昨年は強豪を蹴落とすも3回戦にて敗退した湘北だが、今年はその壁を突破した。負傷者を出すこともなく、順調とまでは言えなくとも連戦を勝ち抜き、そして5日目5回戦にして敗退、ベスト8という結果を残して彼らの夏は終わった。と公延も、それを全て見届けた。
5回戦にて湘北が敗退したその日、は彩子にも宮城にも会わずに会場を後にした。公延も赤木も顔を出すつもりはないと言って、そのまま帰宅した。この日の全ては部員たちだけで分かち合うべきだから。
「終わっちゃったね、夏」
公延のアパートへの道すがら、は後に手を組んでそう呟いた。
「……3年生の夏はな」
「まだ国体とか選抜とかあるんだろうけど、なんだか心が空っぽになっちゃったみたい」
「もすっかり感化されたな」
公延は困ったような顔で微笑んでいる。
「感化ってどういう意味よう」
「オレも人のこと言えないけどさ、の夏は終わってないだろと思って」
「そうなんだけどさあ、寂しいよ」
公延のTシャツの裾をつまんでぐいぐいと引っ張る。
「例えば湘北が全国制覇を成し遂げても、やっぱり寂しいぞ」
「ああ……そっかあ」
「オレたちには命がけの目標でも、人によってはたかが高校の部活だし、優勝してもしなくても突然終わる」
足元を吹きぬけて行く熱風には去年のことを思い出す。ちょうど今頃、腐りきって空を見上げながら、インターハイとやらに行っている公ちゃんを想っていたっけな。もちろんの夏は終わっていなかったし、公延がインターハイから帰ってきて初めての夏は始まったのだった。
「そういうことの繰り返し、なんだねえ」
「は受験に不安がないから余計だろ」
「不安がないっていうか、ほんとに今の志望校でいいのかなと……」
「あ、もっと偏差値高いところ狙うって理由で東京来ちゃったりして、とか考えてるな」
「なんでわかるの~」
今更である。
「……元々の志望校でいいじゃないか。実家にいられる時間は限られてるんだぞ」
「公ちゃん……」
「今のままだと実家から通えそうなんだろ。もう1年桜木たちと一緒にいられるぞ」
を見下ろして、公延はにっこりと笑った。
「その先の時間は全部オレがもらうんだから、今のうちに他のことに使っておけよ」
「……公ちゃん、変わったね」
「そりゃあ変わるだろ。いつまでも可愛い子供でいられるわけじゃないんだし」
そうであったならこんなことは言わなくても済むのに――公延がの父親に苦悩の告白をされたのはもう7年近くも前のことだ。の父親は宣言通り「ふたりのことに口を出さない」ことを今も貫いている。と公延の両親がどこまでふたりのことを把握しているかは定かでないが、口を出す気はまったくないようだった。
その代わり、元々親しい間柄の両の親たちは4人揃って遊びに出かけたりする機会が増えた。子供たちの変化を受け入れ、自主的に距離を置いているようにも見える。も木暮家へ行く回数が減ったし、公延が帰ってきても家には挨拶をしに来る程度で済ますようになった。
「おそらく宮城はスカウトが来るだろうな」
「そうだね」
「でも彩子も進学だって話だから、同じところに行きたがるだろうな」
「受験じゃ望みないのにね」
は鼻を鳴らして笑う。
「来年もすごいことになるぞ。なんせあの桜木と流川が3年だからな」
「どっちがキャプテンになるのかな。流川じゃ花道が文句言いそうだよね」
「あのふたりは争奪戦になるだろうな」
「もしかして海外に行っちゃったりしてね」
来年は英語を厳しく教えてみるか、とは漠然と思う。
「そうやって……みんな散らばっていくんだ」
「寂しいね」
「だからオレはプロポーズしたんだよ」
「へ?」
の左手を公延は静かに取り、ホワイトゴールドの指輪をするりと撫でる。
「みんながそれぞれの世界に出て行っても、もちろん寂しいけど、そういうものだって割り切れる。でもオレの世界の中にがいないというのは無理だよ、耐えられない」
「き、公ちゃん、どうしたの」
そもそもここは住宅街に沿って走る都道である。
「今日の宮城を見てて、自分が引退したときのこと思い出しててさ。名残惜しかったけど悔いはなかったし、今は今でちゃんと頑張ってる。だいたいそういうものだけど、それじゃダメなものもあるってことだよ」
だけは過去に置きっぱなしにしておきたくない。公延は改めてそう感じていた。
「だいたいオレたち、付き合ってまだ1年なんだよ実は」
「いやまあそうだけど、って1年かあ、なんか色々ありすぎてすごい遠いわー」
「離れてる不安はもちろんあるんだけどさ、それでももう少しにはそういう時間、過ごしてて欲しいよ」
それも後で振り返れば全て愛しい日々の記憶になるに違いないから。
「公ちゃん……やっぱりうちの両親に挨拶したりするの?」
は今更公延が頭を下げてお嬢さんを下さいなんていうのも可笑しい気がしている。
「そりゃするよ。面と向かってそれを言うのは、オレが小父さんとの約束を守った証拠だから」
「文句も言わず、殴りもせず、酒も飲まさない……守れるのかなあ」
「でも、どれが来てもどんと来いという気もする」
「おお、公ちゃん頼もしいね」
「多少は言わせてあげないと小父さんが可哀想だし」
「公ちゃんてほんと、優しいサディストだわ」
湘北が敗退したのでは明日、家に帰る。けれど夏はまだまだ長い。受験生だが余裕のあるはあれこれと公延と遊ぶ計画をまた考えている。公延も都合がつく限り一緒にいようと思っている。
誰がどんな風に変わっていこうと、生まれたときからには公延が全てで、公延にとってもは未来をかける全てで、それだけは揺らぐことはない。形を変えて姿を変えても公延も変わって行くけれど、もう何にも惑わされることはないのだ。
ふたりがこうして手を取り合っていられる限り、もう二度と。
END