ムナシズの昔話

「ムナシズ?」
真友子(まゆこ)美千花(みちか)恵美(めぐみ)萌枝(もえ)、『む』だけいないの」
「確かそれに気付いたのも尊じゃなかった?」

が神奈川に帰ってきたその年の夏、いつかのようにジリジリと日差しが暑い中、女ばかり4人集まって昼間から涼しい場所で酒を飲んでいた。尊の中学時代の元カノ3人である。

ひょんなことから知り合った3人だが、チュカこと美千花に中高の先輩後輩という共通点があったことから急速に親しくなり、しかもは5年間遠方で暮らしていたため遊び相手が少なく、少し年上のこの新たな友人たちと過ごす時間が多くなっていた。

特に生活圏が近いミチカとは頻繁に遊ぶようになり、お互い日中は仕事だが、都合が合うと飲みに出かけたりするようになった。今日はそこに真友子と萌枝が混ざり、真友子――マユの希望で少し遠出をして海の見えるカフェで飲み会である。

そこでモエが中学時代に自分たちのことを「ムナシズ」と呼んでいた……と言い出した。

ちなみにそのムナシズの「め」にあたるめぐめぐこと恵美は深夜まで営業しているライヴハウス勤務なので、昼間の集まりにはめったに出てこない。というかそもそもここ数年はこんな風に集まったりなどしなくなっていたという。たまたま尊が現れたのでムナシズが集まってしまったというだけだった。

「確かそれ言われたのはマユじゃなかった?」
「たぶんそう。急に『まみむめも~』とか言い出して」
「今考えるとあいつほんとによくそんなんで勉強できたよな……
「で、『む』がいないって言ったら『むなし~』とか言って喜んでた」
「バカじゃねえのかあいつ……
……だけどそれと付き合ってたんでしょ?」

に突っ込まれると全員ガクリと頭を落として頷いた。若気の至りです。

「あのね、あんただってクラッとなって危うくってところだったでしょうが」

特に彼女たちは尊のダークサイドをよく知る人々であり、しかしそれに対して現在は何も思うところはなく、それぞれの生き方を楽しんでいる。なのではミチカをきっかけに自身と尊の関わりについても話していた。やはり恵美はいなかったけれど、全員困った顔をして「つらかったね」と言ってくれた。

というわけでモエに突っ込まれたもガクリと頭を落とした。ぐうの音も出ない。

「それにあんたは高1でしょ。うちら中1とか中2よ? 男子のあのフワフワの腕毛ですらちょっとやだなとか思うようなお年頃だよ? そこに尊がいてみなよ。そりゃコロッと落ちるでしょうが」

が尊を初めて見たのは彼が19歳のときである。それでも彼は滑らかな白い肌に金の髪がよく似合う作り物のような美青年だった。それが中学時代、彼女らが言うには肌にトラブルもなく日に焼ける運動部でもなく、それはそれは美しい少年だったのだという。

ちなみに中学が同じと言っても、ミチカだけは中3の夏頃に転居での母校である富が丘中学へと移っている。なので尊とはそこで完全に切れていた。

今ここにいるミチカ、マユ、モエ、そして恵美は全員尊の中学時代の元カノだが、それで全員ではない。3年間の間にこのムナシズも把握出来ていないくらいの「彼女」がいたと、彼女たちだけでなく本人もその弟の信長も幼馴染のぶーちんとだぁも証言している。

「この中だと誰が先だったっけ?」
「私。私多分中1の秋とかそのくらいに付き合いだして、たぶん全体では3番目のはず」
「最初がマユで、あたしとめぐめぐがほぼ同時くらいなんだよね、中2の1学期」
「そうそう、で、私が最後で中2の夏」
……みんなよく平気だったね」

それぞれ初めての彼氏である。よくもまあそんなぶっ飛んだ相手と付き合っていて嫌にならなかったものだ。

「それが……ええと確か、中3くらいまであいつがポリだってこと、みんな知らなかったんだよ」
「え? 十何股かけてたのにバレてなかったの?」
「そう」
「みこっさんはマジでなんなの」
「選ばれし者?」

は呆れてポカンと口を開けたが、ミチカの発言にマユとモエは大ウケ。仰け反って大笑いしている。

「いや冗談でなく、ほんとにそういうヤツなんだよあいつって。かといって手帳にビッシリ予定書いてバレないように一生懸命偽装工作してるとかじゃないの。なーぜーか、バレないの。で、女の方もなーぜーか気付かないの」

言われてみれば、彼は常に数人の彼女がいる状態を中学生の頃からずっと続けている。がクラッとなってしまったのはほんの数ヶ月の間だったけれど、女の影などどこにも見えなかった。異様な美形だと言うのに彼女もおらず、なぜか自分とデートしてくれる素敵な王子様だと思っていた。

「でも中学の間にバレたんだよね? あとで気付いたんじゃなくて」
「そう。中3になって私とマユが仲良くなっちゃって、それでバレた」
「喧嘩にならなかったの?」
「それがさ、私たちもしかして、じゃなくて、うちらもしかして大勢の中のひとり? ってバレ方でさ」

また、モエによれば、特にこのムナシズは気が強くてへこたれない性格をしており、なんかどうも自分の彼氏がおかしいぞ……となった時点で騒ぎ立てることはせず、怪しいと思った女子に探りを入れ始めた。そこでミチカも恵美も仲間だと分かり、まずは尊本人に詰め寄った。

「そこで逆ギレされたりとか開き直られたら喧嘩になってたと思うんだけど、まあ尊だしね」
「なんとなく想像はつくね……
「天使みたいな可愛い顔で『だけどオレみんなのこと大好きだよ~』って」
「まるでこっちが悪いことしてるみたいな気になっちゃってね」

それも想像がつくは苦笑いで頷く。そもそもこの時点で1番付き合いの短いモエですら半年以上だ。それまで何のトラブルもなく付き合ってきた彼女たちにはそんな尊を愛しく思う気持ちがあったのかもしれない。途中ミチカが転校していったが、卒業まで一応別れたことにはならなかったという。

「ぶーちんにもバレなかったんだもんね……
「えーと、ああ、薮内ね。学校ではそんなに仲良くしてなかった気がする」
「うちら彼女のことはよく知らないんだけど、あと小山田だっけ? どっちとも話したことないなあ」
「ほら、なぜかこうなるの。だから基本的にはバレないんだよ」

モエが真剣な顔で腕を組む。きっと彼女とマユが仲良くなりさえしなかったら、永遠にバレなかったんだろう。

「みんなはいいけど、他の彼女さんたちは大丈夫だったの?」
「ダメな子もいたよ。だからそこでかなりの数の女が脱落したはず」
「騒がれなかったの?」

中学生だてらに十何股をやっていたのだ。誰かひとりくらいキレてもおかしくない。マユが身を乗り出す。

「それが尊が選ばれし者たる所以なんだよね。あいつさ、本当に見境なくて、見た目とか性格とかみんなバラバラ、こんな美少年と付き合える自分はきっと特別なんだって感じてた子も少なくないはずだけど、蓋を開けてみたら『こいつ何を基準に付き合ってんだよ』って疑問の方が先に出てくるくらいでさ」

自分はきっと特別――もかつて感じた勘違いだ。

「だからまず他の子に対する嫉妬っていうのが、ワッと出にくかったのは事実。嫉妬しようにも、それぞれみんな『えっ、こんなのと付き合ってたの!?』って驚くような相手がいて、カッとなって怒るより先に『どうなってんだ』って混乱してた。だからすぐに脱落した子なんかはそのわけのわかららん状況から早く抜け出したくて、私もういいや、やめるーって感じで逃げてった子も多いよ」

はいつか自分が大変な目に遭った時のことを思い出しながら、つい聞いてみた。

……それでも共通点て、あったのかな」
「あるある。あいつは『柔らかい女の子』が好きなの」

やっぱり――。頷くだけに留めたけれど、尊本人の言葉とぶーちんとの話の中で、も同じ見解に至っていた。外見のタイプや性格はともかく、柔らかそうな女の子なら誰でもいい。みんな可愛くてみんな大好き。それが尊だ。そしてその「愛」には区別差別がない。

「だから筋肉質だったり脂肪の少ない子とかは興味示さなかったね」
「あとはほんとに共通点なし。もしかしたら無意識にポリでも平気な子を選んでたかもしれんけど」

または、もしポリがダメだったとしてもキレて騒いだりしない子――

何を掘り返してみても自分に当てはまるので、は胸の疼きとともに、その思い出に対して以前ほど嫌悪感がなくなっているのを感じていた。今でももちろん同意なく手を出そうとしてきた19歳の尊には憤りを感じる。の場合は自分にも非があったかもしれないが、今はむしろ遠くない将来に「兄」になる尊のそういう危険な部分をよくよく見守っていなければ、と思う。それが家族の役割のような気がして。

「だから、異常な話だけど、うちらの同学年って、初めての相手が尊、っていう女大量にいるんだよな」

は思わずテーブルに肘をついて手のひらを額に打ち付けた。信長と頼朝と、3人でなんとしてでも尊を抑えていかなければ。現在26歳、まだまだ当分彼は中学時代と同じ危険を孕み続けるだろう。

「みんなも当然……
「そう。今考えると怖いよね。中学生が毎日のようにやりたい放題」
「それだけ好き放題やってて失敗がなかったっていうのも……
「な、だから選ばれし者なんだよ」

モエがケタケタと笑う。3人の述懐通りならもう既に十数年、尊は見境なく女の子と楽しんできたわけだが、一度も失敗はしなかった。たったひとりの相手と短い間に即失敗しただぁとはえらい違いだ。彼女らが尊を「選ばれし者」だと言う気持ちがちょっとわかってきた。

「妊娠とかの失敗もそうだけど、あいつよく刺されずにここまで来たよな」
「だから無意識に選んでたんだろ。頭に血が上りやすそうな女はスルーしてた」

確かに……も頷く。

今ここにいる3人も豪快なレディたちだが、誰ひとりとしてヒステリックに泣き喚くタイプではない。もちろん自分もそう。ぶーちんもそう。今カノのお姉さんたちもそんな風に見えた。柔らかそうでいて、なおかつどこかで冷静なタイプを見抜いていたのかもしれない。

「みんなは頭にきたりしなかったの?」
「それが不思議なことに、ないんだよそういうの」
「なんて言ったらいいんだろ、あいつ、彼氏としては完璧だったんだ」

3人が一斉に頷き、またマユが身を乗り出した。

「私が1番付き合い長いと思うんだけど、それでも尊と付き合ってる間、嫌な思いとか悲しい思いとか、したことないんだよね。中学生なんて今から考えると子供みたいなもんだけど、それでも尊には目一杯愛されてた記憶しかないし、だから後悔とかしたくてもその気が起きないんだと思う」

もトラブルに発展してしまうまではそういう感触しかなかった。尊は徹底して優しく、紳士的で、いつでも嬉しくて心がときめくようなことを囁いてくれる。ああきっとこの人は私のことが好きなんだろうな、そう思わせるようなことしかしなかった。だがそれは同時に、

「だけどそういう完璧さって、今は『人間味のなさ』だったんだなって思うよ」
「あー、それわかるな。あいつ、どこか作り物みたいだったんだよな」
「そうそう。だからその後に付き合った欠点だらけの男の方が夢中になったし、別れてからはすごく引きずった」

すぐそこにいるのに、まるで虚像のように感じてしまう。それにも覚えがあった。はついフッと笑ってしまった。自分は付き合ってないし危ないところで身体の関係も持たずに済んだけれど、すっかりお仲間だ。

「だからうちらみたいにあいつがポリでも割り切って受け入れられるようなタイプは、また今発作起こした尊が擦り寄ってきたら応えてやれると思うし、だけどまた彼女にはなりたいと思わない、そういうのが多いんじゃないかな。言い方は悪いけど、そのくらいしか感情が湧かないんだよね」

マユは現在秘書をやっている。詳しく話そうとはしないが、どうも上司と関係があるようだ。モエは懐石料理店で働いている。学生の頃に付き合った相手とくっついたり別れたり、グダグダになっているという。ミチカはそろそろ彼氏いない歴が1年半になるそうで、募集中とのこと。

は突然ぶーちんの言葉を思い出した。

――だぁはそんなの無理なんじゃって言うんだけど、あたしはね、いつかみこっちゃんを本気で愛してくれる人が現れると思ってるの。そうしたらね、みこっちゃんのポリはなくなるんじゃないかと思ってて。その時のためにね、それまでみこっちゃんを守ろうって決めてるの

ぶーちんの気持ちはよくわかる。中学生当時どうだったかはともかく、彼女たちもも結局尊を本気で愛していたわけではない。は信長を、彼女たちは尊の後に付き合った欠点だらけの男の方をよっぽど愛した。尊は作り物みたいで、現実感もなくて、後悔もなくて、身体の関係だけなら構わないけど、もう特別な関係になりたいとは思わない――

だがそれでも、自身の過去を差し置いても、はだぁの方が正しいのではないだろうかと感じていた。

だぁの言っている「無理」、それは尊を本気で愛してくれる人の有無ではなく、ポリがなくなるということの方ではないのだろうか。どれだけ尊を本気で愛する人物が現れても、柔らかそうな女の子が尻尾を振って寄ってきたら、尊は両手を広げて迎え入れるのではないだろうか。

「ここに限らず中学時代の子と話したりして、尊の話題になるとさ、あれと同じなの。当時流行った芸能人」

そう言いながら、モエは少し楽しそうだ。楽しい思い出を懐かしんでいる。

「あの時みんな夢中だったよね、あれがかっこよかったよね、あれがキュンて来たよねって話すんだけど、もう通り過ぎてきものって感じがする。確かに付き合ってたし、それなりのことはしてたし、だけどテレビの中の芸能人にキャーキャー言うみたいにみんなで尊を彼氏にしてた……そんな感じもする」

まるで存在しない人のようだ。は今度は尊の言葉を思い出した。

――あの子たちだって、いつ離れていくかなんてわからない、今は好きとか愛してるとか言うよ、だけどそれが永遠に続くかなんてわからないだろ

尊にとっても、全ての彼女たちは通り過ぎていくものなのかもしれない。

尊を本気で愛してくれる人が現れたとしても、彼は変わらないような気がした。だけど、もし尊自身が誰かを本気で愛するようなことがあったとしたら? 元カノ今カノこれから出会う人でも、誰か尊が「この人でなければ」と思い定める相手が現れたとしたら、あるいは。

可能性は低い。限りなく低い。けれどはそれを願う。

それまでは、ぶーちんの言うように、家族の一員として彼から目を離さないようにしたいと思った。

「だけどもう、昔の話だよ。私らも尊も、もうあの頃の自分じゃないから」

だからこのムナシズの昔話を忘れないようにしよう。そう思った。

END