エバー・アフター

01

が翌年に受験を控えたクリスマス、公延は実家に帰ってきた。に請われていたせいもあるが、春からひとり暮らしを始めて8ヶ月、少し疲れていた。年末年始は実家や家に寄りかかってだらだらしたかった。

「公ちゃんおっかえりー!」

公延が帰ってくると聞いて、はクリスマスイヴの晩を休みにすると決めた。公延がクリスマスだけでなく年末年始も実家にいるというので、また家と木暮家の親二組は出かけることにしたらしい。今年はどこかに泊まったりせずに帰ってくるらしいが、それでもほぼ1日家を空けるので、は上機嫌だ。

「受験生とは思えない顔だな」
「なんか公ちゃんの方がよれよれしてるね」
「ちょっと忙しかったから」
「疲れてる? 無理しないで少し休んだ方がいいんじゃない」

疲れてはいるが、無理はしてない。それに、とふたりきりになるのは先月上旬の文化祭の代休以来のことだ。年明けまで実家にいるつもりだし、少しくらい無理をしたって大丈夫。公延は部屋に荷物を置くと、を捕まえてベッドに倒れ込んだ。が、なんだか全身が緩んで力が入らない。

「ちょ、いきなり?」
「いや、そーいうんじゃなくて。やっぱりちょっと疲れたかも」
「何かあった?」
「あったっていうか、その、ええと、実はさ」

メガネを取って目を擦っている公延の髪を指で梳いていたは、話を聞くや目をきらきらと輝かせてにんまりと唇を歪めた。メガネをかけ直した公延はその顔を見てぎょっとする。

「お、おい、――
「とうとう」
「え?」
「とうとう、ついに、やっと! 赤木くんに虫が!!」

は公延の頭を抱えてはしゃいだ。

小学生の頃からバスケット一筋、中高と部活漬けで余暇という概念がないんじゃないかという程の赤木なので、高校卒業までの間に女の影がちらついたことはなかった。むしろ辛抱強くと公延の関係を一番近くで見守ってきてくれた人である。

はそんな赤木でも彼女くらいいたっていいのに、と何度も本人を突っついてきた。が、基本的に赤木にはそんな暇がなく、大学に進学してもバスケット漬けの毎日。本人が気にしないならいいか、とが若干諦めかけていたところだったので、公延の報告には歓声を上げた。

「別に仲がいいわけじゃないんだぞ」
「何言ってんの。仲がいいとか悪いとか、そういうことじゃないんだって」

公延によれば、最近赤木は学内イチ美しいとされる女の子と毎日のように喧嘩しているというのだ。そして、ふたりについたあだ名が「美女と野獣」。その間に挟まれておろおろしている公延は名前と映画になぞらえて「コグスワース」と呼ばれだした。割と見たまんまだ。

「なるほど、ベルちゃんね」
「本当は宗像っていうんだけどね」
「毎日喧嘩かあ、そうかそうか、んふふふ」
「その間に挟まれてるオレの身にもなってくれよ」
「公ちゃん、止めなきゃって思うから疲れるんだよ。好きなだけやらせとけばいいんだって、そんなの」

げんなりしている公延の頬を突付いたは目を三日月のような形にしてにやにやしている。

「だって止めなかったらヒートアップしちゃうだろ」
「していいじゃん」
「なんでだよ」
「したって赤木くんなら手が出るわけでなし、暴言吐くわけでなし」

そう言われた公延はきょとんとした顔をして目を丸くした。確かにそうなのだけれど――

「とことん言い合わせればいいじゃん。てか喧嘩の原因は何だったの」
「それが、宗像の弟が今高校1年生で、バスケにハマっちゃったとかで」
「それがどうして喧嘩になるの」
「実はさ、宗像家は代々うちの大学出の法律家の家系で、宗像本人も法学部で、しかも首席入学で」

宗像本家筋の子女は余すところなくそういう道をたどる運命となっていて、当の宗像も一族の末端として恥じない頭脳を持って入学してきたのだが、同じく今年高校1年生になった弟がバスケット部に入部、以来勉強そっちのけで部活に邁進しているとのこと。それが姉には面白くなかったらしい。

「またさ、その弟が行ってるのが東京の秋月学園って言って、インターハイにもよく出てる強いところで」
「そんな強豪校にいきなり初心者で入っても面白くないんじゃないの」
「中学時代はバレーかなんかやってたらしくて、今はもう馴染んでるって話だよ」

まあそれも高校1年生の間だけなら構わないだろう。ところが宗像弟は秋にとんでもないことを言い出した。

「うちの大学行かないで別のところに行くって言い出したらしいんだ。バスケが理由で」
……バスケってなんか脳内麻薬でも出るスポーツなの?」
「今年で言うと藤真が行ったところだ。強いし名門だし、先輩がそこに行くことになったとかで」

藤真と聞いて途端に顔が曇るだったが、とりあえずそれは関係ない。そんな宗像家の内輪揉めになぜ赤木が絡んでくるんだろう。いちいち突っ込んでも仕方ないので、は黙って話を聞く。

「宗像にしてみれば、自分は家風に則って進路を選んだというのに勝手なことを言ってると思ったんだろうな。その怒りがバスケに向かっちゃって、そこから毎日バスケ漬けの赤木にまで移っちゃって、一体バスケットが法曹職に勝る理由とはなにか述べよみたいなことを言って突っかかってきたんだよ」

は思わず声を上げて笑った。そんな理由であの赤木に突っ込んで行かれる女の子がこの世に存在していたとは。しかも首席の頭脳、その上美女、はその「ベルちゃん」にとても興味がわいた。

「適当にいなしてやりゃいいのに、赤木もついムキになって言い返すもんだから」
「それだけのきっかけで延々喧嘩してるの?」
「最近はバスケ関係ないことでも言い合ってるけど――
「ほらやっぱり!」
「やっぱり?」

のにやにや顔は最高潮に達している。

「そのベルちゃんも赤木くんも気付いてないだけで、もうバスケと法曹職のことなんかどうでもいいんだよ」
「え、だって、だったら喧嘩する理由がないじゃないか」
「だからあ、いらないんだって! そうやって喧嘩でも顔合わせて喋ってるのが楽しいの!」

公延はイマイチ理解の及ばない感情だったらしく、眉間にしわを寄せた。

「公ちゃん、喧嘩の仲裁なんかやめて、今度は好きなだけ言い合わせてみなよ。ふたりのことはたまたま居合わせた他人だくらいに考えてさ、話してる内容を冷静に聞いてごらん。たぶんだけど、もう話の内容は喧嘩じゃないと思うよ。会話のテンションが喧嘩腰っていうだけだよ」

があまりにも自信たっぷりにそう言うので、公延は試してみる気になってきた。赤木も今年の年末年始は帰省しているというので、冬休みが終わったら。なんだかちょっと疲れの取れた公延は、まだにやにやしているに擦り寄り、唇の端にキスした。

「大丈夫? 無理しないで――
「平気。ちょっと無理したい」
「そっか」

にやにやを引っ込めたは、柔らかく微笑んで目を閉じた。

休み明け、のアドバイスを携えて東京に戻った公延は、学校が始まってものの2日で赤木と一緒にいるところを宗像に急襲された。昼の頃のことでしかも外だったが、またふたりは言い合いを始めた。と言ってもふたりともきゃんきゃん騒ぐようなタイプではないので、白い息を吐きながらああだこうだと言い合っている。

公延は一度は「まあまあ」と口を挟んでみたが、に言われた通りにふたりの会話の内容を聞いてみることにした。最初は休みに入る前に赤木がぶっ放した「バスケットは才能よりどれだけ反復練習を出来るかが大切」という理論に対しての反論だった。

今のところ天賦の才は現れていないらしい弟だが、姉は反復練習だけでものになってしまっては面白くない。宗像はその赤木理論を認めるわけにはいかなかった。持って生まれた体や視力や環境がなければ反復練習も無駄だと思うと返してきた。それが最初。そこからの言うようにどんどん関係ない話になってきた。

「運動部の人はどうしてああ上下関係にこだわるんですか? まるで軍隊みたい」
「上下関係を重んじて悪いことなど何もないだろうが。礼儀も身につくし、結束も強まる」
「でも赤木くんのチームは上下関係なんかグダグダだったんでしょう?」
「一般論としての運動部の伝統と必ずしも同じように行くわけがないだろう」
「だけど赤木くんはそれを重んじてるんでしょう? それにこだわる理由は何?」
「オレはこだわってなんかいない」
「あら、後輩に高圧的に出たり手を出したことはないんですか? 木暮くんに聞いたことがあります」
「何も女子を殴ってたわけじゃないんだからいいだろうが。男子の運動部なんてそんなもんだろう」
「赤木くんはそれでもいいかもしれないけど、殴られたことで心に傷を負う人だっているかもしれない」
「オレが殴ってたのは何があっても心に傷なんか絶対に負わないから構わない」
「どうしてそんなことがわかるんですか」
「一緒に戦ったチームメイトだからだ」
「そんなの理由になりません。赤木くんが一方的に思い込んでるだけかも」
「お前こそ、そいつを見たこともないのにわかったような口を利くんじゃない。あいつはそういう人間なんだ」

あれよあれよという間に推定桜木の話になってしまった。今のところの言う通りになっているので、公延は少し寒気がした。さらにちらりちらりと双方の顔を盗み見てみると、確かに喧嘩腰なだけで不快感などは出ていない。どころか、宗像の方はなんだか少し楽しそうに見える。

だが、いつもなら泡を食って間に入ってくるコグスワースが静かなことにふたりはやっと気付いた。一応カモフラージュとして携帯を手にしていた公延を宗像が覗き込む。

「木暮くん、どうしたんですか。どこか具合でも?」
「なんだ、どうした」
「ああ、ごめん、から連絡が来ててちょっと」

こうなった時のために用意しておいた嘘だ。赤木には申し訳ないが、おかげで全容が見えた。

がどうした」
「うん、なんかバレンタインの話、母さんと小母さんと盛り上がってるらしくて」

時期も近いし、バレンタインのことをが気にしているのは本当。だが、付き合いの長い赤木なら木暮の両母共にというのがいかにもそれらしく聞こえるはずだ。赤木は呆れた顔をしてため息をついた。

「バレンタインて、あいつ受験だろうが」
「まあほら、そこはだから」
「木暮くんの妹さんですか?」

母さんに小母さんときてはそんな風に聞こえても無理はない。赤木と言い合っていた時とは一転、宗像はにっこりと微笑む。学内イチと称されるだけのことはある。あまりに美しくて作り物に見えてくる笑顔だった。

「いや、彼女」
「えっ、木暮くん彼女いたんですか!?」

さらりと訂正した公延だったが、宗像は飛び上がるほど驚いている。

「どういう意味だ。こいつに彼女がいたら何かおかしいのか?」
「そっ、そんなこと言ってません、だっておふたりはいつも一緒にいるから」
「向こうは地元にいるし受験生だし、オレらは部活もあるからさ」
「受験生てことは今高3? 後輩ですか?」
「ええっと、幼馴染」

赤木に突っ込まれた宗像だったが、なんだかに興味があるらしい。公延の方を向いて首を傾げている。

「赤木くんいつも練習が全てみたいなこと言ってるけど……そういう余裕、持てるんじゃないですか」
「だけど何もしてない人に比べたら、時間なかったよ」
「それで彼女さんは怒らないんですか?」
「家が隣なんだ。小さい時から一緒で」
「ほ、本当にあるんですね、そういうケースって。他の子に興味が出たりしなかったんですか?」
「おい、いい加減にしろよ」

宗像の顔を正面から見ていた公延には、邪な気持ちなど欠片も感じられない真面目な表情に見えたのだが、横顔しか見えなかった赤木には不躾な質問に見えたようだ。普段ならそんなことはしないのだが、宗像の肩に手をかけて引いた。

赤木の場合、親友とその幼馴染があまりにもぼんやりしているのでずっと気を使い、特に公延には変な虫がつかないように目を光らせていたという経緯があるだけに、木暮とについて首を突っ込んでくる者に対しては、つい排除しなければという意識が働く。

「何もおかしなことはないだろ」
「おかしいなんて言ってないでしょう。そういう話、初めて聞いたから気になっただけです」
「見世物じゃないんだ、失礼だろ」
「そんなこと言ってません。知らない世界のことを知りたいと思っただけです」
「知らないって、何言ってんだ。いつもナンパされてるだろうが」

宗像の目尻が釣り上がる。公延はマズいと思ったけれど手遅れだ。

「それとこれと何の関係があるんですか。あんなのといつも遊んでるわけじゃない」
「あんなのってお前な。どうしてそう気位が高いんだ」
「私が悪いとでも? それに、私は木暮くんに聞いたんです。あなたが文句を言ってくるのはおかしい」

公延は自分が悪い気がしてならない。いやーさん僕には荷が重い。

「迷惑だなんて思ってても言えないだろ、そんなこと」
「迷惑だったんなら謝ります。木暮くん、ごめんなさい、私そういうの、よくわからないから」
「いや、迷惑じゃないよ。大丈夫」
「よくわからないってお前、男いないのか?」

宗像の美しさは「CG処理された」と謳われるレベルである。滑らかで透き通るような白い肌、黒くくっきりした眉、これも黒く豊かなまつ毛に彩られた目、日に当たってもなお黒い瞳、ばら色の唇、真っ直ぐで真っ黒な髪。何も知らない他人から見れば、恋人がいないなど信じられない外見ではある。

だが、宗像は珍しく顔を真っ赤にして拳を震わせている。本当にいないらしい。

「いなかったら、何かいけないことでも、あるんですか!?」

少し上ずった声でそう言うと、宗像は走り去ってしまった。

あとに残されたふたりはぽかんとしていたが、特に赤木は何が起こったのかわからない顔をしていた。

「そんなに怒ることか?」

散々心配をかけて場合によっては助けてももらった相棒だが、この言葉には公延もガックリきてしまい、かつては自分もこんな風に呆れられていたんだと思いつつも、つい口に出た。

「お前みたいに部活ばっかりやってたわけじゃないんだから、あんなこと面と向かって言ったら可哀想だろ」
「可哀想?」
「お前付き合ってくれる男いないのかって言ってるみたいに聞こえたぞ」

もちろんそんなつもりのない赤木は目を丸くした。

「確かにキツい性格してるけど、女の子なんだから少し言葉選んでやれよ」

ずけずけととのことを聞いてくるところを助けてやったのにこの言われようとでも思ったか、赤木は目を細めて不満気な顔をした。

「ふん、これに懲りて突っかかってこなくなるだろ。それでいいじゃないか」

おそらくそれは赤木の本心だっただろうが、公延は、それはもったいないんじゃないのかと思った。の言うように、こうして宗像との言い合いが急になくなっちゃったら、お前、きっと寂しいぞ――

とりあえずの読みが当たっていたことに驚いた公延はその日、アパートに戻るなりに電話を入れた。がはしゃぐほどではないにせよ、口喧嘩が楽しそうだったのは本当だ。

「赤木くんはバカなの?」
「それは大目に見てやれよ、あいつだって女の子の扱いなんて――
「公ちゃんが言うように、それはベルちゃんが可哀想だよ。傷付くよ」
「かと言って、オレたちが突っついて謝らせるとかいうのも違うからなあ」

赤木と宗像のやり取りに潜む何かを確かめてみたかったのはも公延も同じ。だがそれが結局この事態を招いたのだと思うと少し責任を感じる。

「うーん、受験じゃなかったらなあ。ベルちゃんに会わせてって言うところだけど」
「まあ、センター目前にこんな話をしに電話してるオレもどうかと思うけど」
「あっ、大丈夫大丈夫、この間予備校で『お前もう来なくていい』って言われたから」

はけたけたと笑っている。もちろんその意味は何の心配もないということだ。今更ながら、自分の彼女のチートっぷりに公延は呆れた。それで将来の夢がお嫁さんだというのだから、よくよく気を付けてそんなことを口走らないようにしないと、どんな迫害を受けるかわかったものではないだろう。

「もしひとりの時に宗像に会ったら言っておこうか? 入試、いつだっけ」
「来月半ばー。終わったらいつでもいいよ。私もベルちゃん会ってみたい」

公延はカレンダーを見上げながら頷く。この、人より性能がよく出来ているはことテストなどで失敗したことがない人間だ。今回も無事に済むだろうことは彼女を知る誰もが疑っていない。準備にも一応抜かりはないので、そういうのに限って急に失敗するというタイプでもない。

「というか、赤木くんのことはいいけど、公ちゃんもちゃんと考えておいてよ、あれ」
「うん、考えてはいるんだけどね……
「ベルちゃんのことがなくても私、入試終わったらそっち行くからね」
「うん、待ってるよ。あと少し、頑張って」

公延はに聞こえないようにこっそりため息をついた。