したような気温の中を、花形はとぼとぼと歩いていた。いつもより寝坊できたけれど、朝練がないとそれはそれで落ち着かない。放課後もまだ体育館が使えないから、なんとなく体が重いような気がする。そんな体を抱えて駅までやって来たところで、と行き合った。

「おはよー。どうしたの、寝坊?」
「おはよ。いや、今日は中止」
「ああそっか、体育館、使えないもんねえ」
「しかもこの気温だろ。監督の不機嫌が直らん」
「監督って、藤真、でしょ、あはは」

現在同じクラスのは、襟元にマフラーをぐるぐる巻きにして手袋をしている。口元に手袋をした手を押し当てながら、ぼそぼそと喋っては笑っている。というか花形とは3年間同じクラスな上に最寄り駅も同じで、腐れ縁っぽくなってきている。

何しろ花形が忙しいし一緒に遊んだりはしないけれど、慣れた間柄なので学校行事の時などはペアを組まされやすくて、実は今もクラス展示の会計をふたりで任されている。実際はそんなことをしている暇のない花形に代わってがひとりでやってくれているのではあるが。

「文化祭が終われば元に戻るんだし、それもあと4日くらいなんだけど」
「確か、受験で潰れた時も、監督、超イライラ、してたよね」
「練習のことになるとなぜか忍耐力がないんだよな、あいつ」

そんなことを話しながら駅に入り、階段を上っていた花形はとなりのがやけに息切れしているのに気付いて足を止めた。さっきから話す言葉は途切れ途切れだし、様子がおかしい。階段を上り切った花形は、人の波の邪魔にならないようにの肩を押して隅に寄った。

「おい、大丈夫か、具合悪いんじゃないのか」
「ごめん、なんかよくわかんない、そうかも」
「帰った方がいいんじゃないのか、どうせ授業午前中だけなんだし」

文化祭準備のために午後の授業が潰れている。3年生の場合は時期も時期なので帰っても構わないことにはなっているが、1週間程度なので、午後の授業の時間の間はちゃんと残って準備に参加する生徒が多い。

「その方が、いいかな――

眼の焦点がはっきりしていないは、言いながらぐらりと前のめりに傾いた。慌てた花形が支えるが、の体は力が入っておらず、今にも倒れそうだった。咄嗟に思いついての額に手を当てると、ものすごく熱かった。ポケットに突っ込んでいて温かい手で触れたのに、人の肌の温かさではなかった。

、おい、聞こえるか」
「ごめん、聞こえる、なんか、体に力が、入らなくて」
「たぶんものすごい熱出てるぞ、病院行った方がいい。普段かかってる所とかあるか?」
「うん、駅ビルの、2階の」
「保険証持ってるか?」
「ある」

駅ビルの2階なら駅と直結しているし、そのクリニックなら花形もよく知っている。駅利用者向けに比較的遅い時間までやっていて、診察は流れ作業だが、軽い症状の時は所要時間が短いので重宝されている。だが、現在まだ8時にもなっていなくて、少し待たなければならない。

、親は?」
「親? 仕事だけど」
「どっちもか?」

は花形の腕に掴まりながら頷く。今から呼んだとしてもクリニックが開く時間くらいまでかかるだろう。花形はに聞こえないようにため息をつくと、心を決めた。

「確か診療開始って8時半からだったと思うから、とりあえず診察券だけ出そう」
「うん、財布に、入ってる」

ふらふらしているを片腕で支えながら、花形は駅ビルの方へ向かう。連絡通路にあるベンチにを座らせると、花形は声をかけながらのバッグから財布を取り出した。本人に持たせてみるが、うまく開けられない。花形はまた声をかけながら財布を開き、中から診察券と保険証を取り出した。

「オレ、今これダッシュで出してくるから、ここにいろよ」
「ごめん、ありがとう、お願い」

花形は部ジャンを脱いでにかけると、駅ビルの中に駆け込んだ。クリニックの入り口で事務員らしき女性が掃除をしていたので、花形はざっと事情を話して診察券と保険証を預け、また走って戻った。

、1番だって言ってたからすぐ診てもらえるぞ」
「ありがと、ごめん、大丈夫だから、行っていいよ、遅刻するよ」
「いや、付き合うよ。お前ひとりじゃまともに歩けないだろ」
「だけど――

頭も自分で支えていられないは俯きながら首を振ったが、花形は肩をぽんぽんと叩いて笑った。

「オレは推薦決まってるし、大丈夫だよ。部活だけ出られればいいんだから」

納得したらしく、は何度か頷くと、またぐらりと傾く。花形は肩に置いた手での体を引き寄せて寄りかからせてやると、急いで藤真に電話をかけた。HRもまだだが、監督は部室に携帯を置き忘れる癖があるから、確実に連絡をしたい場合は電話をかけて捕まえた方がいい。

案の定朝練を中止したくせに部室にいた藤真にことの次第を伝え、どんなに遅くなっても部活には行くと伝えて通話を切った。文化祭はともかく、バスケット部は冬の選抜の予選を控えているので、部活だけは休みたくない。通話を終えた花形は、改札の上にかかる時計を見上げた。診療開始まで、あと少し。

一番で診察をしてもらったは、インフルエンザの時期にはちょっと早いけど一応ね、と検査を受けたが陰性、熱以外の症状もなく、ただし過去にも高熱から風邪症状に移行して診察を受けた記録が残っており、つまり風邪を引いただけのようだった。

「まだ症状出てないから解熱剤だけだけど、もしひどくなったらまた来てくださいね。汗をかいたらこまめに着替えて、水分補給しっかりね。ちょっと多いかなってくらい飲んでも平気だからね」

がよろよろしているので、花形が説明を受けて会計まで済ませた。翔陽バスケット部謹製緑茶ジャンパーにくるまっているは赤い顔をして待合の椅子でぐったりとしている。会計では「彼氏えらいねえ、彼女幸せだねえ」などと言われてしまって苦笑いの花形だったが、まだ安心できない。

足取りも覚束ないを抱えてクリニックを出た花形はタクシー乗り場まで向かい、から聞き出した説明で行き先を告げる。の家はバス停からまた5分ほど歩くというので、この際やむを得ない。

家の前で下ろしてもらった花形は、をタクシーに残したまま鍵を開け、また戻ってきてを運び出し、殆ど抱きかかえるようにして家の中に入れた。同じクラスの女の子の自宅だなどという感慨も緊張もない。リビングにを座らせると、勝手に冷蔵庫を漁って水を取り出し、解熱剤を飲ませた。

「寒くないか」
「平気、熱い、気持ち悪い」
「気持ち悪いって吐き気か!?」
「ううん、汗、着替えたい」

これが男なら吐きたくなってもトイレに引きずって行ってやれるし、着替えも手伝ってやれただろうけれど、そうもいかない。花形はとりあえず吐き気ではないことにホッとしつつ、まずはジャンパーとマフラーを取った。確かに汗をかいているらしく、首筋に髪が張り付いている。

「先生が風呂はまだ熱が高いからもう少し待てって言ってた。だから、今お湯で濡らしたタオル作るから、それで体拭いて着替えろ。部屋までは手を貸すから、着替えだけはなんとか自分でやれよ」

が何度か頷いたのを確認した花形は、洗面所に駆け込み、また勝手に棚を漁ってタオルを取り、固く絞ってレンジにかける。不運なことに今日はとても寒いので、ぬるいとすぐに冷めてしまう。熱々のおしぼり状態のタオルを乾いたタオルで包み、それを持ったままを抱えてリビングを出た。

「着替え終わったら呼べよ、ドアの前にいるから」
「わかった、ありがと」

を部屋の中に座らせると、花形は廊下に出て閉めたドアに寄りかかった。ドアの向こうではずるずるとが這いずっている音がしている。高熱でキツいだろうが、これだけは手伝ってやれない。時々どたりと倒れるような音が聞こえてくるたびにどきりとするが、またすぐに這いずる音に変わるとホッとする。

なんだか妙なことに巻き込まれてしまったけれど、自分はあまり風邪を引かないし、あんなに高い熱を出している人間を見るのは初めてだったので驚いたし、心配で仕方ない。普段は明るく元気でにこにこしているが朦朧とした表情で喋るのすらたどたどしいのも可哀想だった。

医者に見せたんだから心配ないはずだけど、もしこの後症状が悪化したらどうしよう。また来てくださいねって先生は言うけど、もうタクシー代なんか残ってないし、ましてや診察代もない。には親に連絡を取らせるつもりではいるけど、親が楽天家で帰ってきてくれなかったらどうしたらいいんだ。

だが、ひどく悪化しているのに誰も帰って来ないなら、救急車しかないなと花形は決めた。そこまですれば誰かしら帰ってくるだろう。高校生と言っても高熱でふらふらの女の子ひとり、何かあってからじゃ遅いのだし。腕組みで勝手に納得していた花形の背後で、ドアが少し開いた。

「着替えられたか?」
「うん、着替えた、下、降りる」

そうは言うが、はまだ真っ赤な顔でぐらぐらしている。花形はまたこっそりため息をつくと、を抱え上げた。急に抱き上げられたのでも驚いているが、何しろ熱で朦朧としているので、大人しく抱かれている。制服に比べると薄着のの体は燃えるように熱くて、花形はまた不安になった。

リビングのソファにを下ろすと、また花形は階段を駆け上がり、の部屋に入ると、ベッドの上の布団をまとめて引っ剥がし、また階段を駆け下りてリビングに戻る。を布団でくるみ、診察を待つ間に買っておいたスポーツドリンクを飲ませる。

「苦しいだろうけどもう少し飲め。少し上むいて、喉を開くと入るから」

花形に支えられてペットボトルの中身を半分ほど飲み干したは、ぱったりとソファに倒れこんだ。花形は冷蔵庫の中を漁った時に見つけた冷却シートを貼り付け、冷凍庫で見つけた保冷剤をティッシュでくるんで首の両側にくっつけた。部活で覚えた熱中症の応急処置の応用だ。

「花形、ありがと、ごめんね」
「気にするな、寝られそうなら寝た方がいいぞ」
「うん、疲れた、冷たいし、寝られそう」
「苦しくなったらすぐ言えよ」
「うん」

本当は脇や鼠径部、足首などを同時に冷やすと効果的だが、保冷剤の数も足りないし、さすがに鼠径部は無理だ。しばし立膝での様子を見ていた花形だったが、本人の言う通りすぐに眠ってしまった。やっと安心できた花形もぺたりと床に座り、今度は思い切りため息をついた。

の横たわるソファに寄りかかり、頭を預けると、すぐ真横にの赤い顔があった。

心配させやがって――

ホッとしたせいか、花形は急に苛ついてきた。成績も問題ないし、バスケットを続けられる大学への推薦も決まっているし、どのみち文化祭準備期間だし、1日休むくらいは問題じゃない。だけど、駅でがぐらりと傾いてからというもの、ずっと胃のあたりがつめたく冷えたような不安が取れなかった。

1年の時からずっと元気で、落ち込む素振りなんかも見せたことなんかなかったのに、急にこんなことになるから、怖かったじゃないか。高熱出す人間に慣れていないせいもあるけど、もし今日朝練が中止にならなくて、ひとりだったらどうなってたと思うんだよ。オレがいなかったら、どうなってたんだよ。

それを考えるとまた胃のあたりがつめたくなる。けれど、首を捻れば額に冷却シートを貼り付けて眠るが見える。顔は赤いが、息は荒くないし、静かな寝息に不安が取れていく。反対側に首を捻ると、時計が見えた。ずいぶん長いことドタバタしていた気がしたが、まだ10時にもなっていなかった。

の鍵を使い、家を出て学校へ行くことは出来るはずだが、そんな気はなかった。それに、とんだハプニングで花形も疲れていた。今日は寒い。から剥がしたジャンパーを取り上げると、前から被り、の顔が見える方に頭を預けると、花形も目を閉じた。

ぐっすりと眠ってしまっていた花形が目を覚ますと、ソファに寄りかかっていたはずなのに床に横たわっていて、メガネがなく、がかけていたはずの布団がかけられていた。驚いて体を起こすと、メガネはテーブルの上に、そしての姿が消えている。何が起こった?

まさか誰か家族が帰ってきたんじゃ、とにわかに焦った花形だったが、家の中は静まり返っていて、それはなさそうだった。だが、は? 花形は立ち上がってキッチンにいないことを確認するとリビングを出た。すると、それに気付いたがもうもうと湯気の立っているバスルームから出てきた。

「あ、起きた?」
「あ、うん、て大丈夫か、熱は? 風呂なんか入って平気なのかよ」
「薬効いたみたい。さっき計ったら37度5分だったし、すっごい汗かいてたから」

頬が赤いのはシャワーを浴びたせいらしい。は髪を纏めあげて、また服を着替えていた。眼の焦点も合わず、意識が朦朧としていたさっきまでのじゃない。にこにこしていて、普段の明るく元気なだ。

「なんかいっぱい迷惑かけちゃったね、本当にごめん」

花形は、申し訳なさそうな顔をしてぺこりと頭を下げたを引き寄せて抱き締めた。

「ちょ、ど、どうし――
「ちょっと我慢しろ。心配させた罰だ」

今度こそ本当に安心した花形はの頭を抱え込んで大きくため息をついた。

「こんなの、罰にならないよー。抱っこもギューもご褒美だよ」

くすくす笑いながらが言うので、花形はまた抱え上げる。なにぶん身長差があるので、顔が遠い。

……一緒にいてくれてありがと」
「いいよ、そんなこと」
「お礼、したいんだけど……何がいい?」
「これがいい」

シャワーで温まってピンク色をしているの顔を引き寄せる。そして、音もないキス。

……こんなことでいいの」
「もっとくれるってんなら、もらうけど」
「じゃあ、風邪、治ったらね」
「今ので伝染ったかもしれないけどな」

途端に冬の予選のことが頭をよぎる。今日は栄養剤に漢方だなと考えつつ、花形はを抱き上げたままリビングへ戻る。時計を見上げると、そろそろ12時というところ。

「学校、戻らなくてよかったの?」
「部活までには戻るよ。それまではここにいる」
「じゃ、お昼食べよっか。ちゃんと食べて風邪に負けないようにしないとね」

なんだか大変な数時間だったけれど、花形は得した気分になっていた。勢いかもしれないけど、は可愛いし、キスは嬉しかったし、風邪が治ったらもっともらえるらしい。抱き上げたままのの体をまたぎゅっとすると、温かさが伝わってくる。なんだか自分の体も熱くなってきた気がした。

急激な気温低下と監督の不機嫌に感謝しつつ、花形はまたの頭を引き寄せてキスした。

END