エンド・オブ・ザ・ワールド

01

「海行きたい山行きたいバーベーキュー行きたい花火大会行きたいプール行きたい」
「全部却下」
「お前になんか頼んでねえよ~遊びに行きたいよ~熱いよ~」

額に冷却シートを貼り付けたミライはのベッドで悪態をついている。数日前からの発熱がまだ下がりきらず、保険証もないので医療機関を受診することも出来ず、毎日愚痴愚痴文句を言っている。それを適当にかわして夏休みの課題を黙々と片付けているのは三井だ。やりたかないけどやらねばならぬ。

まだ帰ってこないの~なんであんた毎日来るの~」
「もうすぐ帰ってくるだろ。オレは体育館使えないから来てるだけ」
「体育館とん家は何も関係ないでしょうが~」
「っせーなお前はほんとに、ほれ!」

ミライがブツブツうるさいので、三井は彼女の口に体温計を突っ込んだ。舌下の検温はしばし時間がかかるので、少しは静かになる。だが、それも数分だ。電子音とともにミライは体温計を吐き出す。

「お前ホントにどういう育てられ方したんだよまったく」
「おほほ、親がいい加減だったんだろうねえ~」

ミライはさもおかしそうに笑っているが、その親が三井だ。というかミライは親に甘えているのだ。

「37.6℃か。お前平熱……
「36.3くらい」
「もう少しだな」

またうるさくなると面倒なので、三井はミライの口に飴を押し込む。それだって長くて20分くらいだろうが、一応ミライは大人しく飴をコロコロと転がしている。

「私のおとーさんはですねー、私が具合悪いとね、何も出来ないのでウロウロしてね、おかーさんに怒られてね」
「お前さ、文句言う割に親好きだよな」
「そんなことないよ、おかーさんは好きだけどおとーさんは別に」
「親父さん可哀想にな……
「かわいそうになー!!!」

熱でだるいミライはとろんとした目でケタケタと笑う。そこへ玄関の方から音がして、が帰ってきた。ミライがあまり食欲がないので、アイスを買ってくると言ってコンビニまで出かけていた。

「ただいまー。暑い~!」
おかえり~~」
「寿くんありがとね。私ちょっとシャワー入ってくるからもう少し待ってて」
「37.6℃だった」
「そか、もう少しだね」

甘えるミライを適当にいなしたは、着替えを手にまた部屋を出て行った。

「ほれ、アイス食え」
のシャワー覗いたら鼻フックな」
「言ってねえだろ、そんなこと……

辛そうに顔をしかめて起き上がったミライは、三井からアイスキャンディーを受け取ると大人しく食べ始めた。

「ねーねー、彼女の裸って見てみたいもんなの」
………………彼氏がいたら、裸見てみたいか?」
「見たい!」
「よし、聞いたオレが悪かった」

三井が辛抱強く相手をしてくれるので、ミライは甘えたい放題だ。わかりやすく優しい物言いはしないので、ミライ自身はあまり実感がないようだが、三井ももミライのこの「甘ったれ」に望んで付き合っている。その辺は無意識にも親なようだ。

「お前と付き合うことになる男は苦労するな」
「失礼な。こんなかわいいミライちゃんと付き合えるんだよ」
「てか、そうだ、また鉄男来てくれるらしいぞ」
「マジか!!!」

既に一度見舞いに来てくれている鉄男だが、あまりにもミライがデレデレと喜ぶし、あの凶悪な鉄男の方もそれを厭う様子がないので、三井が試しに連絡してみたら、仕事の前に寄ってくれると言い出した。

「お前やっぱりあいつのこと好きなんじゃないのか」
「しつこいな、そういうんじゃないんだって。単純な寿にはわかんないかもしれないけど~」

まさか4歳の時の初恋の人ですとは言えないので、ミライはニヤニヤと笑って誤魔化した。

「別に違うならそれでいいけど……あいつも妙に優しいから、ついな」
「てっちゃんは元々優しいんだよ~!」
「だからそのてっちゃんて何なんだ。元々ってお前ら先週初めて会っただろうが」

まさか13年前が初対面ですとは言えないので、ミライはイヒヒと笑って誤魔化した。

「好きな人ではないんだけど、そうなあ、憧れの人みたいな感じ?」
「それって好きと同じじゃないのか」
「違うよ~! うーん、わかんないかなあ、この微妙な差」

三井にとってはふたりとも出会って1週間も経たない間柄である。よしんば一目惚れだったとして「好き」ならまだわかるけれど、「憧れの人」はよくわからない。というか凶悪そのものでしかなかった鉄男にそんな気持ちを抱くのもよくわからない。もちろん自分のことは棚に上げている。

汗を流してきたが戻ると、ミライはまたデレデレと甘え出した。元々未来の世界ではミライも三井もが大好き、父娘でお母さんの取り合い状態だった。シャワー上がりのとくっつきたそうな顔をしている三井を横目に、ミライは赤い顔でにんまりしている。

「アイス食べた?」
「食べたー! ねえねえ、またてっちゃん来てくれるんだって!」
「え。そうなの?」

三井の方をちらりと見たは目を丸くしている。

「もちろん誰もいない時にするから」
「あ、ううん、そういうことじゃなくて……ごめんちょっと意外で」
「まーな。オレもなんか夢でも見てるような気がする」
「うーん、ミライがあんまりデレデレするから気を使ってくれたのかな」
「そーいうキャラじゃないはずなんだが……

いずれ夫婦になるふたりは揃って首を傾げていたが、翌日、本当にてっちゃん――鉄男は見舞いに来た。これで2度目だ。の可愛らしい部屋の中では三井と鉄男はあまりに不似合いで、ミライは吹き出しそうになるのを堪える。というかふたりとも体が大きいので一気に狭くなる。

「これ、見舞い」
「えっ。わあ、ありがとうございます! ミライ、鉄男さん果物くれたよ!」
「果物? うわっ、なんだよこれ!」
「んふふ、寿はお子ちゃまだなあ、ドラゴンフルーツだよ。てっちゃん、ありがとう!」
「ドラゴンフルーツって栄養価高いのにカロリー低いんだよね……
「お前何でそんなこと知ってんの」
「熱出してるとこ見舞い行くっつったら店長の嫁に命令された」
「じゃあこれ冷やしておくね」

鉄男がに差し出したビニール袋の中にはドラゴンフルーツがごろごろと入っていた。初めて見たらしい三井は嫌そうな顔をしてたが、は感心しきりだし、ミライはまたデレデレだ。

「お前毎日来てるのか」
「やりたかねえけどやらんわけにもいかんものがあってだな」
「要するに夏休みの宿題めんどくさいからに泣きついてるわけです」

ベッドの上からミライが突っつくと、鉄男は顔を背けてゴフッと吹き出した。ヤンキー仲間が夏休みの宿題と来たか、というところだ。三井の方もそういう意味では大変こっ恥ずかしいので頭を抱えている。

「ちくしょう、お前はどうなんだよ、この正体不明女!」
「私は夏休みの宿題ごとき計画的に終わらせる習慣があるので7月中にはほぼ終わってます」
「くっそ高校生にもなって夏休みの宿題とか意味わかんねえ」

三井はごねているが、こういった彼の経験を元に娘であるミライは夏休みに思う存分ミニバスの練習ができるよう早めに宿題を片付ける習慣をにつけてもらっていた。小学生の頃は8月に入ると合宿だったので、7月中にユヒトとふたり、につきっきりで見てもらいながら頑張っていた。

「だから8月中は割と暇なんだよね。寿~山海川花火バーベキュー」
「全部却下だっつってんだろ」
「まだ熱下がらないのか」
「あと少しなんだけどね~」

ドラゴンフルーツを冷蔵庫に入れてきたが戻ると、ミライは体温計を突っ込まれた。今日は脇。

「風邪じゃないから、そんなに神経質になることないってお母さん言ってたけどね」
「風邪じゃないなら何なんだ」
「たぶん疲れだと思います。この間無理もしたし、熱に出ちゃったんじゃないかって」
……お、、36.8度だよ。もうほぼ平熱だ」
「んー、まだ体熱いような気がするんだけどなあ」

は首を傾げつつ、ベッドに横たわるミライの襟元に躊躇なく手を突っ込んで体を触っている。さすがにお母さん、遠慮がない。ミライはキャーッと歓声を上げているが、それも無視。真顔だ。むしろその様子を見ている三井と鉄男の方が気まずい。胸元が丸見えだ。

、そいつ元々バスケットやってたんだから、動かないと熱が篭るんじゃないか」
「え、人間の体ってそんなふうに出来てるの?」
「それは知らんけど……少なくともオレはあんまり汗かかないとだるくなってくる」

それを耳にしたミライはニヤニヤと口元を歪めた。何しろ三井は父親、似てしまったか。

「ねーねー寿は全部却下だって言うから、遊び行こ~。寿置いて遊び行こ~」
「うーん、遊びに行くって言っても……ねえ」
「こっち見んな」

三井の宿題の進みが遅いのである。それに彼は1学期の期末テストで赤点を4つ取り、危うくインターハイへ行かれなくなるところだった。これからは大学の推薦入学を目指す身、夏休みの宿題くらいなんとか出来なければどうにもならない。

すると、何を思ったのかはひょいと顔を上げて言った。

「鉄男さん、ミライと遊んでくれませんか?」
「ファッ!?」

変な声を上げたのは三井だ。お前何言ってんだ! という顔である。

一方のミライはぼんやりした顔でを見上げていて、何も言わない。

「遊ぶって……
「本人は山海川花火バーベキューと言ってますけど、その辺は適当でいいです」
……別にいいけど」
「ハァ!?!?!?」

さっきから三井は変な声を上げてばかりだ。だが、も鉄男もそれには構わず、小さく頷き合っている。

……体調がちゃんと戻ったらな」
「このペースで行くと明日には平熱に戻ると思います。お休みはいつですか」
「あー……決まってねえけど、明後日なら」
「よかったらお願いします」
……昼頃に迎えに来ればいいか」
「はい」

ぽかんとしている三井、ぼんやりしているミライを差し置いて、と鉄男の間で話がまとまってしまった。

その後大して話もせずに鉄男は仕事だからと出ていき、また親子3人が残った。そして相変わらず誰もいない家、3人で適当に食事を済ませると、はミライを風呂に押し込み、三井を部屋に押し込んだ。

「おーい、やっと話せるよ、何なんだよアレ」
「鉄男さんのことでしょ」
「てか何であいつOKしたんだ」
「私もなんとなくなんだけど、断られないような気がしたんだよね」
「あいつやっぱりミライのこと好きなんじゃないのか」
「うーん、私はそれちょっとまだ疑問が残るんだけど、なんか、ミライにご褒美かなって」
「ご褒美?」

親のようなことをぼそぼそと話し合いつつも、三井に腕を引かれたはぺたりとくっつき、とろりとした目をした。ミライがずっと一緒にいるので、付き合いだしたと言っても、ふたりきりになれる時間はほぼゼロだ。

「寿くんも鉄男さんも徳男くんももちろんそうなんだけど、この間のことはミライが助けてくれたんだって、どうしてもそういう風に思えちゃって。だけど私何もミライにしてあげられることがなくて、ミライが嬉しくて幸せな気持ちになれることって何だろうと考えたら、鉄男さんとデートかなって」

三井は微かに鼻で笑って、の肩を撫でた。

「オレらだってそんなのできてないのに」
「それは寿くんがちゃんと宿題終わらせられるかにかかってます」
「あーもうわかったよちゃんとやるって!」
「頑張って早く終わらせて、ちょっとでいいからふたりで遊びに行こ」
……ああ、そうだな」

そうして、長く長く時間をかけてようやく恋を実らせたふたりは、そっとキスをして、直後にミライがシャワーから出てくる音を耳にして飛び上がった。十年以上ののち、ふたりは度々こうしてイチャついているところを娘に邪魔されるわけだが、それは遠い未来のお話。ひとまず、ミライのデートである。

「これは?」
「絶対丈足りないと思う」
「あっ、そうか、丈か……

その日の夜、三井が帰ったので、はクローゼットをひっくり返して明後日のデート服を悩み始めた。だが、なにぶんミライは身長が170センチあるので、の服ではだいたいどれも「つんつるてん」になってしまう。

「私の手持ちの服じゃダメ?」
「ダメってことはないけど……一応デートなんだし」
「だけと急に私がヒラヒラのスカート履いててもおかしいだろ」
「おかしくないよ、似合うよ!」
「それにバイクだよ。スカートだめじゃん」
「あー、そうだった!」

は両手に掴んだ服をバサバサと振り回す。せっかく可愛らしい服をあつらえてやろうと思ったのに、という顔である。ミライはにやりと笑って、ベッドにごろりと横になる。

「私はとは違うよ。可愛い服着て美容院で髪セットしてもらって――なんて思いつかないもん。そーいう花柄とか、リボンとか、ヒラヒラしたのも似合わない。そういうの着たことないから、ちゃんと着こなせないし」

天井に向かってそう言うミライの傍らに這い寄ると、はぎゅっとミライのほほをつねった。

「ミライそんなこと言う人じゃないよ。なんでそんな急に自虐とか言い出したの」
「自虐じゃないよ、とはキャラが違うんだって」
「キャラが違ったら可愛い服着たらいけないの?」
「そうじゃなくて……だからね、私が急にそんなの、てっちゃんドン引きするかもでしょ」

ぷいとそらされてしまったミライの横顔に、は目を見開いた。雑で豪快で怖いもの知らずなミライだが、繊細なところもあるのだ。急に「キャラと違う」装いをしてしまって、鉄男に変に思われたくない――そう言いたかったらしい。は頷いて、今度はミライの頭を撫でる。

「うん、そだね。鉄男さんの好みとかもわからないし、だったらいつものミライの方がいいよね」
「好みとかそーいうんじゃ……
「そしたら『いつものミライ』っぽい服、明日探しに行かない? 駅前の店でもいいよね?」
…………うん、靴、ほしい」

何日も家族のために奔走し続けてきたミライは、間違って作られてしまった未来から戻って以来、常に履き古したスニーカーを履いていた。薄汚れてひしゃげたスニーカーだ。服は戻った時にファストファッションブランドで買い揃えたものなので、真新しいしそれほど悪くはない。けれど、靴は確かにそれでは可哀想だ。

「そうだね。バイクだからミュールとかは無理だけど、いい感じの靴、探しに行こう」
……てっちゃんて、背高いよね」
「うん、寿くん184センチあるって言ってたけど、それより高いもんね」
「ちょっとヒールがあっても平気かな」
「全然大丈夫だよ、そーいうの、探そうね」

に頭を撫でられなから、ミライはこくりと頷いた。

ミライの心の中で、未来に置いてきた幼馴染の存在と鉄男がせめぎあっていることなど知らないは、それをミライの「照れ」だと受け取り、ふたりのデートが素敵なものになるよう、こっそりと祈っていた。