約束の海に

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無事にプロ1年目を全うし、よし、来シーズンも頑張ろうと気持ちを新たにしていた頃のことである。地元生まれ地元育ちでチーム入りした清田信長は特に子供人気の高い選手で、また父親が仕事の関係で顔が広いのでオッサン層にも人気。女性人気は、いまひとつ。

何故かと言うと、信長より3年先輩にそれはそれはキラキラした王子様のような選手がいるからだ。お祖父ちゃんがオランダ人、お祖母ちゃんがトルコ人、イギリスに生まれ育った母親が日本留学中に結婚、かくしてまつ毛バサバサで目の色が薄い美形が生まれた。女性は基本的にこのプリンスが好き。

一方で、そのプリンスと同期でプロ入りしたチームの看板プレイヤーがいる。寡黙で愛想もないが、こっちはこっちで「サムライ」と二つ名がつくような凛とした佇まいのイケメンであり、こっちも女性人気が高い。プリンスとふたりで並んでいるだけで悲鳴が上がる。

色味で言うとプリンスが白、サムライが黒、といった感じ。そんな見栄えのするふたりがいて、なおかつ彼女持ちを公言している信長に女性がキャーキャー言わないのは致し方あるまい。

そんな中、2年目を控えたオフシーズンに、チームはイベントを兼ねて選手の人気投票を行った。誰に投票してもOKだが、発表は上位5人だけ。1位2位3位になった選手が感謝を込めてファンミーティング、というイベントだった。

「もうね、オレが絶対1位取ってやるぜとか、そういうテンションじゃないわけよ」

だいぶ酒が進んだ信長はグラスを置くと、アペタイザーのエビをフォークで突き刺した。

「そういう無礼者キャラは高校時代で卒業したからね。プリンスに勝てるなんて思ってないし」
「うーん、でもやっぱりサムライかっこいいなあ~抱かれた~い!」
「聞けよ」

信長の話が耳に入っていない様子なのは、信長の学生時代からの親友であるエンジュだ。現在は都内で働いていて、上司でもあり恋人でもある彼氏と同棲中。

「プリンスは自分がイケメンなのよーくわかってるって顔してて、かわいくない」
「いいんじゃねえの……その人のお陰で女性客が増えてるわけだし」
「それに比べてサムライはほんとにクール! ノンケなのかな~」
「そういう話もあんまりしない人だからなあ」
「へえ、ちょっと突っつけば簡単に落ちるタイプだ!」
「やめてやれ」

エンジュは尊と違う意味で恋愛に見境のない人物だ。対象は主に包容力があってリードしてくれる強気な男性。でも、よっぽど相性が良ければ女性でもダメということはない。学生時代からこっち、ずっと子供がほしいという夢も抱いている。

「じゃあ信長は何位狙いなの」
「3位」
「卒業できてないじゃん、まだ2年目のくせに」
「うるせーな! 目標を高く持ってて何が悪いんだよ」
「いやお前のそれ目標じゃないだろ。ふたりには負けるから3位くらいならっていうだけの話だろ」

エンジュは言いたいことを言う。信長は久しぶりにテーブルにゴチンと額を打ち付けた。

「イケメンに引き寄せられてファンやってる女性客が、ルーキーの、しかも彼女いますって言ってるやつに投票するわけないんだし、だとするとお前を直接知ってる人とかならともかく、全部男性票になるんじゃないの? その中でさ、キャプテンとかあーいう人を押しのけて3位になれるかなあ」

真のバスケットファンはキャプテン推し、というのが現在信長の所属するチームの傾向である。追い打ちをかけられた信長は顔を上げずに唸る。

「サムライもいいけど、最近ベンジャミンとかポールもちょっといいなあって」
「でもお前はオレに投票してくれるんだろ」
「何言ってんの、しないよ~!」

外国人選手に目移りをしているエンジュは信長の方を見もせずににこやかに言い放つ。信長はまたテーブルに顔を擦り付けて呻く。人気投票が決まってからと言うもの、「もちろん信長に投票する」と言ってくれたのはだけである。

新九郎はやはりキャプテンファン。いかな息子でもこれは譲れないとのこと。由香里はサムライ。ぶーちんはエンジュが目移りしているポールが好きなので、これもダメ。だぁはぶーちんにポールに投票しろと言われているのでここも除外。兄ふたりはそもそも投票しないらしい。

ついでに最近が仲良くしている尊の元カノたちもそれぞれ推しがいるようで、信長に投票するという意思表示をしてくれる人はひとりを除き、中々現れない。

「地元生まれ地元育ちで地元のチームに入ったのに……
「そういう意味で愛されてるのは事実だと思うけど、投票となるとね。チェキもあるし」

人気投票で上位になった3名のファンミーティングでは普段中々行われないツーショットチェキが入る模様。なので特に女性は自分の推しを上位に食い込ませたい。

「ふふん、でもは入れてくれるって言ってるんでしょ」
「え? そりゃまあ、うん」
「じゃあいいじゃーん。以外の女にモテたいなんて考えてんの?」
「人気投票はそういうことじゃないだろ……
「でもプリンスとサムライがいる以上はそんなようなもんでしょ」

エンジュは信長のパートナーであるをとても好いており、未だに「3人で結婚しよう、3Pしたい!」と言って憚らない。だが、それはどこまで本気なのか……というところであり、こうして信長との仲が順調であることをとても喜んでくれる人だ。

「どうよ、帰ってきて1年過ぎたけど」
「どうって……別に問題ないと思うけど」
「あ、そーいう無意味な照れとかいらないんで具体的に話してください」
「あのなあ!」
「オレは聞く権利あると思うけど?」

何しろ信長とが遠恋中、以外の女にグラつきたくないという信長を宥めすかし、守り、ずっとサポートしてくれていた人だ。なおかつ遠く離れた地で不安を抱えたまま貯金を頑張るを電話で何度も励ましてくれたりもした。確かに聞く権利はありそうだ。

「具体的にって、何を言えばいいんだよ」
「どういう風に過ごしてるの?」
「どういう風に、って……家も近いし、よく行き来はしてるけど」
「喧嘩してない?」
「細かいことはあるけど、大きなのはない」
「ちゃんとエッチしてる?」

信長が口に含んでいた焼酎が霧状になって宙を舞う。

確かにエンジュとサシで飲むのはものすごく久しぶりだった。大学を卒業してそれぞれの進路に分かれてからというもの、中々時間も合わず、それこそ信長はとの時間を優先していたし、エンジュも現在の彼氏を優先するしで、都合が合わなかった。

だから忘れていたが、エンジュはこういう人なのだ。切れ長の目と真っ黒で艷やかな髪と、美しい脚を持っている彼は、言いたいことを言う。口に出すのは憚られる……という概念はほぼない。正直に生きた方が楽しいから。そういう曇りのない彼が、信長もも好きなのだ。

「あーもう! してるよ! 暇さえあればしてるよ! これでいいか!?」
「んっ、合格!」

やけくその信長に、エンジュは心から幸せそうな顔をして笑った。

「まあ、エンジュに何を期待してたのか、っていう話だよね」
さん冷たい」

というか、温度で言うならばとエンジュがどちらも低め、信長の方が高め、である。3人で話していても、とエンジュに冷ややかな目で見られることもしばしばの信長なのだが、どうしてもふたりには期待してしまうんだろう。どちらも信長には甘いのが基本だからだ。

「子供票は多いと思うんだけど」
「まあその……試合後のファンミーティングだと子供担当です……
「だろうねえ」

試合後のことなので、人気投票後に予定されているものとは規模が異なるが、それでもファンの皆様と触れ合う際にはだいたい子供と接している。特に小学生男子とは相性が良い。

「まだ1年目なんだし、顔と名前覚えてもらってナンボじゃないの?」
「プリンスとサムライは1年目でワンツーフィニッシュでした」
「あれと同じに考えてもしょうがないでしょ!」

無礼者は高校で卒業したというが、キャラクターは変わらない。信長もそれなりにファンの皆様にはアピールをしてきたし、そもそもが地元っ子なので記憶にも残りやすいのだが、いかんせんキャプテンとプリンスとサムライが強すぎる。

「てかはオレが人気出たらどう思うの?」
「どう思うの、って人気出てくれなきゃ困るでしょ」
「女の子にキャーキャー言われてもいいわけ?」
……うん、いいよ」
「今の間って、嫉妬じゃなくて、激しく疑問を感じたな?」

はそっと目をそらす。今のところプリンスとサムライを押しのけて信長が女の子にキャーキャー言われる要素が見当たらない。ただでさえ自分の存在を公にしているというのに。

「だったら隠しておけばよかったのに。わざわざ言うから」
「あのねさん、オレはモテたくてプロになったわけじゃないんですよ」
「モテるからって理由で流川が嫌いだったくせに」
「それは別の話だっつーんだよ!」

チーム入りしてすぐに、信長は彼女がいるということを認めた。先輩たちは二言目にはそれを聞いてくるし、いますと答えればどんな子かと聞いてくるし、そんな流れの中でキャプテンに「隠さなくていいのか?」と聞かれた時に「いいです」と即答してしまった。

それ以前に信長はからもらった「婚約指輪」を必ず付けているし、地方で試合があったときなどは、夜必ずと電話で話している。そういう彼の日常がやがてファンの中にまで漏れていったのはどこがきっかけだったんだろうか。すっかり彼女持ちであることは知れ渡っていた。

そういうわけで、おそらくはプリンスやサムライのファンであろうお姉さまたちが、たまに寄ってきてはやはり「彼女がいること隠さなくてよかったの?」などと聞いてくる。それを取り繕っても仕方がない。信長は正直に「結婚の予定があるので」と言った。

実のところ、こうした態度は好意的に受け止められているのが現状で、プリンスとサムライのファンのお姉さま方は「若いのに彼女大事にしてて偉い」と言ってくれるのだが、だからと言って人気投票で一票は投じない。彼女も地元の子と聞いて喜んでくれるが、そこまで。

また、彼女持ちということをオープンにして困るのは、幼い女の子を相手にした時だ。ごくたまに、恥ずかしそうにもじもじしながら握手してください、と女の子が来てくれることがある。たどたどしい声で、「大きくなったらお嫁さんにして」と言ってくれた子がいた。つらい。

その上彼女のママは信長に気を遣ったつもりなのだろうが、「清田選手はお嫁さんいるのよ」などと言ってしまったりする。女の子がべそをかきはじめてしまう。つらすぎる。

その時は「君がお姉さんになった時、オレはおじさんだよ。ハゲてるかもしれないよ?」と言って誤魔化したが、つらい。清田家も由香里の実家も毛髪がクドい家系なのでハゲそうにもない。

最近ではローカル局のスポーツ番組にチームのコーナーがあり、そこにも何度か出たことがある信長だったが、やっぱりメインはプリンスとサムライ。しかもテレビだと思うと目立たねばという意識が働いて余計なマイクパフォーマンスでスベり気味という始末。

「かっこいい選手、っていうより、面白い選手って認識だよね」
「ううう……は!? はどっち!」
「急にキレないでよもー、かっこいい選手に決まってんでしょうが」

極論を言えば、1番かっこいいと思ってもらいたいのはだ。それは間違いない。ただ、生まれつき無礼者でお調子者で目立ちたいタイプなので、その間でモヤモヤが取れないというわけだ。

「ていうかほら、週末大学に行くんでしょ。先輩戻ってるとか言って……
「そう。そのついでにエンジュに会わないかって連絡したら、都合が悪かったから」

だから前倒しで飲んできたわけだ。週末、信長は母校のバスケット部に顔を出して、プロ選手の生活についてを話してほしいと言われているとのこと。今年から先輩がコーチとして母校に戻ったらしく、その縁で呼ばれた。

「そこでちゃんとアピールしておいで。男ウケは悪くないんだから」
「せいぜい先輩風吹かせてきます~」

擦り寄ってくる信長の背中をはよしよしと撫でてやる。もやっぱり信長に甘い。

さてその週末、信長は先輩の手前ジーンズにパーカーというわけにもいかず、かといってスーツでは固すぎるので、普段めったに着ないシャツにベストという出で立ちで出かけていった。

卒業してたった1年だけでも懐かしい。足は何も考えなくても体育館へ向かうけれど、その風景にはなぜか違和感を感じてしまう。少し離れた場所にある寮に起き伏し、が恋しくなってはエンジュに泣きついて、それでもを待ちたいと思って過ごした学び舎だ。

先輩からは約束の時間に直接体育館に来てほしいと言われていた。予定では1時間ほど話をして、練習を見学、もし直接話を聞いてみたいという部員がいたらそれはまた改めて、ということだった。先輩の指定した時間は13時。これなら日が暮れる前に帰れるかも……と信長は考えていた。

プロと言ってもまだ1年が終わったばかり、部員の半分以上は一緒にプレイしてきた仲間。きっとプロ1年目の流れをざっくりと説明したりとか、そんなところだろう。個人的な質問はまた改めて……と締めた上で、「暇ならこの後飲み行かないすか~?」という社交辞令くらいのはずだ。

はずだった。

いやー先輩ご無沙汰っす、くらいの反応を想定していた信長は、予想を遥かに上回る歓待にドン引き、普通にチームメイトとしてプレイしてきた後輩が大喜びで話聞かせてくださいっす! などと言ってくるのが逆に怖くなってくる始末。

さらに、練習見学では物足りない、紅白試合にするから先輩も入ってください! と来たもんだ。

信長を呼んだコーチも苦笑いで、予定がないなら付き合ってくれないかと拝んできた。一応切羽詰まった予定はないので、一旦に連絡をしたのち、少し付き合うことにした。それも見つかって、例の彼女ですか、遠恋だったんすよね!? とまた大騒ぎ。

1時間ほど話をして練習見て夕方には帰るつもりだったはずなのだが、結局その後も飲みに行きましょうと引き止められ、が気にしないで先輩風吹かせてこいというので、コーチとともに3軒目……までは記憶があった。

1軒目ではコーチの世代のOBも乱入、よくバスケット部が利用していた居酒屋は現役とOBで溢れかえり、母校の校歌で大盛り上がり。2軒目ではOBだけになり、しかしOBがOBを呼んで店に入り切らなくなり、3軒目に移動。そこまでしか記憶がなかった。

そして、なんだか違和感を感じる肌に信長が目を覚ますと、やけに白っぽい部屋が目に入った。自分の部屋ではない。の部屋でもない。だが、ぼんやりと巡らせた目に、見覚えのあるジャンパーが見えた。先輩コーチのものだ。

どうやら飲みすぎてそのまま先輩の家に転がり込んでしまったらしい。はそれならミチカと飲んでくるからちゃんと帰りなよ、と言っていたからとりあえず問題なし。先輩はまだ独身だし、彼女がいるという話も聞いていないので、こっちも問題ないだろう。

とはいえ記憶がないので、何かやらかしてないだろうなと思うと気が重い。ごそりと体を動かしてみると、上半身裸。下はパンツだけ。冷や汗が出てくる。一体オレは先輩に何をしたんだろうか……。先輩は確か異性愛者だし、ケツも痛くないからその心配はなさそうだけど……

しかし体を起こそうとした信長の肌に、何やら温かいものが触れる。サーッと冷たくなる体。あれっ……? そういう話聞いてなかったけど、先輩って男もイケるタイプだったか……? ドキドキする心臓を抱えて信長は恐る恐る体を捻った――ら、もっと恐ろしいものを目にして硬直した。

「やっと起きたね。久しぶり、信長くん!」

パンツいっちょの脇腹に、女の子がへばりついていた。

「もー、全然連絡くれないんだもん。寂しかったんだよ?」

先輩コーチの妹、そして5年前に何度かデートをしてしまったことになっている女の子だった。

信長の脳裏にの笑顔と泣き顔がフラッシュバックする。約束の海、ユキ、、尊、アユル。つらい思い出の方が多い。苦しい記憶の方が多い。けれど何もかもがという存在のためだった。彼女の1番でいられるならそれでいい。ただそれだけのはずだった。なのに――

この時、絶望する信長の背後に先輩コーチが現れなかったら、そのままベランダから飛び降りたいくらいの気持ちだったと、のちに信長は語る。それだけ信長はが好きなのだが……

「やだあ、24で結婚とか本気で言ってんの? やめた方がいいって、どうせすぐに離婚しちゃうよ?」

すわ新たなモンスターの出現か、と背筋を震わせた信長であった。