寄る辺なき恋心

前編

湘北バスケ部のマネージャーは彩子ひとりだけど、実は彩子の前にもうひとりマネージャーがいたことを知るのは、今となっては3年生だけになった。名前は。オレと赤木とは同じ北村中出身でもある。オレは中2の時、赤木は中3の時にと同じクラスだった。

実を言うと中3の頃からに惹かれていたオレは、湘北に入ってから彼女をマネージャーに誘った。特に入りたい部活もなかったらしいは、女子マネージャーという響きがいいと言って、興味を示した。バスケなど授業でしかやったことがないというので、ルールならいくらでも教えてやると請け負った。

そんなわけで、は1年生の春、バスケ部のマネージャーになった。

女子マネージャーは2年ぶりだというバスケ部では、は歓迎された。可愛いし気も利くし明るいし。先輩たちもには優しくて、マネージャーとしての滑り出しは実に順調だった。も頑張っていたし、特にこの時湘北バスケ部は赤木と三井が入ったことでテンション高めだった。

いいことしか起こらない気がする――そう言ったのは当時2年生だった先輩だと記憶している。

だが、「いいこと」など何も起こらなかった。三井は怪我をして姿を消し、湘北は県予選1回戦負け。三井は校内で見かける度にグレた感じになっていって、県予選1回戦負けのバスケ部はたまに監督が組んできてくれる練習試合くらいしかできることがない。あとはただひたすら練習の日々。

そしてその連鎖はをも巻き込んだ。

部活が終わっても赤木が個人練習をするので、は毎日部室の鍵を赤木に預けて帰るのが習慣だった。オレもだいたい毎日赤木に付き合っていたんだけど、ごくたまにを途中まで送るような感じで帰ったりもしてた。何しろ中学が同じなので家は近い。

だからあの日、少し部活が長引いて外が薄暗くなっていたのに、をひとりで帰したことは、今でも後悔している。は下校途中にひったくりに遭い、大怪我をした。

なぜ制服の高校生のバッグなどひったくろうと思ったのか、それはまだ犯人が捕まっていないのでわかっていない。しかしそれでもはバッグをひったくられた衝撃でよろめき、後方から来た自転車と衝突して2日間ほど昏睡状態に陥った。腕も骨折して、ギブスが取れるまではしばらくかかった。

薄暗くなっていたとはいえ、時間はまだ19時にもなっていなくて、高校生が家に帰るのに遅すぎるということはなかったと思う。腕の怪我は治るまで時間がかかったけれど、幸い昏睡状態の後遺症も異常もなく、は元気を取り戻しつつあった。

だけど、はマネージャーを辞めた。

辛そうな顔をしたは、オレに「部活なんか入るからこんなことになったんだって言って、聞かないの」と言って肩を落とした。親がバスケ部なんか辞めろと言って譲らなかったそうだ。それでなくともの左腕はギブスで固まっていたし、辞めなくても部活を続けるのは辛かっただろうと思う。

この頃になると、オレはもうのことが好きだと自覚していて、できれば戻ってきて欲しいと願っていたけれど、それは叶わなかった。しかも、これを機にとの接点はどんどん減っていって、同じクラスになることも隣のクラスになることもなく、顔をあわせることもなくなっていった。

のことは好きだった。好きだったけど、それだけではもうどうしようもなかった。

いっそ告白しちゃえばいいだろうとは思ったけれど、怖い思いをして怪我を負い、部活なんか辞めろと言われて辛そうな顔をしているに、そんなことを言っていいかどうかは、自信が持てなかった。それに、例え告白してOKをもらったとしても、オレが部活辞めるわけでもないのだから、無意味な気がした。

バスケ部はどんどん人が減っていって、とも会わなくなって、いいことなんか何ひとつ起こらなかった。

一応同じ高校に通っているので、ごくたまに姿を見かけることはもちろんある。それでも声を掛けたりはしないし、それはの方も同じで、ただオレの恋心だけが行き場をなくしてしまって、心の中で肩身の狭い思いをしている状態だった。

それだけ接点をなくしてものことが好きだと思う自分にも呆れていた。ただしオレの高校生活というのはバスケと学校でほとんど使い切っているようなもので、を想うことに飽きるほどの暇はなかったんだ。

例えばオレにとっての高校生活というものの中心がバスケと勉強だったとしたら、のことは、ある意味では余計なことになる。その余計なことを考えたり、余計なことに関わっている時間がなかったということだ。だから、気がついたら3年生になっていて、と最後に言葉を交わしてから1年以上が経っていたことになる。

それでものことが好きだというのは、なんだか申し訳ない気もしていた。けど、たまに見かけるは元気そうで、いつでも女友達と楽しそうにしていて、誰か男と手を繋いでいたり一緒に帰っていたりしているところを見かけたりはしない。そのせいで、オレはずるずるとを好きなのかもしれない。

これという彼氏でもいないなら、オレがこっそり想っていたって、いいんじゃないか。ストーキングするわけじゃないし、あれだけの怖い思いをしたが楽しそうにしていてくれるだけで、それだけでいいんじゃないか。

それはそれ、これでもこの気持ちは恋なので、が自分のことを好きになってくれたらと思わないわけじゃない。けど、限られた時間の中でオレにできることはたかが知れていて、しかも部活をやっている分人より時間がないときている。

好きな女の子と部活どっちが大事、なんていう話になってしまうと答えに詰まるんだけど、これも、それはそれ、これはこれ、としか言えない。バスケとは関係ないんだ。マネージャーを引き受けてくれたことは嬉しかったけど、それとオレのバスケとはまったくの別問題だから。

バスケに熱中しつつ、を好きでいて、もオレのことを好きになってくれたら、いい。そういう都合のいい結論なら出てくるけど、それは図々しいというんだとよくわかっているつもりだった。つもりだったけど、そういう欲がムクムクと湧いて出たのはインターハイ県予選で翔陽に勝った後のことだった。

部活に行こうとして教室を出たところで、に出くわした。出くわしたというか、はオレに用があって教室の前まで来ていたらしい。驚いているのを悟られないようにしているオレに、は決勝リーグを見に行きたいと言い出した。

「今年湘北が勝ってるからって、こんなこと、今更図々しいかと思ったんだけど……でも誰に聞けば場所と日にちがわかるのかわからなくて。こっそり見てるから、邪魔したり、しないから……

の声はどんどん小さくなっていって、そしてしきりに折った左腕を擦っていた。

何かには後ろめたい気持ちがあるのかもしれない。だとしても、のこの申し出をオレが断るはずもない。三井と同じだ。少なくともオレはのことは今でも「事情があって参加できない部員」というくらいに思っている。本当なら、一緒に決勝リーグに臨めたはずだった仲間でもある。

「あんなことがなかったら、今頃どうしてたのかなって最近よく思うんだ」

左腕を掴んだまま、は少し視線を逸らした。オレもそれはよくわかる。

「元部員だとか偉そうにするつもりないんだけど、あの頃は木暮くんと赤木くんと3年間頑張ろうって、そう思ってた。だけどリタイアしちゃったでしょ。だからその、試合くらいは、見ておきたいって、思って……

はやけに言いづらそうにしている。というか、それはもしかしてオレが「リタイアしたくせに」って言うと思われているのだろうか。そうなのだとしたら、との接点をなんとか繋ぎとめておかなかった自分が情けない。そんなこと、天地がひっくり返っても思ったりしないのに。

というか、むしろ見に来て欲しい。本当ならもいるはずだった場所で、オレたちが頑張ってるところ、見て欲しい。はいなくなっちゃったけど、オレたち諦めなかったって、それをわかって欲しい。

「もう私に出来ることなんて、応援するくらいしかないから」

それだけでいいよ、それだけで、オレは何よりも嬉しいんだから。

試合の日程を教えたけれど、はこっそり見るからと言って、どの試合を見るのだとかは一切教えてくれなかった。それに、決勝リーグを勝ち抜けた後も、は何も言って来なかった。なんとなく欲が出て部活に行く前なんかにのクラスを覗いてみたりもしたんだけど、はいつもいない。

まあ、赤木や三井はともかくオレはそんなに試合出てないしな、と自虐的になってみたりしつつ、結局夏休みに入るまでの姿は一度も見かけないままになってしまった。オレの方もインターハイでそれどころじゃなくなったし、インターハイは終わっても高校生活はまだ残ってるんだから焦ることもない。

それよりも今はインターハイで頑張ることだけを考えないと。今まで生きてきた中で、一番集中してた時期だった。

だから、インターハイ1回戦、豊玉との試合が終わった後に、会場の外でを見つけてしまった時の、3年生3人、まあもちろん特にオレ、は驚愕のあまりえらい大声を上げてしまった。の方も見つかるつもりはなかったらしく、見つかったことに気付くとダッシュで逃げた。

が、アイコンタクトだけで三井とオレは走り出していて、はあっけなく捕まった。

「ば、ばれちゃった……ごめん」
「いやなんで謝るんだよ。ばれたっていいだろがよ」
「私が見たかっただけだからいいの! あ、明日も頑張って」

三井に行く手を阻まれながらは何とか逃げようとしている。

「お前、オレが戻ったの知ってただろーが。なんで顔出さなかったんだよ」
「なんで私が顔出すのよ、彩子ちゃんに悪いじゃん」
「何ババアみてーなこと言ってんだよ、関係ねーだろうが」
「ババアって何よ、三井が雑なだけでしょ!」
「てかお前まさかひとりで?」

険しい顔をした三井にそう言われたは、途端に真っ赤な顔になって三井のブロックを突破しようとうろちょろしている。でも抜け出せない。まあそれはしょうがないよな、相手が悪い。

「ひとりで大丈夫なのかよ」
「いいでしょもうそんなことは!」

三井はいやよくねえだろと言おうとしたようだったけど、宿泊先に戻るバスが来てしまった。これ幸いとは逃げ出し、仕方なくオレは三井とバスに乗り込んだ。慌しく出発したバスの中で、三井とオレはそそくさと赤木のところに向かった。

「やっぱりだったのか?」
「ああ、しかもひとりで来てるくさい」
「ひとりで!? 平気なのか」
「それを確かめようとしたところにバスが来たんだよ。あいつもそれで逃げた」

その後も宿につくまでそのことをだらだらと話していたのだが、何せ翌日は大変な試合が待ち構えていて、またオレたちはそれどころじゃなくなってしまい、がひとりで広島までやってきていること、ひとりでいるかもしれないことなどには構っていられなくなった。

赤木と三井はどうだっただろう。だけどオレは、布団に入ってもう寝るしかないという頃になってのことを思い出した。は大き目のスポーツバッグを斜めがけに背負っていて、出来るだけ地味に纏めた跡が見える取り揃えだった。やはり、ひとりなんだろう。

――そうまでして、見たかったんだろうか。

何を?

そんなもの、自分もそこにいられたかもしれない晴れの舞台に決まってる。ひったくりになんか遭わないで、怪我もしないで、退部もしなかったら、今ベンチでマネージャーをやっていたのは彩子じゃなくてだった。穏やかなに活発な彩子で、いいコンビだったかもしれない。

それはもう現実になることのない過去であり現在であり、は叶うことのない夢を眺めに来ているだけ。

例えば赤木を、三井を、オレを、それに限らず誰かを見たくて広島までやってきたなんてことは、ないはずだ。ないに決まってる。ないよ、それは、たぶん、きっと。

仮にそうだったとしても、それはオレじゃない。

オレじゃない誰かだから、期待なんかするな――