縒り

01

出演者もスタッフも全て高校生というライヴイベントが行われたのは、夏休みも終わりかけの頃だった。普段は日没頃にならないと明かりの灯らないライヴハウスも、今日だけは昼から賑わっている。ちなみに全部高校生という前提だが、お金の管理だけは大人がやっています。こちらは一応ご商売なので。

開場、開演時間が早いのは、未成年だから深夜まで騒いでいられないという一番の理由の他に、演者が多いというやむを得ない事情もある。事前審査を経て、一組多くて5曲、平均で3曲。それがなんと13組。ただでさえ手際は悪いのだし、昼から始めないと時間ばかりが過ぎて、あっという間にタイムリミットの20時を過ぎてしまう。

この20時というのも、その後の片付けを想定してのリミットである。主催側の予想では20時きっかりに終わっても、その次のリミットである22時までに片付けが終わるかどうかは怪しいといったところ。

この日、ステージに上がる出演者の他には、機材の搬入やセッティング、片付けなどに携わる「テクニカル班」、カウンターでドリンクやライトミールの販売をする「フード班」、そしてイベント全体の管理をする「マネジメント班」の3チームが参加している。ちなみにそれぞれ相応の部活やアルバイトをやっていたり、その道の専門への進学が決まっていたりする、こちらもただのド素人ではない人選になっている。

さてこの裏方側に参加しているのが、姐さんこと高野麗、そしてである。

麗はマネジメント班を既に3回やっていて、この高校生イベントでは常連。それに引きずり込まれたカメラ係であるは一応テクニカル班に相当するのだろうが、何しろ本人はあまり愛想が良くないし、頼まれただけの初参加なので、麗お預かりということになっている。

それでも、麗に付き添ってもらいながらライヴハウスの技術者と打ち合わせをする彼女は楽しそうだった。本日ののお仕事は、出演者一組ずつ全員のワンショットとある程度引きで撮った全景を少なくとも1枚撮るというものだ。それを少なくて3曲の間にこなさなくてはならない。大所帯バンドだと特に大変だ。

前回まではプロに頼んでいたのだが、どうせならそこも高校生にしたらどうよという麗の案でが雇われた。もちろん報酬はないが、主催者が毎回作成しているパンフレットにも使われるので、撮影者として名前が入る。金は入らないが、カメラマンとして仕事を任されたも同じ。はそれが嬉しかったらしい。

一方、そんなイベントがあるからおいでよと誘われたのが、翔陽バスケット部の3年生5人である。

夏休みだからとて、正直遊んでいる暇はないという心境の5人だったが、思い詰めすぎて「翔陽には変化が必要だから外見を変えてみる」という頓珍漢で奇矯な行動に出た。それに関わった麗がたまには外に出てみろと言うので、都合つけてみる気になった。

しかもこのイベント、チケットは枚数限定で値段は千円、後は出入り自由。なので午前中練習して、午後からのんびり顔を出すというのでもいいというのが幸いした。その上カメラ係のがお気に入りの藤真は麗のイタズラで手酷い失態を演じたばかり。その挽回のチャンスも欲しかった。

さらにこの日、麗は前日からを確保していて、カメラ係に支障がない程度に着飾らせた。しかし、麗自身は普段ビジュアル系なので、いわゆるそういう意味での「勝負服」もしくは「戦闘服」は黒赤灰が基本であり、慣れないに着せても浮くだけである。

だが、幸か不幸か、麗の3つ年上の姉は若手俳優の追っかけをしていて、本人に直接会うイベントなども多いために「あざといファッション」が得意。そんなわけで彼女の服も借りつつ、麗の小物やアクセサリーなども取り入れつつ、ライヴハウスのスタッフ側として出過ぎず引っ込み過ぎず、かつ若干ハードな可愛いを作った。

本人はギリギリまで着飾る必要はないと言い張ったけれど、麗が着替えた姿を見ると、多少は寄せておかないと一緒に歩くのがつらいという結論に落ち着いた。この日の麗姐さんはポイントにレザーと編み紐を使った黒のベアトップに、アジアン素材のロングスカートという割と玄人臭い仕様であった。

なお、これに化粧が施されアクセサリーが付き12センチヒールのサンダルが付くので、は思わず出かける前にシャッターを切った。透けた素材のショールを羽織る麗はとても高校生には見えない。唇の右下にある黒子がまたそれに輪をかける。はそれに比べたら自分の装いなど大したことはないと感覚が麻痺した。

その上ライヴハウスに入れば、麗のようなのがゴロゴロいるので、開場する頃には「この程度は地味な方」という洗脳が完了していた。しかもライヴハウスの従業員にピアスだらけのお兄さんとタトゥーだらけのお姉さんがいて、は写真撮らせてくださいと頭を下げていた。滅多にお近付きになれない被写体だ。

イベントが始まり、必死でシャッターを切っている間はもちろんそんなことは気にならなかったし、むしろステージの上の女の子たちはみんな輝くように可愛らしく美しく、自分が着飾っていることをすっかり忘れてしまったは、17時の休憩時間に藤真たちと顔を合わせると一気に現実に引き戻された。

こちらはこちらで普段ライヴハウスなどには出入りしない人種のバスケット少年たちは、この上もないくらい地味。しかも例の「翔陽には変化が必要だから外見を変えてみる」において坊主頭と薄眉になってしまった長谷川高野永野はそれを隠したいのか、キャップやニット帽を深々と被っていて、余計に地味。

とはいえその真ん中でひとり異彩を放っているのは我らが翔陽バスケット部キャプテンの藤真である。彼もまた装い自体は地味だ。Tシャツにジーンズにサンダルというただそれだけの軽装だが、乗っている顔が特別仕様なのでひとりだけ仕上がりが違う。腰のシザーバッグが少し嫌味なほどだ。

この程度は地味という洗脳が進行していたは顔を真っ赤にして狼狽えた。逃げようにも麗にがっちり腕を捕まえられているし、ライヴハウスのロビーは狭いし、逃げたところで居場所はないし、食事に出る予定だったけれど楽屋が信用ならないは重いカメラが入った荷物を全て担いでいたので素早く動けない。

さんはまた可愛くなったけど……麗お前ほんとに同い年か?」
「人のこと言えた顔か。てかもーちょっとおしゃれしておいでよ」
「オレらはこれで限界なんだよ」

眼鏡がまた元に戻っている花形もシャツにジーンズで地味。日曜のお父さんに見える。

「私たちは20時半くらいに出られるから、それまでゆっくりしてってよ」
「どこか行くんじゃなかったのか」
「ご飯。45分にはまた入らないといけないから、急ぐんだ。ごめん」

食事なら自分たちも一緒に、という顔をしていた5人だが、麗たちの方は近くの店でさっさと食べてさっと戻り、18時からの集客力のある出演者の出番に備えなければならない。5人に付き合ってのんびりは出来ないので、麗は有無を言わさずにを引っ張って出て行ってしまった。

麗も一応こうした間に「今日は藤真に送って行ってもらいな」とをそそのかすことは忘れていないのだが、そもそも出演者の方に興味があって来たわけではない藤真たちは少々持て余し気味だった。その上藤真がちょいちょい声をかけられては一緒に写真撮ってください攻撃に遭っていて、それも何だか気恥ずかしい。

けれど、普段バスケットばかりで学校の敷地内から出ることがない彼らにとって、このライヴハウスの空気は確かにほどよい刺激になった。外国人選手でしか見たことがないようなタトゥーのお姉さんは麗より怖いし、店長らしきおじさんはこれまた激シブでかっこいいし、持て余してはいるけど、苦痛ではなかった。

「しかし麗姐さんはすげえな。普段からああなのか」
「普段がどれなのかよくわかんねえけど、ライヴの時はもっとひどい」
「ひどいて!」

感嘆なのか呆れているのかわからない薄笑いを浮かべた花形に、従兄弟である高野は真顔で答えた。

「目の周り真っ黒だったり、ひどい時は唇まで黒かったり、服に血糊が付いてたり、いやもうひどいもんだよ」

姐さんの場合大本命一辺倒ではなくて、メジャーからインディーズ、アマチュアに至るまで、気に入れば何でも大丈夫という割と雑食。なので、バンドの個性に合わせた装いで参戦するのだが、まあそんな事情は真面目なバスケット少年の従兄弟には伝わるまい。

それでもライヴハウスの中を埋め尽くす高校生を見ていると、麗が言ったように、自分たちの世界は本当に狭かったのだと思い知らされる。狭いことが良いとか悪いとかそういう意味ではなく、自分たちが命がけのつもりで挑んでいた世界など、このライヴハウスにいる人々にとっては隣人の食卓事情よりどうでもいいことなのである。

そう思うと、思い詰める方向がおかしくなっていたのはもちろんのこと、自分たちがいかに余裕をなくしていたかがよくわかった。余裕イコール怠惰ではないというのに、それが感覚としてわからなかった。

たまにこんなところで遊びたいとまでは思わない。だけど、出演者もスタッフもみんな目一杯笑顔で、自分のできることに全力投球している。そういうピュアな意欲というものを自分たちは失いかけている――そんな気がした。

18時からの出演者は、要は人気があるバンドということになる。一組だけソロシンガーがいるが、あとは全てバンド。なので、フロアも早い時間とは比べ物にならないくらい混み始めた。チケットは買ったけれど目当ての出演者しか見ないという客が続々とやって来ていた。

ステージが展開されている間も、それはもう盛り上がる。中でもラス3に出たパンクバンドは男性客が暴走し、モッシュにクラウド・サーフィングにと暴れまわった。前列の方にいた女の子たちは泡を食って悲鳴を上げ、会場は一時騒然となった。

しかもその大騒ぎとステージの間にいるのがである。藤真はやきもきしてうろうろしていたが、何しろフロアの後ろの方はモッシュにあぶれたのがエアギターとヘドバンで楽しくなっちゃってるという地獄絵図。助けに行きたくても入っていく勇気が出ない。

そうして藤真がおろおろしている目の前を横切ってモッシュの中に突っ込んでいったのは我らが姐さん・麗だった。暴れる男の子を突き飛ばしながらフロアの壁際を進み、柵を乗り越えてを救出してきた。

仕事を放り出したくないとは言ったが、この様子では普段からこのノリでステージをやっているであろう出演者にはペナルティが科せられるはずなので、写真など撮らなくていいと言って麗は怒鳴った。モッシュ状態になるなら予め申告をしておいてくれれば対処のしようもあったのに。

何しろ本日出演の13組、ジャンルはバラバラ、全ての客が全てのバンドを楽しめるようにはできていない。

それでも最後の出演者までなんとか無事に終わらせることが出来たのは、20時5分だった。18時以降の出演者全員でアンコールに応えて終わり。はもちろん、藤真たちも疲れていた。

「まだ人残ってるけど帰っちゃっていいのか?」
「一応高校生のイベントっていう建前があるから、打ち上げとか出来ないしね。そういうのはまた後日」

テクニカル班と18時以降の出演者たちが慌ただしく片付けをしているライヴハウスを後にして、麗たちは外に出た。マネジメント班とフード班は役目が終わり、担当場所を片付けたらそれぞれ帰ることになっている。テクニカル班が終わるのを待っていたら、合わせて30人ほどのスタッフ全員で22時過ぎまで待たないとならないからだ。

主催の方と打ち上げ的なことをやるのは次の週末、まだ明るい間に。なので今日この日に打ち上げをやりたければ、個人的にこっそりということになる。なので麗はと藤真たちを連れてさっさとライヴハウスを後にしたというわけだ。藤真達がいるので居酒屋とはいかないが、この際ファミレスでも問題あるまい。

地元まで帰ってきた一行は男子5人の強い希望により、焼肉食べ放題に行くことになった。

はともかく、麗はそんなに食べないのに食べ放題なんて金がもったいないとごねたが、麗と遊びに行くと嘘をついて小遣いをせしめてきたらしい高野が助けてくれるというので、やっと頷いた。

「まあ、わかっちゃいたけどあんたたちほんとによく食べるね」
「昼ほとんど食べてないしね」

大量の肉が消えてなくなるのを呆然と眺めていた麗とは、アイスクリームを食べて少し元気が出たが、男子たちが満足するまでは食べないでおこうと決めた。色々ついていかれない。

「しかし姐さんはかっこよかったな。まさかあの騒ぎの中に突っ込んで行くとは」
「姐さんやめろっつっただろ花形。てか別にあのくらいは大したことでは」

男子たちの肉を食らう手が止まる。あのくらい?

麗は普段なら秩序の行き届いた整列ヘドバンが多いが、少々毛色が違うとモッシュ状態にもなるし、逆にアイドル色が強い時も横揺れのないモッシュのような状態になるし、とにかくオールスタンディングで暴れることに慣れていれば、それほど異常には感じない。

「まあでもちゃんに何かあったら困るからさあ」
は大丈夫だったのか」
「せ、先輩に助けていただいたので、大丈夫です」

何も被害がなかったかと聞きたかった長谷川だったが、は堅苦しい顔でそう答えた。それは知ってる。

「一応柵が倒れるほどじゃなかったんだけどね、ちゃんもそうだし、カメラに何かあっても可哀想だし」
「か、カメラは無事です」
「でもどうよ、ちょっと日常から切り離されてみて」

やっと肉を食べ始めた麗にそう言われた男子5人は、数日前とは比べ物にならないほど柔らかい表情でそれぞれに頷いた。目的は結局のところそれだったのだ。

「何が変わるわけじゃないけど、気分転換になったよ」
「そういうの下手そうだもんね、藤真」
「ていう自覚もなかったからな。なんか色々見えてきたというか」

キャプテンの解釈に4人はまた頷く。

「今日はありがとな。変な言い方だけど、助かったよ」

のことはさておき、そう言う藤真に麗もにっこりと笑って応えた。

思いもよらない場所でリフレッシュできた上に焼き肉で腹一杯の男子5人はかなり機嫌がいいようだった。というところでそろそろ帰ります。即ち裏メインイベントの藤真がを送って帰るという展開になる。なんとなくまだぐずっていただったが、麗に声をかけられると、渋い顔で頷き、藤真に並んだ。

藤真はの重い荷物を持ってやり、怖い顔で「絶対にぶつけたり落としたりしないでください」と言われたのにも笑顔で返事をする。はどうしてもこの藤真の好意を素直に受け入れられない様子だが、しかしなにしろ顔が特別製の藤真である。それに微笑まれてしまうと、喉が詰まる。

せっかくなのでフルでふたりきりにさせてやりたい、というわけで藤真ととは焼肉店の前で別れた。実を言えばとりあえずのところ全員帰る方向は同じなのだが、普段兼業選手で頑張っている藤真への労いの意味も込めて、麗たちは一つ先の駅に向かって歩く。

途中にバス停があり、花形と長谷川はそこから帰る。麗と高野と永野は駅まで出て、それぞれ一駅である。

「あれ? なんで別れてんだ」
「いや別にいとこだからって家が近所とは限らないだろ」
「これでも近所になったんだよ。前はもっと遠かったよね」

駅についた麗と高野永野だが、いとこ同士である麗と高野はホームが別らしく、しかも適当に言葉を交わしただけで別れようとしていた。ふたりとも一駅とは言うが、麗は上り、高野は下り、反対方向に一駅だった。ちなみに永野は高野と同じ方向。

「えっ、麗さんひとりで帰んの!? 高野、送らなくていいのかよ」
「なんでオレが」

普段ライヴの時ならもっと遅いよなと言って高野家ふたりはへらへらと笑っていたが、永野の感覚で言えば今日の麗さんはどセクシーで、ひとりで帰すなど危険極まりないように思えて仕方なかった。

「じゃおつかれー」
「おう、おつかれい」
「ちょちょちょ、麗さん待った! オレ送ってくよ」
「はあ?」

高野家ふたりはきれいにハモった。

「別にいいよそんなの。明日も朝から部活でしょ、さっさと帰って寝た方がいいんじゃないの」
「そういう問題じゃないって」
「平気だと思うけど……ま、送ってってくれるってんだから、好きにさせとけば? じゃなー」

既に少し眠気が来ているらしい高野は電車が到着したのを見ると、さっさと走って行ってしまった。後に残された麗は少し不機嫌そうな顔をしていたが、小さくため息をつくと上りホームに向かって歩いて行く。永野はそれを慌てて追いかける。

「そんなこと気にしなくていいのに。帰るの遅くなるよ」
「姐さんが気にしなくても危ないよ、そんなかっこして」
「姐さん言うなって何度言ったらわかるんだ」

麗の言葉にかぶせて上り列車がホームに滑りこんでくる。週末の夜の電車はなかなかの混雑だ。

「こんな満員電車じゃ余計に危ないと思うけどなあ」
「いつものことなんだけどなあ」

だが、永野の場合身長も大きいし体つきもしっかりしているので、この満員電車の中ではいい衝立になるかもしれないと思うと、麗はついにやりと笑った。高野の言うように、好きにさせておけばいいか、という気になってきた。送ってもらうだけなのだし、何も問題はあるまい。

「んじゃ、よろしく」
「おう、任せろ」

ショールを絡めた腕を伸ばし、麗は永野の腕に掴まる。冷えた麗の手と違って、永野の腕は温かかった。